むかし、ぼくは若いころ、旅をする人でした。そういう仕事を選んだのですね。いえ、選んだというよりは、仕事の方からやってきたのです。いつの間にか、あちこち出かける用事が増えて、気がついたらたいていの地方には一度や二度は行ったことがあるという旅人になっていました。
ずいぶんいろんなところに行きましたよ。船に乗って島に渡ったこともあります。雲の上に顔を出した山のてっぺんに泊めてもらったこともあります。無人駅のベンチで寝たことも、大都会の真ん中で行き場をなくしてゴミ捨て場で夜明けを待ったこともあります。このときは、危ないところでどろぼうとまちがえてつかまえられそうになりました。まあ、そんな話もおもしろいのですが、今日はある深い谷間の一軒家をおとずれたときのことを話しましょう。
この家には、土間の真ん中に大きな薪ストーブがありました。そう、大きな家の玄関をはいったところから三分の一ぐらいが土間になっていたのです。そこから八畳と六畳の座敷がふたつならんでいて、その先に四畳半と六畳の奥の間があります。だからずいぶんと広い家です。二階もあります。その広い家を、この大きな薪ストーブが暖めていたのでした。
いま思い返せば、あのストーブはずいぶんと煙を出していました。木が燃えるにおいがしたし、ストーブのまわりはすすで真っ黒になっていました。それほど上等なストーブではなかったのかもしれません。でも、暖かいことは申し分ありませんでした。その暖かいストーブのまわりには、いつも人が集まっていたものです。ぼくは、そのストーブのそばでいろんな人の話を聞きました。
けれど、この家の主である重吾さんの話は、なかなか聞けませんでした。重吾さんはずいぶんと忙しい人だったからです。夏の間は畑を飛び回るようにはたらき、冬になるとあちこち出かけて話をします。だから、ストーブの前にゆっくり座ってくれることなどめったにないのでした。ぼくと顔を合わせても、あいさつする時間も惜しいぐらいに「ちょっと頼めないかな」とか「きみはこれをどう思う?」と、用事が先にくるのでした。
だから、ぼくがこの話を重吾さんとしたのがいつ、どんなときだったのか、もういまでは思い出せません。年をとると、若いころのことはみんなぼんやりとしてくるものです。雪の降る、寒い日の午後だったような気がします。お正月だったのかもしれません。なぜなら、その日はぼくと重吾さんのほかは、だれもこの家にいなかったからです。
「こんな山の中に来て、きみはたいくつじゃないかね」
重吾さんがそんなふうに言ったのかもしれません。
「いえ、ここはずいぶんにぎやかですから」
いろんな人が出入りする重吾さんの家を、ぼくはそんなふうに思っていました。いつも、だれかがいるので、たいくつなんかはしないのです。
「しかしね、きみ」
重吾さんはストーブに手をかざしていいました。
「むかしは、ここはもっとにぎやかだったんだよ」
「へえ、そうなんですか」
ぼくはこの家がもっとにぎやかだったようすを思い浮かべてみようとしました。たくさんの家族が住んでいたのでしょうか。
「むかしはな、このむらには三十軒ほども家があった。二百人近い人が住んで、それはにぎやかだった」
重吾さんは、この家のことを言っているのではなかったのでした。いまは重吾さんの家のほかには人の住む家は一軒もないこのむらに、むかしはたくさんの人が住んでいた、だからにぎやかだったというわけなのです。
「小学校の分校もあってな。この裏にお宮さんがあるが、あそこでむら祭りも開かれた。そんなときにはよそのむらからもたくさん人が来た」
きらびやかな旗やのぼりが立って、人々はみこしをかつぎ、神楽を奉納したそうです。
「それは、どのくらいむかしなんですか」
ぼくは聞いてみました。百年も前の話なのでしょうか。
「四十年ぐらい前までは、そんなふうに、さかえた場所だったよ」
そして、重吾さんはちょっと目をつぶりました。
「私はこのむらにはいなかったんだけどね。でも、よくわかる。私のふるさとでもそうだった。日本中のむらがそうだったんだよ。それぞれちがってはいたけれど、どこもそれぞれなりにさかえていた。みんなが生まれた土地で、楽しく暮らしていたんだよ」
それが、こんなだれも住まない山奥のへんぴな土地になってしまったというのです。いったいなにがあったというのでしょう。
