ぼくはまだまだ世の中のことを知らないな。何年ぶりかに東京を歩いて、そう思いました。世の中のことがすっかりわかってしまったなどと思い上がっていたつもりはありません。けれど、自分のまわりのことに気をとられてきたこの何年間かのうちに、どこかに「だいたいのことは読みきった」みたいな感覚があったのかもしれないと、振り返ってそう思います。それに気づかせてくれただけでも、今回ひさしぶりに東京に出てきたのはよかったのかもしれません。
いいえ、それほどじっくりと東京の様子を見る時間があったわけではないんですよ。昼前に新幹線で東京に着いて、夜の9時過ぎに用事が終わりました。もう新幹線はありませんから、夜行バスで神戸に帰るつもりで、数時間の空きができたわけです。
バスが出るのは新宿駅の近くです。用事が終わったのは渋谷です。すぐに電車で移動すれば十数分で移動が終わる距離ですが、それでは時間を持て余します。そこでぼくは、新宿まで明治通りを歩いてみることにしました。渋谷の駅前を出たのが10時前ですね。そこから新宿駅まで、ぶらぶら歩いて小一時間の道のりです。
同じ道を、たぶん25年前ぐらいにぼくは歩いています。たぶん、同じような時間帯だったように思います。あるいは昼間にも一度歩いているかもしれません。なにせ古いむかしの話ですからね。そんなにしょっちゅう歩いたことがないのは確かだけれど、歩いたことがあるのも同じくらい確かです。あのころぼくは東京に住んでいて、お金がありませんでした。だから、都内はずいぶんと歩いたものです。歩ける範囲なら歩くのが基本でした。時間がないときだけ、電車や地下鉄を利用したものです。
だから、むかしなじみの道を歩いて「ずいぶんと変わったなあ」というような感慨をもったわけではありません。そこまで見覚えのある街ではないのです。ただ、だいたいの感じはおぼえています。歩けばそれなりにおぼえます。それだけの時間がかかりますからね。ぼくは日本中のあちこちを、そんなふうにしておぼえました。断片的ではあるけれど日本の様子をだいたいはわかっているつもりになっていたとしたら、その裏付けはこんなふうに歩きまわったことにあると言ってもいいのではないかと思います。
ともかくも、今回歩いて驚いたのは夜の東京があまりにも平常モードだったことです。ふつうなんですよ。どういうことでしょうか。
もともと、都会の夜は遅いものです。夜の9時や10時を過ぎても人通りが絶えないのは、いまもむかしも変わりません。けれど、その人通りのようすがまるでちがうのです。
25年前の夜の東京を歩いていたのは、疲れ果てた残業帰りのサラリーマンと酔っ払いでした。店も開いてはいたけれど、その多くは飲み屋を中心とした飲食店であり、それ以外の店はふつう閉まっていました。たまに10時を過ぎても開いているスーパーもありましたが、そういうところでそそくさと買い物をしているのは疲れ果てた通勤帰りの人々でした。
今回びっくりしたのは、ファッション関係を中心に、ごくふつうの小売店がそんな遅い時間になってもふつうに営業していたことです。そして、そういった店で(さすがに数は多くありませんが)、ふつうの客がふつうに買い物をしています。あるいは、ワークスペースで店員がふつうに作業をしています。まるで昼間と変わらないのです。
かつて、夜のオフィスは邪魔されずに仕事に集中できる隔絶された空間でした。そこにあったのは、昼間の世界とはちがう夜ならではの非日常です。非日常が日常となるような業種の人々は疲れ果て、夜の街に流れます。だから、酔っぱらいや酔っ払う暇さえない多忙な人々の流れは、夜の街に殺伐とした空気を醸し出していました。多くの人々は終電車を気にして足を早め、終電車を諦めた人々は半ば自棄気味にフラフラと歩いていました。それが25年前の私の夜の東京の印象です。
今回、夜の東京を通過して、人々の様子が昼間と大差ないのに驚きました。もちろん、酒を飲んでいるらしい人はいます。けれど、それはあの数十年前にはふつうだった酔っ払い連中とはまるで雰囲気がちがいます。そこそこにいい気分になっている様子ではあっても、酔っぱらいから感じられるあの自暴自棄な雰囲気はないのです。夜ですから、帰宅途中らしい人々も確かに少なくありません。けれど、足早に時間を気にしているような人は少数派だし、店に立ち寄っているひとにも切迫感がありません。
昼間と大きくちがうのは、子どもや高齢者がそこに見られないことでしょうか。しかし、そんなことを考えていたら、おっと、子どもがいました。まあ、住人ではなく観光客らしく、決して日常の一部ではありません。けれど、子どもがいてもさして違和感がないぐらいに、夜の街は平常でした。
