むかしむかし、あるところにひとりの泣きむしの男の子がおりました。もう七つにもなるというのに、この男の子、すぐに泣くのです。ごはんのおかずがにがいといっては泣き、毛虫がきもちわるいといっては泣き、くらい夜がさみしいといっては泣きます。あまりにわがままかってに泣くので父親も母親も、ほとほとこまっておりました。
こんなに泣くのは、どこかからだによくないところがあるのではないだろうか。そう思った父親と母親は、お医者さまのところにこの子をつれていくことにしました。
お医者さまは、たいそう年をとった先生で、もごもごもごもごと、なにやらむずかしそうなことをおっしゃいます。さぞ学問のふかいおかたなのでありましょう。むらでたったひとりの、だいじな先生です。
この先生、男の子のことを頭のてっぺんから足の先まで、とっくりとながめました。ふうむとうでを組むと、つぎに手首のみゃくをとり、足首のみゃくをとり、首のところでみゃくをとり、鼻の頭でみゃくをとりました。それからなにやらぶつぶつと口の中でいって、頭をふりました。そのようすを見て、父親も母親も、たいへん心配をいたしました。なにかこの子に、とんでもない病気でもあるのではないかと思ったのです。それから先生は、この子に舌を出させ、ひっくり返してうらがわを見て、それからのどちんこまでしらべました。まぶたをひっくり返し、頭をたたき、むねのこどうを聞いて、背中のすじをしらべ、お尻をつるりとなでました。それから大きくうなづくと、
「どこも、わるくはないようですなあ」と、もごもごした声で言いました。
父親は、「さすが先生、ていねいにしらべてくださった。どこもわるくはないというのなら、これでまずは、ひと安心」とよろこびました。
しかし、母親のほうは、「あれだけしらべてなにも見つけられなかったのは、ずいぶんとあの先生もやぶ医者だ」というのです。
父親は、「いや、どこもわるくないというのだから」というのですが、母親は、「だったらこの子がこんなに泣くのはおかしいじゃないですか。どこもわるくないのなら、よその家の子どものように、七つにもなったらすこしはしゃんとするものです。まるで赤ん坊のように泣くのは、どこかがわるいにきまっています」というのです。
父親と母親が、そんなふうにいいあらそいをしていると、男の子はまたもやわっと泣きはじめます。やっぱりこれはほうっておけないと、父親と母親は相談して、まじない師のばあさまのところに男の子をつれていくことにしました。
まじない師のばあさまは、家の前の畑に出ておられました。こしのほうが頭よりも高くなるほどこしのまがった年よりです。なんじゃとばかりに上げた顔は、しわだらけ。顔の中にしわがあるのか、しわの中に顔があるのか、わからないほどです。
このばあさま、父親と母親の話を聞くと、男の子のほうをじろりと見ました。じろりと見られて男の子は、びくっと声をふるわせました。ふうむ、と、ばあさまは口の中でつぶやくと、なにやらじゅもんをとなえはじめました。そのわなわなわなわなとした声が、まるでじごくのそこからひびいてくるようだったので、男の子はびっくりして泣きはじめました。ばあさまは、こばかにしたような目で男の子を見ると、どろだらけの両手でいんをむすびました。そして、男の子の頭に向かって、えいっといんを切りました。それから、「なに、これでこの子は泣きませんよ」というと、畑仕事にもどってしまいました。
けれど、男の子は、泣かないどころか、いつまでたってもしゃっくりあげがとまりません。父親は、「やっぱりあんなばあさんにたのんだのがいけなかったんだ」と、かたをすくめます。母親は、「あんたもさんせいしたじゃない」と、口ごたえをします。そのようすをみて、男の子は前よりもっと、はげしく泣きます。
そこでふたりは、男の子をとなり村にあるお寺につれていくことにしました。ぼうさまに、ありがたいお経をとなえていただこうというのです。
お寺のおしょうさまはたいそうりっぱなおかたで、金色のけさをかけておつとめをされておられます。上等のお茶を飲みながら、おしょうさまは、両親の話を聞きました。
「さよう、こういうことによらず、なにごとにも、ほとけさまにおすがりなさるのは、たいへんよいことでありますな」
そういって、おしょうさまは、にっこりおわらいになりました。そして、こんなふうにおっしゃいました。
