子どものためのおはなし
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サンタクロースのわすれもの

12/25/2016

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とびきり寒い冬でした。出発前にこごえるからだをあたためようと熱いお茶を用意し、帰ったときにこまらないように薪をたくさん運びこみ、雪でとびらがうまってもだいじょうぶなようにスコップを門柱にくくりつけ、そんなことをしているあいだに、うっかりと玄関に置き忘れてしまったのでしょう。ずいぶんとおくにまできてから、サンタクロースはプレゼントをつめこんだふくろがないことに気がつきました。目のまえには、もう目ざす町のあかりが見えています。教会の鐘が真夜中をうちました。
いまからとりにもどったら、夜は明けてしまいます。なにしろ家は、北のはてなのです。さて、どうしたものかとサンタクロースはかんがえこみました。
クリスマスの朝にプレゼントがないなんて、そんなかなしいはなしはありません。左のポケットをさぐってみると、チーズのかけらがひとつ出てきました。これではプレゼントにはなりません。右のポケットをさぐってみるとキャンディーがひとつ出てきました。これならまあ、プレゼントにならないことはないかもしれません。けれど、ひとりぶんです。
だれひとりプレゼントがもらえないよりも、たったひとりでもプレゼントをもらえるひとがいたほうがましかもしれません。どうがんばったって、どうせ間に合わないのです。それなら、たったひとつだけでも笑顔をふやしたほうがいいでしょう。肩をすくめると、サンタクロースは最初にたずねるはずの子どもの家にむかいました。

「メリー、クリスマス」
サンタクロースは小さくつぶやきました。そして、すやすやとねむっている小さな女の子のまくらもとにぶら下げられたくつしたに、そっとキャンディーを入れました。今年の仕事は、これでおしまいです。もうプレゼントは残っていないのです。サンタクロースは、泣きたいような、笑いたいような気持ちになりました。荷物をちょっとわきにおいたときのようすまで、はっきりと思い出せます。そのくらいに記憶はしっかりしているのに、忘れ物をしてしまうのです。もういいかげん、としをとってしまったんだなあと、なさけなくなります。けれど、そんな自分がこっけいに感じられます。むかしからあわてんぼうと笑われて、いろんな失敗をしてきたことが思い出されます。
とにもかくにも、急ぐことはありません。リストのつぎに行っても、わたすものがありません。さて、帰ろうかと腰をあげたとき、サンタクロースはたいへんなことに気がつきました。女の子がベッドのなかでぱっちりと目をあけて、こっちを見ているのです。
サンタクロースは、気づかれてはなりません。ただ、こういう事故は、たまには起こるものです。そのときには、もちろん魔法を使います。子どもの記憶を消してしまうことはできません。そんなことをしたら、クリスマスの楽しさも消えてしまいます。消すのではなく、それを夢の中に混ぜてしまいます。朝、目が覚めたとき、子どもはサンタクロースの夢を見たのか、それとも本当にサンタクロースがやってきてくれたのか、わからなくなっているでしょう。
やれやれ、めんどうなことになった。サンタクロースはそう思いました。あとしまつの魔法は、ちょっとめんどうくさいのです。急いでたくさんの子どもたちをおとずれなければならないサンタクロースにとっては、うれしくない事故です。けれど、今夜はなにも急ぐことはありません。なんだったらこの女の子と少しの間、おしゃべりをしたっていいのです。
だからサンタクロースは、もういちど、少しだけ声を大きくして言いました。
「メリー、クリスマス」
女の子は、パッとベッドから起き上がりました。そして、すぐにくつしたになにか入っているのに気がつきました。
「プレゼントだよ」
サンタクロースはやさしく言いました。そんなことを子どもに直接言うのは、もう何十年ぶりでしょうか。
「新しいマフラーをありがとう」
女の子は、礼儀正しく言いました。
「おやおや。ごめんなさいね。マフラーじゃないんだ」
「でも、おかしいわ」
女の子はたしかめるように、もういちどサンタクロースをじっと見つめました。こんなふうに見られると、サンタクロースはどぎまぎしてしまいます。
「お母さんが、今年のクリスマスはサンタさんに新しいマフラーをお願いしなさいって、言ったの。だから私は、新しいマフラーをくださいって、お祈りしたんだわ。だからこれは、ぜったいにマフラーじゃなきゃいけないの」
「ごめんねえ」
サンタクロースは苦笑いしないわけにいきませんでした。
「手ちがいがあったんだよ。プレゼントの荷物をわすれてしまってね。ポケットに入ってたのがこれだけさ」
サンタクロースは、くつしたのなかからさっきのキャンディーを取り出して見せました。
「これでがまんしてくれるかい?」
女の子の目がかがやきました。
「うれしい」
それから、ちょっとあたりをみまわすようにしてから、小さな声で言いました。
「ほんとはわたし、マフラーはほしくなかったんだ。くまのもようのがあるから。おかあさんはあれはもう小さいし、よごれているし、新しいのをお願いしなさいっていうんだけど、私はいらないの。くまのがいいの。でも、あれは古いから……」
女の子はちょっとことばをつまらせました。それから大きく笑いました。
「だから、サンタさんは、ほんとにわかってくれたんだなって。キャンディー、ありがとう」
サンタクロースは笑い出さずにいられませんでした。これでこの一年分のしあわせをもらえたとさえ思いました。そして、それじゃああとは魔法をかけてこの家を出て、そして早めの店じまいをしようと立ち上がったとき、女の子がなにかを自分に向かってさし出しているのに気がつきました。
「メリー、クリスマス」
女の子は、まじめくさって言いました。女の子の手には、真新しいクレヨンのセットがにぎられていました。
「これ、プレゼント」
「そうかい」と、サンタクロースは言いました。
「だれからもらったのかな。だいじにつかいなさいよ」
「ううん」
女の子は頭をふりました。
「そうじゃなくて、これ、サンタさんへのプレゼント」
「おやおや」
サンタクロースはひどくおどろきました。なにしろ、サンタクロースといえばクリスマスプレゼントをあげる人です。もらう人ではありません。
「これは、ありがとうを言わなきゃいけないな」
「へんなこと言っちゃだめ」
女の子はあいかわらずまじめに言います。
「ありがとうは、ちゃんと、ありがとうっていうの」
「あ、ありがとう」
そう言ったサンタクロースのむねに、奇妙な感覚がひろがりました。プレゼントをもらうのは、こんなにわくわくすることなんだと、サンタクロースははじめて気がついたのです。
「ありがとう」
サンタクロースの声に、女の子はにっこり笑いました。そして、二人は声をそろえました。
「メリー、クリスマス!」

