岩だなのはしから落ちる雨だれがすみれの花びらをゆらすのを、鬼はひざをかかえてながめておりました。雨がつづきます。こんな日は、岩あなのおくに寝っころがって夢でも見ているのがいいのです。そうすればお腹もへらず、つかれることもありません。気持ちがざわめくこともなければ、けがや病気をする心配もありません。
けれど、鬼はさっきから外に出たくてしかたありません。雲が切れないかと、何度も空を見上げます。空はどこまでも灰色です。鬼はうなだれてしまいます。鬼の目に、すみれの花がうつります。すみれは、雨の中でもあざやかな紫です。むしろ、ぬれた花びらは、すきとおった光をはなつようです。
雨などかまわない。鬼はそう思います。このまま飛び出して、いつもの野原に行ってみようと思います。森と野原のさかいめのあの岩のあたり、いつものようにあの男の子が遊んでいるかもしれません。
けれど、鬼はひくく笑って、そんな考えをうち消します。雨の日に、人間の男の子が野原に遊びに出ているはずはないのです。人間の子は、雨の日には家の中にいるはずです。
じゃあ、男の子の家まで行ってみようか。鬼はふっとでも思ったそんな自分にあきれました。人間は、鬼をこわがるものです。だってそうじゃないですか。鬼は、おじけづいた人間の心が生み出した生き物です。人間は、やみの夜に、森のおくに、山の暗がりに、おそれをいだきます。そんなおそれが、鬼を生み出します。
いや、反対なのかもしれません。鬼は明るいところではおちつきません。あまりに開けたところは、なんだかうさんくさく感じます。力の弱い者を見下します。そんな鬼のうたがいの気持ち、いやしむ気持ちが、人間を生んだのだともいえるでしょう。人間は、鬼の心が生み出した生き物です。
だから、鬼と人間は、おそれあい、にくしみあうのがあたりまえです。それなのに、男の子の家に行ってみようなんて、なんのまよいで思ったにしてもばかなことです。たちまち大さわぎが起こるでしょう。鬼は、けっして人間の里におりてはならないものなのです。
けれど、この気持ちはなんなんだろうと、鬼は思います。あの男の子に出会うまで、鬼は、こんな気持ちになったことはありませんでした。こんな気持ちがあるということさえ、思いもよりませんでした。男の子にあうのが楽しみなのです。男の子にあえなければつまらないのです。いったいどうしたことでしょう。
あれは、天気のよい春の日のことでした。鬼は森のはずれ、野原とのさかいにある大きな岩のかげに寝そべっておりました。寝っころがっていればお腹もへらず、つかれることもありません。けがや病気の心配もありません。この真っ黒な岩は、あぶないものから身をかくしてくれます。だから鬼は、用心もせずに空を見上げます。風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりに目を細めます。
ふと鬼は、この心地よく耳にながれこんでくる音が、風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりだけではないことに気がつきました。笑い声なのです。
ほんとうなら、鬼はここで用心するはずです。人間の笑い声です。ろくなことはありません。人間は、疑い深い心で鬼を憎みます。人間は、ずるがしこい知恵で鬼を追い詰めます。人間は、明るい光で鬼のすみかを変えてしまいます。だから人間には用心しなければなりません。人間の笑い声は、その中でもいちばん気をつけなければならないもののはずです。
けれど、このとき、鬼はうかうかとその笑い声を聞き過ごしていました。風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりと同じように、心地よく感じながら、あいかわらず空を見上げておりました。気がついてはいたけれど、用心できなかったのです。
と、笑い声の主があらわれました。男の子です。鬼は、ちょっととまどいました。さて、追い払えばいいのか、逃げたものか。いや、その前に子どもの方から逃げ出すだろう。けれど、男の子は寝ころんでいる鬼にまっすぐ近づいてくると、小山のようなそのからだにのぼりはじめました。
鬼は笑いました。くすぐったかったのです。男の子をおどろかさないように、そっとからだを動かすと、「やめろよ」と言って、男の子をつまみあげました。
男の子は、もちあげられて、けたけたと笑いました。どさっと地面に下ろしてやると、ひっくりかえって喜びます。そこで鬼は、もういちど男の子を軽々と持ち上げると、立ち上がって、頭の上にかざしました。ふうわり、と男の子を投げるふりをして、しっかりと受け止めました。男の子は、いっそう楽しそうに声をあげました。
