むかし、むかしのおはなしです。
山の奥の、奥の、そのまた奥に、小さな村がありました。田んぼも畑もほんのわずかで、炭焼きと山仕事のほかにはこれといって稼ぎのない貧しい村でありましたが、こんな小さな村にもふたつだけ、宝がありました。
ひとつは、さくらという娘でした。炭焼きの子に生まれたというのに、さくらはそれはそれは美しく、かしこく、晴れやかな娘でありました。さくらがやってくると、あたりはぱっと明るくなります。さくらと話していると、年をとったおばあさんさえ、若返ったような気持ちになって腰をしゃんとのばします。小さな子どもたちは、さくらのまわりに集まっていつも楽しく遊びます。山仕事の男たちは、さくらのつくったにぎりめしをほおばると、またひとつ力がつくと笑うのでした。「さくらは村の宝じゃ」というのは、誰に聞いてもまちがいのないことでした。
もうひとつの宝は、直助という若者でした。直助は気立てがよく、働きものでした。朝早くにしゃんと起きて家のまわりをくるくるっと掃き清めてから、さくさくと仕事にでかけます。いえ、そのぐらいなら、珍しいことでもありません。なによりも誰もが認めるのは、直助の心のやさしさでした。
たとえば少し前のこと、直助は、山で足を折って動けなくなっている子鹿を助けてやったことがあります。強い力で足をはさんでいる木を引きはがしてから、自分の着物を割いて、棒切れをぐるぐるしばりつけて、副木にしてやりました。子鹿は足を引きずりながら、山にかえっていきました。その前には、わなにかかった子熊を助けてやったこともあります。このときは、わざわざとなり村の山猟師のところまで出かけて行って、「あの熊はまだ小さい。山の掟では子熊はとらないことになっているではないかと」談判して、わなをはずす許しをもらってきたのです。
この若者は、子どものころから鳥が好きでした。ですから、毎日、自分の食べるご飯を少し残しては、小鳥にわけてやります。庭の柿の木の実は高いところのものはとらずにからすのためにおいておきます。もちろん、そんなことは年寄りならだれでもするものです。若者は、年寄りにも親切で、重いものを運んであげたり、となり村に行く前には必ず声をかけてついでの用事がないか尋ねたりと、なにかと気をつけてやるのでした。こんな若者のことを、「やっぱり直助も村の宝じゃなあ」と、人々は言うのでした。
さて、あるとき、この村に、とのさまがやってきました。とのさまは、狩りがたいそうお好きで、鷹狩りをするために、こんな人もかよわない山奥までやってこられたのです。とのさまが狩りをなさるというので、山仕事はしてはならないことになりました。そのかわり、男たちはセコという人足に駆り出され、とのさまのけらいのいうままに、山の中をあちらこちらと走り回らされました。
そして、女たちは炊き出しです。とのさまのけらいの食べ物を、いわれたとおりにつくるのです。何百人分もの食べ物ですから、大釜や大なべが村おさの家の前に並べられ、どんどんと薪をくべて、それは大変なことでした。
村おさは、とのさまのために家をあけなければなりませんでした。そして、いちばん上等の座敷をできるかぎりぴかぴかに磨き上げて、とのさまの御座所としました。御座所のお世話は村の娘たちがすることになりました。もちろん、そのなかにはさくらもいました。
嵐のようにとのさまの鷹狩りは終わりました。村人たちは、ほっとしていつもの仕事にもどりました。村おさがとのさまに呼び出され、ご城下まで山をこえて行ったのは、そんなある日のことでした。
お城につくと、下役さまがこんなことを言いました。「とのは、先の鷹狩りをこの上なくよろこばれた。ついては、その方の村のこの秋の雑徭をおゆるしくださろうとのおおせじゃ」。そのころ、村には毎年、重い年貢がかけられていました。年貢というのは、田んぼや畑にかかります。そして、田んぼや畑のほとんどない村には、年貢のほかにもいろいろと差し出さなければならないものがありました。雑徭というのはそのひとつで、もともとはいろいろな工事に人手を差し出すことでしたが、この村ではずっと昔から、お城で使う薪や炭を届けることになっていました。
「ありがたきしあわせ」と、村おさは頭を下げました。とのさまの鷹狩のために、村人はずいぶんがんばりました。だから、このぐらいのごほうびは、あってもあたりまえと思いました。
「さらに」と、下役さまは大きな声で言いました。「その方の村にある娘、さくらと申す者を、お城付きに差し出すようにとの、ありがたい仰せじゃ。しかと申し渡したぞ」
村おさは、驚いて顔を上げました。「さくらでございますか」
「そうじゃ」下役さまは、見下ろすような顔で答えました。「とのは、鷹狩の折に、そちの村で仕えたさくらと申す娘をたいへん気に入られた。おそばで使おてやろうとのことじゃ」
「おそれながらではございますが」と、村おさは言いました。「ご奉公ということになりますと、まずはふたおや、それに本人に確かめませぬと」
「なにを申す。とののお気に入るとは、ありがたきことではないか」
「お言葉を返すようではありますが、あの者は村の宝と、皆が申しております。宝を手放すのは何とも心苦しきことでござりますゆえ」
「だから、今年は薪も炭もいらんといったのだ」。下役さまは声の調子を変え、そっと、頼むように言いました。「わしも手荒なことはしたくない。だから、そちらにも納得のいくように、今年の雑徭を許してもらえるよう、とのに願い立てたのではないか。こらえておくれ」
「それでは、ともかく村に帰りまして、皆に聞いて参ります」。村おさは、やっとのことでそう言いました。「何よりも、さくらとその親の気持ちを聞かねばなりません」
「ああ、そうしてくれ」。下役さまはすがるように言いました。「わしにも、立場というものがある。さくらが来てくれれば、それですべてはまるくおさまるのだからな」
村おさが帰って、すぐに村では寄り合いが開かれました。誰もが、村の宝であるさくらを失いたくないと思いました。
それでも、「お城に行けば楽ができる。さくらにとってもよいことではないか」と言う者が、なかにひとりおりました。そこで、さくら本人に聞くことになり、さくらが呼びにやられました。