「そうだなあ、いまからちょうど三十七年前、このむらに電気が通った。その前の年に、道路工事があって自動車が通るようになった。そのあたりから、なにもかもがかわったんだなあ」
重吾さんはそう説明してくれます。
「それまでは電気はなかったんですか」
「そうだよ。下の役場のところまでは電気は来ていたけどね。ここまで電灯線が伸びてきたのが三十七年前だった。道路も役場の少し上までは自動車が入れる幅があったけれど、途中、川幅が狭くなっているところがあるだろう、あそこからは歩くしかなかった。不便なところだったんだよ」
「その不便なところが、にぎやかだったんですか」
おかしな話だなあと、ぼくは思いました。便利なところほどにぎやかになるものだと思っていたからです。だって、都会は便利で、便利だからたくさんの人が集まってにぎやかになる、そうじゃないでしょうか。
「にぎやかだったな。ここのお宮さんなんて、いまじゃお参りする人もないけれど、そのころはたくさんの人がわざわざ山を越えてやってきたもんだ。そこのにわとり小屋のあるところには茶店もあったんだよ」
「どうして誰もこなくなったんですか」
ぼくはたずねずにおれませんでした。だっておかしいじゃないですか。
「だから、三十八年前に道路が開けて、三十七年前に電気が来たんだよ」
「で、便利になったんですね」
「ああ、便利になったな」
重吾さんは、寂しそうに笑った。
「それまでは、ランプで灯りをとっていたわけだが、あれは手入れがたいへんだよ。すぐにすすけてまっ黒になる。油をこぼしたらくさいしねえ」
「それが電灯になって便利になったんですね」
「そうだよ。だけど、それだけじゃなかった」
「そうなんですか」
「ああ。電気が来るようになって入ってきたのは電灯や蛍光灯だけじゃなかった。いっしょに入ってきたのはラジオだけれど、その次に入ってきたのは電気釜だった」
「ご飯を炊くやつですね」
「そう。炊飯器だな。それまでは、おくどさんで飯を炊いていた。あれはなかなかたいへんだよ。君は『はじめちょろちょろ、なかぱっぱ』なんて知ってるかな」
「ご飯を炊く方法ですね。『じゅうじゅう吹いたら火を引いて、赤子泣いてもふたとるな』。ぼくはいまでも、そうやってなべでご飯を炊いてますよ」
「けどな、その火加減を薪でやろうと思ったらかんたんなことじゃないんだって。失敗したら家じゅうの者がこげ飯やら生飯を食わされることになるから、嫁さんはたいへんだった。朝早くから起きてこれをやるわけだ。それが、電気釜が入ってきて、スイッチさえ押しておけばいいってことになった」
「ずいぶん便利になったんですね」
「ああ。次に洗濯機だ。君は洗濯板で洗濯したことはあるかい」
「いえ。コインランドリーがありますから」
「むかしはなあ、たらいに水を張って、洗濯板でゴシゴシやったもんだ。これまた力のいる仕事でなあ。手でしぼったんではなかなかかわかないしね」
「洗濯機は便利なものなんですね」
「そういうことだ。次に掃除機だな」
「掃除機がなかったときは」
「はたきでチリを落としてホウキではき掃除、あとは雑巾がけかな」
「雑巾でふくわけですね」
「そう。それが掃除機でずいぶん楽になった」
「便利になってよかったじゃないですか」
「ところが、よかったことばかりじゃない」
「電気代でしょう」
「まあそれもあるけれど、電気代なんてのはまだ安いもんだ。それよりは、炊飯器や洗濯機、掃除機なんかの月賦の払いの方がたいへんだ」
「月賦ってなんですか」
「いまの言葉でいえばローンだな。まあ、払えないローンを組む人はいないから、十分に払えるはずだった。ところが、このころから急に木や炭が売れなくなった。ほら、ここらあたりは山だろう。田んぼや畑では自分で食べる分ぐらいしかとれないから、お金は山の木を切って売ったり、炭を焼いて売ったりしてかせいでいたわけだよ」
「なぜ売れなくなったんですか」
「あんまりそういうものを使わなくなってきたんだな。石油ストーブの方が火鉢よりも暖かいだろう。だから炭は売れなくなった」
「でも、薪ストーブは暖かいですよね」
ぼくは、目の前の薪ストーブを指さして言いました。さっき重吾さんが放り込んだ薪がおきになって、じわじわと気持ちよく暖かくなっています。ストーブの上ではちんちんとお湯がわいています。
