子どものためのおはなし
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十三のうなぎ

5/19/2015

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むかし、十三に若い男がおって。母親と二人、暮らしておった。ところがある日、母親が病にかかってしもうたと。いろいろ手当てを尽くしたが、どうにもこうにも良くならん。そのうちに、いい医者紹介してくれて、そこでその医者にかかったと。すると医者の見立てでは、これははやりの気の病。気の病は、なかなかに厄介ものじゃと、こう言うた。
そんな医者の見立てを聞くと、母親は急に、「うなぎが食べたい」と言い始めた。なんとも「き」は「き」でも「うなき」の「き」であった。

そこで若者、うなぎをもとめて川まで行った。言わずと知れた十三は、淀の大川のほとりでな。川に上ってくるうなぎをとろうという算段じゃ。若者は釣りなどしたことがなかったが、母親のためとあって神様に祈りが通じたのじゃろうか、一匹の立派なうなぎが竿にかかった。
これはありがたいと、若者はうなぎをつかんだが、なにせうなぎというものはぬるぬるすべる。うなぎの頭をこうおさえ、首のところをこうつかみ、よっとな、やっとなと、つかまえようとするのだが、うなぎはどんどん逃げようとする。そのうなぎを手が追いかけ、手にはからだがついていき、からだを足が追いかけて、若者はどんどん走り出す。
走って走って、けつまづいたところで、うなぎはぽーんと飛ばされて、向こうの川ににげこんだ。若者の方はあべこべに、けつまづいたいきおいでぐしゃり。落ちたところは傘屋の仕事場。
傘屋は驚いて、若者に問うた。
「おまはん、どこから来なはった」
「はあ。うなぎを追ってこちらまで」
「うなぎかなんかは知らんけど、こらまあこっちも困ります」
「はあ。どうしましょうなあ」
「どうしましょうや、あらへんで」
「それではいったい、どうしましょう」
「どうしましょうも、こうしましょうも、それではちょっと手伝うていけ」

そこで若者、すわりこんで傘屋の手伝い、傘張りをはじめたな。習うたわけでもないのに、手先が器用なんじゃろか、若者たちまち一本の傘を張り終えた。
「こりゃお見事」と、傘屋も感心。
若者すっかり気をよくし、傘を開いて見栄を切る。ところがそこに一陣の風、たちまちふいて、吹き飛ばす。あれと思うまもなく若者は、天に飛ばされ、舞い上がる。
着いたところは雲の上。雷神様の仕事中。
「おまえは、どこからやって来た」
「はあ。風に飛ばされこちらまで」
「風の都合は知らんけど、ここらはちょっと忙しい」
「はあ。どうしましょうなあ」
「どうしましょうや、あらへんで」
「それではいったい、どうしましょう」
「どうしましょうも、こうしましょうも、それではちょっと手伝うていけ」

そこで若者、見よう見まねで雷神様を手伝うた。太鼓をどんどん打ち鳴らし、手桶で水をざあぶざぶ。手桶の水は、たちまちに、雨に変わってどっしゃぶり。調子にのって若者は、あちらこちらと駆け回る。
「おいおい、そっちは危ないぞ」、雷神様の呼びかけも、まるで頭は上の空。
「そっちは雲が薄いというに」。声も届かずまっさかさま。
あっという間に海の中。ざぼんと落ちて、ぶくぶくと、海の底まで一直線。
落ちたところは竜宮の、晴れの広間の真ん中で、乙姫様が驚いた。
「あなたはいったい、どちらから」
「はあ。雲踏み外してこちらまで」
「それは気の毒、お怪我はないか」
「怪我はないけど、いやはや、はあ。どうしましょうなあ」
「どうしましょうや、ありまへん」
「それではいったい、どうしましょう」
「どうしましょうも、こうしましょうも、それではちょっとお休みなされ」

