ぼくは、このくにのあちこちを旅してきました。たびをするのは、ぼくのしごとにとってたいせつなことだったのです。いろんなところに行きました。いろんなひとにあいました。
ひとだけではありません。ある山の中をあるいているときには、目のまえにいのししが出てきました。いのししは、しばらくぼくのほうを見ていましたが、「ブフォ」とひとことないて、やぶの中にきえていきました。きっとこわかったんでしょうね。
べつの山の中でさるに出あったときは、ぼくのほうがこわくてにげだしました。さるがなん十ぴきもいたら、ほんと、おそろしいですよ。
けれど、これはそんなはなしではありません。やっぱり山の中をあるいていたときのことです。山の中といっても、いのししやさるが出てくるほどのふかい山道ではなくて、くるまだってとおる道です。そのときぼくは、くるまにのせてもらうこともできず、しかたないからとぼとぼとあるいていました。
夏のあつい日で、首すじがやけるようでした。じっとりと出てくるあせがかわいて、うでが塩をまぶしたように白くなっています。のどがかわきました。水とうの水は、とうになくなっています。どこまでいけばつぎに水があるのか、それさえはっきりしません。
大きなカーブをまがりきって、むこうのほうが見とおせる坂道にはいったときです。家がいっけん見えました。家のまえにはかんばんもかかっています。どうやらお店のようです。たすかった、とおもういっぽうで、ぼくは「へんだなあ」とおもいました。だって、ここはずいぶんとさびしい山の中です。さっきから二時間もあるいているのに、道をとおったくるまはただの二台です。一時間に一台のわりあいです。一時間に一台、一日にせいぜい二十台くらいしかくるまのとおらない道、ましてあるいてとおるひとなんて、ぼくのようなかわりものぐらいしかいないでしょう。そんなさびれた道にお店を出したってしかたないじゃないですか。
それでも、ぼくはその店にはいりました。だって、あつくてたまらなかったのですから。
店の中は、ひんやりとしていました。エアコンがはいっているわけでもなさそうです。ここは山の中ですから、お日さまがてりつけさえしなければ、けっこうすずしんですね。うすぐらい店の中で、ぼくはほっとひといきをつきました。
はじめは、店の中のようすがわかりませんでした。しばらくして目がなれてくると、ようやくこの店がコップ屋さんなのだということがわかりました。まわりのたなには、ずらりとコップばかりがならんでいたからです。
よくかんがえたら、これはおかしなことです。コップはどこで売っているでしょう。あらもの屋さんで売っていたり、せともの屋さんで売っていたり、ときにはざっか屋さんやスーパーで売っていたりもします。けれど、コップばっかり売っているコップ屋さんは、見たことがありませんでした。どのたなにも、どのたなにも、コップばかりがならんでいます。大きいものもあれば小さいものも、とうめいなのも色のついたのもあります。浅いの、深いの、広いの、すぼまっているの、同じしゅるいのコップは同じところに、きちょうめんにならべてあります。なん百こ、なん千こもあるでしょうか。
そのとりどりのコップを見ているうち、ぼくはおかしなことに気がつきました。どのコップもどのコップも、口がふさがっているのです。口がふさがっているコップには、どうやって水を入れればいいのでしょう。どうやってそこからのめばいいのでしょう。そんなつかえないコップばかり、ずらずらとならんでいるこのお店は、いったいなんなのでしょう。
ぼくはちょっとめまいがしました。あつい中をあるきすぎたのかもしれません。水がいっぱいのめたらいいなとおもいました。けれど、この店のコップでは、どんなにのどがかわいていても、いっぱいの水ものめないでしょう。
それでもぼくは、ひとつのコップを手にとってみました。そして、ますますおかしなことに気がつきました。そのコップは、口がふさがっているだけではありません。そこがぬけているのです。そこのないコップに、どうやって水をためればいいのでしょう。たちまち水はぜんぶこぼれてしまうはずです。
ぼくはあせって、つぎからつぎへとコップをしらべてみました。どのコップも同じです。みんなそこがぬけています。
いったいぜんたい、なんてへんなコップ屋さんにはいってしまったんだろう。さっきまであるいていたはずのこのくにの、この山の中から、ドア一まいとおるだけでまったくべつの世界にきてしまったような気もちになりました。その世界では、なにもかもあべこべに、ぐにゃりとまがっているのです。
そのとき、店のおくのドアがひらきました。そっちを見ると、せのひくい、まるで男の子のような店員さんがいます。ぼくは、おそるおそる声をかけてみました。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
店員さんはれいぎただしくいいました。
「すいません。こんなことをおねがいするのはあつかましいのですけれど、のどがたいへんかわいてしまったのです。水をいっぱいいただけないでしょうか」
「ああ、いいですよ」
店員さんは気軽にこたえると、たなからコップをひとつとりました。そして、それをひっくりかえすと、なみなみと水をついでくれました。
たちまち、世界がまっすぐに、しゃんとしたような気がしました。ぼくは、ありがたく水をいただきました。