「確かにそうだよ。だけど、手間がかかるし、汚いし、いろいろ不便なところが多いのもまちがいない。火をつけるのに時間がかかる。薪を切ってきて、割って、積み上げて、運んでくるのもたいへんだ。灰は出るし、そこらじゅうすすけるし、薪からこぼれた木屑は散らかるし。消すのだってすぐに消えるわけじゃない。やってみたらわかるけど、けっこう気むずかしいもんだよ」
そんなせいで、町では火鉢や薪ストーブが急に使われなくなっていったと重吾さんは説明してくれました。だから、山の村では、それまでのように木や炭でかせぐことがだんだんとむずかしくなってきたらしいのです。
「こまりましたね」
「いいや、だれもこまらなかったんだよ」
重吾さんはさみしそうに笑いました。
「その前の年に、道が開いてバスが通るようになっただろう。だから、みんなバスに乗って役場のあるあたりまではたらきに行くことができるようになった。だから、お金にはこまらなかった」
「よかったじゃないですか」
「ああ。これまで木や炭を売っていたのとは比べものにならないぐらいまとまったお金が、それも毎月欠かさずに入るようになった。みんなよろこんだな。ところが、お金が入るようなって、不自由になったことがひとつある」
「なんですか」
「みんないそがしくなったんだよ。たとえば、それまではみんな、風呂は薪で焚いていた。だからどの家にも、一年分の薪が積んであったものだよ。電気釜を使うようになってご飯をつくるのに薪は使わなくなったけれど、お風呂やらストーブやらで、まだまだたくさんの薪を使っていた。その薪を山にとりにいく時間がなくなった。毎日仕事で出かけてしまうからね」
「こまりましたね」
「いいや、こまらなかった」
重吾さんは、また同じことを言いました。
「みんな、給料をもらっていたからね。だから、お金を出して、石油ボイラーを買った。それでお風呂はだいじょうぶ。石油ストーブを買った。これでもう薪はいらない」
「なるほど」
「いそがしくなって、畑の手入れもできなくなった。でもだいじょうぶ。お金があるから野菜は買ってくればいい」
「なるほど」
「いそがしくなって、牛やにわとりの世話もできなくなった。でも、畑をやらないのなら牛もにわとりもいらないな。牛乳も卵も、買ってくる方がかんたんだ」
「でも、そんなに何もかも買っていたら、いくら給料があってもたりないでしょう」
「そうでもないんだよ。たしかに、役場のあたりでもらえる給料は、それほど高くはなかった。けれど、峠の向こうの町まで行けば、工場もあって、もっといい給料がもらえたんだな」
「でも、バス代が高くつくでしょう」
「いや、気にすることはなかったな。なぜって、工場づとめをするぐらいになったら、自家用車が買える。車に乗って、ひとっ走りすれば、それですむわけだ。ちょうど、峠の道が舗装されたのがそのころだからね」
「じゃあ、みんなしあわせになったんですね」
「ただなあ、そうなってくると、みんなここが不便だと思うようになってきた」
「おかしいじゃないですか。それまでは不便だったかもしれませんけど、電気も来たし道路も開けた。それにみんな自動車までもつようになった。前に比べたらずっと便利になったんじゃないんですか」
そんなぼくの言葉に、重吾さんは力なく笑いました。
「それまではね、だれも不便だなんて思わなかったんだよ。じゃあ何が不便になったのかっていえば、それは工場に通うことだったり、買い物をすることだったり、それまで必要がなかったことなんだね。どこかよそに行かなければならないってことがなければ、だれも不便だとは思わない。行かなければいけないから、不便に感じる」
たしかにそうかもしれないと、ぼくは思いました。ぼくの仕事は、あちこち旅をすることです。でも、旅先では、じっくり腰を据えて仕事ができます。だから、どこかに出かけなければならないということはありません。じっと座っていればいろんな人が向こうからやってくる重吾さんの家のような場所は、本当に都合がいいのです。けれど、もしもぼくが工場に毎日行かなければいけないのだとしたら、こんなところにいたのでは本当にこまってしまうでしょう。