たちまち出てくるご馳走に、若者さすがに怪しんだ。
「竜宮城のご馳走に、みやげは煙の玉手箱。爺になるのはちと困る」
「なにをたわけた昔話。気にせずどうぞ召し上がれ」
若者一口食べてみて、味気ないのに驚いた。
「竜宮城なら鯛のつくり、平目の縁側、烏賊そうめん、蛸の酢の物ないものか」
「なにをおっしゃる、この城は、魚や貝の極楽で、そんな殺生いたしませぬ」
出されたご馳走よくみれば、みんなわかめやてんぐさの、精進料理でありました。
もっとうまいものが食いたくなった若者、ふと見ると、目の前に海老が泳いでいる。これはありがたい、海老の踊り食いと、箸を伸ばした若者を、乙姫様が止める間もなく、かかる針。あわれ若者、釣りの餌に食いついて、あっという間に釣り上げられた。
釣り上げられた船の上。漁師がさすがに驚いて、
「おまはん、ぜんたいどこから来た」
「はあ。竜宮城からこちらまで」
「竜宮城とは豪勢な。けど、ここらはちょっと忙しい」
「はあ。どうしましょうなあ」
「どうしましょうや、あらへんで」
「それではいったい、どうしましょう」
「どうしましょうも、こうしましょうも、それではちょっと手伝うていけ」

そこで若者、漁師の仕事を手伝うた。漁師はたいそう喜んで、帰りにみやげをしこたまくれた。とりたて魚をざる一杯。そしてうれしやその中に、大きなうなぎがおったとさ。
若者、家に駆け込んで、さっそくうなぎを料理して、病の母に食わせたら、気の病はたちまち失せて、母親は元通り元気になったそうな。

はあ、めでたいな、めでたいな。
(初出:August 21, 2009)
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鬼のはなし

5/19/2015

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岩だなのはしから落ちる雨だれがすみれの花びらをゆらすのを、鬼はひざをかかえてながめておりました。雨がつづきます。こんな日は、岩あなのおくに寝っころがって夢でも見ているのがいいのです。そうすればお腹もへらず、つかれることもありません。気持ちがざわめくこともなければ、けがや病気をする心配もありません。
けれど、鬼はさっきから外に出たくてしかたありません。雲が切れないかと、何度も空を見上げます。空はどこまでも灰色です。鬼はうなだれてしまいます。鬼の目に、すみれの花がうつります。すみれは、雨の中でもあざやかな紫です。むしろ、ぬれた花びらは、すきとおった光をはなつようです。
雨などかまわない。鬼はそう思います。このまま飛び出して、いつもの野原に行ってみようと思います。森と野原のさかいめのあの岩のあたり、いつものようにあの男の子が遊んでいるかもしれません。
けれど、鬼はひくく笑って、そんな考えをうち消します。雨の日に、人間の男の子が野原に遊びに出ているはずはないのです。人間の子は、雨の日には家の中にいるはずです。
じゃあ、男の子の家まで行ってみようか。鬼はふっとでも思ったそんな自分にあきれました。人間は、鬼をこわがるものです。だってそうじゃないですか。鬼は、おじけづいた人間の心が生み出した生き物です。人間は、やみの夜に、森のおくに、山の暗がりに、おそれをいだきます。そんなおそれが、鬼を生み出します。
いや、反対なのかもしれません。鬼は明るいところではおちつきません。あまりに開けたところは、なんだかうさんくさく感じます。力の弱い者を見下します。そんな鬼のうたがいの気持ち、いやしむ気持ちが、人間を生んだのだともいえるでしょう。人間は、鬼の心が生み出した生き物です。
だから、鬼と人間は、おそれあい、にくしみあうのがあたりまえです。それなのに、男の子の家に行ってみようなんて、なんのまよいで思ったにしてもばかなことです。たちまち大さわぎが起こるでしょう。鬼は、けっして人間の里におりてはならないものなのです。
けれど、この気持ちはなんなんだろうと、鬼は思います。あの男の子に出会うまで、鬼は、こんな気持ちになったことはありませんでした。こんな気持ちがあるということさえ、思いもよりませんでした。男の子にあうのが楽しみなのです。男の子にあえなければつまらないのです。いったいどうしたことでしょう。