30年以上も前、大阪から東京に引っ越したときに感じた違和感が、いま思えば私の社会に対する関心の出発点だったように思います。東京の人間は大阪の人間とはちがう。ドブネズミのようなだれもがほとんどちがいのない(そのくせそれを着ている人間には自分のファッションが他人とちがうという強い感覚がある)格好をした通勤客がすし詰めになった地下鉄に乗ったとき、「ここに住んでいれば確かに他の世界のことはわからなくなるかもしれないな」と思ったことを覚えています。そして10年そこに住み、その東京も決して見かけほどに一様ではなく、いろいろな人がいろいろなニッチをつくって生活していることを知りました。だから田舎回りをするようになっても、そこに生活している人々のそれぞれの暮らしの様子を想像していくことができました。いろいろなひとがいろいろな場でそれぞれに一生懸命に生きているその中で、自分というものをゆっくりと考えて、そして私は人よりずいぶん遅れて大人になったのだと思います。
そして長い年月がたち、再び、私には東京がわからなくなりました。なぜこの人たちはこんな時間にこんなに落ち着いて街を歩けるのだろう。私には想像ができません。東京が大きく変わったから、だけではないような気がします。
夜の東京では、いろんな光景に出会います。路上で突然外国人労働者と鉢合わせになり、中東のどこかの国から来た彼に「おまえはどっから来た」と話しかけられ、肩を抱き合って別れたこと、路上で音楽を奏でていた若者からパンを分けてもらったこと、そんなふしぎな出来事があっても、私にはその向こうにある彼らの生活をぼんやりとでも想像することができました。どういうわけだか、いまの私にはそれができません。深夜だというのにレストランの前で行列をつくっている若者や、地下鉄の入り口で話し込んでいる人々の向こうにどんな日常があるのか、靄でもかかったように見えないのです。
明治通りが新宿に近くなったところに、銀杏並木がありました。どの木もそれぞれに大木に成長しています。けれど、ふと足元に目をやると、まるで灌木のように丈の低いところから銀杏が黄色い葉を繁らせています。並木の中の歯抜けのようなその一本は、よく見ると他の木と同じぐらいの大木に成長してから、何年も前に切り倒されたもののようでした。その朽ちかけた切り株からひこばえが生じ、それがずいぶんと低いところに枝を伸ばしていたのです。
私はずいぶんと大人になってしまったような気がします。それがいいこともあるのでしょう。けれど、いっぺん自分という木を切り倒して、そこから何が起こるのか、そういうことも考えてみてもいいのかなと、そのひこばえを見ながら思ったことでした。
いいえ、それほどじっくりと東京の様子を見る時間があったわけではないんですよ。昼前に新幹線で東京に着いて、夜の9時過ぎに用事が終わりました。もう新幹線はありませんから、夜行バスで神戸に帰るつもりで、数時間の空きができたわけです。
バスが出るのは新宿駅の近くです。用事が終わったのは渋谷です。すぐに電車で移動すれば十数分で移動が終わる距離ですが、それでは時間を持て余します。そこでぼくは、新宿まで明治通りを歩いてみることにしました。渋谷の駅前を出たのが10時前ですね。そこから新宿駅まで、ぶらぶら歩いて小一時間の道のりです。
同じ道を、たぶん25年前ぐらいにぼくは歩いています。たぶん、同じような時間帯だったように思います。あるいは昼間にも一度歩いているかもしれません。なにせ古いむかしの話ですからね。そんなにしょっちゅう歩いたことがないのは確かだけれど、歩いたことがあるのも同じくらい確かです。あのころぼくは東京に住んでいて、お金がありませんでした。だから、都内はずいぶんと歩いたものです。歩ける範囲なら歩くのが基本でした。時間がないときだけ、電車や地下鉄を利用したものです。
だから、むかしなじみの道を歩いて「ずいぶんと変わったなあ」というような感慨をもったわけではありません。そこまで見覚えのある街ではないのです。ただ、だいたいの感じはおぼえています。歩けばそれなりにおぼえます。それだけの時間がかかりますからね。ぼくは日本中のあちこちを、そんなふうにしておぼえました。断片的ではあるけれど日本の様子をだいたいはわかっているつもりになっていたとしたら、その裏付けはこんなふうに歩きまわったことにあると言ってもいいのではないかと思います。
ともかくも、今回歩いて驚いたのは夜の東京があまりにも平常モードだったことです。ふつうなんですよ。どういうことでしょうか。
もともと、都会の夜は遅いものです。夜の9時や10時を過ぎても人通りが絶えないのは、いまもむかしも変わりません。けれど、その人通りのようすがまるでちがうのです。
