このサイトのアップデートは3月11日、まさにあの大震災の当日で止まっています。最後のポストをいつしたのか覚えていませんが、地震の報せを受けて以後は、とてもおはなしを書く気持ちにはなれませんでした。
けれど、現代に伝わるおはなしは、過去の多くの災害をくぐり抜けてきたものです。大津波で全ての希望が失われてしまったのでないのと同様に、おはなしもまた、なくなってしまったわけではありません。拙い文章であってもそれをつないでいくことが無意味だということはないのだろうと、そんなふうに思うようにもなりました。
ここに書いているおはなしは、日本に伝わるむかし話をベースにしていますが、伝承そのものではなく、大まかなプロットに私が勝手に肉付けをしています。プロットそのものは日本人、あるいは全人類の共有財産ですが、個別のおはなしにはそれぞれ作者があります。仮にそれがずっと昔にどこかの田舎で採取されたものであったとしても、やっぱり語り手の人生と知恵がそこにこめられています。それをみだりに流用すべきではないと思います。その一方で、私はそういった先人の遺産から、息子に語りかけるためにいろいろなおはなしを紡ぎました。それは、人類がおはなしを語り継いできた伝統に連なるものだと思います。その延長として書いているのが、ここに掲載しているおはなしたちなのです。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。
けれど、現代に伝わるおはなしは、過去の多くの災害をくぐり抜けてきたものです。大津波で全ての希望が失われてしまったのでないのと同様に、おはなしもまた、なくなってしまったわけではありません。拙い文章であってもそれをつないでいくことが無意味だということはないのだろうと、そんなふうに思うようにもなりました。
ここに書いているおはなしは、日本に伝わるむかし話をベースにしていますが、伝承そのものではなく、大まかなプロットに私が勝手に肉付けをしています。プロットそのものは日本人、あるいは全人類の共有財産ですが、個別のおはなしにはそれぞれ作者があります。仮にそれがずっと昔にどこかの田舎で採取されたものであったとしても、やっぱり語り手の人生と知恵がそこにこめられています。それをみだりに流用すべきではないと思います。その一方で、私はそういった先人の遺産から、息子に語りかけるためにいろいろなおはなしを紡ぎました。それは、人類がおはなしを語り継いできた伝統に連なるものだと思います。その延長として書いているのが、ここに掲載しているおはなしたちなのです。
引き続きお楽しみいただければ幸いです。