あれは、天気のよい春の日のことでした。鬼は森のはずれ、野原とのさかいにある大きな岩のかげに寝そべっておりました。寝っころがっていればお腹もへらず、つかれることもありません。けがや病気の心配もありません。この真っ黒な岩は、あぶないものから身をかくしてくれます。だから鬼は、用心もせずに空を見上げます。風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりに目を細めます。
ふと鬼は、この心地よく耳にながれこんでくる音が、風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりだけではないことに気がつきました。笑い声なのです。
ほんとうなら、鬼はここで用心するはずです。人間の笑い声です。ろくなことはありません。人間は、疑い深い心で鬼を憎みます。人間は、ずるがしこい知恵で鬼を追い詰めます。人間は、明るい光で鬼のすみかを変えてしまいます。だから人間には用心しなければなりません。人間の笑い声は、その中でもいちばん気をつけなければならないもののはずです。
けれど、このとき、鬼はうかうかとその笑い声を聞き過ごしていました。風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりと同じように、心地よく感じながら、あいかわらず空を見上げておりました。気がついてはいたけれど、用心できなかったのです。
と、笑い声の主があらわれました。男の子です。鬼は、ちょっととまどいました。さて、追い払えばいいのか、逃げたものか。いや、その前に子どもの方から逃げ出すだろう。けれど、男の子は寝ころんでいる鬼にまっすぐ近づいてくると、小山のようなそのからだにのぼりはじめました。
鬼は笑いました。くすぐったかったのです。男の子をおどろかさないように、そっとからだを動かすと、「やめろよ」と言って、男の子をつまみあげました。
男の子は、もちあげられて、けたけたと笑いました。どさっと地面に下ろしてやると、ひっくりかえって喜びます。そこで鬼は、もういちど男の子を軽々と持ち上げると、立ち上がって、頭の上にかざしました。ふうわり、と男の子を投げるふりをして、しっかりと受け止めました。男の子は、いっそう楽しそうに声をあげました。
それからです。鬼がこの野原と森のさかいめの岩に行くのを楽しみにするようになったのは。暑い日も寒い日も、男の子はきまってそこに遊びにきました。すがたが見えないときは、岩の上に立って見回すと、近くのしげみからかけてくるのがわかりました。男の子も、鬼と遊ぶのがすっかり気に入ってしまっていたのです。ふたりは、日がかたむくまでじゃれあいながら遊びました。遊びつかれると、鬼はごろりと横になりました。男の子は鬼の上にのぼって、けむくじゃらの腹の上で気持ちよさそうにまるくなるのでした。

男の子が鬼と遊んでいるあいだ、男の子のお父とお母は野良ではたらいておりました。男の子がどこに遊びにいっているか、まるで知らなかったのですが、男の子が日暮れにはきちんともどってくるので、あまり気にもしていませんでした。ふたりとも、ひどくいそがしかったのです。
なにしろ、百姓はいそがしいものであります。お天道さまが上がる前から田畑がよんでいます。田植えがすんでからは、朝の暗いうちに起きて水まわりです。ぐるっとまわってもどってきて、どろも落とさずに朝飯をかきこんだら、草とりです。その合間にせんざいの野菜の世話もしなければならないし、豆の土よせも、麦のこなしも、やっておかなければならない仕事です。
本当ならば、男の子は六つにもなればこんないそがしい仕事の中でいくらかは自分のできることをみつけるものです。見よう見まねで百姓をおぼえて、だんだんに一人前になっていきます。ところがこの男の子は、六つになっても七つになっても、遊んでいます。仕事を教えられないのです。男の子は、言葉がしゃべれないのでした。
たいていの子は、数えで三つ、四つにもなれば言葉をしゃべるようになります。早い子もおそい子もいますから、両親が気がついたのは男の子が五つになったときでした。たしかに男の子は、何か言おうとします。けれど出てくるのは、鳥がなくような音ばかり。お父、お母とさえ言えません。言われたことは、わかっているような、わかっていないような、あいまいなところがあります。素直な子でありまして、親の言うことにさからうこともありません。ですが、細かなことがのみこめないようです。手伝いをやってみさせても、さっぱり役に立ちません。しかりつけると、鳥がなくような声を立てるばかりです。しかたなく、遊ばせておくしかないわけであります。
それでなくともいそがしい百姓です。遊んでいる子どものめんどうなど、みていられません。同じ年ごろの子どもは、みな野良ではたらいています。しかたなく、この男の子はひとりで遊ぶようになりました。男の子がどこまで遊びにいっているのか、だれも知らないのです。鬼と遊んでいると知ったら、お父もお母も肝をつぶすことでしょう。知らないことがしあわせと、そんなこともあるのです。

