むかし、森の奥に「いかず池」という小さな池がありました。なぜこんな名前がついたのでしょう。それは、この池に行こうと思っても、ぜったいにたどり着けないからです。森の奥、沢の枝分かれした先にあることは、むらの人にはわかっています。けれど、「たしかこっちだった」と山を踏み分けてたどっても、そこに池はないのです。
ところが、行こうと思わずに森の中を歩いていると、ふいっと目の前に池があらわれます。しんっとしずまりかえった水のおもてには、さざなみひとつたっていません。浅い水ぎわには、あしによくにた草がたくさんはえています。木立に隠れてしまうほどの小さな池ですから、たしかに見落としてもふしぎはないのかもしれません。それでも、行こうと思っていないときにかぎって見つかるのは、なんだかきみょうです。
そんなわけで、むらの人はいつのころからかこの池のことを「いかず池」と呼ぶようになったのでしょう。もっとも、じっさいにこの池に行ったことがあるのは、ほんのわずかの人びとだけでした。ふつうのむら人がちょっとした山仕事ではいる森よりは、ずいぶんと奥まったところにあったからです。大物をねらう山猟師や、腕自慢の木こりぐらいしかはいらない奥山です。だから、ほとんどの人にとっては、いかず池はその名前のとおり、だれも行かない池でした。
この池には、たどり着けないということのほかに、もっとふしぎな言い伝えがありました。それは、この池にはえている草をせんじて飲めば、どんな重い病でもたちどころになおるというものです。もちろん、たしかめた人はいません。なぜなら、病気になってからこの池の草をほしいと思っても、その草を手に入れることなどできないからです。草を手に入れたいと思って池をさがしても、池はけっして出てきません。いかず池だからです。池は、探していないときしかたどり着けない場所にあるからです。
そのむかし、こんな言い伝えができるより前のこと、ひとりの木こりが山仕事の帰り道に、この池を通りました。木こりには長く病の床についた母親がおりましたが、まずしい木こりは、ろくに母親にうまいものも食べさせられません。山仕事の帰り道に食べられそうな野の草をつんで、まずしい菜の足しにするほどです。この日もそうでした。池のはたにはえているあしによくにた草の先の方がやわらかそうに見えたので、母親に食べさせてやろうと持ち帰ったわけです。
この草を食べた母親は、とたんに元気になりました。だから、「いかず池の草は万病にきく」という言い伝えが生まれたのです。ところがそれ以後、この話をきいて草をとりに行ったむら人は、ひとり残らず池を見つけられずに帰ってきました。たまに何の気もなく池を見つけた人がむらにおりてくると、むら人はとりかこむようにして、「草をとってこなかったか?」とたずねます。けれど、そういう人は草がほしくて池に行ったわけではありませんから、たいていは手ぶらです。ごくごくまれに、言い伝えを思い出して、たまたま見つけた池で草をつんでくる人がいます。そういう草は、めずらしい薬のもとになるということで、たいへんよい値段でとりひきされるのでした。
あるとき、頭のいい男が、この草の話を聞きつけました。わざわざこの山奥のむらまでやってくると、金をおしまずに、わずかの草を買い集めました。そして、それをまちにもっていくと、病に苦しむ人びとに飲ませ、ききめをたしかめました。たしかに、きいたこともないほどよくきく薬のようです。男はほくそえみました。そして、あちこちの金持ちをまわってお金をかき集めました。借りられるだけのお金を、ありとあらゆる方法を使って、せいいっぱいに借りました。
そして、そのお金をもって、また山奥のむらにやってきました。そして、そのむらから奥の山すべてを、その金で買いとると言ったのです。
むら人は、考えこみました。けれど、お金はやっぱりほしいのです。一生かかっても目にすることのできないような大金が、ちょっと紙に名前を書くだけで手に入るのです。ほとんどの人が、みなで分けあってもってきた森を売りわたすことにさんせいしました。
頭のいい男は、森を買ってしまうと、さっそくむら人たちを人足にやとって、森の木を切りはじめました。男の考えはこうです。たしかに、いかず池は、ふつうにさがしても出てこないのだろう。だったら、かくれがをなくしてしまえばいい。森の木をぜんぶ切ってしまえば、まるはだかの山のどこかに、池が出てくるはずです。そうやって池を見つけてしまえば、あとはそこにはえている草を売り払って、大儲けができるのです。
森の木はどんどん切られ、山は地はだをむきだしにしていきました。そしてついに、山のしゃめんに、ぽつりと小さな池がすがたをあらわしました。
頭のいい男は、さっそく、カマを手にして草をとりに出かけました。けれど、なんということでしょう。森がなくなってしまったせいで、池の水はすっかりひあがってしまっていました。そして、そこにはえていた草は、どこにもなくなってしまっていました。
