むかし、といっても、ほんの少しだけむかし、森の奥の一軒家にひとりのおばあさんが住んでいました。おばあさんはひとりぼっちだったので、だれも話す相手がありません。けれど、それでもおばあさんはずいぶんとおしゃべりでした。
というのは、おばあさんは野山に出かけては、小鳥やりす、うさぎのような小さな動物とおしゃべりをするからです。木や草に話し掛け、小川のせせらぎと笑いあいます。こんなふうに、おばあさんはいつも休まず、おしゃべりをするのです。若いころの思い出話が、おばあさんのお得意でした。なにしろ、年をとると、若いころのことをいろいろと思い出すものですからね。
けれど、冬になると、おばあさんは遠くには出かけられなくなります。おばあさんの住む森はひどく寒さの厳しいところで、北風が吹くと何もかも凍り付いてしまうのです。
ひとりぼっちの家は、しんと静まり返って、さびしいものです。だれも話し相手がいないと、さすがのおばあさんもおしゃべりをするわけにいきません。けれど、やっぱり冬でも、おばあさんはおしゃべりをします。冬の季節、おばあさんの話し相手は、ストーブなのです。
静まり返った朝、おばあさんは、勇気を出して布団から飛びだします。そして、ストーブの前に走りよると、とびらをあけて、まきを投げ込みます。新聞紙を丸めてその上にそだをのせ、マッチで火をつけ、そしておおあわてで布団にもどります。しばらくすると、ストーブからぱちぱちと音が聞こえてきます。「やれやれ、今日も一日が始まるよ」。おばあさんはそんなふうにおしゃべりを始めます。ストーブからは、ポキッという元気な返事が返ってきます。木が勢いよくはぜたのです。「あんたのおかげで暖かく過ごせるよ」。おばあさんはストーブに声をかけて、布団をたたみ始めるのです。
こんなふうに、おばあさんは冬の一日をストーブ相手におしゃべりしながら過ごすのでした。ストーブがついていると、不思議と家の中はにぎやかです。家の中に暖かな風がふきはじめます。ときどき、柱や壁が音を立てます。たぶん、板がかわいてそりかえるのでしょう。
キッチンで漬物をつけたり、ストーブの前で編み物をしたりしながら、おばあさんはストーブに話しかけます。ストーブは、ときにはごうごうと、ときにはしゅうしゅうと、そしてたまにはゴトリと、気の利いた相槌を打ってくれます。おばあさんは退屈することがありません。
ところがある年、山の緑が色を濃く変えていくころに、おばあさんは病気になってしまいました。ふらふらとめまいがするので、家からはなれることができません。どうにか毎日の食べるものだけは用意することができるのですけれど、それがやっとの精一杯です。あとは横になっていないと、しんどくてたまりません。
「あの小川はいまどうなっているだろう」「あの山はいま、どんなだろう」。床の中でそう思うしかないのは、おばあさんにとって辛いことでした。それ以上に辛いのは、おしゃべりができないことでした。火の消えたストーブは、黙りこくっています。相手がいなくては、いくらおしゃべりのおばあさんでも、話すわけにはいかないのです。
「あんたが話し相手になってくれればいいのにねえ。少しは返事をしなさいよ」。おばあさんはストーブに向かって言いました。けれど、ストーブはことりとも音を立てません。おばあさんの気は滅入るばかりでした。
おばあさんはすっかりふさぎこんで、ひとりごとさえ言わなくなりました。そうなると、だんだんと病気も重くなっていくような気がします。
「このまま、わたしもダメになってしまうのかねえ」。おばあさんは、ぽつんと、そうつぶやきました。そのときです。「カサコソ」と、ストーブの方で音がしたのです。
「おや?」。おばあさんは床から顔を上げました。「あんた、何か言ったかい?」。すると、ストーブの方から、また小さな音がしました。
「そうかい。あんたもそう思うかね。やっぱりわたしは、もうダメになっちまうんだろうね」。おばあさんは、ストーブに向かってそう言いました。けれど、口ではそう言いながら、なんとなくさっきよりも声に力が入っているような気がしました。
その日から、おばあさんは、ときどきストーブとおしゃべりするようになりました。ストーブは、いろんな音を立てて返事をします。それは冬にまきが燃えるときの音とはちがうのですけれど、それでもおばあさんは話し相手ができてずいぶんと気が楽になりました。そして、おしゃべりをしていると、少しずつ、元気がわいてくるのでした。
秋風が吹くころ、おばあさんはようやく外に出ることができるようになりました。夏の間に伸びきった家の前の草を刈り、小さな畑の手入れをして、ようやく少しはすっきりしたころに、冷たい朝がやってきました。おばあさんは、あわててストーブの手入れをしようと思いました。
そして、ストーブの扉を開けたら、中にたくさんの枯れ草が落ちています。おやっと思って煙突を調べると、煙突の先の方に、小鳥の巣ができていました。
「なあんだ、あんたたちだったの」。おばさんは笑いました。小鳥がひなを育てる音が煙突を伝わって、ストーブから聞こえていたのでしょう。いまはがらんとしてだれもいない巣に向かって、おばあさんはちょっと頭を下げました。「ありがとう。助かったよ」と。