25年前の夜の東京を歩いていたのは、疲れ果てた残業帰りのサラリーマンと酔っ払いでした。店も開いてはいたけれど、その多くは飲み屋を中心とした飲食店であり、それ以外の店はふつう閉まっていました。たまに10時を過ぎても開いているスーパーもありましたが、そういうところでそそくさと買い物をしているのは疲れ果てた通勤帰りの人々でした。
今回びっくりしたのは、ファッション関係を中心に、ごくふつうの小売店がそんな遅い時間になってもふつうに営業していたことです。そして、そういった店で(さすがに数は多くありませんが)、ふつうの客がふつうに買い物をしています。あるいは、ワークスペースで店員がふつうに作業をしています。まるで昼間と変わらないのです。
かつて、夜のオフィスは邪魔されずに仕事に集中できる隔絶された空間でした。そこにあったのは、昼間の世界とはちがう夜ならではの非日常です。非日常が日常となるような業種の人々は疲れ果て、夜の街に流れます。だから、酔っぱらいや酔っ払う暇さえない多忙な人々の流れは、夜の街に殺伐とした空気を醸し出していました。多くの人々は終電車を気にして足を早め、終電車を諦めた人々は半ば自棄気味にフラフラと歩いていました。それが25年前の私の夜の東京の印象です。
今回、夜の東京を通過して、人々の様子が昼間と大差ないのに驚きました。もちろん、酒を飲んでいるらしい人はいます。けれど、それはあの数十年前にはふつうだった酔っ払い連中とはまるで雰囲気がちがいます。そこそこにいい気分になっている様子ではあっても、酔っぱらいから感じられるあの自暴自棄な雰囲気はないのです。夜ですから、帰宅途中らしい人々も確かに少なくありません。けれど、足早に時間を気にしているような人は少数派だし、店に立ち寄っているひとにも切迫感がありません。
昼間と大きくちがうのは、子どもや高齢者がそこに見られないことでしょうか。しかし、そんなことを考えていたら、おっと、子どもがいました。まあ、住人ではなく観光客らしく、決して日常の一部ではありません。けれど、子どもがいてもさして違和感がないぐらいに、夜の街は平常でした。
30年以上も前、大阪から東京に引っ越したときに感じた違和感が、いま思えば私の社会に対する関心の出発点だったように思います。東京の人間は大阪の人間とはちがう。ドブネズミのようなだれもがほとんどちがいのない(そのくせそれを着ている人間には自分のファッションが他人とちがうという強い感覚がある)格好をした通勤客がすし詰めになった地下鉄に乗ったとき、「ここに住んでいれば確かに他の世界のことはわからなくなるかもしれないな」と思ったことを覚えています。そして10年そこに住み、その東京も決して見かけほどに一様ではなく、いろいろな人がいろいろなニッチをつくって生活していることを知りました。だから田舎回りをするようになっても、そこに生活している人々のそれぞれの暮らしの様子を想像していくことができました。いろいろなひとがいろいろな場でそれぞれに一生懸命に生きているその中で、自分というものをゆっくりと考えて、そして私は人よりずいぶん遅れて大人になったのだと思います。
そして長い年月がたち、再び、私には東京がわからなくなりました。なぜこの人たちはこんな時間にこんなに落ち着いて街を歩けるのだろう。私には想像ができません。東京が大きく変わったから、だけではないような気がします。
夜の東京では、いろんな光景に出会います。路上で突然外国人労働者と鉢合わせになり、中東のどこかの国から来た彼に「おまえはどっから来た」と話しかけられ、肩を抱き合って別れたこと、路上で音楽を奏でていた若者からパンを分けてもらったこと、そんなふしぎな出来事があっても、私にはその向こうにある彼らの生活をぼんやりとでも想像することができました。どういうわけだか、いまの私にはそれができません。深夜だというのにレストランの前で行列をつくっている若者や、地下鉄の入り口で話し込んでいる人々の向こうにどんな日常があるのか、靄でもかかったように見えないのです。
明治通りが新宿に近くなったところに、銀杏並木がありました。どの木もそれぞれに大木に成長しています。けれど、ふと足元に目をやると、まるで灌木のように丈の低いところから銀杏が黄色い葉を繁らせています。並木の中の歯抜けのようなその一本は、よく見ると他の木と同じぐらいの大木に成長してから、何年も前に切り倒されたもののようでした。その朽ちかけた切り株からひこばえが生じ、それがずいぶんと低いところに枝を伸ばしていたのです。
私はずいぶんと大人になってしまったような気がします。それがいいこともあるのでしょう。けれど、いっぺん自分という木を切り倒して、そこから何が起こるのか、そういうことも考えてみてもいいのかなと、そのひこばえを見ながら思ったことでした。