みよちゃんは、ロッジの入り口で立ちすくみました。知らない人があんまりたくさんいて、びっくりしてしまったのです。小雪がちらつくゲレンデは、がらがらでした。広い斜面で、みよちゃんは思うぞんぶん、そりすべりができたのです。
けれど、お父さんは「上の方を滑ってくるよ」と、行ってしまいました。お母さんは妹のめんどうをみなければいけないので、みよちゃんは急につまらなくなりました。そのうちに、お母さんが困った顔でみよちゃんに言いました。「ごめん、おむつ替えにいかなあかんねんけど、みよこ、ひとりで遊んでてくれる?」。そして、お母さんは急ぎ足でロッジの方に行ってしまいました。
みよちゃんは、ひとりでそりを楽しもうとしました。けれど、ちっとも楽しくありません。楽しいどころか、坂を上がるのは疲れるし、そりはうまく進んでくれないし、どっちかといえばつらい気持ちになってきます。
みよちゃんが手袋がないのに気がついたのは、そんなときでした。いつからでしょう。確かにそり遊びをはじめたときには、赤いかわいいミトンをはめていました。けれど、気がついたらその手袋はありません。いつ脱いだのかも覚えていないし、どこに置いたのかもわかりません。急に指が凍える気持ちがしました。凍えてちぎれてしまうんじゃないかと思いました。
叱られるかもしれない。みよちゃんは、そんなふうに思いました。お父さんがスキーに行こうといったとき、お母さんは「みよこにはまだ早いでしょう」と言いました。そして、赤いアノラックと、それによく似合う赤いミトン、赤いそりを買ってくれました。みよちゃんはとても嬉しかったのですが、お父さんはちょっと怖い顔で言いました。「ぜったい、なくしたらあかんで」と。
みよちゃんは、ロッジに向かって走りました。助けてほしかったのです。ロッジの重い分厚い扉を押すと、急にたくさんの人の声が流れてきました。じっとりとしめった床の上に立って、みよちゃんは動けなくなってしまいました。
「早よ、閉めんかいな。そんなとこで、ぼっさり立ってんと」
誰かが叫びました。みよちゃんはあわててロッジの中にはいりました。後ろで扉がぎいっと閉まりました。ばねがはいっているのでしょう。
広い部屋の向こう側には、カウンターがあって、その向こうで湯気が上がっています。何か料理をつくっているようです。右側には大きな窓があって、ゲレンデが見えます。さっきまで自分がそこにいたとは思えないほど、吹雪の吹きさらしに見えます。左側の壁には、たくさんのポスターやペナントが貼ってあります。そしてどちらの壁際にも椅子やテーブルがあって、おとながすわってコーヒーを飲んだり新聞を広げたりしています。どこにもお母さんの姿は見えません。
みよちゃんは、じぶんがいてはいけない場所にいるような気になりました。ここにはいってきてはいけなかったんだと思いました。けれど、いまさら吹雪のゲレンデに出て行く勇気もありません。それに、お母さんはまちがいなくこのロッジのどこかにいるはずなのです。
みよちゃんは、泣きそうなのをこらえながら、お母さんを探し始めました。おとなの足はひどくじゃまになります。椅子があちこちに散らかっていて、迷路のようです。その間をゆっくりと進んで行くと、突然、行く手を金網でふさがれました。そのとたん、ふっと気持ちがよくなりました。暖かい風が吹いてきたのです。
金網に近寄ってみると、そのむこうに大きなストーブが燃えています。作業服を着たおじさんが、ちょうどストーブのふたを開けて、とても太い薪をいくつも投げ込んでいるところでした。ごうごう、ぱちぱちと、ストーブはやさしい音を立てます。そして、どんどんと暖かさが身体に染み込んできます。
みよちゃんは、さっきまでのさみしい気持ちがどこかに行ってしまったような気がしました。そして、金網にへばりつくようにして、ストーブに当たりました。だんだんと顔がほてってきます。すると、お尻がぬれているのが気になってきました。そこで今度はストーブにお尻を向けて立ちました。足の先も冷たいのに気がつきました。お尻があたたまったところで、小さな木の椅子にすわって、長靴を脱ぎました。足先がポカポカしてきます。