それからです。鬼がこの野原と森のさかいめの岩に行くのを楽しみにするようになったのは。暑い日も寒い日も、男の子はきまってそこに遊びにきました。すがたが見えないときは、岩の上に立って見回すと、近くのしげみからかけてくるのがわかりました。男の子も、鬼と遊ぶのがすっかり気に入ってしまっていたのです。ふたりは、日がかたむくまでじゃれあいながら遊びました。遊びつかれると、鬼はごろりと横になりました。男の子は鬼の上にのぼって、けむくじゃらの腹の上で気持ちよさそうにまるくなるのでした。
男の子が鬼と遊んでいるあいだ、男の子のお父とお母は野良ではたらいておりました。男の子がどこに遊びにいっているか、まるで知らなかったのですが、男の子が日暮れにはきちんともどってくるので、あまり気にもしていませんでした。ふたりとも、ひどくいそがしかったのです。
なにしろ、百姓はいそがしいものであります。お天道さまが上がる前から田畑がよんでいます。田植えがすんでからは、朝の暗いうちに起きて水まわりです。ぐるっとまわってもどってきて、どろも落とさずに朝飯をかきこんだら、草とりです。その合間にせんざいの野菜の世話もしなければならないし、豆の土よせも、麦のこなしも、やっておかなければならない仕事です。
本当ならば、男の子は六つにもなればこんないそがしい仕事の中でいくらかは自分のできることをみつけるものです。見よう見まねで百姓をおぼえて、だんだんに一人前になっていきます。ところがこの男の子は、六つになっても七つになっても、遊んでいます。仕事を教えられないのです。男の子は、言葉がしゃべれないのでした。
たいていの子は、数えで三つ、四つにもなれば言葉をしゃべるようになります。早い子もおそい子もいますから、両親が気がついたのは男の子が五つになったときでした。たしかに男の子は、何か言おうとします。けれど出てくるのは、鳥がなくような音ばかり。お父、お母とさえ言えません。言われたことは、わかっているような、わかっていないような、あいまいなところがあります。素直な子でありまして、親の言うことにさからうこともありません。ですが、細かなことがのみこめないようです。手伝いをやってみさせても、さっぱり役に立ちません。しかりつけると、鳥がなくような声を立てるばかりです。しかたなく、遊ばせておくしかないわけであります。
それでなくともいそがしい百姓です。遊んでいる子どものめんどうなど、みていられません。同じ年ごろの子どもは、みな野良ではたらいています。しかたなく、この男の子はひとりで遊ぶようになりました。男の子がどこまで遊びにいっているのか、だれも知らないのです。鬼と遊んでいると知ったら、お父もお母も肝をつぶすことでしょう。知らないことがしあわせと、そんなこともあるのです。
何日かふりつづいた雨があがりました。鬼は、すっかりうれしくなって野原に出かけました。いつものようにあの岩までくると、もう男の子がまっています。男の子も、ひさしぶりに鬼にあえてうれしいようでした。さっそく鬼の足にじゃれついては、けたけたと笑います。鬼は、男の子を高く投げ上げると、ふわりとうけとめました。あらっぽい遊びですが、男の子がけがをしないように、じゅうぶんに気をつけています。鬼は、力が強いだけでなく、ぬけめない気配りもできるのありました。
そんなふうに楽しく遊んでおった鬼と男の子でありました。ところがふいっと、鬼は気がつきました。なにやらおかしなにおいが風にまじっているのです。鬼は、男の子をだきあげたまま、岩の上にのぼってみました。見はるかすと、野原のはてにけむりが立っております。男の子の村があるところです。その黒いけむりは、のんびりとしたかまどのけむりや、たき火のけむりとはちがいます。まちがいなく、なにかがおかしいのです。
どうやら、人間どもがいくさをしておるらしい。鬼は思いました。人間というのは、おろかなものです。力もないくせに、なかまうちであらそいごとをおこします。ひとりではなにもできないくせに、集まるとらんぼうをはたらきます。やらせておけばよい。鬼はあざ笑いました。
そのときです。男の子が、鳥がなくような声をあげました。鬼はびっくりして、男の子の顔をまじまじと見ました。これまで男の子がこんな声を出すところを見たことがなかったのです。男の子は、さかんに手をふって、また何かさけびました。