さて、外に出たサンタクロースは、家に帰ろうとして、ふと気がつきました。ポケットの中には、いまもらったクレヨンのセットが入っています。これを使えば、もうひとりだけ、プレゼントを届けることができるはずです。荷物を忘れた自分の失敗でがっかりする子どもは、一人でも少ないほうがいいはずです。サンタクロースは、リストの二番目の子どものところに急ぐことにしました。

二番目の子どもは、ベッドの中にいませんでした。まっくらな部屋のなかで、窓ぎわにすわってじっと空を見ていました。こういうことも、たまにはあります。絶対にサンタクロースの姿をたしかめてやろうと、がんばっている子どもはいるものです。もちろんそういうときにも、サンタクロースは魔法を使います。夢のなかに落ちこんでいく子どもは、自分がサンタクロースを見たのか、サンタクロースを見た夢を見ただけなのか、自信がもてなくなるわけです。
サンタクロースがおどろいたのは、子どもが起きていたことではありませんでした。そうではなく、子どもが、実はまったく子どもではなかったことです。これはめったにないことです。
サンタクロースは、サンタクロースを信じる人のところだけにあらわれます。そして、サンタクロースを信じているのは、小さい子どもだけです。大きくなると、ひとはどういうわけだか「サンタクロースなんていない」って言いはじめるのです。そして、そうなったら、もうサンタクロースのプレゼントはもらえません。リストからそっとはずされてしまうのです。
けれど、めったにないことですが、何十万、何百万人に一人、いつまでもすなおにサンタクロースを信じつづけるひとがいるものです。そういうひとは、たいていは世の中からばかにされます。あのひとはいつまでも子どもみたいだと、相手にされません。だれも信用して仕事をまかせてくれないので、たいていはまずしいものです。そういうまずしさにまけて、サンタクロースなんて信じられなくなるひとが多いのです。そうなるとそのひとは、「あのひとも一人前になった」とまわりから言われるのです。それでもなかには、まずしさにもまけずに、いくらまわりから変な目で見られても、サンタクロースを信じつづけるひとがいるのです。
この若者も、そんなごくまれなひとりでした。そしてこのクリスマスの夜に、サンタクロースがやってくるはずの夜空をながめて詩をつくっていたのです。
「ああ、やっと来てくれましたね」
若者は、落ちついてサンタクロースに向かって言いました。
「あなたが来てくれるのを知っていたから、部屋をあたたかくしておきましたよ」
そういう若者の部屋のストーブには、これっぽっちも火の気はありません。この冬に入ってから、ずっとそうです。若者には、薪を買うお金もないのです。
それでも部屋は、たしかにほんのりとあたたかいのです。それは、若者の心のなかで、お客さまをむかえるほのおがあかあかと燃えているからでした。若者の想像力のなかで、ストーブの火はさっきからずっと燃えさかっているのです。
サンタクロースには、それがわかりました。だから、サンタクロースは、自分の魔法でストーブに火をつけました。それから、油の切れたランプに小さな光をともしてやりました。それから、さっき女の子にもらったクレヨンのセットを、若者にさしだしました。
「メリー、クリスマス」
若者はほほえみました。
「おやおや、うれしいな。こうやってクリスマスにプレゼントをもらえるなんて、なんて世界はすてきなんだろう」
そして、プレゼントのつつみをひらいて、ちいさな声をあげました。
「これはすばらしい。ぼくはずっと絵をかきたかったんだ。絵の具が買えなくなってから、もう長いこと絵をかいていない。そのあいだにかきたいものがこんなにたまっていたんだもの」
