子どものためのおはなし
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行かず池の話

5/19/2015

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むかし、森の奥に「いかず池」という小さな池がありました。なぜこんな名前がついたのでしょう。それは、この池に行こうと思っても、ぜったいにたどり着けないからです。森の奥、沢の枝分かれした先にあることは、むらの人にはわかっています。けれど、「たしかこっちだった」と山を踏み分けてたどっても、そこに池はないのです。
ところが、行こうと思わずに森の中を歩いていると、ふいっと目の前に池があらわれます。しんっとしずまりかえった水のおもてには、さざなみひとつたっていません。浅い水ぎわには、あしによくにた草がたくさんはえています。木立に隠れてしまうほどの小さな池ですから、たしかに見落としてもふしぎはないのかもしれません。それでも、行こうと思っていないときにかぎって見つかるのは、なんだかきみょうです。
そんなわけで、むらの人はいつのころからかこの池のことを「いかず池」と呼ぶようになったのでしょう。もっとも、じっさいにこの池に行ったことがあるのは、ほんのわずかの人びとだけでした。ふつうのむら人がちょっとした山仕事ではいる森よりは、ずいぶんと奥まったところにあったからです。大物をねらう山猟師や、腕自慢の木こりぐらいしかはいらない奥山です。だから、ほとんどの人にとっては、いかず池はその名前のとおり、だれも行かない池でした。

この池には、たどり着けないということのほかに、もっとふしぎな言い伝えがありました。それは、この池にはえている草をせんじて飲めば、どんな重い病でもたちどころになおるというものです。もちろん、たしかめた人はいません。なぜなら、病気になってからこの池の草をほしいと思っても、その草を手に入れることなどできないからです。草を手に入れたいと思って池をさがしても、池はけっして出てきません。いかず池だからです。池は、探していないときしかたどり着けない場所にあるからです。
そのむかし、こんな言い伝えができるより前のこと、ひとりの木こりが山仕事の帰り道に、この池を通りました。木こりには長く病の床についた母親がおりましたが、まずしい木こりは、ろくに母親にうまいものも食べさせられません。山仕事の帰り道に食べられそうな野の草をつんで、まずしい菜の足しにするほどです。この日もそうでした。池のはたにはえているあしによくにた草の先の方がやわらかそうに見えたので、母親に食べさせてやろうと持ち帰ったわけです。
この草を食べた母親は、とたんに元気になりました。だから、「いかず池の草は万病にきく」という言い伝えが生まれたのです。ところがそれ以後、この話をきいて草をとりに行ったむら人は、ひとり残らず池を見つけられずに帰ってきました。たまに何の気もなく池を見つけた人がむらにおりてくると、むら人はとりかこむようにして、「草をとってこなかったか?」とたずねます。けれど、そういう人は草がほしくて池に行ったわけではありませんから、たいていは手ぶらです。ごくごくまれに、言い伝えを思い出して、たまたま見つけた池で草をつんでくる人がいます。そういう草は、めずらしい薬のもとになるということで、たいへんよい値段でとりひきされるのでした。

あるとき、頭のいい男が、この草の話を聞きつけました。わざわざこの山奥のむらまでやってくると、金をおしまずに、わずかの草を買い集めました。そして、それをまちにもっていくと、病に苦しむ人びとに飲ませ、ききめをたしかめました。たしかに、きいたこともないほどよくきく薬のようです。男はほくそえみました。そして、あちこちの金持ちをまわってお金をかき集めました。借りられるだけのお金を、ありとあらゆる方法を使って、せいいっぱいに借りました。
そして、そのお金をもって、また山奥のむらにやってきました。そして、そのむらから奥の山すべてを、その金で買いとると言ったのです。
むら人は、考えこみました。けれど、お金はやっぱりほしいのです。一生かかっても目にすることのできないような大金が、ちょっと紙に名前を書くだけで手に入るのです。ほとんどの人が、みなで分けあってもってきた森を売りわたすことにさんせいしました。