「だから、みんなはもっと便利なところに引っ越して行った。おかしなものでね。お隣が引っ越してしまうと、毎日の暮らしが前よりももっと不便になる。道の草もどんどんしげってくるし、お祭りにも人が集まらなくなってくる。そうするとね、工場に勤めていない人も、だんだんとここがつまらなくなってくる。不便な場所だなあと思うようになってくる。それで、思い切って町まで引っ越してしまう。そうすると、また残った人がいっそう不便になる。お客さんがいないからバスも来なくなってしまう。茶店も店を閉めてしまう。行商人もやってこなくなる。そうすると、暮らしが成り立たなくなってしまう」
重吾さんは、ストーブの上のやかんを引き寄せて、湯のみにお湯を注ぎました。その湯のみのお湯を一口すすってから、話を続けました。
「そうやって、三十七年前に電気が来てから、五年の間にむらの家の半分が引っ越してしまった。十年たったときにはこの家のほかには三軒しか人が住んでいなかった。二十年たっときには、最後までいたお年寄りが町の老人ホームに引っ越してしまった」
重吾さんは残りのお湯を飲み干して言いました。
「私がここに引っ越して来たのは、その次の年だよ。私のふるさとは山の向こうのむらだけれど、このむらにだれも住まなくなったという話を聞いてね、とても残念に思った。だから、老人ホームに引っ越したおじいさんに頼んで、この家に住まわせてもらうことにしたんだ」
ぼくは、重吾さんの話した物語を、ゆっくりと頭の中で繰り返してみました。だれも不便とは思わなかった場所が、便利になることで不便になっていった、奇妙なおはなしでした。重吾さんと同じように、やかんのお湯を湯のみに入れて、飲んでみました。なんとなく、飲み込みにくいような気がしました。
「でも……」
ぼくは思い切って言ってみました。
「なぜ重吾さんは、ここにいるのですか。みんなが不便だと思ったこの場所に、なんで住んでいるのですか」
重吾さんは、しばらくだまっていました。そしてほほえんで、こんなふうに説明してくれたのです。
「そう、たぶん、ここが好きだからだろうな。ほら。たしかに不便だよ。ちょうど、このストーブみたいなものでね。手間がかかって、汚くて、やっかいものの不便な薪ストーブだけど、この暖かさは手放せない。やっかいものだけど、好きにならずいいられない。同じことだと思うよ」
ぼくは、その説明に納得できたとは思えませんでした。いまでもときどき思い出して考えてしまいます。ねえ、なぜなんでしょうね。
ずいぶんいろんなところに行きましたよ。船に乗って島に渡ったこともあります。雲の上に顔を出した山のてっぺんに泊めてもらったこともあります。無人駅のベンチで寝たことも、大都会の真ん中で行き場をなくしてゴミ捨て場で夜明けを待ったこともあります。このときは、危ないところでどろぼうとまちがえてつかまえられそうになりました。まあ、そんな話もおもしろいのですが、今日はある深い谷間の一軒家をおとずれたときのことを話しましょう。
この家には、土間の真ん中に大きな薪ストーブがありました。そう、大きな家の玄関をはいったところから三分の一ぐらいが土間になっていたのです。そこから八畳と六畳の座敷がふたつならんでいて、その先に四畳半と六畳の奥の間があります。だからずいぶんと広い家です。二階もあります。その広い家を、この大きな薪ストーブが暖めていたのでした。
いま思い返せば、あのストーブはずいぶんと煙を出していました。木が燃えるにおいがしたし、ストーブのまわりはすすで真っ黒になっていました。それほど上等なストーブではなかったのかもしれません。でも、暖かいことは申し分ありませんでした。その暖かいストーブのまわりには、いつも人が集まっていたものです。ぼくは、そのストーブのそばでいろんな人の話を聞きました。
けれど、この家の主である重吾さんの話は、なかなか聞けませんでした。重吾さんはずいぶんと忙しい人だったからです。夏の間は畑を飛び回るようにはたらき、冬になるとあちこち出かけて話をします。だから、ストーブの前にゆっくり座ってくれることなどめったにないのでした。ぼくと顔を合わせても、あいさつする時間も惜しいぐらいに「ちょっと頼めないかな」とか「きみはこれをどう思う?」と、用事が先にくるのでした。
だから、ぼくがこの話を重吾さんとしたのがいつ、どんなときだったのか、もういまでは思い出せません。年をとると、若いころのことはみんなぼんやりとしてくるものです。雪の降る、寒い日の午後だったような気がします。お正月だったのかもしれません。なぜなら、その日はぼくと重吾さんのほかは、だれもこの家にいなかったからです。