何日かふりつづいた雨があがりました。鬼は、すっかりうれしくなって野原に出かけました。いつものようにあの岩までくると、もう男の子がまっています。男の子も、ひさしぶりに鬼にあえてうれしいようでした。さっそく鬼の足にじゃれついては、けたけたと笑います。鬼は、男の子を高く投げ上げると、ふわりとうけとめました。あらっぽい遊びですが、男の子がけがをしないように、じゅうぶんに気をつけています。鬼は、力が強いだけでなく、ぬけめない気配りもできるのありました。
そんなふうに楽しく遊んでおった鬼と男の子でありました。ところがふいっと、鬼は気がつきました。なにやらおかしなにおいが風にまじっているのです。鬼は、男の子をだきあげたまま、岩の上にのぼってみました。見はるかすと、野原のはてにけむりが立っております。男の子の村があるところです。その黒いけむりは、のんびりとしたかまどのけむりや、たき火のけむりとはちがいます。まちがいなく、なにかがおかしいのです。
どうやら、人間どもがいくさをしておるらしい。鬼は思いました。人間というのは、おろかなものです。力もないくせに、なかまうちであらそいごとをおこします。ひとりではなにもできないくせに、集まるとらんぼうをはたらきます。やらせておけばよい。鬼はあざ笑いました。
そのときです。男の子が、鳥がなくような声をあげました。鬼はびっくりして、男の子の顔をまじまじと見ました。これまで男の子がこんな声を出すところを見たことがなかったのです。男の子は、さかんに手をふって、また何かさけびました。
燃える村には、お父とお母がいる。男の子がおびえているわけが、ようやく鬼にものみこめました。鬼は、すこしまよいました。人間どものあらそいに、鬼が口を出すことはありません。けれど、男の子をほうっておくわけにもいきません。おびえさせ、かなしませるのはまっぴらです。鬼は心を決めました。
男の子をかかえた鬼は、野原を矢のように走ります。村の手前の川を、橋をわたるのももどかしく、えいっとばかりにとびこえて、鬼は村にはいりました。刀がきらめいています。あそこでふりまわされているのは、やりでしょう。だれもがうき足立って、だれもが自分をなくしています。女や子どもがにげまどっています。手のつけられないありさまです。
鬼は、道のまんなかにふんばって立つと、ひときわ大きな声をあげました。ふいっと、それまでのさわぎがしずまりました。急に、焼けくずれた一軒の家が燃えるぱちぱちという音が大きく聞こえました。
鬼は、あたりをにらみつけると、もう一声、大きくほえました。それを合図にしたように、だれもがいっせいに走りはじめました。村をおそったあらくれどもも、おそわれた村人たちも、だれもがてんでんばらばらににげはじめました。まばたきをするほどのあいだに、あたりにはだれもいなくなりました。
鬼は、ふんっと鼻先で笑うと、男の子を地面に下ろしました。そのときです、どこにかくれていたのか、ひとりの男が走り出してきました。ものすごい顔で鬼をにらみながら、男の子をだきあげ、たちまちものかげに走りこんでいきました。男の子の声だけが、あとに残りました。「お父っ」。そう聞こえたと、鬼は思いました。

