「大工と鬼六」は、私が初めて読んだおはなしのひとつです。子どもの頃、学研の「母と子の世界名作絵物語全集」というコンピレーションが生家にありました。当時の出版界ではなにかによらず全集ものが流行していましたからね。そのなかの「日本名作ものがたり」という巻に、この「大工と鬼六」のおはなしがのっていました。そして、幼児だった私はそれに魅了されてしまったのです。
そのほかには、桃太郎やかぐや姫など、定番の物語が収録されていたと思うのですが、この「大工と鬼六」だけは子ども心に相当異色な作品に感じられました。ありきたりのお伽話とは全くちがった登場人物の心理の動きが描かれているような気がしたのですね。あっさりとした挿絵にあきたらず、その向こう側にもっと何かがあるような気がして、渦巻きの絵を食い入るように眺めたものでした。
そんな思い入れがあるせいか、息子が小さい頃に「おはなし」をせがまれたとき、この「大工と鬼六」はいつもとんでもない長編になるのがふつうでした。今回ここに書いたものも、かなり長くなっています。どうしても力が入ってしまうのですね。
ただ、息子に語るときには、途中、もっとユーモラスにすることもありました。最後の名前当てでは、息子の名前や身近な人の名前を言ってみたり、あるいはグリムの類話から借りてきて「ルンペルシュティルツヒェン!」と叫んでみたりと、それはそれでお楽しみの場面でした。
このおはなしでは舞台を宇治にしましたが、一般にはどこと特定することはないようです。なんとなく私の頭の中には宇治の話であるという感覚ができてしまっているのでそうしましたが、根拠はありません。山の中に迷い込む場面などに何度か訪れた宇治の風景を遠い記憶を頼りに利用しました。そういう意味でも、思い入れのあるおはなしです。
そのほかには、桃太郎やかぐや姫など、定番の物語が収録されていたと思うのですが、この「大工と鬼六」だけは子ども心に相当異色な作品に感じられました。ありきたりのお伽話とは全くちがった登場人物の心理の動きが描かれているような気がしたのですね。あっさりとした挿絵にあきたらず、その向こう側にもっと何かがあるような気がして、渦巻きの絵を食い入るように眺めたものでした。
そんな思い入れがあるせいか、息子が小さい頃に「おはなし」をせがまれたとき、この「大工と鬼六」はいつもとんでもない長編になるのがふつうでした。今回ここに書いたものも、かなり長くなっています。どうしても力が入ってしまうのですね。
ただ、息子に語るときには、途中、もっとユーモラスにすることもありました。最後の名前当てでは、息子の名前や身近な人の名前を言ってみたり、あるいはグリムの類話から借りてきて「ルンペルシュティルツヒェン!」と叫んでみたりと、それはそれでお楽しみの場面でした。
このおはなしでは舞台を宇治にしましたが、一般にはどこと特定することはないようです。なんとなく私の頭の中には宇治の話であるという感覚ができてしまっているのでそうしましたが、根拠はありません。山の中に迷い込む場面などに何度か訪れた宇治の風景を遠い記憶を頼りに利用しました。そういう意味でも、思い入れのあるおはなしです。