子どものためのおはなし
  • Home
  • 出まかせ 日本むかしばなし
  • おはなし会のおはなし
  • ブログ
  • エッセイ

ねずみの婿選び

6/9/2011

0 Comments

 
さてもあるとき、ねずみ殿のところで婿をとろうということになった。ところが、どうやって婿を迎えたらいいのかわからない。というのも、もともとねずみというのは子だくさんだ。娘も息子も、いくらでもいる。跡取りに困ることはない。ところがこのねずみの夫婦には、どういうわけかたったひとりの娘しかできなんだ。一人しかいない娘であるから、かしずくように大事に育て、箱に入れるように、珠のように、それはそれは細やかに育てた。そのかいあって娘は誰よりも美しく育ち、「この娘ならさぞかし立派な婿殿が迎えられるだろう」と、ねずみの夫婦は喜んだのであった。
ところが、どうやって婿を迎えたらいいのかわからない。いやいや、まずもって、誰を婿に迎えたらいいのかわからない。夫婦は一晩かけて、ちゅうちゅうと相談した。そして、同じことならば、この世でいちばん立派なお日様に婿に来ていただいたらどうだろうかと話が決まった。
そこで、ねずみの夫婦は、早起きをすると、東の空に登ったお日様に向かって手を合わせ、それから心をこめてお願いした。「この世でいちばん立派なお日様。どうか娘の婿になっていただけませんか」と。
昇りたてのお日様は、顔を赤らめた。やはり娘の美しさをご存じなのであろうかと、ねずみの夫婦は喜んだ。けれど、お日様はまぶしそうに目を細めて、こうおっしゃった。
「私なんかは、まだまだです。ほら、あの雲がもう直こちらに流れてくる。そしたら私は、たちまち隠れてしまうんだから」
なるほど、ねずみの夫婦が返事をするまもなく、厚い雲が流れてきて、お日様を隠してしまいました。ねずみの夫婦は、相談した。どうやら、この世でいちばんなのはお日様ではなく、あの雲様であるのかもしれないと。そこで、夫婦は雲様に向かって声を合わせた。
「あのお日様さえ隠してしまう、大きな雲様。雨をもたらしてくれる恵みの雲様。どうか娘の婿になっていただけませんか」と。
すると、雲は顔をしかめて笑った。そして、こうおっしゃった。
「私なんかは、弱いものですよ。ほら、風が吹いてきた。風さんにはかないません。とてもとても」
そして、あっという間にあの大きな雲は流れて、消えてしまった。
そこで、ねずみの夫婦は、また相談した。そして、風に向かって声を上げた。声は風に吹き飛ばされて、お互いほとんど聞こえないほどであったが、それでも風様には聞こえたのか、こんな返事が風にのって聞こえてきた。
「私は確かに強いかもしれないよ。でも、壁にはかなわない。どんなに吹いても、あの壁は越えられない。そんな弱い私が婿にふさわしいとは思わないね」
そこで夫婦は、風がどうしても越えられないといった土蔵の壁に向かってお願いした。
「壁様。お日様よりも、雲様よりも、風様よりも強いあなたに、私どもの婿になっていただきたいのです」
すると、壁は驚いたように、こう答えた。
「なんの、わたしが強いものか。あなたたちねずみにかじられたら、ひとたまりもない。私よりも強いのは、あなたたちですよ」
そこで、ねずみの夫婦は、もういちどとっくりとよく考えることにした。そして、隣の家族の忠吉を婿にもらうことにした。
こうして、ねずみの若夫婦は無事に祝言をあげ、やがてたくさんの子どもたちに恵まれたという。
0 Comments

餅争い

5/14/2011

0 Comments

 
猿と一口に言っても、世界には無数の種類がいます。日本にいるのはニホンザルですね。だいたいは群れで山の中を動きまわっています。山の中で出会うと怖ろしいものですよ。いえ、猿の一匹ぐらい、身体も小さいし、いくら引っ掻いたり噛み付いたりしてきても、最後は人間のほうが強いでしょう。けれど、怖いのは群れです。あれが何十匹もいて、そして見張りみたいなやつが真っ赤な顔で思いっきり吠え立てるんです。身がすくみますよ。
ただ、同じ猿でも、なかには群れに加わらず一匹で生きている猿もいます。離れ猿っていうんですけど、むかし話に登場する猿は、だいたいがこの離れ猿です。離れ猿になるのは雄に決まっています。群れからあぶれた雄が、行き場をなくして離れ猿になるのです。だから、生き方は浅ましくて、品のないものですよ。