こうして、いかず池も、そこにはえた草も、そして頭のいい男も、みんな消えてしまったということです。
ところが、行こうと思わずに森の中を歩いていると、ふいっと目の前に池があらわれます。しんっとしずまりかえった水のおもてには、さざなみひとつたっていません。浅い水ぎわには、あしによくにた草がたくさんはえています。木立に隠れてしまうほどの小さな池ですから、たしかに見落としてもふしぎはないのかもしれません。それでも、行こうと思っていないときにかぎって見つかるのは、なんだかきみょうです。
そんなわけで、むらの人はいつのころからかこの池のことを「いかず池」と呼ぶようになったのでしょう。もっとも、じっさいにこの池に行ったことがあるのは、ほんのわずかの人びとだけでした。ふつうのむら人がちょっとした山仕事ではいる森よりは、ずいぶんと奥まったところにあったからです。大物をねらう山猟師や、腕自慢の木こりぐらいしかはいらない奥山です。だから、ほとんどの人にとっては、いかず池はその名前のとおり、だれも行かない池でした。
この池には、たどり着けないということのほかに、もっとふしぎな言い伝えがありました。それは、この池にはえている草をせんじて飲めば、どんな重い病でもたちどころになおるというものです。もちろん、たしかめた人はいません。なぜなら、病気になってからこの池の草をほしいと思っても、その草を手に入れることなどできないからです。草を手に入れたいと思って池をさがしても、池はけっして出てきません。いかず池だからです。池は、探していないときしかたどり着けない場所にあるからです。
そのむかし、こんな言い伝えができるより前のこと、ひとりの木こりが山仕事の帰り道に、この池を通りました。木こりには長く病の床についた母親がおりましたが、まずしい木こりは、ろくに母親にうまいものも食べさせられません。山仕事の帰り道に食べられそうな野の草をつんで、まずしい菜の足しにするほどです。この日もそうでした。池のはたにはえているあしによくにた草の先の方がやわらかそうに見えたので、母親に食べさせてやろうと持ち帰ったわけです。
この草を食べた母親は、とたんに元気になりました。だから、「いかず池の草は万病にきく」という言い伝えが生まれたのです。ところがそれ以後、この話をきいて草をとりに行ったむら人は、ひとり残らず池を見つけられずに帰ってきました。たまに何の気もなく池を見つけた人がむらにおりてくると、むら人はとりかこむようにして、「草をとってこなかったか?」とたずねます。けれど、そういう人は草がほしくて池に行ったわけではありませんから、たいていは手ぶらです。ごくごくまれに、言い伝えを思い出して、たまたま見つけた池で草をつんでくる人がいます。そういう草は、めずらしい薬のもとになるということで、たいへんよい値段でとりひきされるのでした。
あるとき、頭のいい男が、この草の話を聞きつけました。わざわざこの山奥のむらまでやってくると、金をおしまずに、わずかの草を買い集めました。そして、それをまちにもっていくと、病に苦しむ人びとに飲ませ、ききめをたしかめました。たしかに、きいたこともないほどよくきく薬のようです。男はほくそえみました。そして、あちこちの金持ちをまわってお金をかき集めました。借りられるだけのお金を、ありとあらゆる方法を使って、せいいっぱいに借りました。
そして、そのお金をもって、また山奥のむらにやってきました。そして、そのむらから奥の山すべてを、その金で買いとると言ったのです。
むら人は、考えこみました。けれど、お金はやっぱりほしいのです。一生かかっても目にすることのできないような大金が、ちょっと紙に名前を書くだけで手に入るのです。ほとんどの人が、みなで分けあってもってきた森を売りわたすことにさんせいしました。
頭のいい男は、森を買ってしまうと、さっそくむら人たちを人足にやとって、森の木を切りはじめました。男の考えはこうです。たしかに、いかず池は、ふつうにさがしても出てこないのだろう。だったら、かくれがをなくしてしまえばいい。森の木をぜんぶ切ってしまえば、まるはだかの山のどこかに、池が出てくるはずです。そうやって池を見つけてしまえば、あとはそこにはえている草を売り払って、大儲けができるのです。
森の木はどんどん切られ、山は地はだをむきだしにしていきました。そしてついに、山のしゃめんに、ぽつりと小さな池がすがたをあらわしました。
頭のいい男は、さっそく、カマを手にして草をとりに出かけました。けれど、なんということでしょう。森がなくなってしまったせいで、池の水はすっかりひあがってしまっていました。そして、そこにはえていた草は、どこにもなくなってしまっていました。
こうして、いかず池も、そこにはえた草も、そして頭のいい男も、みんな消えてしまったということです。
(初出:November 18, 2009)