「じゃあ、これで思い切りかいたらいい」
サンタクロースは、うれしくなりました。自分のプレゼントがひとをよろこばせるところを見ることは、サンタクロースにはあんまりないのです。
「そうさせてもらうよ」
若者は言うのももどかしいように、部屋のすみにつんであった古紙をひろげました。きれいなところを選んでカンバスにすると、12の色を使ってきようにクリスマスの夜空をかきはじめました。
「うまいもんだなあ」
急ぐ必要のないサンタクロースは、若者のみごとなうでまえを感心してながめていました。たちまち一枚の作品ができあがります。
「つぎはあなたをかいてあげよう」
若者は言うと、サンタクロースの肖像画をかいていきます。その絵には、愛に満ちた老人の心が、手にとるようにえがかれていきます。若者の手は止まることがありません。
「さあ、これがぼくからのあなたへのプレゼントだ」
若者は、照れくさそうに完成した絵をサンタクロースにさしだしました。どれも、本当にみごとなできばえです。
「おねがいをしていいだろうか?」
サンタクロースは、えんりょがちに若者に言いました。
「実は、ひとりの女の子の絵をかいてほしいんだ」
「どんな女の子ですか?」
サンタクロースは、プレゼントのリストの三番目を見ました。じっと見ていると、やがてそこにプレゼントを待ちわびている小さな子どものすがたがうかびあがりました。
「こんな子だよ。わかるだろう」
若者はこっくりとうなずくと、またクレヨンをうごかしはじめました。いくらもたたないうちに、一枚の絵が生まれました。
「ありがとう」
サンタクロースは、心からのお礼を言いました。
「これで、つぎの子どもにプレゼントができた」

けれど、三番目の子どもも、やっぱりベッドのなかにはいませんでした。いいえ、その体はベッドのなかにあったのです。けれど、たましいは、そのほんの数時間前に、急な熱病のせいで天国に召されてしまっていたのでした。サンタクロースのプレゼントは、まにあわなかったのです。
いつもの年なら、こんな偶然に出くわしても、サンタクロースは、そこで立ち止まることはできません。まわらなければいけない子どもたちがたくさんいるからです。けれど、今年にかぎっては、サンタクロースは、なにも言わずにとおりすぎることができませんでした。
「おくやみをもうしあげます」
サンタクロースは、女の子のまくらもとにたたずむ父親と母親に、ていねいにいいました。ふつうなら、大人はサンタクロースにおどろくものです。けれど、かなしみが二人の心をすなおにしていました。なにもあやしむこともなく、ふたりはサンタクロースに力なく感謝しました。
「いまさらかもしれませんが、これがこの子へのプレゼントです」
サンタクロースは、さっき若者にかいてもらった女の子の肖像画をさしだしました。そうすべきではなかったなと、サンタクロースは、その瞬間に思いました。ふたりが一気になみだを流しはじめたからです。
「ありがとうございます」
けれど、意外なことにかえってきたのは感謝の言葉でした。
「せめてこの子の思い出に、たいせつにすることにしましょう」
それから、ふたりはちょっと相談すると、サンタクロースにむかって言いました。
「ここに、この子のために用意したプレゼントがあります。今年は特にたくさん用意したのです。こんなことになるなんて、おもいもよらなことでした。元気にあそんでもらおうと、こんなにたくさんあります。どうか、これを、この子のように小さな子どもたちのために役立ててやってもらえないでしょうか」