足を温めながら、みよちゃんは天井をみました。高い天井には、太い木のはりが何本も通っています。その間に、ブリキの煙突が頼りなさそうに伸びています。煙突は何か所かでぐねっと曲がって、ストーブまでつながっています。ストーブの近くでは、煙突のまわりもやっぱり金網でかこってあります。金網には、色とりどりに濡れものが干してあります。
みよちゃんは、はっとしました。あの高いところにひっかけてある手袋は、じぶんの赤いミトンにちがいありません。どうしてあんなところにあるのかはわかりませんが、お母さんが書いてくれた名前もはっきりと見えるのです。
みよちゃんは、ほっとしました。そして同時に、困ってしまいました。だって、あんな高いところにある手袋には手が届きません。せっかく見つけたのに、とることができないのです。
どうしたらいいだろう。どうしようか。みよちゃんは考えました。金網によじ登ろうか。けれど、金網は目が細かくて、おまけにぐらぐらしています。椅子の上に立とうか。それでも届きそうにありません。椅子を二つ重ねれば届くかもしれません。けれど、それはひどく危ないことです。
みよちゃんは、どうしたらいいのか、ストーブの前でいっしょうけんめい考えました。だんだんと、身体がポカポカしてきます。すると、さっきまで知らない人ばかりで怖いと思っていたロッジの中が、だんだんと居心地のいいもののように思えてきました。そして、そこにいる人たちも、ちっとも怖い人じゃない、別に知らない人なんかじゃないと思えるようになってきました。
そして、みよちゃんは、勇気を出しました。近くでストーブにあたっていたおじさんに、はっきりと、大きな声でお願いをしたのです。
「そこにある、手袋、とってくれませんか」
おじさんは、ちょっとびっくりしたように、みよちゃんを見ました。それから、にっこりと笑うと、「これだね」と言って、赤いミトンをとって、みよちゃんに渡してくれました。
みよちゃんは、すっかり元気になりました。もう叱られる心配もありません。そのとき、みよちゃんは、向こうの方にお母さんを見つけました。妹を抱いて、出口の方に向かっています。みよちゃんは、かけ出しました。もう、何も怖くはないのです。
そんなみよちゃんを、ストーブが暖かく見守っていました。
けれど、お父さんは「上の方を滑ってくるよ」と、行ってしまいました。お母さんは妹のめんどうをみなければいけないので、みよちゃんは急につまらなくなりました。そのうちに、お母さんが困った顔でみよちゃんに言いました。「ごめん、おむつ替えにいかなあかんねんけど、みよこ、ひとりで遊んでてくれる?」。そして、お母さんは急ぎ足でロッジの方に行ってしまいました。
みよちゃんは、ひとりでそりを楽しもうとしました。けれど、ちっとも楽しくありません。楽しいどころか、坂を上がるのは疲れるし、そりはうまく進んでくれないし、どっちかといえばつらい気持ちになってきます。
みよちゃんが手袋がないのに気がついたのは、そんなときでした。いつからでしょう。確かにそり遊びをはじめたときには、赤いかわいいミトンをはめていました。けれど、気がついたらその手袋はありません。いつ脱いだのかも覚えていないし、どこに置いたのかもわかりません。急に指が凍える気持ちがしました。凍えてちぎれてしまうんじゃないかと思いました。
叱られるかもしれない。みよちゃんは、そんなふうに思いました。お父さんがスキーに行こうといったとき、お母さんは「みよこにはまだ早いでしょう」と言いました。そして、赤いアノラックと、それによく似合う赤いミトン、赤いそりを買ってくれました。みよちゃんはとても嬉しかったのですが、お父さんはちょっと怖い顔で言いました。「ぜったい、なくしたらあかんで」と。
みよちゃんは、ロッジに向かって走りました。助けてほしかったのです。ロッジの重い分厚い扉を押すと、急にたくさんの人の声が流れてきました。じっとりとしめった床の上に立って、みよちゃんは動けなくなってしまいました。
「早よ、閉めんかいな。そんなとこで、ぼっさり立ってんと」
誰かが叫びました。みよちゃんはあわててロッジの中にはいりました。後ろで扉がぎいっと閉まりました。ばねがはいっているのでしょう。