「こんな山の中に来て、きみはたいくつじゃないかね」
重吾さんがそんなふうに言ったのかもしれません。
「いえ、ここはずいぶんにぎやかですから」
いろんな人が出入りする重吾さんの家を、ぼくはそんなふうに思っていました。いつも、だれかがいるので、たいくつなんかはしないのです。
「しかしね、きみ」
重吾さんはストーブに手をかざしていいました。
「むかしは、ここはもっとにぎやかだったんだよ」
「へえ、そうなんですか」
ぼくはこの家がもっとにぎやかだったようすを思い浮かべてみようとしました。たくさんの家族が住んでいたのでしょうか。
「むかしはな、このむらには三十軒ほども家があった。二百人近い人が住んで、それはにぎやかだった」
重吾さんは、この家のことを言っているのではなかったのでした。いまは重吾さんの家のほかには人の住む家は一軒もないこのむらに、むかしはたくさんの人が住んでいた、だからにぎやかだったというわけなのです。
「小学校の分校もあってな。この裏にお宮さんがあるが、あそこでむら祭りも開かれた。そんなときにはよそのむらからもたくさん人が来た」
きらびやかな旗やのぼりが立って、人々はみこしをかつぎ、神楽を奉納したそうです。
「それは、どのくらいむかしなんですか」
ぼくは聞いてみました。百年も前の話なのでしょうか。
「四十年ぐらい前までは、そんなふうに、さかえた場所だったよ」
そして、重吾さんはちょっと目をつぶりました。
「私はこのむらにはいなかったんだけどね。でも、よくわかる。私のふるさとでもそうだった。日本中のむらがそうだったんだよ。それぞれちがってはいたけれど、どこもそれぞれなりにさかえていた。みんなが生まれた土地で、楽しく暮らしていたんだよ」
それが、こんなだれも住まない山奥のへんぴな土地になってしまったというのです。いったいなにがあったというのでしょう。
「そうだなあ、いまからちょうど三十七年前、このむらに電気が通った。その前の年に、道路工事があって自動車が通るようになった。そのあたりから、なにもかもがかわったんだなあ」
重吾さんはそう説明してくれます。
「それまでは電気はなかったんですか」
「そうだよ。下の役場のところまでは電気は来ていたけどね。ここまで電灯線が伸びてきたのが三十七年前だった。道路も役場の少し上までは自動車が入れる幅があったけれど、途中、川幅が狭くなっているところがあるだろう、あそこからは歩くしかなかった。不便なところだったんだよ」
「その不便なところが、にぎやかだったんですか」
おかしな話だなあと、ぼくは思いました。便利なところほどにぎやかになるものだと思っていたからです。だって、都会は便利で、便利だからたくさんの人が集まってにぎやかになる、そうじゃないでしょうか。
「にぎやかだったな。ここのお宮さんなんて、いまじゃお参りする人もないけれど、そのころはたくさんの人がわざわざ山を越えてやってきたもんだ。そこのにわとり小屋のあるところには茶店もあったんだよ」
「どうして誰もこなくなったんですか」
ぼくはたずねずにおれませんでした。だっておかしいじゃないですか。
「だから、三十八年前に道路が開けて、三十七年前に電気が来たんだよ」
「で、便利になったんですね」
「ああ、便利になったな」
重吾さんは、寂しそうに笑った。
「それまでは、ランプで灯りをとっていたわけだが、あれは手入れがたいへんだよ。すぐにすすけてまっ黒になる。油をこぼしたらくさいしねえ」
「それが電灯になって便利になったんですね」
「そうだよ。だけど、それだけじゃなかった」
「そうなんですか」
「ああ。電気が来るようになって入ってきたのは電灯や蛍光灯だけじゃなかった。いっしょに入ってきたのはラジオだけれど、その次に入ってきたのは電気釜だった」
「ご飯を炊くやつですね」
「そう。炊飯器だな。それまでは、おくどさんで飯を炊いていた。あれはなかなかたいへんだよ。君は『はじめちょろちょろ、なかぱっぱ』なんて知ってるかな」
「ご飯を炊く方法ですね。『じゅうじゅう吹いたら火を引いて、赤子泣いてもふたとるな』。ぼくはいまでも、そうやってなべでご飯を炊いてますよ」