そんなわけで、今年もサンタクロースは、たくさんの子どもたちに、プレゼントをくばってまわることができました。あなたのところに届いたプレゼントも、そんなふうにしてサンタクロースがとどけてくれたのかもしれませんよ。
​「メリー、クリスマス」
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へんなコップ屋さん

6/3/2015

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ぼくは、このくにのあちこちを旅してきました。たびをするのは、ぼくのしごとにとってたいせつなことだったのです。いろんなところに行きました。いろんなひとにあいました。
ひとだけではありません。ある山の中をあるいているときには、目のまえにいのししが出てきました。いのししは、しばらくぼくのほうを見ていましたが、「ブフォ」とひとことないて、やぶの中にきえていきました。きっとこわかったんでしょうね。
べつの山の中でさるに出あったときは、ぼくのほうがこわくてにげだしました。さるがなん十ぴきもいたら、ほんと、おそろしいですよ。
けれど、これはそんなはなしではありません。やっぱり山の中をあるいていたときのことです。山の中といっても、いのししやさるが出てくるほどのふかい山道ではなくて、くるまだってとおる道です。そのときぼくは、くるまにのせてもらうこともできず、しかたないからとぼとぼとあるいていました。
夏のあつい日で、首すじがやけるようでした。じっとりと出てくるあせがかわいて、うでが塩をまぶしたように白くなっています。のどがかわきました。水とうの水は、とうになくなっています。どこまでいけばつぎに水があるのか、それさえはっきりしません。
大きなカーブをまがりきって、むこうのほうが見とおせる坂道にはいったときです。家がいっけん見えました。家のまえにはかんばんもかかっています。どうやらお店のようです。たすかった、とおもういっぽうで、ぼくは「へんだなあ」とおもいました。だって、ここはずいぶんとさびしい山の中です。さっきから二時間もあるいているのに、道をとおったくるまはただの二台です。一時間に一台のわりあいです。一時間に一台、一日にせいぜい二十台くらいしかくるまのとおらない道、ましてあるいてとおるひとなんて、ぼくのようなかわりものぐらいしかいないでしょう。そんなさびれた道にお店を出したってしかたないじゃないですか。
それでも、ぼくはその店にはいりました。だって、あつくてたまらなかったのですから。
店の中は、ひんやりとしていました。エアコンがはいっているわけでもなさそうです。ここは山の中ですから、お日さまがてりつけさえしなければ、けっこうすずしんですね。うすぐらい店の中で、ぼくはほっとひといきをつきました。
はじめは、店の中のようすがわかりませんでした。しばらくして目がなれてくると、ようやくこの店がコップ屋さんなのだということがわかりました。まわりのたなには、ずらりとコップばかりがならんでいたからです。
よくかんがえたら、これはおかしなことです。コップはどこで売っているでしょう。あらもの屋さんで売っていたり、せともの屋さんで売っていたり、ときにはざっか屋さんやスーパーで売っていたりもします。けれど、コップばっかり売っているコップ屋さんは、見たことがありませんでした。どのたなにも、どのたなにも、コップばかりがならんでいます。大きいものもあれば小さいものも、とうめいなのも色のついたのもあります。浅いの、深いの、広いの、すぼまっているの、同じしゅるいのコップは同じところに、きちょうめんにならべてあります。なん百こ、なん千こもあるでしょうか。
そのとりどりのコップを見ているうち、ぼくはおかしなことに気がつきました。どのコップもどのコップも、口がふさがっているのです。口がふさがっているコップには、どうやって水を入れればいいのでしょう。どうやってそこからのめばいいのでしょう。そんなつかえないコップばかり、ずらずらとならんでいるこのお店は、いったいなんなのでしょう。
ぼくはちょっとめまいがしました。あつい中をあるきすぎたのかもしれません。水がいっぱいのめたらいいなとおもいました。けれど、この店のコップでは、どんなにのどがかわいていても、いっぱいの水ものめないでしょう。
それでもぼくは、ひとつのコップを手にとってみました。そして、ますますおかしなことに気がつきました。そのコップは、口がふさがっているだけではありません。そこがぬけているのです。そこのないコップに、どうやって水をためればいいのでしょう。たちまち水はぜんぶこぼれてしまうはずです。
ぼくはあせって、つぎからつぎへとコップをしらべてみました。どのコップも同じです。みんなそこがぬけています。
いったいぜんたい、なんてへんなコップ屋さんにはいってしまったんだろう。さっきまであるいていたはずのこのくにの、この山の中から、ドア一まいとおるだけでまったくべつの世界にきてしまったような気もちになりました。その世界では、なにもかもあべこべに、ぐにゃりとまがっているのです。
そのとき、店のおくのドアがひらきました。そっちを見ると、せのひくい、まるで男の子のような店員さんがいます。ぼくは、おそるおそる声をかけてみました。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
店員さんはれいぎただしくいいました。
「すいません。こんなことをおねがいするのはあつかましいのですけれど、のどがたいへんかわいてしまったのです。水をいっぱいいただけないでしょうか」
「ああ、いいですよ」
店員さんは気軽にこたえると、たなからコップをひとつとりました。そして、それをひっくりかえすと、なみなみと水をついでくれました。
たちまち、世界がまっすぐに、しゃんとしたような気がしました。ぼくは、ありがたく水をいただきました。
もうすこし、あるきつづけられそうな気もちになりました。
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魔法の丸太小屋