岩あなにもどった鬼は、どっかりとこしをおろしました。いつの間にか、日がかたむいて、長いかげをつくっています。いつぞやのすみれは、もう花を落としました。小さなたねができているようであります。鬼は頭をふりました。
こんな気持ちの日には、岩あなのおくに寝っころがって夢でも見ているのがいいのかもしれません。そうすれば、こんなふうに気持ちがざわめくこともないはずです。くたびれてしまうこともないはずです。
いったい自分がどうなってしまったのか、鬼にはわかりませんでした。泣けるものなら泣きたいような気持ちです。けれど、鬼は泣かないものであります。泣けない鬼は、ぼんやりと地面を見つめるばかりです。
たったひとつ鬼にわかるのは、自分がもう、あの森と野原のさかいめの岩には行かないだろうということでした。二度と、あそこには行かないでしょう。行っても、あの男の子はいないのです。あの男の子には、二度とあえないのです。
そのたったひとつのことが、鬼の心をざわめかせるのでありました。
(初出:June 14, 2009)
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泣き虫の男の子

5/18/2015

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むかしむかし、あるところにひとりの泣きむしの男の子がおりました。もう七つにもなるというのに、この男の子、すぐに泣くのです。ごはんのおかずがにがいといっては泣き、毛虫がきもちわるいといっては泣き、くらい夜がさみしいといっては泣きます。あまりにわがままかってに泣くので父親も母親も、ほとほとこまっておりました。
こんなに泣くのは、どこかからだによくないところがあるのではないだろうか。そう思った父親と母親は、お医者さまのところにこの子をつれていくことにしました。

お医者さまは、たいそう年をとった先生で、もごもごもごもごと、なにやらむずかしそうなことをおっしゃいます。さぞ学問のふかいおかたなのでありましょう。むらでたったひとりの、だいじな先生です。
この先生、男の子のことを頭のてっぺんから足の先まで、とっくりとながめました。ふうむとうでを組むと、つぎに手首のみゃくをとり、足首のみゃくをとり、首のところでみゃくをとり、鼻の頭でみゃくをとりました。それからなにやらぶつぶつと口の中でいって、頭をふりました。そのようすを見て、父親も母親も、たいへん心配をいたしました。なにかこの子に、とんでもない病気でもあるのではないかと思ったのです。それから先生は、この子に舌を出させ、ひっくり返してうらがわを見て、それからのどちんこまでしらべました。まぶたをひっくり返し、頭をたたき、むねのこどうを聞いて、背中のすじをしらべ、お尻をつるりとなでました。それから大きくうなづくと、
「どこも、わるくはないようですなあ」と、もごもごした声で言いました。
父親は、「さすが先生、ていねいにしらべてくださった。どこもわるくはないというのなら、これでまずは、ひと安心」とよろこびました。
しかし、母親のほうは、「あれだけしらべてなにも見つけられなかったのは、ずいぶんとあの先生もやぶ医者だ」というのです。
父親は、「いや、どこもわるくないというのだから」というのですが、母親は、「だったらこの子がこんなに泣くのはおかしいじゃないですか。どこもわるくないのなら、よその家の子どものように、七つにもなったらすこしはしゃんとするものです。まるで赤ん坊のように泣くのは、どこかがわるいにきまっています」というのです。
父親と母親が、そんなふうにいいあらそいをしていると、男の子はまたもやわっと泣きはじめます。やっぱりこれはほうっておけないと、父親と母親は相談して、まじない師のばあさまのところに男の子をつれていくことにしました。

まじない師のばあさまは、家の前の畑に出ておられました。こしのほうが頭よりも高くなるほどこしのまがった年よりです。なんじゃとばかりに上げた顔は、しわだらけ。顔の中にしわがあるのか、しわの中に顔があるのか、わからないほどです。
このばあさま、父親と母親の話を聞くと、男の子のほうをじろりと見ました。じろりと見られて男の子は、びくっと声をふるわせました。ふうむ、と、ばあさまは口の中でつぶやくと、なにやらじゅもんをとなえはじめました。そのわなわなわなわなとした声が、まるでじごくのそこからひびいてくるようだったので、男の子はびっくりして泣きはじめました。ばあさまは、こばかにしたような目で男の子を見ると、どろだらけの両手でいんをむすびました。そして、男の子の頭に向かって、えいっといんを切りました。それから、「なに、これでこの子は泣きませんよ」というと、畑仕事にもどってしまいました。
けれど、男の子は、泣かないどころか、いつまでたってもしゃっくりあげがとまりません。父親は、「やっぱりあんなばあさんにたのんだのがいけなかったんだ」と、かたをすくめます。母親は、「あんたもさんせいしたじゃない」と、口ごたえをします。そのようすをみて、男の子は前よりもっと、はげしく泣きます。