「ほとけさまにおすがりになるには、まずはそのお心をいただかねばなりせんが、さて、おふせはいかほどおもちでしょうかな」
「はい。お米が一升ばかりございます」
父親はこのように答えました。すると、おしょうさまはふっとおわらいになりました。そして、「ちんねんや、ちんねんや」と、声を上げて、こぞうさんをおよびになりました。
「ちんねん、そちがこの子のためにひとつ維摩経でも読んでおあげなさい」
「あの、おしょうさまには読んでいただけないのでしょうか」
母親がおそるおそる聞きますと、おしょうさまは鼻でフッといきをふき、こうおっしゃいました。
「そのおふせでは、こぼうずぐらいがみのほどでしょうな。なに、ほとけさまのみ心にはかわりはありませんよ」
親子三人は、こぞうさんにつれられて、お堂にとおされました。こぞうさんは、「なむなむなむ」と、口の中でお経をとなえます。男の子は、おもしろがってそのまねをします。こぞうさんが「なむなむ」、男の子が「にゃむにゃむ」。そのうちにこぞうさんがくるっとふりむくと、男の子に向かって、「やいやい、じゃまをするな」としかります。自分と年もかわらないこぞうさんに大きい声を出されて、男の子はむっとして、あっかんべえ。さあ、こぞうさんのおこったこと。たちまちふたりは、とっくみあいになりました。
けれど、もともと泣き虫の男の子です。けんかにかてるはずはありません。たちまちわっと泣き出しました。なみだがぼろぼろながれます。さわぎをききつけて、おしょうさんがやってきます。父親も母親もはずかしくなって、こそこそにげるようにお寺を出ていきました。
親子三人は、つかれはててむらに帰る道をとぼとぼと歩きました。泣き虫のやまいは、だれもなおせないのでしょう。この子はこのまま、いつまでも泣き虫でそだっていくのでしょう。両親は、ふあんになりました。もしもこの子がこんなまま大きくなったら、きっとみなにいじめられることになるでしょう。だれもあいてにしてくれなくなるでしょう。それはあんまりにもかわいそうです。ちゃんと生きていけなくなるかもしれません。
さみしい、うすぐらい道でした。となり村からは、木だちのしげった山の道になります。さっきお寺に行くときにはそんなふうにもおもわなかったのに、帰り道はひっそりとして、きみがわるいのです。こんなところはさっさととおりすぎてしまいたいのですけれど、おもりをつけたように足が重くなっています。ほんの半里の道のりが、どこまでつづくともしれません。
ですから、村はずれの黒龍さまが見えてきたときには、父親も母親もほっとしました。少しひらけたところにあるそのお堂のほうをながめると、まだ空に少しだけ明るさが残っているのがわかりました。水のまもり神さまですので、道すじから少しはずれた沢の近くに黒龍さまはいらっしゃいます。神さまの水とされるわき水は、それはそれはおいしいとひょうばんでした。
男の子は、のどがかわいたといいました。きっと黒龍さまの水を思い出したのでしょう。父親は、少し休んでいこうかといいました。母親もうなずきました。三人は、道をそれて、黒龍様のところまでおりていきました。
小さな滝のようになってわきだす清水は、ここちのいいものでした。のみたいだけのんでしまった男の子は、かろやかな声でわらいました。男の子は泣き虫ですけれど、けっしていつも泣いているわけではありません。きげんのいいときは、ほんとうによくわらうのです。それも、心のそこからくったくのない、うつくしい顔でわらうのです。父親も母親も、それをすっかりわすれていたような気がしました。こんなに邪気がなく、こんなに明るい子はほかにいないと思うのです。二人は、お堂のはしっこにすわって、ほれぼれと自分たちの息子をながめておりました。男の子は、二人のところに走りよってきました。母親は、男の子にほおずりしました。
そのとき、父親は、だれかが森の中をこっちにやってくる物音に気がつきました。むなさわぎのする音です。なにかおかしいのです。こんなおそくにひとがやってくるのもへんですし、森の中から出てくるのもへんです。いえ、そんなりくつよりも、とにかく、なにかふつうでない感じがするのです。
父親は、とっさに母親と男の子をおしやるようにして、お堂の中にかくれました。父親の顔つきがかわったのをみて、母親も男の子も、急にだまりこくりました。そして三人は、お堂の中で息をひそめました。
