子どものためのおはなし
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魔法の丸太小屋

5/28/2015

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これは、ぼくの幼なじみのマサヒロくんが話してくれたおはなしです。

「こぼち」という仕事を知っていますか。家をたてるのではなく、こわす仕事です。こわすのがなんで仕事になるのかって思う人は、よくかんがえてください。家をたてるためには、まず古い家をこわさなければいけません。こわれている家だって、きれいにかたづけなければなりません。古くなってつかえなくなったたてものをかたづけるのが、「こぼち」の仕事です。ぼくの仕事は、「こぼち」です。
こわすだけならかんたんな仕事だと、そんなふうにおもうかもしれません。けれど、じょうずにこわすのは、なかなかむずかしいんですよ。きちんと順番をかんがえてこわしていかないと、かべや柱がうまくはずれずにこまったり、まわりの家にめいわくがかかったり、自分があぶなかったり、いろいろとやっかいなことがおこります。頭をつかうんですよ。どこをどうはずせばどんなふうにこわれるのか、たてもののしくみや力のはたらきかたをよく知っていないとしくじります。ぼくはこの「こぼち」がすきですね。
家をこわしていると、いろんなものに出会います。いつだったかは床下から山のような酒びんが出てきたことがありました。その家に住んでいた人はしあわせではなかったんでしょうね。屋根裏から鳥の巣が出てきたこともあります。みすぼらしい壁紙のうしろに美しい土壁が出てきたときにはおどろいたものです。そうかとおもうと、見かけはりっぱなのにはりぼてのようにたよりないつくりの家もあります。家も人も、見かけによらないものですよ。
たいていは、知らない町の知らない家をこわすのです。けれど、たまには知っている家をこわすこともあります。その日もそうでした。現場につくまで気がつかなかったのですけれど、そこはぼくが生まれた町の保育園でした。入り口にかかっている保育園の名まえを見て、気がつきました。
たしかに、ぼくがかよった保育園です。けれど、そこはまるで知らない場所でした。たてものはもっと大きかったはずだし、玄関ももっと広かったはずです。園庭だってどこまで走っても終わらないぐらい大きかったはずなのに、こうやってみると、ちょっと広い家の庭ぐらいしかありません。
その広くない園庭に、小さな丸太小屋がひとつたっていました。これをこわすのが仕事でした。たぶん、園庭を広くしたいんでしょう。たしかに丸太小屋はじゃまっけでした。これがなかったら、もっと子どもたちは走りまわれるんでしょう。ぼくは、ショベルカーを気をつけながら園庭に乗り入れました。アームの先にはシャベルではなく、大きなカニのハサミのようなフォークがついています。これで柱やはりをつかんでくずしていくんです。
かんたんな仕事だなと、丸太小屋を見ておもいました。柱もかべもみんな丸太ですから、丸太を一本ずつつかんではずしていけばいいんですね。ずいぶん古くてぼろぼろなので、よけいにかんたんです。ひょっとしたらもう古くなってあぶないからこわすことになったのかもしれません。ほうっておいてもそのままくずれてしまいそうです。
まず、やねからかかります。こんな小さなたてものは、やねのいちばん上のむなぎというところをはずしてしまえばあっというまです。そこをはずすと、屋根が半分とれました。屋根裏もない小屋だということがよくわかります。かべがくずれて、部屋の中が見えました。そのときになって、ようやくぼくはおもい出したんです。
ぼくが子どものころ、この小屋には魔女が住んでいました。ほんとうは住んでいたわけではないのでしょう。でも、その小屋は魔女のものでした。毎週火曜日になると、小屋からは鐘の音が聞こえました。その鐘にひきよせられて小屋にはいると、真っ黒な服を着た魔女がまちかまえていました。そして、魔法をつかったり、ふしぎなおはなしをしてくれるのでした。
魔女は、むかしこの保育園の園長だったといううわさもありました。外国に行って魔法を身につけたのだというひともいました。丸太小屋にはひみつの地下室があって、そこで魔法のくすりをつくっているのだと、こっそりと話してくれた子どももいました。小さく変身して、丸太小屋のえんとつから飛んで行くのだというのも、ひろく信じられていました。
空っぽになった本だな、絵がかかっていたはずのかべをひきはがしながら、ぼくはおもいました。あれはいったいなんだったんだろう。もちろん、魔女がほんとうにいるはずはありません。魔法はただの手品だったんでしょう。おはなしは、子どもたちをたのしませようとしてくれたつくり話です。だから、空を飛んでいくとか小人になるなんてことも、ほんとうはあったはずはありません。
地下室。そう、ひみつの地下室なら、あったかもしれません。けれど、かべをすっかりくずし、ゆかもひきはがしてしまって、そのあとには地下室らしいものはなにもありませんでした。すべてがまぼろしだったのです。子どもだましの魔法は、すっかり消えてしまっていました。ショベルカーのレバーを動かしながら、ぼくはおもいました。「そんなもんだよな」と。