さくらは村おさの言葉を噛みしめるように聞いておりましたが、やがて、「村の皆様が行けとおっしゃるのであれば、しかたのないことかもしれません。けれど、私は、できますことなら村をはなれたくはありません」と、小さいけれど、はっきりした声で言いました。村人たちは、村おさの方を向いて、「なあ、なんとかとのさまにこらえてもらえるよう、お願いしてもらえないだろうか」と頼みました。
そこで、村おさは、ふたたびご城下へ向かいました。そして、下役さまにお目通りをお願いすると、「村人のたっての願いでございます。ほかでもない、さくらをお召しになることだけは、ご勘弁いただけないでしょうか」と、頭を地面にすりつけて願い出ました。
下役さまは、村おさに「しばらく待っておれ」というと、奥にはいりました。村おさは、ずいぶんと待たされました。待ちくたびれて、お腹がすっかりすいてしまったころ、ようやく下役さまが出てきました。そして、こう告げたのです。
「おとのさまは、たいそうご立腹である。先に申し渡したこの秋の雑徭をおゆるしくださる件はとりやめじゃ。それも、秋まで待つことはできぬ、即刻納めよとのご下命じゃ」
「即刻とは、どういうことでございましょう」。村おさは、おそるおそる尋ねた。
「とのさまは、三日のうちに全て納めるようにとのことじゃ。今年の雑徭は、薪が五百駄じゃ。五百駄の薪を三日のうちにご城下まで運び込め。一駄欠けても、相成らぬ。もしも成らぬときは、村おさよ、お主の命はないものと思え」。下役さまは大きな声でそう言うと、声の調子を変えて、こう加えました。「もちろん、さくらを差し出すのであれば、その段はうまくとりなして進ぜよう。三日のうちなどというのは、しょせん無理であろうからな」
下役さまが言ったとおり、三日で五百駄の薪をご城下に運ぶというのは、とうてい無理なことでした。一駄というのは、馬の背にいっぱいの荷物のことで、薪ならおよそ二十束ほどになります。囲炉裏でくべるなら一週間分ほどになるでしょうか。ですから、どこの家でも薪の十駄や二十駄は納屋に積んであります。村じゅうの薪を集めれば、急なことでも五百駄の薪を集めることはできなくはないかもしれません。
けれど、それを三日のうちにご城下まで運ぶのは、無理なことです。村からご城下まで、急ぎ足で歩いたとしても、朝早く村を出て、着くのはようやく日暮れ時です。村おさも、途中で宿屋に泊まって来ているのです。ですから、足の早い飛脚で村に知らせを送っても、村からご城下まで荷を運ぶには、ぎりぎり間に合う時間しかありません。
そして、五百駄の薪を運ぶには、五百頭の馬が必要です。ところが、村には馬は二頭しかいません。牛が十頭いますが、牛にも運ばせても一度に十二駄しか運べません。いつもの年のように秋いっぱいかけて馬方と牛方に運ばせれば、それでも何とかなるのです。けれど、わずか三日でどうなるわけもありません。無理難題とはこのことです。
村おさは、涙ながらに手紙を書き、飛脚に持たせました。飛脚はそれこそ飛ぶように山道を走って、夜の村に着きました。たちまち村は、大騒ぎになりました。誰が考えても、これは「さくらを差し出せ」というとのさまの強いお達しだということがわかりました。はじめからとのさまにさからうべきではなかったのだと、ぐちを言う者もありました。さくらがふびんだと、涙を流す者もありました。
だれよりも、さくらのことを嘆いたのは、直助でした。直助は、子どものころから友だちだったさくらを失いたくはなかったのです。できることならば、自分の背中に背負ってでも、薪五百駄をご城下に運びたいとさえ思いました。そして、本当にそれをはじめてしまったのです。
無理なことはわかっていました。人間が背負える薪は、うまく束ねても七束か八束がようやくのことです。わずかそれだけの薪を、何度運んでも、五百駄にはとうてい届きません。それでも直助は、自分の家の納屋に積んである薪を背負子につけると、後も振り返らずに、夜道を走り出しました。
悪いことに、その夜は月のない闇夜でした。いくら働き者で達者な直助でも、疲れが溜まるばかりで道ははかどりません。ご城下までの半道もいかないうちに、すっかりくたびれ果てて、直助は道端にうずくまってしまいました。直助の両の目から涙がこぼれました。食いしばった歯のすきまから、悲しみのうめき声が漏れました。
そのとき、直助のすぐそばで、何かが動きました。暗闇の中に目を凝らしてみると、何だかけもののようです。直助は、はっと身構えました。
「直助さん」
暗闇の中から鹿の鳴き声が聞こえました。直助には、それが自分の名前を呼んでいる言葉だとわかりました。
「直助さん、いったいどうしたんですか。何を泣いているんですか」
直助は、問われるままに、全てを話しました。どうにかしてさくらを助けたいこと。それができない自分の力のなさが情けないことを、いっしょうけんめいに言葉にしました。話しているうちに、直助には相手がいつか自分が助けた足を折った子鹿だという気がしてきました。理由もなく、そうだと思いました。
「わかりました、直助さん」
鹿はそう言いました。
「だいじょうぶですよ。薪を五百駄、ご城下に運べばいいのですね。明日の朝、村おさの家の前に、五百駄の薪を用意しておいてください。きっと、何もかもうまくいきますよ」
そう言って、鹿は暗闇の中に消えていきました。
直助は、大急ぎで村に走ってもどりました。そして、夜明け前の村じゅうの家の扉を叩いて、ありったけの薪をすぐに村おさの家の前まで持ってきてくれるようにと頼みました。ふつうなら、こんなことを言われてその通りに薪を持っていく人などいないでしょう。けれど、直助は誰もが認める村の宝です。その言葉には、人の心を納得させる力がありました。皆は、納屋から薪をとりだすと、村おさの家の前まで、何度も何度も薪を抱えては急ぎました。
やがて、夜が明けました。村おさの家の前には、うず高く薪が積み上げられました。確かにこれで五百駄はあるでしょう。けれど、どうやって運ぶというのでしょう。
そのとき、朝霧を分けるようにして、鹿の群れが現れました。あとからあとからやってきて、おとなしく、薪の山の前に並びました。先頭の鹿が、ゆっくりと直助に向かってうなづきました。村人たちも、直助の顔をみました。直助は、大きな声で言いました。「さあ、鹿たちに運んでもらおう」