そこでふたりは、男の子をとなり村にあるお寺につれていくことにしました。ぼうさまに、ありがたいお経をとなえていただこうというのです。
お寺のおしょうさまはたいそうりっぱなおかたで、金色のけさをかけておつとめをされておられます。上等のお茶を飲みながら、おしょうさまは、両親の話を聞きました。
「さよう、こういうことによらず、なにごとにも、ほとけさまにおすがりなさるのは、たいへんよいことでありますな」
そういって、おしょうさまは、にっこりおわらいになりました。そして、こんなふうにおっしゃいました。
「ほとけさまにおすがりになるには、まずはそのお心をいただかねばなりせんが、さて、おふせはいかほどおもちでしょうかな」
「はい。お米が一升ばかりございます」
父親はこのように答えました。すると、おしょうさまはふっとおわらいになりました。そして、「ちんねんや、ちんねんや」と、声を上げて、こぞうさんをおよびになりました。
「ちんねん、そちがこの子のためにひとつ維摩経でも読んでおあげなさい」
「あの、おしょうさまには読んでいただけないのでしょうか」
母親がおそるおそる聞きますと、おしょうさまは鼻でフッといきをふき、こうおっしゃいました。
「そのおふせでは、こぼうずぐらいがみのほどでしょうな。なに、ほとけさまのみ心にはかわりはありませんよ」

親子三人は、こぞうさんにつれられて、お堂にとおされました。こぞうさんは、「なむなむなむ」と、口の中でお経をとなえます。男の子は、おもしろがってそのまねをします。こぞうさんが「なむなむ」、男の子が「にゃむにゃむ」。そのうちにこぞうさんがくるっとふりむくと、男の子に向かって、「やいやい、じゃまをするな」としかります。自分と年もかわらないこぞうさんに大きい声を出されて、男の子はむっとして、あっかんべえ。さあ、こぞうさんのおこったこと。たちまちふたりは、とっくみあいになりました。
けれど、もともと泣き虫の男の子です。けんかにかてるはずはありません。たちまちわっと泣き出しました。なみだがぼろぼろながれます。さわぎをききつけて、おしょうさんがやってきます。父親も母親もはずかしくなって、こそこそにげるようにお寺を出ていきました。

親子三人は、つかれはててむらに帰る道をとぼとぼと歩きました。泣き虫のやまいは、だれもなおせないのでしょう。この子はこのまま、いつまでも泣き虫でそだっていくのでしょう。両親は、ふあんになりました。もしもこの子がこんなまま大きくなったら、きっとみなにいじめられることになるでしょう。だれもあいてにしてくれなくなるでしょう。それはあんまりにもかわいそうです。ちゃんと生きていけなくなるかもしれません。