じょうずにこわすと、家はずいぶんと小さくなるものです。柱やはりを一本ずつ、かべやゆか板も一枚ずつ重ねれば、たいしたかさではありません。いいかげんにこわしたのでは、こうはいきません。うでのみせどころですよ。丸太小屋ひとつぐらいだったら、トラック一台につめるぐらいにきれいにこわしてみせます。何回もはこばせるのは、トラックの運転手にもわるいし、自分の仕事もなめらかにすすまないものです。
だから、トラックが行ってしまったあと、ほんとうになにものこっていませんでした。ただ、トラックが向きをかえたときに落としてしまったらしい丸太が一本だけ、地面に落ちていました。ぼくはその丸太をひろいあげました。現場においていくわけにはいきませんからね。ショベルカーを運ぶためのトラックの荷台にほうりあげようとして、そこにうっすらと文字が見えるのに気がつきました。古くぎかなにかでひっかいて、子どもがかいたんでしょう。もしもそのきたないひらがながぼくの名まえをあらわしていなかったら、なんともおもわずにほうりなげていたとおもいます。けれど、ぼくは手をとめました。
「だいち、まさひろ、しんや」
三人の名まえははっきり読めました。そのほかにもなにかがかいてあるようです。もう読めません。けれど、ぼくははっきりとおもいだしました。
ぼくら三人は、たしかにここでいっしょに遊んでいたのです。だれかが、小屋の土台の丸太に名まえを書こうといいました。ぼくはこわいとおもいました。魔法の小屋ですよ。あぶないことがおこったらどうしたらいいんでしょう。けれど、だいちがいいました。魔法にはいい魔法とわるい魔法があるんだよと。ここにはわるい魔法はないんだから。

そんなことをおもいだしたら、ぼくは急にだいちに会いたくなりました。しんやにも、ほかのみんなにも会いたくなりました。
だからぼくは、その夜、だいちの家に電話してみました。だいちはもうそこに住んでいませんでしたけれど、お母さんが電話に出て、連絡するようにいうといってくれました。
それからしばらくして、ぼくらは会うことができました。だいちもしんやも、たけおもさだみも、なつかしいなかまがなん人もあつまりました。ぼくは、丸太小屋のことを話しました。みんな、あの小屋のこと、魔女のことをよくおぼえていました。話はいつまでもつづきました。
「やっぱり魔法はあったんだな」
ぼくは、そんなふうにおもったのでした。
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シャワー

5/20/2015

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 そらくんは、おふろのなかでたいくつしていました。だって、おふろのなかにはテレビもゲームもありません。おもちゃだって、おふろ用のつまらないものだけです。それなのに、じっと、お湯につかっていなければなりません。「からだがあたたまるまで、出ちゃだめだよ。いつだってそう言われます。からだがあたたまるまでって、いつなんでしょう。おふろにはいる前から、からだはホカホカとあたたかいのに、これいじょうあたためたら、とけてしまうんじゃないでしょうか。
じっとしていると、うごきたくなります。すわっていると、走りだしたくなります。どこまでもつづく広い野原を走りたくなります。そんなふうに走っていくと、目の前に雨がふりはじめました。
「せっけんがかかるから、ひっこんでなさい」
雨つぶに手をのばしたそらくんにむかって、おとうさんが言いました。おとうさんには、せなかに目がついているんでしょうか。ふりむきもせず、せっけんのあわをたてながら、そらくんにむかって言うのです。
「ほら、かたまでつからないと、からだがひえるよ」
そらくんは、お湯の中にもどって、シャワーの雨つぶを見ていました。大つぶの雨は、まるでジャングルの中にふる雨のようです。まっ白なゆげが、あたりをみたします。ゆげのおくそこに、なにかがうごいている──、そらくんは、はっとしました。
「あれは、なんだろう」
気をつけて、目をこらします。ゆげのおくから、ゆっくりと黒いかげがやってきます。
「ゴリラだ!」
そらくんは、びっくりしました。なにしろ、そらくんははだかです。はだかのままでゴリラに出あったら、だれだってびっくりするはずです。
「だいじょうぶ。わたしもはだかだよ」
ゴリラは、やさしく言いました。
「ごめんなさい」
そらくんは、わけもわからずに、あやまりました。
「いいんだよ。きみのせいじゃない」
ゴリラは、そう言って、ふりかえりました。
「だれのせいでもない。わたしたちは、みんななかまなんだから」
「どういうこと?」
そらくんには、ゴリラがなにを言っているのかわかりませんでした。
「おいで」
ゴリラは言って、そらくんにせなかをむけました。そらくんは、あわててゴリラのあとをおいかけました。まわりを、まっ白なもやがつつみ、なにひとつ見えなくなりました。