さて、このおはなしに出てくる猿は、例によって離れ猿です。それも、仲間の猿からは相手にされず、自分よりもずっとちっぽけな蛙といつもいっしょにいる猿です。こういう人っていますよね。弱い人を見つけては、いかにも恩着せがましく子分扱いするんですよ。弱い人のほうでも、そういう中途半端に強い人につい頼ってしまいます。そうすることで偉くなったような気になれるんでしょう。
その蛙が、猿のところにやってきて言いました。
「庄屋さまのところで赤ん坊が生まれたんですけど、五十日なんで餅つきをするそうですよ。お祝いに行ったら少しぐらい食べさせてくれるかもしれません」
猿は、にんまりと笑いました。
「いや、もっといいことがある。とにかく行こう」
そして、ふたりは庄屋さまのところまでやって来ました。ところがふたりは玄関の方には行かず、そっと裏庭にまわりました。猿は蛙に耳打ちして、古井戸の底にもぐりこませました。それから勝手口に行くと、大声をはりあげました。
「たいへんだ。井戸に赤ん坊が落ちたぞ」
その声を聞いて、台所から女が井戸の方に急ぎます。井戸の中では、蛙がいっしょうけんめい赤ん坊のような声を出しています。女は金切り声で叫びました。
「だれか。だれでも。早く来ておくれ。赤ん坊が井戸に落ちた」
さあ、騒ぎが大きくなります。庭のほうで餅を搗いていた男どもも、わっとばかりに裏庭に集まりました。その隙に、猿はこっそりと搗きあがったばかりの餅を臼ごと盗み出しました。ぽっちりおすそ分けをいただくよりは、ごっそり全部せしめてしまおうと思ったのですね。
猿は、臼の重さにふうふう言いながら、蛙と待ち合わせを決めておいた丘の上までやって来ました。そして、これだけ苦労して運んできたのに、蛙に分け前をやるのはもったいないと思うようになりました。それなら蛙がくる前に急いで食べてしまおうかと考えが決まったところに、運悪くもう蛙がやって来ました。いくらなんでも、蛙がそこにいるのにひとり占めというわけにはいきませんよ。
「どうだ、ここでひとつ、競争をしないか」
猿は、何食わぬ顔で言いました。
「俺はここまで走って逃げてくるだけで疲れたよ」
蛙はそう言います。
「だからこそ、ここでもうひとがんばりするんだよ。いいかい、おまえが競争に勝ったら、この餅を全部やる。競争に勝ったほうが全部食べられるってことだ。この餅を全部食ったら、疲れも吹っ飛ぶよ」
猿は、得意げに説明します。そして、蛙が考えるひまも与えずに、臼を思いっきり突きました。臼は、谷底に向けてどんどん転がり始めました。
「さあ、先に餅をつかまえたほうが勝ちだ」
そう叫ぶと、猿は一目散に丘を駆け下りていきました。
さてさて、蛙というものは、前脚が短く、後ろ脚が長いものですよ。こういう生き物が坂道でどうなるか、わかりますか。上りはいいんです。下り道になると、うまく進めません。無理に急いだら、ひっくり返ってしまいます。もちろん猿は、それを知っているんですね。蛙が追いつけないのをいいことに、涼しい顔で丘を下っていきます。蛙の方は仕方ないので、ゆっくりゆっくりと、臼の転げた方へと歩いていきました。
どうやらそれがよかったんですよ。というのは、たしかに谷底に先に着いたのは猿の方でした。ところが、臼の中には餅はもう残っていなかったのです。途中で臼から飛び出してしまっていたんですよ。
そして、それを見つけたのは、あとからゆっくり降りてきた蛙でした。飛び出した餅は、木の枝に引っかかっていました。ほら、蛙の目は上向きについていますからね。あのぎょろりとした目で真っ白な餅がはっきり見えたんです。
蛙がどうしたかって。そりゃ、食べますよ。だって猿は「競争に勝ったら餅を全部やる」って言ったんですよね。そして、「先に餅をつかまえたほうが勝ちだ」って、言ったんですから。全部食ったら疲れも吹き飛ぶだろうと、蛙にもそんな気はしましたしね。
けれどまあ、臼いっぱいの餅を食ったらどうなります。腹がはちきれんばかりに膨れますよね。だから、蛙の腹はあんな真っ白に膨れているんです。皆さんも、いくらおいしいからといって腹いっぱい餅を食ったら、あんなおなかになってしまうかもしれませんよ。
いえ、蛙のおなかは、半分も食わないうちにぱんぱんに膨れていました。そんなところに猿がのこのこと谷底から上ってきました。そして、蛙が餅を食っているのを見つけると、情けない声で頼みました。
「なあ、おれにもちょっとよこせよ。なんてったって、その餅をここまで運んできたのは、おれなんだから」
蛙は、快く餅を分けてやりました。ほんとにそうだったんでしょうか。私は知りません。ただ、蛙が猿に放ってよこした餅がまだずいぶんと熱かったこと、そしてその餅がベチャッと猿の顔に当たってしまったことは本当です。あっという間もなく、猿はやけどをしてしまいました。
だから、猿の顔はいまでもあんなに赤いのだそうですよ。
0 Comments