さみしい、うすぐらい道でした。となり村からは、木だちのしげった山の道になります。さっきお寺に行くときにはそんなふうにもおもわなかったのに、帰り道はひっそりとして、きみがわるいのです。こんなところはさっさととおりすぎてしまいたいのですけれど、おもりをつけたように足が重くなっています。ほんの半里の道のりが、どこまでつづくともしれません。
ですから、村はずれの黒龍さまが見えてきたときには、父親も母親もほっとしました。少しひらけたところにあるそのお堂のほうをながめると、まだ空に少しだけ明るさが残っているのがわかりました。水のまもり神さまですので、道すじから少しはずれた沢の近くに黒龍さまはいらっしゃいます。神さまの水とされるわき水は、それはそれはおいしいとひょうばんでした。
男の子は、のどがかわいたといいました。きっと黒龍さまの水を思い出したのでしょう。父親は、少し休んでいこうかといいました。母親もうなずきました。三人は、道をそれて、黒龍様のところまでおりていきました。
小さな滝のようになってわきだす清水は、ここちのいいものでした。のみたいだけのんでしまった男の子は、かろやかな声でわらいました。男の子は泣き虫ですけれど、けっしていつも泣いているわけではありません。きげんのいいときは、ほんとうによくわらうのです。それも、心のそこからくったくのない、うつくしい顔でわらうのです。父親も母親も、それをすっかりわすれていたような気がしました。こんなに邪気がなく、こんなに明るい子はほかにいないと思うのです。二人は、お堂のはしっこにすわって、ほれぼれと自分たちの息子をながめておりました。男の子は、二人のところに走りよってきました。母親は、男の子にほおずりしました。
そのとき、父親は、だれかが森の中をこっちにやってくる物音に気がつきました。むなさわぎのする音です。なにかおかしいのです。こんなおそくにひとがやってくるのもへんですし、森の中から出てくるのもへんです。いえ、そんなりくつよりも、とにかく、なにかふつうでない感じがするのです。
父親は、とっさに母親と男の子をおしやるようにして、お堂の中にかくれました。父親の顔つきがかわったのをみて、母親も男の子も、急にだまりこくりました。そして三人は、お堂の中で息をひそめました。
どやどやと、お堂の外は急ににぎやかになりました。父親がそっとのぞくと、お堂の前にはおそろしいすがたをしたおにどもが、わらわらとあつまっています。何十ひきいるでしょうか。せまいすきまからではわかりません。もちろん、とびらをあけるわけにもいきません。ほそいすきまから、どうかおにがこっちにきませんようにと、いのるばかりです。
おにどもは、おそろしげな声でしゃべりあいます。まるでけものがほえるようですけれど、しばらく聞いていて、父親はそれが人の言葉とそれほどかわらないのに気がつきました。はらがへったとか、はやくしろとか、そんなやりとりのなかから、だんだんとようすがわかってきます。どうやら、おにどもは、そろって村をおそうそうだんをしているようなのです。おにたちのすむ山の中、ことしはどんぐりが実りませんでした。いのししやしかも、みんなどこかにいってしまいました。くうものにこまって、おにたちは村にある食べものをうばいにいこうとかんがえたらしいのです。
「だけど、にんげんたちが手向かってきたらどうする?」
いっぴきのおにが、よわよしくたずねました。
「あいつらが、やりやかたなで向かってきたら、おれたちはかてないぜ」
おには、あんがいとよわいものなのかもしれません。
「だから、くらくなるのをまっていたんじゃないか」
べつのおにがこたえました。
「にんげんたちが向かってくるまえに、みなごろしよ」
そんなふうに、おそろしいことをいいます。
「おれたちゃ、にんげんをくうわけじゃないのに、ころすのかい?」
またべつのおにがいいます。
「くえばいいのよ」
そんな声もきこえます。なにしろおそろしいそうだんです。