どやどやと、お堂の外は急ににぎやかになりました。父親がそっとのぞくと、お堂の前にはおそろしいすがたをしたおにどもが、わらわらとあつまっています。何十ひきいるでしょうか。せまいすきまからではわかりません。もちろん、とびらをあけるわけにもいきません。ほそいすきまから、どうかおにがこっちにきませんようにと、いのるばかりです。
おにどもは、おそろしげな声でしゃべりあいます。まるでけものがほえるようですけれど、しばらく聞いていて、父親はそれが人の言葉とそれほどかわらないのに気がつきました。はらがへったとか、はやくしろとか、そんなやりとりのなかから、だんだんとようすがわかってきます。どうやら、おにどもは、そろって村をおそうそうだんをしているようなのです。おにたちのすむ山の中、ことしはどんぐりが実りませんでした。いのししやしかも、みんなどこかにいってしまいました。くうものにこまって、おにたちは村にある食べものをうばいにいこうとかんがえたらしいのです。
「だけど、にんげんたちが手向かってきたらどうする?」
いっぴきのおにが、よわよしくたずねました。
「あいつらが、やりやかたなで向かってきたら、おれたちはかてないぜ」
おには、あんがいとよわいものなのかもしれません。
「だから、くらくなるのをまっていたんじゃないか」
べつのおにがこたえました。
「にんげんたちが向かってくるまえに、みなごろしよ」
そんなふうに、おそろしいことをいいます。
「おれたちゃ、にんげんをくうわけじゃないのに、ころすのかい?」
またべつのおにがいいます。
「くえばいいのよ」
そんな声もきこえます。なにしろおそろしいそうだんです。
父親は、はやくこのことをむらに知らせなければならないとおもいました。おにどもは、おそろしいようでもあるけれど、あんがいとおくびょうでもあるようです。力をあわせてふせげば、なんとかなるかもしれません。
けれど、まさかおもてのとびらを開いて出ていくわけにいきません。すぐそこに、おにどもがあつまっているのです。どこからか、こっそりぬけださなければなりません。けれど、せまいお堂にはほかに出口もありません。
父親は、お堂のうら手の腰板がいちまいはずれているのを見つけました。けれど、わずか板いちまいのすきまです。はしらがじゃまになって、ほかの板をはずすこともできません。
「もっとからだが小さければ、ここからぬけだして走るのに」と、小声で父親はくやしがりました。
「ぼくがいくよ」
男の子が、父親の声を聞いてささやきました。
「ぼくなら、そこをとおれる」
父親は、びっくりしました。この泣き虫の子に、そんなことができるだろうか。父親は、息子をおし止めようとしました。けれど男の子は、まっすぐに父親をみて、もういちどいいました。
「ぼくなら、とおれる。はしっていって、みんなに知らせる」
母親は、男の子のかたをぎゅっとつかみました。もちろん、そんなあぶないことをさせてはいけません。けれど、父親はしっかりと息子の目をみて、いいました。
「では、行け。しくじるなよ。けっしてみつかるんじゃないぞ」
母親は、おどろいて父親を見ました。父親は、母親をゆっくりとおしとどめました。男の子は、父親に向かって大きくうなずきました。そして、ふっと、はめ板のあいだから見えなくなりました。
とたんに、父親の顔がくしゃくしゃになりました。母親は、手のひらに顔をうずめました。そのかたを、父親がだきしめました。母親の首すじに、なみだがおちました。
そうやってふたりは、いのりつづけました。いつまでもおわらない、長い長いくるしみのときがすぎていきます。外では、あいかわらずおにどもがさわいでいます。すっかり日がくれてしまうまでまっているのでしょう。
ときどきおにのなかのいっぴきが、お堂のほうまでやってきます。とびらをあけられてしまわないかと、二人は生きたここちもありません。もしもそうなったら、せめて男の子をにがしてやったことをよろこべるのかもしれません。けれど、その男の子はぶじでしょうか。どこかでおににつかまってしまったのではないでしょうか。
ふたりはいっしょうけんめいに耳をすましました。男の子がつかまったようなけはいはありません。けれど、たすけがくるようなけはいもありません。