「けどな、その火加減を薪でやろうと思ったらかんたんなことじゃないんだって。失敗したら家じゅうの者がこげ飯やら生飯を食わされることになるから、嫁さんはたいへんだった。朝早くから起きてこれをやるわけだ。それが、電気釜が入ってきて、スイッチさえ押しておけばいいってことになった」
「ずいぶん便利になったんですね」
「ああ。次に洗濯機だ。君は洗濯板で洗濯したことはあるかい」
「いえ。コインランドリーがありますから」
「むかしはなあ、たらいに水を張って、洗濯板でゴシゴシやったもんだ。これまた力のいる仕事でなあ。手でしぼったんではなかなかかわかないしね」
「洗濯機は便利なものなんですね」
「そういうことだ。次に掃除機だな」
「掃除機がなかったときは」
「はたきでチリを落としてホウキではき掃除、あとは雑巾がけかな」
「雑巾でふくわけですね」
「そう。それが掃除機でずいぶん楽になった」
「便利になってよかったじゃないですか」
「ところが、よかったことばかりじゃない」
「電気代でしょう」
「まあそれもあるけれど、電気代なんてのはまだ安いもんだ。それよりは、炊飯器や洗濯機、掃除機なんかの月賦の払いの方がたいへんだ」
「月賦ってなんですか」
「いまの言葉でいえばローンだな。まあ、払えないローンを組む人はいないから、十分に払えるはずだった。ところが、このころから急に木や炭が売れなくなった。ほら、ここらあたりは山だろう。田んぼや畑では自分で食べる分ぐらいしかとれないから、お金は山の木を切って売ったり、炭を焼いて売ったりしてかせいでいたわけだよ」
「なぜ売れなくなったんですか」
「あんまりそういうものを使わなくなってきたんだな。石油ストーブの方が火鉢よりも暖かいだろう。だから炭は売れなくなった」
「でも、薪ストーブは暖かいですよね」
ぼくは、目の前の薪ストーブを指さして言いました。さっき重吾さんが放り込んだ薪がおきになって、じわじわと気持ちよく暖かくなっています。ストーブの上ではちんちんとお湯がわいています。
「確かにそうだよ。だけど、手間がかかるし、汚いし、いろいろ不便なところが多いのもまちがいない。火をつけるのに時間がかかる。薪を切ってきて、割って、積み上げて、運んでくるのもたいへんだ。灰は出るし、そこらじゅうすすけるし、薪からこぼれた木屑は散らかるし。消すのだってすぐに消えるわけじゃない。やってみたらわかるけど、けっこう気むずかしいもんだよ」
そんなせいで、町では火鉢や薪ストーブが急に使われなくなっていったと重吾さんは説明してくれました。だから、山の村では、それまでのように木や炭でかせぐことがだんだんとむずかしくなってきたらしいのです。
「こまりましたね」
「いいや、だれもこまらなかったんだよ」
重吾さんはさみしそうに笑いました。
「その前の年に、道が開いてバスが通るようになっただろう。だから、みんなバスに乗って役場のあるあたりまではたらきに行くことができるようになった。だから、お金にはこまらなかった」
「よかったじゃないですか」
「ああ。これまで木や炭を売っていたのとは比べものにならないぐらいまとまったお金が、それも毎月欠かさずに入るようになった。みんなよろこんだな。ところが、お金が入るようなって、不自由になったことがひとつある」
「なんですか」
「みんないそがしくなったんだよ。たとえば、それまではみんな、風呂は薪で焚いていた。だからどの家にも、一年分の薪が積んであったものだよ。電気釜を使うようになってご飯をつくるのに薪は使わなくなったけれど、お風呂やらストーブやらで、まだまだたくさんの薪を使っていた。その薪を山にとりにいく時間がなくなった。毎日仕事で出かけてしまうからね」
「こまりましたね」
「いいや、こまらなかった」
重吾さんは、また同じことを言いました。
「みんな、給料をもらっていたからね。だから、お金を出して、石油ボイラーを買った。それでお風呂はだいじょうぶ。石油ストーブを買った。これでもう薪はいらない」
「なるほど」
「いそがしくなって、畑の手入れもできなくなった。でもだいじょうぶ。お金があるから野菜は買ってくればいい」
「なるほど」
「いそがしくなって、牛やにわとりの世話もできなくなった。でも、畑をやらないのなら牛もにわとりもいらないな。牛乳も卵も、買ってくる方がかんたんだ」
「でも、そんなに何もかも買っていたら、いくら給料があってもたりないでしょう」