鹿一頭の運べる薪は、わずかです。けれど、鹿はあとからあとからやってきました。ご城下では、突然現れた鹿の行列に皆が驚きましたが、鹿についてきた村びとたちが、「とのさまの御用である。決してじゃまをするではない」と触れ回りましたので、だれも手出しをしませんでした。そして、薪の山は、たちまちお城の馬場に高く積み上げられました。全て運び終わると、鹿は何事もなかったかのように、夕暮れの山に消えていきました。
次の日、下役さまは村おさに向かって言いました。「薪五百駄、ご苦労であった。さて、これでこの秋の雑徭は、しかと受け取った。しかしながら、さくらはいまだ出仕せぬが、これはいかがいたす」。
村おさはびっくりしました。薪五百駄を差し出したからには、さくらを差し出すことは許してもらえると思ったのです。
「だれがそんなことを言うたか」。下役さまは苦い顔で言いました。「薪五百駄は、今年の雑徭じゃ。本来ならば納めずともよいものを、そちがとのさまのご機嫌を損ねたから出さねばならなくなったのではないか」
「ですので、それを納めました上は、これにてお許しを」
「いいや、とのさまは、さくらを差し出すようにと申されておる」。ここで、下役さまは声の調子を変えました。「なあ、来年の雑徭として、炭を百駄、納めれば、ここはとりなしてやらぬでもないがなあ」
「炭を百駄でございますか」
「そうじゃ。そこまですれば、とののご機嫌もなおるかもしれん。そうじゃなあ、やはり三日でどうじゃ」。下役さまは、いやな笑い方をしました。「まあ、無理じゃろうなあ。素直にさくらを差し出した方がずっとよいのではないかな」
村おさは、また手紙を飛脚に託しました。やはり、さくらにはこらえてもらうよりない。村おさの筆は、涙でにじんでおりました。
炭の百駄というのは、薪の五百駄以上に無理なことです。というのは、炭というのは、すぐに焼けるものではないからです。まずは、炭にするための木を切り出してこなければなりません。それも、樫や栗のような堅い木の、腕くらいからある枝がいちばんです。あまり太いものはうまく炭にはなりませんし、細すぎては手間ばかりかかります。この木をぎっちりと炭窯に詰め込んで、口の近くに柴を詰め、その手前を半分泥でふさいで、火をつけます。半日ほどかけて火が回ったら口の残りを泥で塞ぎ、さらに丸一日ほど蒸し焼きにします。それから一日放っておいて少し冷めたら、窯口の泥を崩して、灰の中に炭をとりだします。こうすると、初めに十駄あった薪は、二駄か三駄の炭になります。ですから、百駄の炭をつくるにはやっぱり五百駄からの薪がいるし、その上でさらに何日も何日も、炭窯で働かなければならないのです。そして、炭は身分の高い人の使うものですから、薪のように村にたくわえがあるわけもありませんでした。焼いた炭は、みんな町に出してしまうのです。村おさは、もう駄目だと思いながら、手紙を書いたのでした。
村では、無理難題を出してきたとのさまの鼻をあかしてやったと、みなが喜んで、うたげの最中でした。そこに、村おさの手紙が届いたので、皆の笑顔は一気に消え失せました。腹を立てるものもいれば、泣き出すものもいました。
いちばん激しく泣いたのは、直助でした。心やさしい直助は、皆の前では落ち着いていましたが、そっとその場を離れてひとり薮の裏手に隠れると、声をからして泣きました。自分が何の役にも立たなかったことがふがいなく、さくらの定めがあわれで、泣きました。
「直助どん」
直助は、どこからか自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしました。顔を上げると、頭の上の木の枝に、大きなからすがとまっています。からすは、かあ、と、一声鳴きました。その声が、直助には、「直助どん、何を泣いておられるのだ」と、聞こえました。
直助は、堰を切ったように喋りました。とのさまがどれほど理不尽かを、せつせつと訴えました。そんなことをしても何の甲斐もないとわかっていながら、話しました。せめて百駄の炭があればと、涙に声をつまらせました。
「百駄の炭があればええのかい」。からすはそんなふうに鳴きました。そして、東の空へと飛んでいきました。
翌朝、まだ日も昇らないうちに、直助は村びとにたたき起こされました。「直助や、炭だ」。
わけのわからないまま直助が家の外に出ると、空が真っ暗になるほどたくさんのからすの群れが舞っています。手を引かれるままに村おさの家の前まで急ぐと、そこには真っ黒な炭がうずたかく積まれていました。
「からすが運んでおる」。村人の言葉に目を凝らすと、たくさんのからすは、それぞれ一本ずつ炭をくわえています。そして、炭の山の上に舞い降りると、そっとそれを置き、また大空高くに舞い上がっていきます。
「こりゃあ、奥山の火事場の炭だ」。炭の山から一本とって調べていた木こりが叫びました。「去年、奥山で山火事があったやろ。あの火事場の消し炭じゃよ、これは」
木が燃え残ると、消し炭と呼ばれる炭が残ります。窯で焼いた炭に比べれば火持ちも悪く、上等ではないのですが、それでも炭は炭です。
「いや、消し炭にしちゃあ、上等だ。からすのやつら、ずいぶんと選んできたとみえるわ」と、炭焼きが言いました。「奥山の火事場は広いからなあ。さがせばこれだけのものも集まるわけだ」
「しかし、なんでからすが炭を運んでくるんじゃろう」。そんな村人の声に、直助ははっとしました。そして、大きな声で言いました。「さあ、皆の衆、たわらをもってきておくれ。これだけあれば、百駄は十分だ」
ご城下で気を揉んでいた村おさは、百駄の炭が無事にお城に届けられたことを聞いてほっとしました。下役さまにお目通りを願うと、「どうかとりなしてくだされ」と頭をこすりつけました。
下役さまは、また村おさを待たせて出ていきました。ずいぶんたってから戻ってくると、笑顔でこうおっしゃいました。
「村おさ、この度のこと、見事であった。とのもこの不思議に感じ入っておられる。これに免じて、この度の無礼、許して進ぜようとのお言葉じゃ。そちの命もとらぬし、娘も出仕には及ばぬ」
「ありがたきこと」と、村おさは頭を下げました。心底ほっとしました。
「ただし」と、下役さまはそこで大きな声を出されました。「それは三日のうちに足軽二百人を差し出すならば、ということじゃ」
