子どものためのおはなし
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「ちゃっくりかき」について

2/28/2011

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「ちゃっくりかき」あるいは「ちゃっくりかきふ」「ちゃっくりかきす」は、落語のマクラにも使われるこっけい話です。黙っていては物売りにならないと注意された男が、商品名を続けて言ったため何を売っているのかわからずに結局売れないという話です。そして、「別々に言わなければならない」と注意され、「茶は別々、栗は別々、柿も別々」と教えられたとおりに言ってやっぱり売れないという三段構えのオチになっています。
ここでは、笑い話にしてしまわずに、「ちゃっくりかき」の小気味よいリズムに着目しました。意味はわからないけれど楽しくなってくるリズムを含んだ言葉というのはあるものです。そういうリズムに合わせて唄ったりおどったり、祭りや祝い事の場では珍しくありません。田舎の地味な若者にそういう瞬間を味わわせてやろうと思いました。結局売れないのは同じです。
全国に流布している話のようですが、これらの農産物は丹波の名産なので、舞台を口丹波にもってきました。峠を越えれば京都まではすぐなのに、気候風土が全く異なって感じられる不思議な土地です。一日で京の繁華街まで往復するにはだいぶと距離があるのですけれど、そこはおはなしとして目をつぶってもらうことにしましょう。
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「こぶとり爺さん」について

2/26/2011

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こぶとり爺さんで、印象深いのは、やっぱり太宰治の「お伽草子」収録の「瘤取り」です。たぶん、このネタで、これを越える解釈はないんじゃないかと思います。
で、そういう傑作が先にあるので、ここではなるべく「ふつうの」、よく流通しているスタイルで書いていこうと思ったんですね。
ところが、「鬼」たちが出てくるところでつまづきました。「鬼」は、つまり、異形の者たちです。姿形や習俗が一般の人間と違うために恐れられ、忌まわしいものとされた人々です。そういった人々が、人目につかないところで一時の楽しみのために集まっているわけですね。
一方のお爺さんも、コブがあるために「異形」の生活を強いられています。お爺さんの方が、一般人の中で「ふつうの」暮らしをしている分だけしんどいかもしれません。
その異形の者どうしが、たまたま山の中でであって、楽しい時間を過ごします。互いに惹かれ合う気持ちが生じるのではないでしょうか。けれど、お爺さんは「ふつうの」世界に生きています。帰らなければいけません。そして、異形の徴であるコブを失うわけです。
となると、もうひとりのお爺さんの運命は、別のものでなければなりません。つまり、異形の者たちの中に加わり、「ふつうの」世界に決別する運命です。そんなことを考えていたら、結末がだいぶと「ふつう」ではなくなってしまいました。ま、こんなこともありますね。気ままな昔語りでは。
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「貧乏神と福の神」について

2/24/2011

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「貧乏神と福の神」は、バリエーションが豊富なおはなしのようです。先日、小学校のイベントで、読み書かせサークルの方が現代版のこのおはなしの絵本をとりあげていました。そこでは、福の神の福袋の中に貧乏神が入っていたというオチになっています。
よく普及したバージョンでは、貧乏神と福の神が争い、宿主が貧乏神に加勢して貧乏神が勝つというものです。常識的にいえば福の神を歓迎するはずの宿主が貧乏神を勝たせるという意外性が話のツボなのだろうと思います。
貧乏神が勝ったあとは、「貧しいながらも幸せに暮らしました」という結末になる場合もあるようです。しかし、ここでは、日本人にとっての神様というものの本質に着目しました。神様というのは、原始的には自分たちでコントロールできない自然の脅威であり、それを祭り、宥めることで日々の安全を確保しようとしたものだと言われています。また、征服した民やそのトーテムを神として祀ることで、自分たちの安全と正当性を確保しようとした場合もあると聞きます。つまり、神様というのは、本来は厄介なものであり、厄介なものを祀ることで自分たちに有利な働きをさせようというのが、日本人にとっての神祇なわけです。
と考えれば、貧乏神という厄介者は、それを追い払うというのがまず最初にくるとして、追い払えない場合は祀ってしまえというのが当然その次にくるはずです。そして、祭り上げられた厄介者は守護神に変化するはずです。つまり、貧乏神は、それを拝むことで福の神に変身できるはずなのですね。
ということで、福の神と貧乏神の争いという部分は強調せず、むしろ、その後の貧乏神が福の神に変身していくところに焦点を当ててみました。
このおはなしには、あまりの貧しさに貧乏神が逃げ出そうとするというバリエーションもあるようです。そちらの方は、別のおはなしとして機会があれば書いてみたいと思います。
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「天の福と地の福」について

2/23/2011

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天の福と地の福は、「隣のじいさん型」のむかし話だと思います。正直者のおじいさんと欲深じいさんが絡む、「花咲かじいさん」の類型ですね。ただ、このはなしでは、どちらも「おじいさん」ほどには老け込んでいませんし、正直者は杓子定規で、欲深者は決して欲深いのではなく、単なるお調子者です。ですから、罰も厳しいものではなく、単に農具が壊れただけです。
盛り上がらないので、子どもにはウケないはなしかもしれません。
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予定は未定

2/22/2011

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このサイト、あまりしっかりしたビジョンがあってはじめたわけではありません。自作のお話に関しては、2年ほど前から運営しているブログがほかにあります。そっちとどう違うのかと言われれば、あまり明確な違いはないのかもしれません。
どちらも趣旨は、「ネット上で自由に利用できるおはなしを増やそうよ」ということです。強いて違いがあるとすれば、以前からのブログは舞台として洋の東西を問わないし、ストーリーはほぼ創作であるのに対し、こちらの方は日本の昔からのありふれたプロットをベースにしているということでしょう。こちらの方がオリジナリティが低いわけです。

とはいえ、どっちも読者側からいえば大きな違いはないのかもしれません。ということで、別ブログの方のおはなしも、カテゴリーを分けてこちらに引っ越してくるかもしれません。このあたりは未定ですね。

また、おはなしがたまってきたら、わかりやすいインデックスページもつくりたいなと思っています。けれど、予定は全て未定です。どう展開していくのか、先にいかないと自分でもわかりません。そういう気まぐれなサイトですが、よろしければお付き合い下さい。
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「朝の寝太郎」について

2/21/2011

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このおはなしは三年寝太郎のバリエーションでしょう。有名な厚狭寝太郎とは、音は同じですが、別の話ですね。怠け者が気転をきかせて長者の婿になるというところで終わりになることが多いようです。潅漑の部分はつけたしのようなものですが、潅漑工事にまつわる伝承は、それはそれで各地に多いようですね。
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「田んぼに埋めた金」について

2/20/2011

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昨日アップした「田んぼに埋めた金」は、むかし話というよりは、農村でよく聞く教訓話のようなものです。深く耕すことで豊かな実りが得られるという事実と、「働けば報いが必ずある」という教訓をかけたものでしょう。
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おはなしを始めました

2/19/2011

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ちょっと前にこのサイトを用意したのですが、なかなかスタートできませんでした。ようやくスタートです。ぼちぼちと、おはなしを書きためていくことにしましょう。よろしくお願いします。
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    おはなしの作者です。ここでは、裏話とか日記とかを書いていきます。

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