頭のいい男は、森を買ってしまうと、さっそくむら人たちを人足にやとって、森の木を切りはじめました。男の考えはこうです。たしかに、いかず池は、ふつうにさがしても出てこないのだろう。だったら、かくれがをなくしてしまえばいい。森の木をぜんぶ切ってしまえば、まるはだかの山のどこかに、池が出てくるはずです。そうやって池を見つけてしまえば、あとはそこにはえている草を売り払って、大儲けができるのです。
森の木はどんどん切られ、山は地はだをむきだしにしていきました。そしてついに、山のしゃめんに、ぽつりと小さな池がすがたをあらわしました。

頭のいい男は、さっそく、カマを手にして草をとりに出かけました。けれど、なんということでしょう。森がなくなってしまったせいで、池の水はすっかりひあがってしまっていました。そして、そこにはえていた草は、どこにもなくなってしまっていました。
こうして、いかず池も、そこにはえた草も、そして頭のいい男も、みんな消えてしまったということです。
(初出:November 18, 2009)
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友だちの味

5/19/2015

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むかし、ある小さな国に、王さまがひとりいらっしゃいました。どこの国でも王さまはひとりときまっています。ですから、ふしぎなことでもなんでもありません。

ところが、この国には、この王さまのほかにはだれひとり、すんでいませんでした。王さまはたったひとりぼっちなのです。これはふしぎなことです。

なぜなら、王さまがお生まれになったときには、すくなくともお母君はいらっしゃったはずだからです。たぶん、お父君の王さまもいらっしゃったでしょう。さんばさまや、おつきのおいしゃさまもいたかもしれません。けれど、王さまがものごとをおぼえていられるようになったころには、王さまのほかにはこの国にはだれもいなくなってしまったのです。

けれど、この国には、大臣もひとりいました。たったひとりだけ、大臣がいました。王さまのほかにはだれもいないはずなのに、どうして大臣がいるのでしょう。それは、王さまは、王さまにあきたときには、王さまをやめて大臣になるからです。だからときには、この国にはたったひとりの大臣だけがいて、そのほかにはだれもすんでいないということもできるのでした。

また、ときには王さまは、大臣にもあきて、お百姓になることもありました。これはとくにたいせつなことです。なぜなら、お百姓になって麦をまいたり牛のせわをしたりしないことには、王さまは毎日たべるものにこまるようになるからです。ですから、この国にはたったひとりのお百姓がいて、そのほかにはだれもすんでいないともいえるのでした。

それにもちろん、おなかがへれば、王さまはコックにもなりました。そんな時間には、たったひとりのコックだけが、この国にすんでいるわけです。

ときには王さまは、宿屋の主人にもなりました。王さまのお城のとなりに、小さな宿屋があったからです。この宿屋には、小さな図書室がありました。王さまはときどき宿屋の主人になっては、この図書室で本を読んですごすのでした。

さて、あるとき、めずらしいことに、この国に旅人がひとり、やってきました。ふつう、旅人はこの国にはやってきません。なぜなら、だれもすんでいないところに用のある人などいないからです。たしかに王さまはすんでいましたけれど、たったひとりですんでいて友だちもいないような人は、そこにいないも同じことですものね。

だから、この旅人は、うっかり道にまよってこの国にやってきたのでした。長い長い旅のはてで、とてもつかれはてていて、とおくに宿屋を見つけたときには心のそこからほっとしました。

宿屋はがらんとしてひとけがありませんでした。けれど、大きな声でよぶと、やがて主人らしい人が出てきました。

「やあ、たすかった。今夜、ここにとめてもらいますよ」
旅人はいいました。宿屋の主人は(つまり王さまですよ)、
「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくり」といいました。宿屋の主人は長いことやっていますが、お客というものははじめて見ます。ですから、そこから先はどうすればいいのかわからず、ただそこに立っていました。

けれど、こういうことは旅人のほうがなれているものです。旅人は、
「へやはどこかな。ああ、こっちのへやをつかわせてもらえるのかな。なるほど、きもちのいいへやだ。食堂はこっちだね。ばんごはんをおねがいするよ」
と、てきぱきとしゃべります。それで、お客がはじめての宿屋の主人も、なんとかまよわずにすみました。