「はあ?」。村おさは驚いて顔を上げました。
「間もなくいくさがはじまる。そちの村には何か不思議があるようじゃな。とのは、その不思議の力でいくさに勝ちたいと、こうお考えじゃ。よいな。そちの村人二百を足軽にして、すぐに連れてまいるのじゃ」
「しかし」と、つぶやいた村おさの言葉を、下役さまはさえぎりました。
「それができぬのなら、おとなしくさくらを差し出すのじゃな。だが、とのはもう、さくらよりもいくさのほうに気をとられておられる。足軽どもは、ぜひ必要じゃ。よいか、すぐに連れてまいるのだぞ」
村おさは、三度目の手紙を飛脚にもたせました。村には女子ども、年寄りまでを合わせても、二百をわずかに越えるほどしか住んでいません。いくさに耐える屈強の男は五十人もいないでしょう。その男どもをすべてさし出したとしても、とうてい数はたりません。いえ、村の男が全部いくさに出てしまえば、村の暮らしは立ち行きません。だれもがこまってしまうでしょう。
村では、またもとのさまの無理な申し付けに、だれもが腹を立てました。とはいえ、とのさまにさからうわけにはいきません。いくさに出なければならないとあきらめる男もいれば、女子どもまで出なければ数が合わないと嘆く男もいました。いや、どうせとのさまのいう数には足りないのだからみんなで山に逃げ込もうという男もいました。女たちは、いくさが近いと聞いて涙を流しました。はじめからさくらを差し出しておけばよかったと悔やむ年寄りまでいたのです。
直助は、そんなふうには思いませんでした。たとえさくらを差し出していたとしても、やっぱりとのさまは無理難題をふっかけてきただろうと思ったのです。いくさということになれば、どのみち男どもはかり出されます。さからえば、自分たちの村が攻め滅ぼされてしまうでしょう。
直助は、裏山に登って村を見渡しました。この村は、自分らの村です。自分らが生まれた場所であり、駆け回ってきた野山です。だれに何の恥ずかしいこともない、自分たちの暮らしです。それをどういうわけで、とのさまに乱されなければならないのでしょうか。
直助は、大きなため息をつきました。
「直助どん、何をなやんでおられる」
けものの声がしましたが、直助にはそれがそんなふうに尋ねているように聞こえました。振り向いてみると、大きな熊が木々の間をこちらに向かって歩いてきます。直助は怖れませんでした。とのさまに比べたら、熊の方がまだ話がわかるというものです。
「とのさまが、いくさをはじめるというのだ」
直助は、そう話しはじめました。熊はしばらく直助の言うことを聞いていましたが、やがて頭を振ると、のっしのっしと木々の間に消えていきました。
次の日、村人たちは朝から集まって、答えの出ない相談を続けました。いくさとなれば、どのみちろくなことはない。それはみんな同じ意見でした。けれど、そこからはてんでばらばらでした。だから逃げた方がいいという者もあれば、同じことならいくさに加わってほうびをあてにした方がいいという者もいました。とのさまにわいろを送ったらという者には、どこにそんな財産があるかと反論するものもあらわれました。
答えが出ないままに昼を過ぎたころ、突然、水汲みに出ていた女が駆け込んで来ました。「槍をもった男たちがくる」と叫びました。
みなは驚いて女の示す方に駆け出しました。川の上の方から、大勢の足音がします。あわてて家に鎌や鍬をとりに走る者、急を知らせにとって返す者、手近な棒切れを掴んで足音の方に向かう者と、一気に騒ぎは大きくなりました。
直助は、先頭に立って川上に走りました。河原を大勢の男どもがやってきます。鉢巻を締め、槍を担いだその姿は、これからいくさに向かう足軽に間違いありません。いよいよいくさがはじまったのでしょうか。けれど、なぜ川上からやってきたのでしょう。この村より奥には、だれも住んでいないはずなのです。
足軽たちは立ち止まりました。先頭の男が一歩前に出ました。
「村おさどのはおられぬか。私は木地師の惟裄と申すものだ」
「サンカだ!」と、だれかが小さな声で叫びました。「山賊だ!」とささやく者もいました。「こんなときによりによって、荒くれどもがやってきた」と、頭を抱える者もいました。
「村おさは留守だ。私が話を聞こう」と、大きな声が響きました。直助です。一歩前に出て立ちはだかりました。惟裄と名乗った大男は、じろりと直助を見ました。
「実は、奇妙なことがあった。昨夜、山の神様がお見えになった」。惟裄はそう話しはじめました。「いくさがある、お前たちも行かねばならぬと、このようにおっしゃった。そしてな、直助殿。おぬしの名前もおっしゃられた。行って直助によく話を聞けと」
「サンカの山の神様というのは熊のことだ」と、だれかがささやきました。直助はそれを押し止めて、言いました。
「惟裄殿、それで、あなたがたは何人おられる」
「百五十人の屈強の男を揃えてきた」
「それで、何を望まれる」
惟裄は、もういちど直助を頭の先からつま先まで見ました。そして、こう返事をしました。
「お山がいくさに荒らされぬこと。木地師代々の暮らしが奪われぬこと」
次の日、とのさまは二百人の屈強の足軽が山奥の村から着いたという知らせに小躍りして喜ばれました。馬場に出てみると、たくましい男どもが槍を揃えてきちんと並んでいます。この者どもをしたがえていくさに出れば、どんな敵もおそれるに足りないでしょう。
とのさまは、ほら貝を吹かせました。馬を連れてこさせ、鎧を身につけました。いよいよいくさに出陣です。そして、馬を足軽たちの中に進めました。
「すすめ、すすめ、者どもよ!」
そのときです。足軽たちは一斉に槍を揃え、そのきらりと光る穂先をとのさまに向けました。だれひとり、口をきく間もなく、とのさまは血を流してたおれました。
とのさまのご家来衆があわてて駆けつけたときには、もう足軽たちは何事もなかったかのように槍の穂先を揃えていました。ご家来衆のだれひとりとして、その恐ろしい屈強の男たちに攻めかかる勇気をもつものはおられませんでした。やがて、足軽たちは、静かに山の方へと退いていきました。あとには、地に倒れたとのさまのなきがらだけが残されました。
このようにして、直助の村は、村の宝を守りました。それから長い間、だれもこの山奥の村に手を出す者はなく、山の村は美しく栄えたということです。