そして、もう何年もこんなくるしみがつづいたのではないかとおもうほどまって、あきらめかけたときに、とおくからいさましい声がきこえてきました。村の人たちです。犬のなきごえもします。けものでもかりたてるように、村の人たちがかけ声で力をつけながら、やってくるのです。
おにたちは、あわてました。だれかが、「こうなったら、たたかうんだ!」と声をかけています。その声をかきけすように、「あいつらは犬をつかってる!」「かたなややりもあるぞ」「だめだ」「森の中ににげこめ!」という声もきこえます。いろんな声が聞き分けられないぐらいにひとつにまじって、やがてそのざわめきが、なみがひくように消えていきました。
二人は、そっとお堂のとびらのすきまからのぞきました。それからすきまをちょっとだけ広げ、そして、大きく広げました。おにたちは、かげもかたちもありません。いっぴきのこらず森の中ににげてしまったのでしょう。
外に出ると、ちょうど、村人たちが坂道を下ってくるのが見えました。
「おおい、ここだ!」と、ふたりはよびました。むらびとたちはぞろぞろとやってくると、「だいじょうぶだったか」とか、「うむ、これはひどくふみあらされているな」とかいいました。黒龍さまの前は、まるでまつりのあとの地面のようでした。おそろしいたくらみがあったことを、だれひとりうたがいませんでした。なかのひとりが、森にむかって矢をうちこみました。よこしまなものがもどってこないようにと、いのりをこめたまじないでした。
そんなおおさわぎのなか、村人たちのさいごにおくれるようにして、男の子がとぼとぼとやってくるのが父親には見えました。母親も気づきました。ふたりは男の子にかけよりました。
男の子は、ぼろぼろと大つぶのなみだをこぼしていました。母親も父親も、まけずに大きななみだをながしました。三人のなみだはやがてひとつになって、大きなわらい声になりました。村役のおとこが、竹でつくったやりをそっとおいて、三人に話しかけました。みなが男の子をたたえて、ひときわ大きな声をあげました。
それからというもの、母親も父親も、男の子が泣くのをあまり気にしなくなりました。もちろん、男の子はいつまでも泣き虫でした。泣きむしでもかまわないと、だれもがそう思うようになったのでしょうね。
こんなに泣くのは、どこかからだによくないところがあるのではないだろうか。そう思った父親と母親は、お医者さまのところにこの子をつれていくことにしました。
お医者さまは、たいそう年をとった先生で、もごもごもごもごと、なにやらむずかしそうなことをおっしゃいます。さぞ学問のふかいおかたなのでありましょう。むらでたったひとりの、だいじな先生です。
この先生、男の子のことを頭のてっぺんから足の先まで、とっくりとながめました。ふうむとうでを組むと、つぎに手首のみゃくをとり、足首のみゃくをとり、首のところでみゃくをとり、鼻の頭でみゃくをとりました。それからなにやらぶつぶつと口の中でいって、頭をふりました。そのようすを見て、父親も母親も、たいへん心配をいたしました。なにかこの子に、とんでもない病気でもあるのではないかと思ったのです。それから先生は、この子に舌を出させ、ひっくり返してうらがわを見て、それからのどちんこまでしらべました。まぶたをひっくり返し、頭をたたき、むねのこどうを聞いて、背中のすじをしらべ、お尻をつるりとなでました。それから大きくうなづくと、
「どこも、わるくはないようですなあ」と、もごもごした声で言いました。
父親は、「さすが先生、ていねいにしらべてくださった。どこもわるくはないというのなら、これでまずは、ひと安心」とよろこびました。
しかし、母親のほうは、「あれだけしらべてなにも見つけられなかったのは、ずいぶんとあの先生もやぶ医者だ」というのです。
父親は、「いや、どこもわるくないというのだから」というのですが、母親は、「だったらこの子がこんなに泣くのはおかしいじゃないですか。どこもわるくないのなら、よその家の子どものように、七つにもなったらすこしはしゃんとするものです。まるで赤ん坊のように泣くのは、どこかがわるいにきまっています」というのです。