父親は、はやくこのことをむらに知らせなければならないとおもいました。おにどもは、おそろしいようでもあるけれど、あんがいとおくびょうでもあるようです。力をあわせてふせげば、なんとかなるかもしれません。
けれど、まさかおもてのとびらを開いて出ていくわけにいきません。すぐそこに、おにどもがあつまっているのです。どこからか、こっそりぬけださなければなりません。けれど、せまいお堂にはほかに出口もありません。
父親は、お堂のうら手の腰板がいちまいはずれているのを見つけました。けれど、わずか板いちまいのすきまです。はしらがじゃまになって、ほかの板をはずすこともできません。
「もっとからだが小さければ、ここからぬけだして走るのに」と、小声で父親はくやしがりました。
「ぼくがいくよ」
男の子が、父親の声を聞いてささやきました。
「ぼくなら、そこをとおれる」
父親は、びっくりしました。この泣き虫の子に、そんなことができるだろうか。父親は、息子をおし止めようとしました。けれど男の子は、まっすぐに父親をみて、もういちどいいました。
「ぼくなら、とおれる。はしっていって、みんなに知らせる」
母親は、男の子のかたをぎゅっとつかみました。もちろん、そんなあぶないことをさせてはいけません。けれど、父親はしっかりと息子の目をみて、いいました。
「では、行け。しくじるなよ。けっしてみつかるんじゃないぞ」
母親は、おどろいて父親を見ました。父親は、母親をゆっくりとおしとどめました。男の子は、父親に向かって大きくうなずきました。そして、ふっと、はめ板のあいだから見えなくなりました。
とたんに、父親の顔がくしゃくしゃになりました。母親は、手のひらに顔をうずめました。そのかたを、父親がだきしめました。母親の首すじに、なみだがおちました。
そうやってふたりは、いのりつづけました。いつまでもおわらない、長い長いくるしみのときがすぎていきます。外では、あいかわらずおにどもがさわいでいます。すっかり日がくれてしまうまでまっているのでしょう。
ときどきおにのなかのいっぴきが、お堂のほうまでやってきます。とびらをあけられてしまわないかと、二人は生きたここちもありません。もしもそうなったら、せめて男の子をにがしてやったことをよろこべるのかもしれません。けれど、その男の子はぶじでしょうか。どこかでおににつかまってしまったのではないでしょうか。

ふたりはいっしょうけんめいに耳をすましました。男の子がつかまったようなけはいはありません。けれど、たすけがくるようなけはいもありません。

そして、もう何年もこんなくるしみがつづいたのではないかとおもうほどまって、あきらめかけたときに、とおくからいさましい声がきこえてきました。村の人たちです。犬のなきごえもします。けものでもかりたてるように、村の人たちがかけ声で力をつけながら、やってくるのです。

おにたちは、あわてました。だれかが、「こうなったら、たたかうんだ!」と声をかけています。その声をかきけすように、「あいつらは犬をつかってる!」「かたなややりもあるぞ」「だめだ」「森の中ににげこめ!」という声もきこえます。いろんな声が聞き分けられないぐらいにひとつにまじって、やがてそのざわめきが、なみがひくように消えていきました。

二人は、そっとお堂のとびらのすきまからのぞきました。それからすきまをちょっとだけ広げ、そして、大きく広げました。おにたちは、かげもかたちもありません。いっぴきのこらず森の中ににげてしまったのでしょう。
外に出ると、ちょうど、村人たちが坂道を下ってくるのが見えました。
「おおい、ここだ!」と、ふたりはよびました。むらびとたちはぞろぞろとやってくると、「だいじょうぶだったか」とか、「うむ、これはひどくふみあらされているな」とかいいました。黒龍さまの前は、まるでまつりのあとの地面のようでした。おそろしいたくらみがあったことを、だれひとりうたがいませんでした。なかのひとりが、森にむかって矢をうちこみました。よこしまなものがもどってこないようにと、いのりをこめたまじないでした。

そんなおおさわぎのなか、村人たちのさいごにおくれるようにして、男の子がとぼとぼとやってくるのが父親には見えました。母親も気づきました。ふたりは男の子にかけよりました。
男の子は、ぼろぼろと大つぶのなみだをこぼしていました。母親も父親も、まけずに大きななみだをながしました。三人のなみだはやがてひとつになって、大きなわらい声になりました。村役のおとこが、竹でつくったやりをそっとおいて、三人に話しかけました。みなが男の子をたたえて、ひときわ大きな声をあげました。

それからというもの、母親も父親も、男の子が泣くのをあまり気にしなくなりました。もちろん、男の子はいつまでも泣き虫でした。泣きむしでもかまわないと、だれもがそう思うようになったのでしょうね。
(初出:June 27, 2010)
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    作者について

    私の家は保育園のすぐ近く、そして薪ストーブがあります。そこで、冬季限定のお楽しみとして、薪ストーブの火を囲んでのおはなし会に年長児さんを招待することになりました。そのおはなし会で使ったネタを、ここで紹介していきます。

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