山の奥の、奥の、そのまた奥に、小さな村がありました。田んぼも畑もほんのわずかで、炭焼きと山仕事のほかにはこれといって稼ぎのない貧しい村でありましたが、こんな小さな村にもふたつだけ、宝がありました。
ひとつは、さくらという娘でした。炭焼きの子に生まれたというのに、さくらはそれはそれは美しく、かしこく、晴れやかな娘でありました。さくらがやってくると、あたりはぱっと明るくなります。さくらと話していると、年をとったおばあさんさえ、若返ったような気持ちになって腰をしゃんとのばします。小さな子どもたちは、さくらのまわりに集まっていつも楽しく遊びます。山仕事の男たちは、さくらのつくったにぎりめしをほおばると、またひとつ力がつくと笑うのでした。「さくらは村の宝じゃ」というのは、誰に聞いてもまちがいのないことでした。
もうひとつの宝は、直助という若者でした。直助は気立てがよく、働きものでした。朝早くにしゃんと起きて家のまわりをくるくるっと掃き清めてから、さくさくと仕事にでかけます。いえ、そのぐらいなら、珍しいことでもありません。なによりも誰もが認めるのは、直助の心のやさしさでした。
たとえば少し前のこと、直助は、山で足を折って動けなくなっている子鹿を助けてやったことがあります。強い力で足をはさんでいる木を引きはがしてから、自分の着物を割いて、棒切れをぐるぐるしばりつけて、副木にしてやりました。子鹿は足を引きずりながら、山にかえっていきました。その前には、わなにかかった子熊を助けてやったこともあります。このときは、わざわざとなり村の山猟師のところまで出かけて行って、「あの熊はまだ小さい。山の掟では子熊はとらないことになっているではないかと」談判して、わなをはずす許しをもらってきたのです。
この若者は、子どものころから鳥が好きでした。ですから、毎日、自分の食べるご飯を少し残しては、小鳥にわけてやります。庭の柿の木の実は高いところのものはとらずにからすのためにおいておきます。もちろん、そんなことは年寄りならだれでもするものです。若者は、年寄りにも親切で、重いものを運んであげたり、となり村に行く前には必ず声をかけてついでの用事がないか尋ねたりと、なにかと気をつけてやるのでした。こんな若者のことを、「やっぱり直助も村の宝じゃなあ」と、人々は言うのでした。
さて、あるとき、この村に、とのさまがやってきました。とのさまは、狩りがたいそうお好きで、鷹狩りをするために、こんな人もかよわない山奥までやってこられたのです。とのさまが狩りをなさるというので、山仕事はしてはならないことになりました。そのかわり、男たちはセコという人足に駆り出され、とのさまのけらいのいうままに、山の中をあちらこちらと走り回らされました。
そして、女たちは炊き出しです。とのさまのけらいの食べ物を、いわれたとおりにつくるのです。何百人分もの食べ物ですから、大釜や大なべが村おさの家の前に並べられ、どんどんと薪をくべて、それは大変なことでした。
村おさは、とのさまのために家をあけなければなりませんでした。そして、いちばん上等の座敷をできるかぎりぴかぴかに磨き上げて、とのさまの御座所としました。御座所のお世話は村の娘たちがすることになりました。もちろん、そのなかにはさくらもいました。
嵐のようにとのさまの鷹狩りは終わりました。村人たちは、ほっとしていつもの仕事にもどりました。村おさがとのさまに呼び出され、ご城下まで山をこえて行ったのは、そんなある日のことでした。
お城につくと、下役さまがこんなことを言いました。「とのは、先の鷹狩りをこの上なくよろこばれた。ついては、その方の村のこの秋の雑徭をおゆるしくださろうとのおおせじゃ」。そのころ、村には毎年、重い年貢がかけられていました。年貢というのは、田んぼや畑にかかります。そして、田んぼや畑のほとんどない村には、年貢のほかにもいろいろと差し出さなければならないものがありました。雑徭というのはそのひとつで、もともとはいろいろな工事に人手を差し出すことでしたが、この村ではずっと昔から、お城で使う薪や炭を届けることになっていました。
「ありがたきしあわせ」と、村おさは頭を下げました。とのさまの鷹狩のために、村人はずいぶんがんばりました。だから、このぐらいのごほうびは、あってもあたりまえと思いました。
「さらに」と、下役さまは大きな声で言いました。「その方の村にある娘、さくらと申す者を、お城付きに差し出すようにとの、ありがたい仰せじゃ。しかと申し渡したぞ」
村おさは、驚いて顔を上げました。「さくらでございますか」
「そうじゃ」下役さまは、見下ろすような顔で答えました。「とのは、鷹狩の折に、そちの村で仕えたさくらと申す娘をたいへん気に入られた。おそばで使おてやろうとのことじゃ」
「おそれながらではございますが」と、村おさは言いました。「ご奉公ということになりますと、まずはふたおや、それに本人に確かめませぬと」
「なにを申す。とののお気に入るとは、ありがたきことではないか」
「お言葉を返すようではありますが、あの者は村の宝と、皆が申しております。宝を手放すのは何とも心苦しきことでござりますゆえ」
「だから、今年は薪も炭もいらんといったのだ」。下役さまは声の調子を変え、そっと、頼むように言いました。「わしも手荒なことはしたくない。だから、そちらにも納得のいくように、今年の雑徭を許してもらえるよう、とのに願い立てたのではないか。こらえておくれ」
「それでは、ともかく村に帰りまして、皆に聞いて参ります」。村おさは、やっとのことでそう言いました。「何よりも、さくらとその親の気持ちを聞かねばなりません」
「ああ、そうしてくれ」。下役さまはすがるように言いました。「わしにも、立場というものがある。さくらが来てくれれば、それですべてはまるくおさまるのだからな」
村おさが帰って、すぐに村では寄り合いが開かれました。誰もが、村の宝であるさくらを失いたくないと思いました。
それでも、「お城に行けば楽ができる。さくらにとってもよいことではないか」と言う者が、なかにひとりおりました。そこで、さくら本人に聞くことになり、さくらが呼びにやられました。