燃える村には、お父とお母がいる。男の子がおびえているわけが、ようやく鬼にものみこめました。鬼は、すこしまよいました。人間どものあらそいに、鬼が口を出すことはありません。けれど、男の子をほうっておくわけにもいきません。おびえさせ、かなしませるのはまっぴらです。鬼は心を決めました。
男の子をかかえた鬼は、野原を矢のように走ります。村の手前の川を、橋をわたるのももどかしく、えいっとばかりにとびこえて、鬼は村にはいりました。刀がきらめいています。あそこでふりまわされているのは、やりでしょう。だれもがうき足立って、だれもが自分をなくしています。女や子どもがにげまどっています。手のつけられないありさまです。
鬼は、道のまんなかにふんばって立つと、ひときわ大きな声をあげました。ふいっと、それまでのさわぎがしずまりました。急に、焼けくずれた一軒の家が燃えるぱちぱちという音が大きく聞こえました。
鬼は、あたりをにらみつけると、もう一声、大きくほえました。それを合図にしたように、だれもがいっせいに走りはじめました。村をおそったあらくれどもも、おそわれた村人たちも、だれもがてんでんばらばらににげはじめました。まばたきをするほどのあいだに、あたりにはだれもいなくなりました。
鬼は、ふんっと鼻先で笑うと、男の子を地面に下ろしました。そのときです、どこにかくれていたのか、ひとりの男が走り出してきました。ものすごい顔で鬼をにらみながら、男の子をだきあげ、たちまちものかげに走りこんでいきました。男の子の声だけが、あとに残りました。「お父っ」。そう聞こえたと、鬼は思いました。
岩あなにもどった鬼は、どっかりとこしをおろしました。いつの間にか、日がかたむいて、長いかげをつくっています。いつぞやのすみれは、もう花を落としました。小さなたねができているようであります。鬼は頭をふりました。
こんな気持ちの日には、岩あなのおくに寝っころがって夢でも見ているのがいいのかもしれません。そうすれば、こんなふうに気持ちがざわめくこともないはずです。くたびれてしまうこともないはずです。
いったい自分がどうなってしまったのか、鬼にはわかりませんでした。泣けるものなら泣きたいような気持ちです。けれど、鬼は泣かないものであります。泣けない鬼は、ぼんやりと地面を見つめるばかりです。
たったひとつ鬼にわかるのは、自分がもう、あの森と野原のさかいめの岩には行かないだろうということでした。二度と、あそこには行かないでしょう。行っても、あの男の子はいないのです。あの男の子には、二度とあえないのです。
そのたったひとつのことが、鬼の心をざわめかせるのでありました。
けれど、鬼はさっきから外に出たくてしかたありません。雲が切れないかと、何度も空を見上げます。空はどこまでも灰色です。鬼はうなだれてしまいます。鬼の目に、すみれの花がうつります。すみれは、雨の中でもあざやかな紫です。むしろ、ぬれた花びらは、すきとおった光をはなつようです。
雨などかまわない。鬼はそう思います。このまま飛び出して、いつもの野原に行ってみようと思います。森と野原のさかいめのあの岩のあたり、いつものようにあの男の子が遊んでいるかもしれません。
けれど、鬼はひくく笑って、そんな考えをうち消します。雨の日に、人間の男の子が野原に遊びに出ているはずはないのです。人間の子は、雨の日には家の中にいるはずです。
じゃあ、男の子の家まで行ってみようか。鬼はふっとでも思ったそんな自分にあきれました。人間は、鬼をこわがるものです。だってそうじゃないですか。鬼は、おじけづいた人間の心が生み出した生き物です。人間は、やみの夜に、森のおくに、山の暗がりに、おそれをいだきます。そんなおそれが、鬼を生み出します。
いや、反対なのかもしれません。鬼は明るいところではおちつきません。あまりに開けたところは、なんだかうさんくさく感じます。力の弱い者を見下します。そんな鬼のうたがいの気持ち、いやしむ気持ちが、人間を生んだのだともいえるでしょう。人間は、鬼の心が生み出した生き物です。
だから、鬼と人間は、おそれあい、にくしみあうのがあたりまえです。それなのに、男の子の家に行ってみようなんて、なんのまよいで思ったにしてもばかなことです。たちまち大さわぎが起こるでしょう。鬼は、けっして人間の里におりてはならないものなのです。
けれど、この気持ちはなんなんだろうと、鬼は思います。あの男の子に出会うまで、鬼は、こんな気持ちになったことはありませんでした。こんな気持ちがあるということさえ、思いもよりませんでした。男の子にあうのが楽しみなのです。男の子にあえなければつまらないのです。いったいどうしたことでしょう。