さて、この国にたったひとりいるコック(つまり王さまです)が料理をし、ばんごはんができあがりました。旅人はよろこんでたべると、宿屋の主人に向かって話しはじめました。
「この国はずいぶんとさみしいところだが、お百姓はいるのかね」
「はい。お百姓はおります」
と、宿屋の主人は答えました。
「まあ、それはそうだろう。お百姓のいない国なんてきいたことがない。では、商人はいるのだろうか」
「はい。ひとりおります」
と、宿屋の主人(つまり王さま)は答えました。王さまはときどき、ほかのものにあきると、商人のまねをして遊ぶのです。
「役人はいるかな」
「はい、おります」
「大臣がいるだろうか」
「はい」
旅人はちょっとかんがえました。
「なるほど、小さいなりになかなかしっかりした国だ」
宿屋の主人である王さまは、このことばにすっかりうれしくなりました。
つぎに旅人は、
「ここに来るとちゅう、お城を見たが、あそこには王さまがいらっしゃるのだろうか」
と尋ねました。
「はい」
宿屋の主人は答えました。
「王さまにおあいになりますか」
「そんなことができるのか」
と、旅人はおどろいてききました。
「どうぞ。なんならこれからまいりましょう」

ふたりはつれだって、宿屋のとなりにあるお城に向かいました。
お城の門をくぐり、玄関のホールをくぐり、ごてんのおくにすすみました。きらびやかなへやに、りっぱな王さまのいすがありました。だれもすわっていないそのいすに宿屋の主人はまっすぐにあるいていくと、いすのかたにかけてあったケープをまとい、わきにおいてあるかんむりをかぶって、そこにすわりました。
「わたしの王宮に、よくぞいらっしゃった」

旅人はちょっとびっくりしました。それから、少し笑いました。
「なるほど、あなたが王さまでしたか」
「うむ」
王さまはいげんをととのえて答えました。
「宿のご主人もあなたさまなのですね」
「うむ。ときにはそのようになる」
「すると、お役人も」
「そうだ。そちはなかなかのみこみがよい。わたしである」
「では、商人やお百姓も」
「そのとおり。わたしは商人にもお百姓にもなれる。わたしはのぞむままに、なんにでもなれる。それが王たるものの特権ではないか」
「まことにそのようにぞんじます」
旅人は感心して言いました。
「王さまは、実にすばらしくこの国をおさめておられます」
「うむ。わたしのめいれいにそむくものは、この国にはひとりもおらんからな」
「まさにそのとおりでございます。王さまのほかには、だれひとり、この国にはいらっしゃらないわけでございます」
「うむ。なにもかも、すべてがこの国ではうまくいく。さいばんかんはおらんが、それは悪いことをするやつがおらんからだ」
「へいたいも、おられないようですね」
「うむ。せんそうなど、しなくてもよいものだからな」
旅人は、すっかりこの国がすきになりました。
「このようなすばらしい国は、どこをさがしてもないでしょう」
「うむ。そこまで気に入ってくれたか」
「はい」
旅人はふかく頭を下げました。
「このような国は、見たことがございません」
「では、そちのいたいだけ、この国にいるがよい」
そして王さまは、おもおもしい声で、たからかにおっしゃいました。
「なんじに、この国をおもうとおりにとおりぬけ、おもうとおりにふるまう特権をあたえる。これは、王よりじきじきにくだすものである」と。

じっさい、たびびとはこの国がすっかり気に入りました。お百姓は気持ちのいい人でした(つまり王さまでした)。宿の主人も、街で出会う商人も、気の合う人たちでした(つまり王さまです)。お城の役人も大臣も、そしてだれよりも王さまは、話していてゆかいな人でした。なにしろ王さまは、たくさんの本を読んでいたので、それはそれはいろいろなことを知っていたのです。

旅人は、あちこち広い世界を自分の目で見て知っています。ですから、王さまの本で読んだことと自分の知っていることをてらしあわせ、いろいろと新しい発見をします。王さまのほうも、旅人の話すことがひとつひとつ目新しく、おもしろくかんじるのでした。