さくらは村おさの言葉を噛みしめるように聞いておりましたが、やがて、「村の皆様が行けとおっしゃるのであれば、しかたのないことかもしれません。けれど、私は、できますことなら村をはなれたくはありません」と、小さいけれど、はっきりした声で言いました。村人たちは、村おさの方を向いて、「なあ、なんとかとのさまにこらえてもらえるよう、お願いしてもらえないだろうか」と頼みました。
そこで、村おさは、ふたたびご城下へ向かいました。そして、下役さまにお目通りをお願いすると、「村人のたっての願いでございます。ほかでもない、さくらをお召しになることだけは、ご勘弁いただけないでしょうか」と、頭を地面にすりつけて願い出ました。
下役さまは、村おさに「しばらく待っておれ」というと、奥にはいりました。村おさは、ずいぶんと待たされました。待ちくたびれて、お腹がすっかりすいてしまったころ、ようやく下役さまが出てきました。そして、こう告げたのです。
「おとのさまは、たいそうご立腹である。先に申し渡したこの秋の雑徭をおゆるしくださる件はとりやめじゃ。それも、秋まで待つことはできぬ、即刻納めよとのご下命じゃ」
「即刻とは、どういうことでございましょう」。村おさは、おそるおそる尋ねた。
「とのさまは、三日のうちに全て納めるようにとのことじゃ。今年の雑徭は、薪が五百駄じゃ。五百駄の薪を三日のうちにご城下まで運び込め。一駄欠けても、相成らぬ。もしも成らぬときは、村おさよ、お主の命はないものと思え」。下役さまは大きな声でそう言うと、声の調子を変えて、こう加えました。「もちろん、さくらを差し出すのであれば、その段はうまくとりなして進ぜよう。三日のうちなどというのは、しょせん無理であろうからな」
下役さまが言ったとおり、三日で五百駄の薪をご城下に運ぶというのは、とうてい無理なことでした。一駄というのは、馬の背にいっぱいの荷物のことで、薪ならおよそ二十束ほどになります。囲炉裏でくべるなら一週間分ほどになるでしょうか。ですから、どこの家でも薪の十駄や二十駄は納屋に積んであります。村じゅうの薪を集めれば、急なことでも五百駄の薪を集めることはできなくはないかもしれません。
けれど、それを三日のうちにご城下まで運ぶのは、無理なことです。村からご城下まで、急ぎ足で歩いたとしても、朝早く村を出て、着くのはようやく日暮れ時です。村おさも、途中で宿屋に泊まって来ているのです。ですから、足の早い飛脚で村に知らせを送っても、村からご城下まで荷を運ぶには、ぎりぎり間に合う時間しかありません。
そして、五百駄の薪を運ぶには、五百頭の馬が必要です。ところが、村には馬は二頭しかいません。牛が十頭いますが、牛にも運ばせても一度に十二駄しか運べません。いつもの年のように秋いっぱいかけて馬方と牛方に運ばせれば、それでも何とかなるのです。けれど、わずか三日でどうなるわけもありません。無理難題とはこのことです。
村おさは、涙ながらに手紙を書き、飛脚に持たせました。飛脚はそれこそ飛ぶように山道を走って、夜の村に着きました。たちまち村は、大騒ぎになりました。誰が考えても、これは「さくらを差し出せ」というとのさまの強いお達しだということがわかりました。はじめからとのさまにさからうべきではなかったのだと、ぐちを言う者もありました。さくらがふびんだと、涙を流す者もありました。
だれよりも、さくらのことを嘆いたのは、直助でした。直助は、子どものころから友だちだったさくらを失いたくはなかったのです。できることならば、自分の背中に背負ってでも、薪五百駄をご城下に運びたいとさえ思いました。そして、本当にそれをはじめてしまったのです。
無理なことはわかっていました。人間が背負える薪は、うまく束ねても七束か八束がようやくのことです。わずかそれだけの薪を、何度運んでも、五百駄にはとうてい届きません。それでも直助は、自分の家の納屋に積んである薪を背負子につけると、後も振り返らずに、夜道を走り出しました。
悪いことに、その夜は月のない闇夜でした。いくら働き者で達者な直助でも、疲れが溜まるばかりで道ははかどりません。ご城下までの半道もいかないうちに、すっかりくたびれ果てて、直助は道端にうずくまってしまいました。直助の両の目から涙がこぼれました。食いしばった歯のすきまから、悲しみのうめき声が漏れました。
そのとき、直助のすぐそばで、何かが動きました。暗闇の中に目を凝らしてみると、何だかけもののようです。直助は、はっと身構えました。
「直助さん」
暗闇の中から鹿の鳴き声が聞こえました。直助には、それが自分の名前を呼んでいる言葉だとわかりました。
「直助さん、いったいどうしたんですか。何を泣いているんですか」
直助は、問われるままに、全てを話しました。どうにかしてさくらを助けたいこと。それができない自分の力のなさが情けないことを、いっしょうけんめいに言葉にしました。話しているうちに、直助には相手がいつか自分が助けた足を折った子鹿だという気がしてきました。理由もなく、そうだと思いました。
「わかりました、直助さん」
鹿はそう言いました。
「だいじょうぶですよ。薪を五百駄、ご城下に運べばいいのですね。明日の朝、村おさの家の前に、五百駄の薪を用意しておいてください。きっと、何もかもうまくいきますよ」
そう言って、鹿は暗闇の中に消えていきました。
直助は、大急ぎで村に走ってもどりました。そして、夜明け前の村じゅうの家の扉を叩いて、ありったけの薪をすぐに村おさの家の前まで持ってきてくれるようにと頼みました。ふつうなら、こんなことを言われてその通りに薪を持っていく人などいないでしょう。けれど、直助は誰もが認める村の宝です。その言葉には、人の心を納得させる力がありました。皆は、納屋から薪をとりだすと、村おさの家の前まで、何度も何度も薪を抱えては急ぎました。
やがて、夜が明けました。村おさの家の前には、うず高く薪が積み上げられました。確かにこれで五百駄はあるでしょう。けれど、どうやって運ぶというのでしょう。
そのとき、朝霧を分けるようにして、鹿の群れが現れました。あとからあとからやってきて、おとなしく、薪の山の前に並びました。先頭の鹿が、ゆっくりと直助に向かってうなづきました。村人たちも、直助の顔をみました。直助は、大きな声で言いました。「さあ、鹿たちに運んでもらおう」