ゴリラは、さすがにジャングルの王さまです。いくらそらくんががんばっておいかけても、どんどんともやの中にきえていきます。そのすがたを見うしないかけたとき、そらくんの目の前で、バサバサッとなにかがうごきました。そらくんは、おどろいて目をとじました。その目をそっとひらくと、そこにはあざやかな色のはねをつけた大きな鳥が立っていました。鳥は、まんまるな目で、そらくんをまっすぐに見ています。
「ごめんなさい」
そらくんは、あわてて言いました。だって、この鳥のじゃまをしてしまったのかもしれません。
「あなたがわるいのじゃない」
鳥は言いました。
「あなたがしたことは、ぜんぶ、あなたにかえっていくのだから」
「どういうこと?」
そらくんには、鳥がなにを言いたいのかわかりません。こまっていると、いきなり鳥がはばたきました。
「さあ、おいで」
そう言って、鳥は白いもやの中にとんでいってしまいました。

ゴリラも鳥もいなくなって、そらくんは、どうしていいかわかりません。こまったなあと思ってふりかえったら、足もとに子犬ほどの大きさのけものが立っていました。かたちは動物園で見たことがある、しかにそっくりです。
「ごめんね」
そらくんは、そう言ってしゃがみこみました。だって、ふりかえったひょうしに、この小さなしかをけとばしそうになったからです。
「いいの」
しかは、言いました。
「あたし、けとばされるのには、なれてるから」
「でも、だからって、けとばされたくはないよね」
「うん。だから、いつもうまくにげるの。あたし、にげるのがじょうずなの」
そらくんは、やっぱりなんとこたえていいのかわかりませんでした。すると、しかは、ぴょんととびあがりました。
「さあ、こっちよ」
そらくんは、こんどこそおくれないように、しかのあとをいっしょうけんめいおいかけました。足もとにからまるつたを気にしながら、ころばないように走りました。すると、だんだんむこうに、いくつものかげが見えてきました。

そこは、森の中の小さな空き地でした。さっきのゴリラがいます。あの美しい鳥もいます。それだけではありません。もっと小さいのや中くらいの大きさの鳥がたくさんいます。どの鳥も、それぞれにあざやかなはねの色をしています。その色が、白いもやの中でやわらかく光っています。
鳥だけではありません。木の上にいる動物はねこでしょうか。いいえ、ねこよりももっとすばしっこそうです。その近くには、さるのなかまがいます。こうやってみると、ゴリラがどれほど大きいのかがよくわかります。りすのような小さなけものもいます。地面からは、ねずみのような顔が見えています。ひょっとしたらもぐらのなかまなのかもしれません。その近くには、かえるがいます。虫たちがとびたちました。
森の中は、にぎやかです。なんだかパーティーでもはじまるような、うきうきした気分がながれています。
「さあ、みんなでこの雨をよろこぼう」
ゴリラが言いました。そして、大きくむねをふくらませ、かたくにぎりしめたこぶしで、そのむねをボンボコぼんぼことうちはじめました。

そらくんは、こんなにわくわくしたのは、ほんとうにひさしぶりだと思いました。だから、さけばずにいられませんでした。
「ぼくも、なかまにいれて!」
そのときです。雨が急にとまりました。みんなは、空を見上げました。ぽつり、ぽつりと、なごりのような雨つぶがおちてきます。けれど、さっきまでのざあざあふってくる雨は、もうそこにはありません。
ゆっくりと、ゴリラがせなかをむけました。あの美しい大きな鳥が、つばさを大きく広げました。ねこのようなチーターが(そう、あれはチーターでしょう)、ねこのように大きなあくびをしました。気がつくと、虫たちも、小鳥たちも、りすやねずみも、小さなしかも、どこかにきえていました。
「ねえ、まって!」
そらくんは、ゴリラをおいかけました。けれど、ゴリラはどんどん白いもやの中にきえていきます。そらくんは、あとをおっかけて走りました。すぐにあたりは、まっ白になって、なにも見えなくなりました。