こんなふうに、旅人と王さまは何日もなかよくすごしました。王さまはすばらしいコックでもありましたから、ふたりはおいしいごちそうをたっぷりたべました。旅人はいろんなことを知っていまいしたから、王さまが、自分の国にはえていたけれど知らなかったいろいろなたべられる草を森からとってきたり、さかなをつかまえたりもしました。ふたりとも、毎日がたのしくてしかたありませんでした。

それにしても王さまは、もの知りでした。旅人が長いことふしぎにおもってきたこと、たとえば雲はなぜできるのかとか、その雲はながれてどこまでいくのかとか、そんなむずかしいことを王さまはすらすらとせつめいしてきかせるのです。海はどれほどふかいのか、山はどれほど高いのか、王さまは、いったこともないのに本で読んでよく知っているのでした。

「王さま、あなたには知らないことなどないにちがいない」
旅人はかんしんして、こえをあげました。ところが王さまは、まじめな顔をして、旅人にこんなふうにいいました。
「いや、わたしには知らないことばかりだ。本で読んだことなど、おまえのように自分の目で見てきたことにくらべればほんとうにとるにたらない。じつは、このあいだからずっと、わからないままこまっていることがある。わたしはほんとうに知りたいのだが、いくら本を読んでもわからないのだ」
旅人は、かえってふしぎにおもいました。王さまにもわからないことってなんでしょう。
「いや、たいしたことではないとおもうのだ」
王さまははずかしそうにわらいました。
「じつは、友だちというものが、わたしにはわからない。どの本にも、とてもすばらしいものだと書いてあるのだが、それはどういうものなのだろうか。いったい友だちというものは、大きいのか小さいのか、重いのか軽いのか、やわらかいのかかたいのか、そんなこともわからない。はたして友だちとは、どんな味がするものやら。あまいのか、からいのか、そんなことさえわからないのだよ」

旅人は、しばらく王さまをまじまじと見つめました。それから、ゆっくりうなづくと、王さまの手をとりました。

「王さま、ここに王さまの友だちとよんでいただけるものがおります。さて、わたくしめは、あまいのでしょうか、からいのでしょうか」

王さまはしばらく旅人の顔をじっと見ていました。そして、ふたりで大きなわらい声をあげました。

ふたりのわらいは、この小さな国のはてまで、どこまでもこだましていったということです。
(初出:October 06, 2009)
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十三のうなぎ

5/19/2015

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むかし、十三に若い男がおって。母親と二人、暮らしておった。ところがある日、母親が病にかかってしもうたと。いろいろ手当てを尽くしたが、どうにもこうにも良くならん。そのうちに、いい医者紹介してくれて、そこでその医者にかかったと。すると医者の見立てでは、これははやりの気の病。気の病は、なかなかに厄介ものじゃと、こう言うた。
そんな医者の見立てを聞くと、母親は急に、「うなぎが食べたい」と言い始めた。なんとも「き」は「き」でも「うなき」の「き」であった。

そこで若者、うなぎをもとめて川まで行った。言わずと知れた十三は、淀の大川のほとりでな。川に上ってくるうなぎをとろうという算段じゃ。若者は釣りなどしたことがなかったが、母親のためとあって神様に祈りが通じたのじゃろうか、一匹の立派なうなぎが竿にかかった。
これはありがたいと、若者はうなぎをつかんだが、なにせうなぎというものはぬるぬるすべる。うなぎの頭をこうおさえ、首のところをこうつかみ、よっとな、やっとなと、つかまえようとするのだが、うなぎはどんどん逃げようとする。そのうなぎを手が追いかけ、手にはからだがついていき、からだを足が追いかけて、若者はどんどん走り出す。
走って走って、けつまづいたところで、うなぎはぽーんと飛ばされて、向こうの川ににげこんだ。若者の方はあべこべに、けつまづいたいきおいでぐしゃり。落ちたところは傘屋の仕事場。
傘屋は驚いて、若者に問うた。
「おまはん、どこから来なはった」
「はあ。うなぎを追ってこちらまで」
「うなぎかなんかは知らんけど、こらまあこっちも困ります」
「はあ。どうしましょうなあ」
「どうしましょうや、あらへんで」
「それではいったい、どうしましょう」
「どうしましょうも、こうしましょうも、それではちょっと手伝うていけ」