父親と母親が、そんなふうにいいあらそいをしていると、男の子はまたもやわっと泣きはじめます。やっぱりこれはほうっておけないと、父親と母親は相談して、まじない師のばあさまのところに男の子をつれていくことにしました。
まじない師のばあさまは、家の前の畑に出ておられました。こしのほうが頭よりも高くなるほどこしのまがった年よりです。なんじゃとばかりに上げた顔は、しわだらけ。顔の中にしわがあるのか、しわの中に顔があるのか、わからないほどです。
このばあさま、父親と母親の話を聞くと、男の子のほうをじろりと見ました。じろりと見られて男の子は、びくっと声をふるわせました。ふうむ、と、ばあさまは口の中でつぶやくと、なにやらじゅもんをとなえはじめました。そのわなわなわなわなとした声が、まるでじごくのそこからひびいてくるようだったので、男の子はびっくりして泣きはじめました。ばあさまは、こばかにしたような目で男の子を見ると、どろだらけの両手でいんをむすびました。そして、男の子の頭に向かって、えいっといんを切りました。それから、「なに、これでこの子は泣きませんよ」というと、畑仕事にもどってしまいました。
けれど、男の子は、泣かないどころか、いつまでたってもしゃっくりあげがとまりません。父親は、「やっぱりあんなばあさんにたのんだのがいけなかったんだ」と、かたをすくめます。母親は、「あんたもさんせいしたじゃない」と、口ごたえをします。そのようすをみて、男の子は前よりもっと、はげしく泣きます。
そこでふたりは、男の子をとなり村にあるお寺につれていくことにしました。ぼうさまに、ありがたいお経をとなえていただこうというのです。
お寺のおしょうさまはたいそうりっぱなおかたで、金色のけさをかけておつとめをされておられます。上等のお茶を飲みながら、おしょうさまは、両親の話を聞きました。
「さよう、こういうことによらず、なにごとにも、ほとけさまにおすがりなさるのは、たいへんよいことでありますな」
そういって、おしょうさまは、にっこりおわらいになりました。そして、こんなふうにおっしゃいました。
「ほとけさまにおすがりになるには、まずはそのお心をいただかねばなりせんが、さて、おふせはいかほどおもちでしょうかな」
「はい。お米が一升ばかりございます」
父親はこのように答えました。すると、おしょうさまはふっとおわらいになりました。そして、「ちんねんや、ちんねんや」と、声を上げて、こぞうさんをおよびになりました。
「ちんねん、そちがこの子のためにひとつ維摩経でも読んでおあげなさい」
「あの、おしょうさまには読んでいただけないのでしょうか」
母親がおそるおそる聞きますと、おしょうさまは鼻でフッといきをふき、こうおっしゃいました。
「そのおふせでは、こぼうずぐらいがみのほどでしょうな。なに、ほとけさまのみ心にはかわりはありませんよ」
親子三人は、こぞうさんにつれられて、お堂にとおされました。こぞうさんは、「なむなむなむ」と、口の中でお経をとなえます。男の子は、おもしろがってそのまねをします。こぞうさんが「なむなむ」、男の子が「にゃむにゃむ」。そのうちにこぞうさんがくるっとふりむくと、男の子に向かって、「やいやい、じゃまをするな」としかります。自分と年もかわらないこぞうさんに大きい声を出されて、男の子はむっとして、あっかんべえ。さあ、こぞうさんのおこったこと。たちまちふたりは、とっくみあいになりました。
けれど、もともと泣き虫の男の子です。けんかにかてるはずはありません。たちまちわっと泣き出しました。なみだがぼろぼろながれます。さわぎをききつけて、おしょうさんがやってきます。父親も母親もはずかしくなって、こそこそにげるようにお寺を出ていきました。
親子三人は、つかれはててむらに帰る道をとぼとぼと歩きました。泣き虫のやまいは、だれもなおせないのでしょう。この子はこのまま、いつまでも泣き虫でそだっていくのでしょう。両親は、ふあんになりました。もしもこの子がこんなまま大きくなったら、きっとみなにいじめられることになるでしょう。だれもあいてにしてくれなくなるでしょう。それはあんまりにもかわいそうです。ちゃんと生きていけなくなるかもしれません。
さみしい、うすぐらい道でした。となり村からは、木だちのしげった山の道になります。さっきお寺に行くときにはそんなふうにもおもわなかったのに、帰り道はひっそりとして、きみがわるいのです。こんなところはさっさととおりすぎてしまいたいのですけれど、おもりをつけたように足が重くなっています。ほんの半里の道のりが、どこまでつづくともしれません。