それでも走りつづけたそらくんは、むこうのほうに赤茶色っぽいかげが見えるのに気がつきました。ゴリラの毛なみではありません。もっとつるんとしたものです。岩なのかもしれません。その岩で、このジャングルはいきどまるのかもしれません。
まっすぐすすんだそらくんは、その岩に両手をどしんとついて止まりました。岩だと思ったのはやわらかくて、そらくんはびっくりしました。
「こら、びっくりするじゃないか」
おとうさんの声がしました。ゆげのむこうで、おとうさんの目がやわらかい光をはねかえしました。
「さあ、そらもあらうぞ」
おとうさんはそう言って、シャワーのせんをひねりました。
やんでいた雨がふりはじめて、そらくんはまた、しあわせな気もちになりました。きっとゴリラも、鳥たちも、ジャングルのなかまはみんな、よろこんでいることでしょう。

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青いお城

5/19/2015

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泉のそばから、旅人は立ち上がりました。この森の奥、疲れ果てていたところで見つけた清らかな泉です。こんなにうれしい贈り物はないと、旅人は思いました。長い旅です。そろそろ落ち着きたいものです。けれど、ずっと旅を続けているこの男には、身を落ち着けるということがどういうことなのか、それさえもわからなくなっています。

旅人は、荷物の中からリンゴをひとつとりだしました。旅人の荷物の中には、いろいろな野菜や果物の種子や苗がはいっています。遠い地方のキャベツやカラシの種子、アスパラガスやショウガの根っこ、ニンニクやチャイブの球を別の地方に持っていって高く売るのが旅人の商売でした。儲からない商売で、終わりのない商売です。自分では育てたことのない種子。いつかどこかに落ち着いて、それを育てることなど夢のまた夢にちがいありません。

泉の水で十分にのどをうるおした旅人は、ゆっくりと立ち上がりました。もうひとがんばりです。泉から小さな川が流れ出しています。それにそって道が続いています。その道を一歩、また一歩と、旅人は歩きはじめました。やがて、小川は小さな湖に流れ込みます。その湖の岸辺に立って、旅人は大きく伸びをしました。

あたりに人気はありません。淀んだ水の上に、そよとも風はふきません。時間が止まってしまったようなその景色のなかに、旅人は小さな城があるのに気づきました。昔、いくさが続いたころに建てられたのでしょうか、古ぼけた石造りの城です。

特別に美しい外観でもないのに、旅人はその城に目をうばわれました。そこから目が離せないのです。対岸遠くにあって最初は気がつかないほど小さく見えたのに、まるで遠眼鏡で見るように、いまでは細かなところまではっきりと見えます。中庭に咲いた赤いバラも、風にそよぐレースのカーテンも、まるですぐ目の前にあるように見えるのです。

その中庭に、一人の若い娘が出てきました。美しい娘です。この城に住んでいるのでしょうか。娘はバラの花にそっと顔を寄せると、なぜか大粒の涙をひとつ、流しました。

そのとき、湖の上を霧が渦巻いて、城を隠しました。旅人は、はっと我に返りました。胸騒ぎがしました。あの娘に会いたいという気持ちが強くなりました。理由もなく、娘を助け出したいと思いました。あの大粒の涙だけで、なぜか娘がとらえられているのだという気持ちになったのです。

旅人は、走り出しました。けれど、道はすぐに湖からそれて山を下りはじめます。旅人は反対側に走りました。けれど、そっちに行っても、やっぱり道は湖から遠ざかるばかりです。どこかに湖の反対側に行く道があるはずだ。旅人はそう思って、あちこち森の中を探しました。けれど、枝道らしい道はどこにもありません。茂みの薄そうなところを調べてみても、やっぱり道ではありません。

それならば岸づたいに行けばいい。いまやすっかり霧に覆われてしまった湖の岸辺に戻り、旅人は水辺に沿って行こうとします。ところが、すぐに濃い薮に行く手をふさがれてしまいます。反対側の岸辺を行こうとすると、今度は険しい岩が道を塞ぎます。それを回り込もうとすると、いつの間にか森のなかに引き込まれ、気がつくと泉から続く道に戻ってしまいます。

旅人は気が狂ったように走りはじめました。そのまま湖に飛び込んでしまうほどの勢いでした。が、幸運なことに、そのとき、向こうから何人かの百姓がやってくるのに出会いました。百姓たちは、口々に、「これ、正気を取り戻しなされ」と叫びました。