鹿一頭の運べる薪は、わずかです。けれど、鹿はあとからあとからやってきました。ご城下では、突然現れた鹿の行列に皆が驚きましたが、鹿についてきた村びとたちが、「とのさまの御用である。決してじゃまをするではない」と触れ回りましたので、だれも手出しをしませんでした。そして、薪の山は、たちまちお城の馬場に高く積み上げられました。全て運び終わると、鹿は何事もなかったかのように、夕暮れの山に消えていきました。
次の日、下役さまは村おさに向かって言いました。「薪五百駄、ご苦労であった。さて、これでこの秋の雑徭は、しかと受け取った。しかしながら、さくらはいまだ出仕せぬが、これはいかがいたす」。
村おさはびっくりしました。薪五百駄を差し出したからには、さくらを差し出すことは許してもらえると思ったのです。
「だれがそんなことを言うたか」。下役さまは苦い顔で言いました。「薪五百駄は、今年の雑徭じゃ。本来ならば納めずともよいものを、そちがとのさまのご機嫌を損ねたから出さねばならなくなったのではないか」
「ですので、それを納めました上は、これにてお許しを」
「いいや、とのさまは、さくらを差し出すようにと申されておる」。ここで、下役さまは声の調子を変えました。「なあ、来年の雑徭として、炭を百駄、納めれば、ここはとりなしてやらぬでもないがなあ」
「炭を百駄でございますか」
「そうじゃ。そこまですれば、とののご機嫌もなおるかもしれん。そうじゃなあ、やはり三日でどうじゃ」。下役さまは、いやな笑い方をしました。「まあ、無理じゃろうなあ。素直にさくらを差し出した方がずっとよいのではないかな」
村おさは、また手紙を飛脚に託しました。やはり、さくらにはこらえてもらうよりない。村おさの筆は、涙でにじんでおりました。
炭の百駄というのは、薪の五百駄以上に無理なことです。というのは、炭というのは、すぐに焼けるものではないからです。まずは、炭にするための木を切り出してこなければなりません。それも、樫や栗のような堅い木の、腕くらいからある枝がいちばんです。あまり太いものはうまく炭にはなりませんし、細すぎては手間ばかりかかります。この木をぎっちりと炭窯に詰め込んで、口の近くに柴を詰め、その手前を半分泥でふさいで、火をつけます。半日ほどかけて火が回ったら口の残りを泥で塞ぎ、さらに丸一日ほど蒸し焼きにします。それから一日放っておいて少し冷めたら、窯口の泥を崩して、灰の中に炭をとりだします。こうすると、初めに十駄あった薪は、二駄か三駄の炭になります。ですから、百駄の炭をつくるにはやっぱり五百駄からの薪がいるし、その上でさらに何日も何日も、炭窯で働かなければならないのです。そして、炭は身分の高い人の使うものですから、薪のように村にたくわえがあるわけもありませんでした。焼いた炭は、みんな町に出してしまうのです。村おさは、もう駄目だと思いながら、手紙を書いたのでした。
村では、無理難題を出してきたとのさまの鼻をあかしてやったと、みなが喜んで、うたげの最中でした。そこに、村おさの手紙が届いたので、皆の笑顔は一気に消え失せました。腹を立てるものもいれば、泣き出すものもいました。
いちばん激しく泣いたのは、直助でした。心やさしい直助は、皆の前では落ち着いていましたが、そっとその場を離れてひとり薮の裏手に隠れると、声をからして泣きました。自分が何の役にも立たなかったことがふがいなく、さくらの定めがあわれで、泣きました。
「直助どん」
直助は、どこからか自分の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしました。顔を上げると、頭の上の木の枝に、大きなからすがとまっています。からすは、かあ、と、一声鳴きました。その声が、直助には、「直助どん、何を泣いておられるのだ」と、聞こえました。
直助は、堰を切ったように喋りました。とのさまがどれほど理不尽かを、せつせつと訴えました。そんなことをしても何の甲斐もないとわかっていながら、話しました。せめて百駄の炭があればと、涙に声をつまらせました。
「百駄の炭があればええのかい」。からすはそんなふうに鳴きました。そして、東の空へと飛んでいきました。
翌朝、まだ日も昇らないうちに、直助は村びとにたたき起こされました。「直助や、炭だ」。
わけのわからないまま直助が家の外に出ると、空が真っ暗になるほどたくさんのからすの群れが舞っています。手を引かれるままに村おさの家の前まで急ぐと、そこには真っ黒な炭がうずたかく積まれていました。
「からすが運んでおる」。村人の言葉に目を凝らすと、たくさんのからすは、それぞれ一本ずつ炭をくわえています。そして、炭の山の上に舞い降りると、そっとそれを置き、また大空高くに舞い上がっていきます。
「こりゃあ、奥山の火事場の炭だ」。炭の山から一本とって調べていた木こりが叫びました。「去年、奥山で山火事があったやろ。あの火事場の消し炭じゃよ、これは」
木が燃え残ると、消し炭と呼ばれる炭が残ります。窯で焼いた炭に比べれば火持ちも悪く、上等ではないのですが、それでも炭は炭です。
「いや、消し炭にしちゃあ、上等だ。からすのやつら、ずいぶんと選んできたとみえるわ」と、炭焼きが言いました。「奥山の火事場は広いからなあ。さがせばこれだけのものも集まるわけだ」
「しかし、なんでからすが炭を運んでくるんじゃろう」。そんな村人の声に、直助ははっとしました。そして、大きな声で言いました。「さあ、皆の衆、たわらをもってきておくれ。これだけあれば、百駄は十分だ」
ご城下で気を揉んでいた村おさは、百駄の炭が無事にお城に届けられたことを聞いてほっとしました。下役さまにお目通りを願うと、「どうかとりなしてくだされ」と頭をこすりつけました。
下役さまは、また村おさを待たせて出ていきました。ずいぶんたってから戻ってくると、笑顔でこうおっしゃいました。
「村おさ、この度のこと、見事であった。とのもこの不思議に感じ入っておられる。これに免じて、この度の無礼、許して進ぜようとのお言葉じゃ。そちの命もとらぬし、娘も出仕には及ばぬ」
「ありがたきこと」と、村おさは頭を下げました。心底ほっとしました。
「ただし」と、下役さまはそこで大きな声を出されました。「それは三日のうちに足軽二百人を差し出すならば、ということじゃ」
「はあ?」。村おさは驚いて顔を上げました。