ですから、村はずれの黒龍さまが見えてきたときには、父親も母親もほっとしました。少しひらけたところにあるそのお堂のほうをながめると、まだ空に少しだけ明るさが残っているのがわかりました。水のまもり神さまですので、道すじから少しはずれた沢の近くに黒龍さまはいらっしゃいます。神さまの水とされるわき水は、それはそれはおいしいとひょうばんでした。
男の子は、のどがかわいたといいました。きっと黒龍さまの水を思い出したのでしょう。父親は、少し休んでいこうかといいました。母親もうなずきました。三人は、道をそれて、黒龍様のところまでおりていきました。
小さな滝のようになってわきだす清水は、ここちのいいものでした。のみたいだけのんでしまった男の子は、かろやかな声でわらいました。男の子は泣き虫ですけれど、けっしていつも泣いているわけではありません。きげんのいいときは、ほんとうによくわらうのです。それも、心のそこからくったくのない、うつくしい顔でわらうのです。父親も母親も、それをすっかりわすれていたような気がしました。こんなに邪気がなく、こんなに明るい子はほかにいないと思うのです。二人は、お堂のはしっこにすわって、ほれぼれと自分たちの息子をながめておりました。男の子は、二人のところに走りよってきました。母親は、男の子にほおずりしました。
そのとき、父親は、だれかが森の中をこっちにやってくる物音に気がつきました。むなさわぎのする音です。なにかおかしいのです。こんなおそくにひとがやってくるのもへんですし、森の中から出てくるのもへんです。いえ、そんなりくつよりも、とにかく、なにかふつうでない感じがするのです。
父親は、とっさに母親と男の子をおしやるようにして、お堂の中にかくれました。父親の顔つきがかわったのをみて、母親も男の子も、急にだまりこくりました。そして三人は、お堂の中で息をひそめました。
どやどやと、お堂の外は急ににぎやかになりました。父親がそっとのぞくと、お堂の前にはおそろしいすがたをしたおにどもが、わらわらとあつまっています。何十ひきいるでしょうか。せまいすきまからではわかりません。もちろん、とびらをあけるわけにもいきません。ほそいすきまから、どうかおにがこっちにきませんようにと、いのるばかりです。
おにどもは、おそろしげな声でしゃべりあいます。まるでけものがほえるようですけれど、しばらく聞いていて、父親はそれが人の言葉とそれほどかわらないのに気がつきました。はらがへったとか、はやくしろとか、そんなやりとりのなかから、だんだんとようすがわかってきます。どうやら、おにどもは、そろって村をおそうそうだんをしているようなのです。おにたちのすむ山の中、ことしはどんぐりが実りませんでした。いのししやしかも、みんなどこかにいってしまいました。くうものにこまって、おにたちは村にある食べものをうばいにいこうとかんがえたらしいのです。
「だけど、にんげんたちが手向かってきたらどうする?」
いっぴきのおにが、よわよしくたずねました。
「あいつらが、やりやかたなで向かってきたら、おれたちはかてないぜ」
おには、あんがいとよわいものなのかもしれません。
「だから、くらくなるのをまっていたんじゃないか」
べつのおにがこたえました。
「にんげんたちが向かってくるまえに、みなごろしよ」
そんなふうに、おそろしいことをいいます。
「おれたちゃ、にんげんをくうわけじゃないのに、ころすのかい?」
またべつのおにがいいます。
「くえばいいのよ」
そんな声もきこえます。なにしろおそろしいそうだんです。
父親は、はやくこのことをむらに知らせなければならないとおもいました。おにどもは、おそろしいようでもあるけれど、あんがいとおくびょうでもあるようです。力をあわせてふせげば、なんとかなるかもしれません。
けれど、まさかおもてのとびらを開いて出ていくわけにいきません。すぐそこに、おにどもがあつまっているのです。どこからか、こっそりぬけださなければなりません。けれど、せまいお堂にはほかに出口もありません。
父親は、お堂のうら手の腰板がいちまいはずれているのを見つけました。けれど、わずか板いちまいのすきまです。はしらがじゃまになって、ほかの板をはずすこともできません。