広い部屋の向こう側には、カウンターがあって、その向こうで湯気が上がっています。何か料理をつくっているようです。右側には大きな窓があって、ゲレンデが見えます。さっきまで自分がそこにいたとは思えないほど、吹雪の吹きさらしに見えます。左側の壁には、たくさんのポスターやペナントが貼ってあります。そしてどちらの壁際にも椅子やテーブルがあって、おとながすわってコーヒーを飲んだり新聞を広げたりしています。どこにもお母さんの姿は見えません。
みよちゃんは、じぶんがいてはいけない場所にいるような気になりました。ここにはいってきてはいけなかったんだと思いました。けれど、いまさら吹雪のゲレンデに出て行く勇気もありません。それに、お母さんはまちがいなくこのロッジのどこかにいるはずなのです。
みよちゃんは、泣きそうなのをこらえながら、お母さんを探し始めました。おとなの足はひどくじゃまになります。椅子があちこちに散らかっていて、迷路のようです。その間をゆっくりと進んで行くと、突然、行く手を金網でふさがれました。そのとたん、ふっと気持ちがよくなりました。暖かい風が吹いてきたのです。
金網に近寄ってみると、そのむこうに大きなストーブが燃えています。作業服を着たおじさんが、ちょうどストーブのふたを開けて、とても太い薪をいくつも投げ込んでいるところでした。ごうごう、ぱちぱちと、ストーブはやさしい音を立てます。そして、どんどんと暖かさが身体に染み込んできます。
みよちゃんは、さっきまでのさみしい気持ちがどこかに行ってしまったような気がしました。そして、金網にへばりつくようにして、ストーブに当たりました。だんだんと顔がほてってきます。すると、お尻がぬれているのが気になってきました。そこで今度はストーブにお尻を向けて立ちました。足の先も冷たいのに気がつきました。お尻があたたまったところで、小さな木の椅子にすわって、長靴を脱ぎました。足先がポカポカしてきます。
足を温めながら、みよちゃんは天井をみました。高い天井には、太い木のはりが何本も通っています。その間に、ブリキの煙突が頼りなさそうに伸びています。煙突は何か所かでぐねっと曲がって、ストーブまでつながっています。ストーブの近くでは、煙突のまわりもやっぱり金網でかこってあります。金網には、色とりどりに濡れものが干してあります。
みよちゃんは、はっとしました。あの高いところにひっかけてある手袋は、じぶんの赤いミトンにちがいありません。どうしてあんなところにあるのかはわかりませんが、お母さんが書いてくれた名前もはっきりと見えるのです。
みよちゃんは、ほっとしました。そして同時に、困ってしまいました。だって、あんな高いところにある手袋には手が届きません。せっかく見つけたのに、とることができないのです。
どうしたらいいだろう。どうしようか。みよちゃんは考えました。金網によじ登ろうか。けれど、金網は目が細かくて、おまけにぐらぐらしています。椅子の上に立とうか。それでも届きそうにありません。椅子を二つ重ねれば届くかもしれません。けれど、それはひどく危ないことです。
みよちゃんは、どうしたらいいのか、ストーブの前でいっしょうけんめい考えました。だんだんと、身体がポカポカしてきます。すると、さっきまで知らない人ばかりで怖いと思っていたロッジの中が、だんだんと居心地のいいもののように思えてきました。そして、そこにいる人たちも、ちっとも怖い人じゃない、別に知らない人なんかじゃないと思えるようになってきました。
そして、みよちゃんは、勇気を出しました。近くでストーブにあたっていたおじさんに、はっきりと、大きな声でお願いをしたのです。
「そこにある、手袋、とってくれませんか」
おじさんは、ちょっとびっくりしたように、みよちゃんを見ました。それから、にっこりと笑うと、「これだね」と言って、赤いミトンをとって、みよちゃんに渡してくれました。
みよちゃんは、すっかり元気になりました。もう叱られる心配もありません。そのとき、みよちゃんは、向こうの方にお母さんを見つけました。妹を抱いて、出口の方に向かっています。みよちゃんは、かけ出しました。もう、何も怖くはないのです。
そんなみよちゃんを、ストーブが暖かく見守っていました。
(初出:March 11, 2009)