「間もなくいくさがはじまる。そちの村には何か不思議があるようじゃな。とのは、その不思議の力でいくさに勝ちたいと、こうお考えじゃ。よいな。そちの村人二百を足軽にして、すぐに連れてまいるのじゃ」
「しかし」と、つぶやいた村おさの言葉を、下役さまはさえぎりました。
「それができぬのなら、おとなしくさくらを差し出すのじゃな。だが、とのはもう、さくらよりもいくさのほうに気をとられておられる。足軽どもは、ぜひ必要じゃ。よいか、すぐに連れてまいるのだぞ」
村おさは、三度目の手紙を飛脚にもたせました。村には女子ども、年寄りまでを合わせても、二百をわずかに越えるほどしか住んでいません。いくさに耐える屈強の男は五十人もいないでしょう。その男どもをすべてさし出したとしても、とうてい数はたりません。いえ、村の男が全部いくさに出てしまえば、村の暮らしは立ち行きません。だれもがこまってしまうでしょう。
村では、またもとのさまの無理な申し付けに、だれもが腹を立てました。とはいえ、とのさまにさからうわけにはいきません。いくさに出なければならないとあきらめる男もいれば、女子どもまで出なければ数が合わないと嘆く男もいました。いや、どうせとのさまのいう数には足りないのだからみんなで山に逃げ込もうという男もいました。女たちは、いくさが近いと聞いて涙を流しました。はじめからさくらを差し出しておけばよかったと悔やむ年寄りまでいたのです。
直助は、そんなふうには思いませんでした。たとえさくらを差し出していたとしても、やっぱりとのさまは無理難題をふっかけてきただろうと思ったのです。いくさということになれば、どのみち男どもはかり出されます。さからえば、自分たちの村が攻め滅ぼされてしまうでしょう。
直助は、裏山に登って村を見渡しました。この村は、自分らの村です。自分らが生まれた場所であり、駆け回ってきた野山です。だれに何の恥ずかしいこともない、自分たちの暮らしです。それをどういうわけで、とのさまに乱されなければならないのでしょうか。
直助は、大きなため息をつきました。
「直助どん、何をなやんでおられる」
けものの声がしましたが、直助にはそれがそんなふうに尋ねているように聞こえました。振り向いてみると、大きな熊が木々の間をこちらに向かって歩いてきます。直助は怖れませんでした。とのさまに比べたら、熊の方がまだ話がわかるというものです。
「とのさまが、いくさをはじめるというのだ」
直助は、そう話しはじめました。熊はしばらく直助の言うことを聞いていましたが、やがて頭を振ると、のっしのっしと木々の間に消えていきました。
次の日、村人たちは朝から集まって、答えの出ない相談を続けました。いくさとなれば、どのみちろくなことはない。それはみんな同じ意見でした。けれど、そこからはてんでばらばらでした。だから逃げた方がいいという者もあれば、同じことならいくさに加わってほうびをあてにした方がいいという者もいました。とのさまにわいろを送ったらという者には、どこにそんな財産があるかと反論するものもあらわれました。
答えが出ないままに昼を過ぎたころ、突然、水汲みに出ていた女が駆け込んで来ました。「槍をもった男たちがくる」と叫びました。
みなは驚いて女の示す方に駆け出しました。川の上の方から、大勢の足音がします。あわてて家に鎌や鍬をとりに走る者、急を知らせにとって返す者、手近な棒切れを掴んで足音の方に向かう者と、一気に騒ぎは大きくなりました。
直助は、先頭に立って川上に走りました。河原を大勢の男どもがやってきます。鉢巻を締め、槍を担いだその姿は、これからいくさに向かう足軽に間違いありません。いよいよいくさがはじまったのでしょうか。けれど、なぜ川上からやってきたのでしょう。この村より奥には、だれも住んでいないはずなのです。
足軽たちは立ち止まりました。先頭の男が一歩前に出ました。
「村おさどのはおられぬか。私は木地師の惟裄と申すものだ」
「サンカだ!」と、だれかが小さな声で叫びました。「山賊だ!」とささやく者もいました。「こんなときによりによって、荒くれどもがやってきた」と、頭を抱える者もいました。
「村おさは留守だ。私が話を聞こう」と、大きな声が響きました。直助です。一歩前に出て立ちはだかりました。惟裄と名乗った大男は、じろりと直助を見ました。
「実は、奇妙なことがあった。昨夜、山の神様がお見えになった」。惟裄はそう話しはじめました。「いくさがある、お前たちも行かねばならぬと、このようにおっしゃった。そしてな、直助殿。おぬしの名前もおっしゃられた。行って直助によく話を聞けと」
「サンカの山の神様というのは熊のことだ」と、だれかがささやきました。直助はそれを押し止めて、言いました。
「惟裄殿、それで、あなたがたは何人おられる」
「百五十人の屈強の男を揃えてきた」
「それで、何を望まれる」
惟裄は、もういちど直助を頭の先からつま先まで見ました。そして、こう返事をしました。
「お山がいくさに荒らされぬこと。木地師代々の暮らしが奪われぬこと」
次の日、とのさまは二百人の屈強の足軽が山奥の村から着いたという知らせに小躍りして喜ばれました。馬場に出てみると、たくましい男どもが槍を揃えてきちんと並んでいます。この者どもをしたがえていくさに出れば、どんな敵もおそれるに足りないでしょう。
とのさまは、ほら貝を吹かせました。馬を連れてこさせ、鎧を身につけました。いよいよいくさに出陣です。そして、馬を足軽たちの中に進めました。
「すすめ、すすめ、者どもよ!」
そのときです。足軽たちは一斉に槍を揃え、そのきらりと光る穂先をとのさまに向けました。だれひとり、口をきく間もなく、とのさまは血を流してたおれました。
とのさまのご家来衆があわてて駆けつけたときには、もう足軽たちは何事もなかったかのように槍の穂先を揃えていました。ご家来衆のだれひとりとして、その恐ろしい屈強の男たちに攻めかかる勇気をもつものはおられませんでした。やがて、足軽たちは、静かに山の方へと退いていきました。あとには、地に倒れたとのさまのなきがらだけが残されました。
このようにして、直助の村は、村の宝を守りました。それから長い間、だれもこの山奥の村に手を出す者はなく、山の村は美しく栄えたということです。
(初出:March 18, 2009)