5/28/2015

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これは、ぼくの幼なじみのマサヒロくんが話してくれたおはなしです。

「こぼち」という仕事を知っていますか。家をたてるのではなく、こわす仕事です。こわすのがなんで仕事になるのかって思う人は、よくかんがえてください。家をたてるためには、まず古い家をこわさなければいけません。こわれている家だって、きれいにかたづけなければなりません。古くなってつかえなくなったたてものをかたづけるのが、「こぼち」の仕事です。ぼくの仕事は、「こぼち」です。
こわすだけならかんたんな仕事だと、そんなふうにおもうかもしれません。けれど、じょうずにこわすのは、なかなかむずかしいんですよ。きちんと順番をかんがえてこわしていかないと、かべや柱がうまくはずれずにこまったり、まわりの家にめいわくがかかったり、自分があぶなかったり、いろいろとやっかいなことがおこります。頭をつかうんですよ。どこをどうはずせばどんなふうにこわれるのか、たてもののしくみや力のはたらきかたをよく知っていないとしくじります。ぼくはこの「こぼち」がすきですね。
家をこわしていると、いろんなものに出会います。いつだったかは床下から山のような酒びんが出てきたことがありました。その家に住んでいた人はしあわせではなかったんでしょうね。屋根裏から鳥の巣が出てきたこともあります。みすぼらしい壁紙のうしろに美しい土壁が出てきたときにはおどろいたものです。そうかとおもうと、見かけはりっぱなのにはりぼてのようにたよりないつくりの家もあります。家も人も、見かけによらないものですよ。
たいていは、知らない町の知らない家をこわすのです。けれど、たまには知っている家をこわすこともあります。その日もそうでした。現場につくまで気がつかなかったのですけれど、そこはぼくが生まれた町の保育園でした。入り口にかかっている保育園の名まえを見て、気がつきました。
たしかに、ぼくがかよった保育園です。けれど、そこはまるで知らない場所でした。たてものはもっと大きかったはずだし、玄関ももっと広かったはずです。園庭だってどこまで走っても終わらないぐらい大きかったはずなのに、こうやってみると、ちょっと広い家の庭ぐらいしかありません。
その広くない園庭に、小さな丸太小屋がひとつたっていました。これをこわすのが仕事でした。たぶん、園庭を広くしたいんでしょう。たしかに丸太小屋はじゃまっけでした。これがなかったら、もっと子どもたちは走りまわれるんでしょう。ぼくは、ショベルカーを気をつけながら園庭に乗り入れました。アームの先にはシャベルではなく、大きなカニのハサミのようなフォークがついています。これで柱やはりをつかんでくずしていくんです。
かんたんな仕事だなと、丸太小屋を見ておもいました。柱もかべもみんな丸太ですから、丸太を一本ずつつかんではずしていけばいいんですね。ずいぶん古くてぼろぼろなので、よけいにかんたんです。ひょっとしたらもう古くなってあぶないからこわすことになったのかもしれません。ほうっておいてもそのままくずれてしまいそうです。
まず、やねからかかります。こんな小さなたてものは、やねのいちばん上のむなぎというところをはずしてしまえばあっというまです。そこをはずすと、屋根が半分とれました。屋根裏もない小屋だということがよくわかります。かべがくずれて、部屋の中が見えました。そのときになって、ようやくぼくはおもい出したんです。
ぼくが子どものころ、この小屋には魔女が住んでいました。ほんとうは住んでいたわけではないのでしょう。でも、その小屋は魔女のものでした。毎週火曜日になると、小屋からは鐘の音が聞こえました。その鐘にひきよせられて小屋にはいると、真っ黒な服を着た魔女がまちかまえていました。そして、魔法をつかったり、ふしぎなおはなしをしてくれるのでした。
魔女は、むかしこの保育園の園長だったといううわさもありました。外国に行って魔法を身につけたのだというひともいました。丸太小屋にはひみつの地下室があって、そこで魔法のくすりをつくっているのだと、こっそりと話してくれた子どももいました。小さく変身して、丸太小屋のえんとつから飛んで行くのだというのも、ひろく信じられていました。
空っぽになった本だな、絵がかかっていたはずのかべをひきはがしながら、ぼくはおもいました。あれはいったいなんだったんだろう。もちろん、魔女がほんとうにいるはずはありません。魔法はただの手品だったんでしょう。おはなしは、子どもたちをたのしませようとしてくれたつくり話です。だから、空を飛んでいくとか小人になるなんてことも、ほんとうはあったはずはありません。
地下室。そう、ひみつの地下室なら、あったかもしれません。けれど、かべをすっかりくずし、ゆかもひきはがしてしまって、そのあとには地下室らしいものはなにもありませんでした。すべてがまぼろしだったのです。子どもだましの魔法は、すっかり消えてしまっていました。ショベルカーのレバーを動かしながら、ぼくはおもいました。「そんなもんだよな」と。