あれは、天気のよい春の日のことでした。鬼は森のはずれ、野原とのさかいにある大きな岩のかげに寝そべっておりました。寝っころがっていればお腹もへらず、つかれることもありません。けがや病気の心配もありません。この真っ黒な岩は、あぶないものから身をかくしてくれます。だから鬼は、用心もせずに空を見上げます。風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりに目を細めます。
ふと鬼は、この心地よく耳にながれこんでくる音が、風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりだけではないことに気がつきました。笑い声なのです。
ほんとうなら、鬼はここで用心するはずです。人間の笑い声です。ろくなことはありません。人間は、疑い深い心で鬼を憎みます。人間は、ずるがしこい知恵で鬼を追い詰めます。人間は、明るい光で鬼のすみかを変えてしまいます。だから人間には用心しなければなりません。人間の笑い声は、その中でもいちばん気をつけなければならないもののはずです。
けれど、このとき、鬼はうかうかとその笑い声を聞き過ごしていました。風のそよぎ、虫の声、鳥のさえずりと同じように、心地よく感じながら、あいかわらず空を見上げておりました。気がついてはいたけれど、用心できなかったのです。
と、笑い声の主があらわれました。男の子です。鬼は、ちょっととまどいました。さて、追い払えばいいのか、逃げたものか。いや、その前に子どもの方から逃げ出すだろう。けれど、男の子は寝ころんでいる鬼にまっすぐ近づいてくると、小山のようなそのからだにのぼりはじめました。
鬼は笑いました。くすぐったかったのです。男の子をおどろかさないように、そっとからだを動かすと、「やめろよ」と言って、男の子をつまみあげました。
男の子は、もちあげられて、けたけたと笑いました。どさっと地面に下ろしてやると、ひっくりかえって喜びます。そこで鬼は、もういちど男の子を軽々と持ち上げると、立ち上がって、頭の上にかざしました。ふうわり、と男の子を投げるふりをして、しっかりと受け止めました。男の子は、いっそう楽しそうに声をあげました。
それからです。鬼がこの野原と森のさかいめの岩に行くのを楽しみにするようになったのは。暑い日も寒い日も、男の子はきまってそこに遊びにきました。すがたが見えないときは、岩の上に立って見回すと、近くのしげみからかけてくるのがわかりました。男の子も、鬼と遊ぶのがすっかり気に入ってしまっていたのです。ふたりは、日がかたむくまでじゃれあいながら遊びました。遊びつかれると、鬼はごろりと横になりました。男の子は鬼の上にのぼって、けむくじゃらの腹の上で気持ちよさそうにまるくなるのでした。
男の子が鬼と遊んでいるあいだ、男の子のお父とお母は野良ではたらいておりました。男の子がどこに遊びにいっているか、まるで知らなかったのですが、男の子が日暮れにはきちんともどってくるので、あまり気にもしていませんでした。ふたりとも、ひどくいそがしかったのです。
なにしろ、百姓はいそがしいものであります。お天道さまが上がる前から田畑がよんでいます。田植えがすんでからは、朝の暗いうちに起きて水まわりです。ぐるっとまわってもどってきて、どろも落とさずに朝飯をかきこんだら、草とりです。その合間にせんざいの野菜の世話もしなければならないし、豆の土よせも、麦のこなしも、やっておかなければならない仕事です。
本当ならば、男の子は六つにもなればこんないそがしい仕事の中でいくらかは自分のできることをみつけるものです。見よう見まねで百姓をおぼえて、だんだんに一人前になっていきます。ところがこの男の子は、六つになっても七つになっても、遊んでいます。仕事を教えられないのです。男の子は、言葉がしゃべれないのでした。
たいていの子は、数えで三つ、四つにもなれば言葉をしゃべるようになります。早い子もおそい子もいますから、両親が気がついたのは男の子が五つになったときでした。たしかに男の子は、何か言おうとします。けれど出てくるのは、鳥がなくような音ばかり。お父、お母とさえ言えません。言われたことは、わかっているような、わかっていないような、あいまいなところがあります。素直な子でありまして、親の言うことにさからうこともありません。ですが、細かなことがのみこめないようです。手伝いをやってみさせても、さっぱり役に立ちません。しかりつけると、鳥がなくような声を立てるばかりです。しかたなく、遊ばせておくしかないわけであります。