「あんた、城を見なさったな」と、百姓の一人が言いました。「あの城を見た者は、それにとりつかれてしまう。いままで何人も、あの城に行こうとして命を落とした」
その話を聞いて、旅人はぞっとしました。
「あの城に行く道はないのですか」

「ない。というよりも、誰も知らんのだ」。別の百姓が答えました。「あの湖は、ふだんは霧が深くて向こう岸を見ることができん。それがどういうわけか、若い男が一人きりで通りかかったときに限って、その霧が晴れるのだ。霧が晴れると、向こう岸に城が見えるのだそうだが、その城を見て長く生きた者はいない。みな、あの城にたどり着こうとして、命を落とすのだ。ある者は森で道に迷い、ある者は湖に飛び込んで溺れ死ぬ。ただ行方知れずになってしまった者も数えきれない」

「あんたは運がよかった」。最初の百姓が言いました。「わしらは用心して、けっして一人ではこの道を行かん。あんたもわしらに会わなかったら、いまごろはあの湖の底に沈んでいたこったろうな」

旅人は、百姓たちにともなわれて、森のはずれにある村に着きました。そして、その夜は村に泊まりました。村人たちは旅人の商売について聞きたがり、旅人は荷物の中から珍しい種子をとりだして、村人達に新しい作物の作り方を語りました。

そして翌日、村人たちは「気をつけて行きなされ」と、旅人を送り出しました。「やれやれ、あの人はそれほどはっきりと城を見なかったらしい」と、昨日の百姓が言いました。「運がよかったのだなあ」

けれど、旅人は湖と反対側に歩き出してすぐに立ち止まりました。昨夜から、どうしてもあの城の娘の面影が心を去らないのです。きっとあの娘は自分を待っていると理由もなく思えてならないのです。あのバラの花に埋もれるようにして流した涙を忘れられないのです。

旅人は、踵を返しました。行かなければなりません。そして、森の中の道を走り出しました。昨日の湖の岸辺までたどり着きましたが、湖は今日は濃い霧に覆われています。それでも、「きっとこっちに行けばたどり着けるはずだ」と、旅人は進みました。昨日と同じです。薮に阻まれ、岩に道をふさがれ、そしてぬかるみに足をとられます。苦労して前に進んだと思ったら、いつの間にか同じところに戻っています。

旅人は、気が狂ったような気持ちになりました。けれど、昨日の村人たちの言葉を思い出しました。湖に飛び込んで溺れ死んではならない。湖に背を向けて、目をつぶって走り出しました。
どれほど走ったことでしょう。気がつくと、旅人は、小さなみすぼらしい家の前に立っていました。どうすればいいかわからないまま、旅人はドアをノックしました。誰かに助けてもらいたい、けれど、誰に、どんな助けを求めればいいのでしょう。頭が割れそうでした。

ノックに応えて現れたのは、年老いた女でした。腰の曲がったその老女は、旅人をじろりと見ると、低く「お入り」と言って背を向けました。旅人は、引き込まれるように薄暗い小屋の中に入っていきました。
光のささない小屋の中は薄気味悪く感じられましたが、やがて目がなれてくると、それなりに気持ちのいい住まいだということがわかりました。壁ぎわのかまどではなべの中で何かがぐつぐつと煮えています。いかがわしい魔女の秘薬かもしれないとも思いましたが、気味が悪くは思いませんでした。湖と城に呪われてしまった自分にとって、これ以上に凶々しいことは起こらないだろうと思えたのです。

魔女は(そう、この女は魔女にちがいありません)深く腰かけた椅子から旅人の方をじろりとみました。そして、「ふん」と鼻をならしました。
「あんたは、それほどひどくやられてはいないようだね。それでいて、十分に呪いにかかっている。あんたなら、うまくやれば運命を変えることができるかもしれないね」
旅人は、女が何を言っているのかわかりませんでした。

「あんた、これを食べなさい」
魔女はそう言いました。旅人は、この女を信じるしかないと感じました。食べてみると、それは普通のお粥でした。そのときはじめて、旅人はずいぶんとお腹が空いているのに気がつきました。
「腹が減ったと感じられるなら、見込みがあるよ。この先も、あんたの体はあんたをささえてくれるだろう。そうだ、お腹が減ったときのためにこれを持ってお行き」
老女はそう言うと、小さな包を旅人に渡しました。
「お弁当だよ。うまいものが入ってる。あんたの力になるだろう」
そして、旅人を頭のてっぺんからつま先まで見まわしました。
「その荷物は思いから置いていってもいいんだが、まあ役に立つこともあるだろう。そのまま持っていきなさい。それから、どんなことがあっても自分の感覚を信じること、常識を信じることだね。あわててはいけない。あとは、あんたの力でどうにかなるよ」
そして、老女は出口を指さしました。出発の時間なのです。