「もっとからだが小さければ、ここからぬけだして走るのに」と、小声で父親はくやしがりました。
「ぼくがいくよ」
男の子が、父親の声を聞いてささやきました。
「ぼくなら、そこをとおれる」
父親は、びっくりしました。この泣き虫の子に、そんなことができるだろうか。父親は、息子をおし止めようとしました。けれど男の子は、まっすぐに父親をみて、もういちどいいました。
「ぼくなら、とおれる。はしっていって、みんなに知らせる」
母親は、男の子のかたをぎゅっとつかみました。もちろん、そんなあぶないことをさせてはいけません。けれど、父親はしっかりと息子の目をみて、いいました。
「では、行け。しくじるなよ。けっしてみつかるんじゃないぞ」
母親は、おどろいて父親を見ました。父親は、母親をゆっくりとおしとどめました。男の子は、父親に向かって大きくうなずきました。そして、ふっと、はめ板のあいだから見えなくなりました。
とたんに、父親の顔がくしゃくしゃになりました。母親は、手のひらに顔をうずめました。そのかたを、父親がだきしめました。母親の首すじに、なみだがおちました。
そうやってふたりは、いのりつづけました。いつまでもおわらない、長い長いくるしみのときがすぎていきます。外では、あいかわらずおにどもがさわいでいます。すっかり日がくれてしまうまでまっているのでしょう。
ときどきおにのなかのいっぴきが、お堂のほうまでやってきます。とびらをあけられてしまわないかと、二人は生きたここちもありません。もしもそうなったら、せめて男の子をにがしてやったことをよろこべるのかもしれません。けれど、その男の子はぶじでしょうか。どこかでおににつかまってしまったのではないでしょうか。
ふたりはいっしょうけんめいに耳をすましました。男の子がつかまったようなけはいはありません。けれど、たすけがくるようなけはいもありません。
そして、もう何年もこんなくるしみがつづいたのではないかとおもうほどまって、あきらめかけたときに、とおくからいさましい声がきこえてきました。村の人たちです。犬のなきごえもします。けものでもかりたてるように、村の人たちがかけ声で力をつけながら、やってくるのです。
おにたちは、あわてました。だれかが、「こうなったら、たたかうんだ!」と声をかけています。その声をかきけすように、「あいつらは犬をつかってる!」「かたなややりもあるぞ」「だめだ」「森の中ににげこめ!」という声もきこえます。いろんな声が聞き分けられないぐらいにひとつにまじって、やがてそのざわめきが、なみがひくように消えていきました。
二人は、そっとお堂のとびらのすきまからのぞきました。それからすきまをちょっとだけ広げ、そして、大きく広げました。おにたちは、かげもかたちもありません。いっぴきのこらず森の中ににげてしまったのでしょう。
外に出ると、ちょうど、村人たちが坂道を下ってくるのが見えました。
「おおい、ここだ!」と、ふたりはよびました。むらびとたちはぞろぞろとやってくると、「だいじょうぶだったか」とか、「うむ、これはひどくふみあらされているな」とかいいました。黒龍さまの前は、まるでまつりのあとの地面のようでした。おそろしいたくらみがあったことを、だれひとりうたがいませんでした。なかのひとりが、森にむかって矢をうちこみました。よこしまなものがもどってこないようにと、いのりをこめたまじないでした。
そんなおおさわぎのなか、村人たちのさいごにおくれるようにして、男の子がとぼとぼとやってくるのが父親には見えました。母親も気づきました。ふたりは男の子にかけよりました。
男の子は、ぼろぼろと大つぶのなみだをこぼしていました。母親も父親も、まけずに大きななみだをながしました。三人のなみだはやがてひとつになって、大きなわらい声になりました。村役のおとこが、竹でつくったやりをそっとおいて、三人に話しかけました。みなが男の子をたたえて、ひときわ大きな声をあげました。
それからというもの、母親も父親も、男の子が泣くのをあまり気にしなくなりました。もちろん、男の子はいつまでも泣き虫でした。泣きむしでもかまわないと、だれもがそう思うようになったのでしょうね。
(初出:June 27, 2010)