「そうでもないんだよ。たしかに、役場のあたりでもらえる給料は、それほど高くはなかった。けれど、峠の向こうの町まで行けば、工場もあって、もっといい給料がもらえたんだな」
「でも、バス代が高くつくでしょう」
「いや、気にすることはなかったな。なぜって、工場づとめをするぐらいになったら、自家用車が買える。車に乗って、ひとっ走りすれば、それですむわけだ。ちょうど、峠の道が舗装されたのがそのころだからね」
「じゃあ、みんなしあわせになったんですね」
「ただなあ、そうなってくると、みんなここが不便だと思うようになってきた」
「おかしいじゃないですか。それまでは不便だったかもしれませんけど、電気も来たし道路も開けた。それにみんな自動車までもつようになった。前に比べたらずっと便利になったんじゃないんですか」
そんなぼくの言葉に、重吾さんは力なく笑いました。
「それまではね、だれも不便だなんて思わなかったんだよ。じゃあ何が不便になったのかっていえば、それは工場に通うことだったり、買い物をすることだったり、それまで必要がなかったことなんだね。どこかよそに行かなければならないってことがなければ、だれも不便だとは思わない。行かなければいけないから、不便に感じる」
たしかにそうかもしれないと、ぼくは思いました。ぼくの仕事は、あちこち旅をすることです。でも、旅先では、じっくり腰を据えて仕事ができます。だから、どこかに出かけなければならないということはありません。じっと座っていればいろんな人が向こうからやってくる重吾さんの家のような場所は、本当に都合がいいのです。けれど、もしもぼくが工場に毎日行かなければいけないのだとしたら、こんなところにいたのでは本当にこまってしまうでしょう。
「だから、みんなはもっと便利なところに引っ越して行った。おかしなものでね。お隣が引っ越してしまうと、毎日の暮らしが前よりももっと不便になる。道の草もどんどんしげってくるし、お祭りにも人が集まらなくなってくる。そうするとね、工場に勤めていない人も、だんだんとここがつまらなくなってくる。不便な場所だなあと思うようになってくる。それで、思い切って町まで引っ越してしまう。そうすると、また残った人がいっそう不便になる。お客さんがいないからバスも来なくなってしまう。茶店も店を閉めてしまう。行商人もやってこなくなる。そうすると、暮らしが成り立たなくなってしまう」
重吾さんは、ストーブの上のやかんを引き寄せて、湯のみにお湯を注ぎました。その湯のみのお湯を一口すすってから、話を続けました。
「そうやって、三十七年前に電気が来てから、五年の間にむらの家の半分が引っ越してしまった。十年たったときにはこの家のほかには三軒しか人が住んでいなかった。二十年たっときには、最後までいたお年寄りが町の老人ホームに引っ越してしまった」
重吾さんは残りのお湯を飲み干して言いました。
「私がここに引っ越して来たのは、その次の年だよ。私のふるさとは山の向こうのむらだけれど、このむらにだれも住まなくなったという話を聞いてね、とても残念に思った。だから、老人ホームに引っ越したおじいさんに頼んで、この家に住まわせてもらうことにしたんだ」
ぼくは、重吾さんの話した物語を、ゆっくりと頭の中で繰り返してみました。だれも不便とは思わなかった場所が、便利になることで不便になっていった、奇妙なおはなしでした。重吾さんと同じように、やかんのお湯を湯のみに入れて、飲んでみました。なんとなく、飲み込みにくいような気がしました。
「でも……」
ぼくは思い切って言ってみました。
「なぜ重吾さんは、ここにいるのですか。みんなが不便だと思ったこの場所に、なんで住んでいるのですか」
重吾さんは、しばらくだまっていました。そしてほほえんで、こんなふうに説明してくれたのです。
「そう、たぶん、ここが好きだからだろうな。ほら。たしかに不便だよ。ちょうど、このストーブみたいなものでね。手間がかかって、汚くて、やっかいものの不便な薪ストーブだけど、この暖かさは手放せない。やっかいものだけど、好きにならずいいられない。同じことだと思うよ」
ぼくは、その説明に納得できたとは思えませんでした。いまでもときどき思い出して考えてしまいます。ねえ、なぜなんでしょうね。
(初出:March 16, 2009)