ほんの少し休んだだけなのに、旅人は、ずいぶんと元気になった気がしました。力がみなぎってきます。さっきのお粥には、やっぱりなにかしかけがあったのでしょうか。けれど、歩いていくうちに、だんだんとさっきまでの強い誘惑が戻ってきます。どうしても、あの城に行ってみたいのです。

旅人は、魔女の言葉を思い出しました。自分の感覚を信じることです。立ち止まって、大きく息を吸いました。そうです。この誘惑は、なにか自分とは違う力が自分を引き寄せようとしているのです。旅人は、その力のやってくる方向を探りました。こっちです。目を軽く閉じると、いっそう強く感じます。まちがいありません。旅人は、目を開くと、その方向に歩きはじめました。

濃い霧が道をふさぎます。霧の中にあらゆる音が吸い込まれ、何も聞こえなくなります。けれど、旅人はもう迷いません。自分の感じる方に、どんどん進みます。やがて霧がほんの少しだけ、薄れてきました。そして目の前に、あの城が現れたました。

旅人は、走り出しました。城の門に向かって、どんどんペースをあげます。と、目の前に真っ黒な犬が現れました。番犬です。鋭い牙をむいています。いまにも飛びかかってきそうです。

とっさに、旅人は老女にもらった包を投げつけました。中から肉のかけらが転がり出ました。犬は、うまそうな臭いにつられ、とびつきました。旅人には目もくれません。その脇を、旅人は走り抜けました。暗い城門をくぐり、あの中庭へと進みます。湖の向こうから見た、あの中庭です。バラが咲いています。そのそばに、あの若い娘がいます。

旅人は、駆け寄ろうとしました。けれど、娘は悲しみの表情を浮かべ、来るなと合図します。声は聞こえません。何か言っているように見えるのですけれど、声がさえぎられているのか、何も聞こえません。旅人は呼んでみました。自分の声も聞こえません。娘は、手を振って、何か訴えようとしています。その目が、旅人の背後を注視しています。

旅人はようやく気がついて、振り向きました。。背後から、黒い人影が迫っています。怪しげな笑いを浮かべたその手には、ドクロの数珠が握られています。魔法使いです。
旅人は、命の危険を感じました。いままで多くの行方不明の人々は、この魔物の手に落ちたのでしょう。肝が冷える気がしました。いよいよ自分もここまでかもしれません。

けれど、旅人はあの老婆の言葉を思い出しました。常識を信じろという言葉です。そして、自分の荷物が役に立つかもしれないという言葉も。旅人は急いで荷を下ろしました。袋の中からニンニクのかけらを取り出すと、それを魔物に向かって投げつけました。

魔法使いは、怖ろしい声を残して消えました。あたりを覆う霧が一気に晴れました。音がもどってきました。旅人は振り返りました。あの娘が近づいてきます。美しい声が語ります。
「私は、長い間、この城にとらえられてきました。あの魔法使いが獲物を引き寄せるためのおとりにされてしまったのです。私のためにたくさんの人が死にました。それがとても辛かったけれど、どうしようもできませんでした。あの庭に閉じ込められて、逃げ出すこともできなかったのです」
そして、微笑んで旅人を見ました。
「自由にしてくれて、ありがとう。もう何もかなしむことはないわ」

二人は、手をとりあってあの麓の村への道をたどりました。すっかり霧が晴れて、迷うこともありません。
村では、あの湖のほとりの城の呪いが解けたことを知って、人々が喜びました。そして、お祭り騒ぎの中で、二人は結ばれました。

こうして、旅人の長い孤独な旅は終わりました。旅人は、もう旅人ではありません。とらわれの娘も、もうとらわれの娘ではありません。こうして別の人間になった二人は、いつまでも幸せにくらしました。
(初出:December 27, 2009)
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    作者について

    私の家は保育園のすぐ近く、そして薪ストーブがあります。そこで、冬季限定のお楽しみとして、薪ストーブの火を囲んでのおはなし会に年長児さんを招待することになりました。そのおはなし会で使ったネタを、ここで紹介していきます。

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