それでなくともいそがしい百姓です。遊んでいる子どものめんどうなど、みていられません。同じ年ごろの子どもは、みな野良ではたらいています。しかたなく、この男の子はひとりで遊ぶようになりました。男の子がどこまで遊びにいっているのか、だれも知らないのです。鬼と遊んでいると知ったら、お父もお母も肝をつぶすことでしょう。知らないことがしあわせと、そんなこともあるのです。
何日かふりつづいた雨があがりました。鬼は、すっかりうれしくなって野原に出かけました。いつものようにあの岩までくると、もう男の子がまっています。男の子も、ひさしぶりに鬼にあえてうれしいようでした。さっそく鬼の足にじゃれついては、けたけたと笑います。鬼は、男の子を高く投げ上げると、ふわりとうけとめました。あらっぽい遊びですが、男の子がけがをしないように、じゅうぶんに気をつけています。鬼は、力が強いだけでなく、ぬけめない気配りもできるのありました。
そんなふうに楽しく遊んでおった鬼と男の子でありました。ところがふいっと、鬼は気がつきました。なにやらおかしなにおいが風にまじっているのです。鬼は、男の子をだきあげたまま、岩の上にのぼってみました。見はるかすと、野原のはてにけむりが立っております。男の子の村があるところです。その黒いけむりは、のんびりとしたかまどのけむりや、たき火のけむりとはちがいます。まちがいなく、なにかがおかしいのです。
どうやら、人間どもがいくさをしておるらしい。鬼は思いました。人間というのは、おろかなものです。力もないくせに、なかまうちであらそいごとをおこします。ひとりではなにもできないくせに、集まるとらんぼうをはたらきます。やらせておけばよい。鬼はあざ笑いました。
そのときです。男の子が、鳥がなくような声をあげました。鬼はびっくりして、男の子の顔をまじまじと見ました。これまで男の子がこんな声を出すところを見たことがなかったのです。男の子は、さかんに手をふって、また何かさけびました。
燃える村には、お父とお母がいる。男の子がおびえているわけが、ようやく鬼にものみこめました。鬼は、すこしまよいました。人間どものあらそいに、鬼が口を出すことはありません。けれど、男の子をほうっておくわけにもいきません。おびえさせ、かなしませるのはまっぴらです。鬼は心を決めました。
男の子をかかえた鬼は、野原を矢のように走ります。村の手前の川を、橋をわたるのももどかしく、えいっとばかりにとびこえて、鬼は村にはいりました。刀がきらめいています。あそこでふりまわされているのは、やりでしょう。だれもがうき足立って、だれもが自分をなくしています。女や子どもがにげまどっています。手のつけられないありさまです。
鬼は、道のまんなかにふんばって立つと、ひときわ大きな声をあげました。ふいっと、それまでのさわぎがしずまりました。急に、焼けくずれた一軒の家が燃えるぱちぱちという音が大きく聞こえました。
鬼は、あたりをにらみつけると、もう一声、大きくほえました。それを合図にしたように、だれもがいっせいに走りはじめました。村をおそったあらくれどもも、おそわれた村人たちも、だれもがてんでんばらばらににげはじめました。まばたきをするほどのあいだに、あたりにはだれもいなくなりました。
鬼は、ふんっと鼻先で笑うと、男の子を地面に下ろしました。そのときです、どこにかくれていたのか、ひとりの男が走り出してきました。ものすごい顔で鬼をにらみながら、男の子をだきあげ、たちまちものかげに走りこんでいきました。男の子の声だけが、あとに残りました。「お父っ」。そう聞こえたと、鬼は思いました。
岩あなにもどった鬼は、どっかりとこしをおろしました。いつの間にか、日がかたむいて、長いかげをつくっています。いつぞやのすみれは、もう花を落としました。小さなたねができているようであります。鬼は頭をふりました。
こんな気持ちの日には、岩あなのおくに寝っころがって夢でも見ているのがいいのかもしれません。そうすれば、こんなふうに気持ちがざわめくこともないはずです。くたびれてしまうこともないはずです。
いったい自分がどうなってしまったのか、鬼にはわかりませんでした。泣けるものなら泣きたいような気持ちです。けれど、鬼は泣かないものであります。泣けない鬼は、ぼんやりと地面を見つめるばかりです。
たったひとつ鬼にわかるのは、自分がもう、あの森と野原のさかいめの岩には行かないだろうということでした。二度と、あそこには行かないでしょう。行っても、あの男の子はいないのです。あの男の子には、二度とあえないのです。
そのたったひとつのことが、鬼の心をざわめかせるのでありました。
(初出:June 14, 2009)