というのは、おばあさんは野山に出かけては、小鳥やりす、うさぎのような小さな動物とおしゃべりをするからです。木や草に話し掛け、小川のせせらぎと笑いあいます。こんなふうに、おばあさんはいつも休まず、おしゃべりをするのです。若いころの思い出話が、おばあさんのお得意でした。なにしろ、年をとると、若いころのことをいろいろと思い出すものですからね。
けれど、冬になると、おばあさんは遠くには出かけられなくなります。おばあさんの住む森はひどく寒さの厳しいところで、北風が吹くと何もかも凍り付いてしまうのです。
ひとりぼっちの家は、しんと静まり返って、さびしいものです。だれも話し相手がいないと、さすがのおばあさんもおしゃべりをするわけにいきません。けれど、やっぱり冬でも、おばあさんはおしゃべりをします。冬の季節、おばあさんの話し相手は、ストーブなのです。
静まり返った朝、おばあさんは、勇気を出して布団から飛びだします。そして、ストーブの前に走りよると、とびらをあけて、まきを投げ込みます。新聞紙を丸めてその上にそだをのせ、マッチで火をつけ、そしておおあわてで布団にもどります。しばらくすると、ストーブからぱちぱちと音が聞こえてきます。「やれやれ、今日も一日が始まるよ」。おばあさんはそんなふうにおしゃべりを始めます。ストーブからは、ポキッという元気な返事が返ってきます。木が勢いよくはぜたのです。「あんたのおかげで暖かく過ごせるよ」。おばあさんはストーブに声をかけて、布団をたたみ始めるのです。
こんなふうに、おばあさんは冬の一日をストーブ相手におしゃべりしながら過ごすのでした。ストーブがついていると、不思議と家の中はにぎやかです。家の中に暖かな風がふきはじめます。ときどき、柱や壁が音を立てます。たぶん、板がかわいてそりかえるのでしょう。
キッチンで漬物をつけたり、ストーブの前で編み物をしたりしながら、おばあさんはストーブに話しかけます。ストーブは、ときにはごうごうと、ときにはしゅうしゅうと、そしてたまにはゴトリと、気の利いた相槌を打ってくれます。おばあさんは退屈することがありません。
ところがある年、山の緑が色を濃く変えていくころに、おばあさんは病気になってしまいました。ふらふらとめまいがするので、家からはなれることができません。どうにか毎日の食べるものだけは用意することができるのですけれど、それがやっとの精一杯です。あとは横になっていないと、しんどくてたまりません。
「あの小川はいまどうなっているだろう」「あの山はいま、どんなだろう」。床の中でそう思うしかないのは、おばあさんにとって辛いことでした。それ以上に辛いのは、おしゃべりができないことでした。火の消えたストーブは、黙りこくっています。相手がいなくては、いくらおしゃべりのおばあさんでも、話すわけにはいかないのです。
「あんたが話し相手になってくれればいいのにねえ。少しは返事をしなさいよ」。おばあさんはストーブに向かって言いました。けれど、ストーブはことりとも音を立てません。おばあさんの気は滅入るばかりでした。
おばあさんはすっかりふさぎこんで、ひとりごとさえ言わなくなりました。そうなると、だんだんと病気も重くなっていくような気がします。
「このまま、わたしもダメになってしまうのかねえ」。おばあさんは、ぽつんと、そうつぶやきました。そのときです。「カサコソ」と、ストーブの方で音がしたのです。
「おや?」。おばあさんは床から顔を上げました。「あんた、何か言ったかい?」。すると、ストーブの方から、また小さな音がしました。
「そうかい。あんたもそう思うかね。やっぱりわたしは、もうダメになっちまうんだろうね」。おばあさんは、ストーブに向かってそう言いました。けれど、口ではそう言いながら、なんとなくさっきよりも声に力が入っているような気がしました。
その日から、おばあさんは、ときどきストーブとおしゃべりするようになりました。ストーブは、いろんな音を立てて返事をします。それは冬にまきが燃えるときの音とはちがうのですけれど、それでもおばあさんは話し相手ができてずいぶんと気が楽になりました。そして、おしゃべりをしていると、少しずつ、元気がわいてくるのでした。
秋風が吹くころ、おばあさんはようやく外に出ることができるようになりました。夏の間に伸びきった家の前の草を刈り、小さな畑の手入れをして、ようやく少しはすっきりしたころに、冷たい朝がやってきました。おばあさんは、あわててストーブの手入れをしようと思いました。
そして、ストーブの扉を開けたら、中にたくさんの枯れ草が落ちています。おやっと思って煙突を調べると、煙突の先の方に、小鳥の巣ができていました。
「なあんだ、あんたたちだったの」。おばさんは笑いました。小鳥がひなを育てる音が煙突を伝わって、ストーブから聞こえていたのでしょう。いまはがらんとしてだれもいない巣に向かって、おばあさんはちょっと頭を下げました。「ありがとう。助かったよ」と。
(初出:February 22, 2009)