蛙の鳴き声

3/8/2011

1 Comment

 
なぜ蛙は雨になると鳴くのか、知っているか。あれは、心配でたまらなくて鳴いているのだ。何が心配なのか。親の墓が流れるのが心配なのだ。親の墓が川のすぐそばにある。水かさが増したら流れてしまうようなところにある。だから心配になって鳴く。
なんでそんな心配なところに墓をつくったか。それは、蛙がむかし、あまのじゃくだったからだ。あまのじゃくというのは、何でも人の言うことの逆さまばかりをする者のことだ。そういうことをすると、親は困る。あまのじゃくな子どもの親は困り果ててしまう。
それも、自分のことだけならいい。これをあっちに持って行けと行ったらこっちに持ってくるぐらいのことには、すっかり慣れっこになってしまう。けれど、他の蛙のことになると、そうも言っていられない。あそこの年寄りに親切にしてやれと言ったら邪険にする。こっちの母親を手伝ってやれと言ったら、わざわざ邪魔になることをする。これではあまりにひどいので、蛙の親はあべこべを言うようになった。仲良くさせようと思ったら、「あの年寄りには近づくな」。手を貸すように言いつける代わりに、「ちょっといじわるをしておいで」と言いつける。あまのじゃくの親は、思ったこととちがうことばかり言うようになった。
そして、自分がいよいよ寿命だと思ったとき、息子を呼んでこう言った。「わしが死んだら川のすぐそばに墓をつくってくれ」と。もちろん、そんな危ない墓に入りたいわけはない。本当は、山の上にほうむってほしかったのだ。だからこそ、あべこべに川のそばだと、あまのじゃくの息子に頼んでおいた。
さて、親が死んだとき、あまのじゃくの息子は大いに悲しんだ。ようやくのことで、自分がひどい息子だったことをさとったわけだ。だから心を入れ替えて、これからは素直になろうと考えた。そして、なにより親父さまの言うとおり、親父さまの墓を川のすぐそばにつくろうと、このように考えた。
だから、蛙の親の墓は、川のすぐそばにある。だから、雨が降ると、墓が流れないか心配になる。あまのじゃくであることをやめ、素直になった蛙は、心配だから声を上げる。心配だからケロケロと鳴く。そうやって、いつもいつも、雨が降ると鳴いている。
1 Comment

    作者について

    えっと、作者です。お楽しみください。はい。

    過去エントリ

    June 2011
    May 2011
    March 2011
    February 2011

    カテゴリ

    All
    動物
    家族
    怪異
    生活
    町方
    神仏
    笑い話
    縁起
    農村

    RSS Feed

Powered by Create your own unique website with customizable templates.