そこで若者、すわりこんで傘屋の手伝い、傘張りをはじめたな。習うたわけでもないのに、手先が器用なんじゃろか、若者たちまち一本の傘を張り終えた。
「こりゃお見事」と、傘屋も感心。
若者すっかり気をよくし、傘を開いて見栄を切る。ところがそこに一陣の風、たちまちふいて、吹き飛ばす。あれと思うまもなく若者は、天に飛ばされ、舞い上がる。
着いたところは雲の上。雷神様の仕事中。
「おまえは、どこからやって来た」
「はあ。風に飛ばされこちらまで」
「風の都合は知らんけど、ここらはちょっと忙しい」
「はあ。どうしましょうなあ」
「どうしましょうや、あらへんで」
「それではいったい、どうしましょう」
「どうしましょうも、こうしましょうも、それではちょっと手伝うていけ」

そこで若者、見よう見まねで雷神様を手伝うた。太鼓をどんどん打ち鳴らし、手桶で水をざあぶざぶ。手桶の水は、たちまちに、雨に変わってどっしゃぶり。調子にのって若者は、あちらこちらと駆け回る。
「おいおい、そっちは危ないぞ」、雷神様の呼びかけも、まるで頭は上の空。
「そっちは雲が薄いというに」。声も届かずまっさかさま。
あっという間に海の中。ざぼんと落ちて、ぶくぶくと、海の底まで一直線。
落ちたところは竜宮の、晴れの広間の真ん中で、乙姫様が驚いた。
「あなたはいったい、どちらから」
「はあ。雲踏み外してこちらまで」
「それは気の毒、お怪我はないか」
「怪我はないけど、いやはや、はあ。どうしましょうなあ」
「どうしましょうや、ありまへん」
「それではいったい、どうしましょう」
「どうしましょうも、こうしましょうも、それではちょっとお休みなされ」

たちまち出てくるご馳走に、若者さすがに怪しんだ。
「竜宮城のご馳走に、みやげは煙の玉手箱。爺になるのはちと困る」
「なにをたわけた昔話。気にせずどうぞ召し上がれ」
若者一口食べてみて、味気ないのに驚いた。
「竜宮城なら鯛のつくり、平目の縁側、烏賊そうめん、蛸の酢の物ないものか」
「なにをおっしゃる、この城は、魚や貝の極楽で、そんな殺生いたしませぬ」
出されたご馳走よくみれば、みんなわかめやてんぐさの、精進料理でありました。
もっとうまいものが食いたくなった若者、ふと見ると、目の前に海老が泳いでいる。これはありがたい、海老の踊り食いと、箸を伸ばした若者を、乙姫様が止める間もなく、かかる針。あわれ若者、釣りの餌に食いついて、あっという間に釣り上げられた。
釣り上げられた船の上。漁師がさすがに驚いて、
「おまはん、ぜんたいどこから来た」
「はあ。竜宮城からこちらまで」
「竜宮城とは豪勢な。けど、ここらはちょっと忙しい」
「はあ。どうしましょうなあ」
「どうしましょうや、あらへんで」
「それではいったい、どうしましょう」
「どうしましょうも、こうしましょうも、それではちょっと手伝うていけ」

そこで若者、漁師の仕事を手伝うた。漁師はたいそう喜んで、帰りにみやげをしこたまくれた。とりたて魚をざる一杯。そしてうれしやその中に、大きなうなぎがおったとさ。
若者、家に駆け込んで、さっそくうなぎを料理して、病の母に食わせたら、気の病はたちまち失せて、母親は元通り元気になったそうな。

はあ、めでたいな、めでたいな。
(初出:August 21, 2009)
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    作者について

    私の家は保育園のすぐ近く、そして薪ストーブがあります。そこで、冬季限定のお楽しみとして、薪ストーブの火を囲んでのおはなし会に年長児さんを招待することになりました。そのおはなし会で使ったネタを、ここで紹介していきます。

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