じょうずにこわすと、家はずいぶんと小さくなるものです。柱やはりを一本ずつ、かべやゆか板も一枚ずつ重ねれば、たいしたかさではありません。いいかげんにこわしたのでは、こうはいきません。うでのみせどころですよ。丸太小屋ひとつぐらいだったら、トラック一台につめるぐらいにきれいにこわしてみせます。何回もはこばせるのは、トラックの運転手にもわるいし、自分の仕事もなめらかにすすまないものです。
だから、トラックが行ってしまったあと、ほんとうになにものこっていませんでした。ただ、トラックが向きをかえたときに落としてしまったらしい丸太が一本だけ、地面に落ちていました。ぼくはその丸太をひろいあげました。現場においていくわけにはいきませんからね。ショベルカーを運ぶためのトラックの荷台にほうりあげようとして、そこにうっすらと文字が見えるのに気がつきました。古くぎかなにかでひっかいて、子どもがかいたんでしょう。もしもそのきたないひらがながぼくの名まえをあらわしていなかったら、なんともおもわずにほうりなげていたとおもいます。けれど、ぼくは手をとめました。
「だいち、まさひろ、しんや」
三人の名まえははっきり読めました。そのほかにもなにかがかいてあるようです。もう読めません。けれど、ぼくははっきりとおもいだしました。
ぼくら三人は、たしかにここでいっしょに遊んでいたのです。だれかが、小屋の土台の丸太に名まえを書こうといいました。ぼくはこわいとおもいました。魔法の小屋ですよ。あぶないことがおこったらどうしたらいいんでしょう。けれど、だいちがいいました。魔法にはいい魔法とわるい魔法があるんだよと。ここにはわるい魔法はないんだから。

そんなことをおもいだしたら、ぼくは急にだいちに会いたくなりました。しんやにも、ほかのみんなにも会いたくなりました。
だからぼくは、その夜、だいちの家に電話してみました。だいちはもうそこに住んでいませんでしたけれど、お母さんが電話に出て、連絡するようにいうといってくれました。
それからしばらくして、ぼくらは会うことができました。だいちもしんやも、たけおもさだみも、なつかしいなかまがなん人もあつまりました。ぼくは、丸太小屋のことを話しました。みんな、あの小屋のこと、魔女のことをよくおぼえていました。話はいつまでもつづきました。
「やっぱり魔法はあったんだな」
ぼくは、そんなふうにおもったのでした。
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    作者について

    私の家は保育園のすぐ近く、そして薪ストーブがあります。そこで、冬季限定のお楽しみとして、薪ストーブの火を囲んでのおはなし会に年長児さんを招待することになりました。そのおはなし会で使ったネタを、ここで紹介していきます。

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