もうすこし、あるきつづけられそうな気もちになりました。
ひとだけではありません。ある山の中をあるいているときには、目のまえにいのししが出てきました。いのししは、しばらくぼくのほうを見ていましたが、「ブフォ」とひとことないて、やぶの中にきえていきました。きっとこわかったんでしょうね。
べつの山の中でさるに出あったときは、ぼくのほうがこわくてにげだしました。さるがなん十ぴきもいたら、ほんと、おそろしいですよ。
けれど、これはそんなはなしではありません。やっぱり山の中をあるいていたときのことです。山の中といっても、いのししやさるが出てくるほどのふかい山道ではなくて、くるまだってとおる道です。そのときぼくは、くるまにのせてもらうこともできず、しかたないからとぼとぼとあるいていました。
夏のあつい日で、首すじがやけるようでした。じっとりと出てくるあせがかわいて、うでが塩をまぶしたように白くなっています。のどがかわきました。水とうの水は、とうになくなっています。どこまでいけばつぎに水があるのか、それさえはっきりしません。
大きなカーブをまがりきって、むこうのほうが見とおせる坂道にはいったときです。家がいっけん見えました。家のまえにはかんばんもかかっています。どうやらお店のようです。たすかった、とおもういっぽうで、ぼくは「へんだなあ」とおもいました。だって、ここはずいぶんとさびしい山の中です。さっきから二時間もあるいているのに、道をとおったくるまはただの二台です。一時間に一台のわりあいです。一時間に一台、一日にせいぜい二十台くらいしかくるまのとおらない道、ましてあるいてとおるひとなんて、ぼくのようなかわりものぐらいしかいないでしょう。そんなさびれた道にお店を出したってしかたないじゃないですか。
それでも、ぼくはその店にはいりました。だって、あつくてたまらなかったのですから。
店の中は、ひんやりとしていました。エアコンがはいっているわけでもなさそうです。ここは山の中ですから、お日さまがてりつけさえしなければ、けっこうすずしんですね。うすぐらい店の中で、ぼくはほっとひといきをつきました。
はじめは、店の中のようすがわかりませんでした。しばらくして目がなれてくると、ようやくこの店がコップ屋さんなのだということがわかりました。まわりのたなには、ずらりとコップばかりがならんでいたからです。
よくかんがえたら、これはおかしなことです。コップはどこで売っているでしょう。あらもの屋さんで売っていたり、せともの屋さんで売っていたり、ときにはざっか屋さんやスーパーで売っていたりもします。けれど、コップばっかり売っているコップ屋さんは、見たことがありませんでした。どのたなにも、どのたなにも、コップばかりがならんでいます。大きいものもあれば小さいものも、とうめいなのも色のついたのもあります。浅いの、深いの、広いの、すぼまっているの、同じしゅるいのコップは同じところに、きちょうめんにならべてあります。なん百こ、なん千こもあるでしょうか。
そのとりどりのコップを見ているうち、ぼくはおかしなことに気がつきました。どのコップもどのコップも、口がふさがっているのです。口がふさがっているコップには、どうやって水を入れればいいのでしょう。どうやってそこからのめばいいのでしょう。そんなつかえないコップばかり、ずらずらとならんでいるこのお店は、いったいなんなのでしょう。
ぼくはちょっとめまいがしました。あつい中をあるきすぎたのかもしれません。水がいっぱいのめたらいいなとおもいました。けれど、この店のコップでは、どんなにのどがかわいていても、いっぱいの水ものめないでしょう。
それでもぼくは、ひとつのコップを手にとってみました。そして、ますますおかしなことに気がつきました。そのコップは、口がふさがっているだけではありません。そこがぬけているのです。そこのないコップに、どうやって水をためればいいのでしょう。たちまち水はぜんぶこぼれてしまうはずです。
ぼくはあせって、つぎからつぎへとコップをしらべてみました。どのコップも同じです。みんなそこがぬけています。
いったいぜんたい、なんてへんなコップ屋さんにはいってしまったんだろう。さっきまであるいていたはずのこのくにの、この山の中から、ドア一まいとおるだけでまったくべつの世界にきてしまったような気もちになりました。その世界では、なにもかもあべこべに、ぐにゃりとまがっているのです。
そのとき、店のおくのドアがひらきました。そっちを見ると、せのひくい、まるで男の子のような店員さんがいます。ぼくは、おそるおそる声をかけてみました。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
店員さんはれいぎただしくいいました。
「すいません。こんなことをおねがいするのはあつかましいのですけれど、のどがたいへんかわいてしまったのです。水をいっぱいいただけないでしょうか」
「ああ、いいですよ」
店員さんは気軽にこたえると、たなからコップをひとつとりました。そして、それをひっくりかえすと、なみなみと水をついでくれました。
たちまち、世界がまっすぐに、しゃんとしたような気がしました。ぼくは、ありがたく水をいただきました。
もうすこし、あるきつづけられそうな気もちになりました。