March 05, 2009投稿の再掲
「冬の日のギター弾き」は、「おはなし」としては一風変わったギター弾き語りで話すおはなしです。ミュージカル仕立てといえば格好はいいのですが、そこまで上等なものでもありません。まあ、ちょっとした「色物」というところでしょうか。やはり、今回のおはなし会向けにひねり出したものです。
このおはなしは、息子のまことの本の中にO・ヘンリーの「最後の一葉」があったのをヒントにしました。「最後の一葉」には、ソーホーのアパートの地下室に住む落ちぶれた老画家が登場します。この薄暗いアパートに、古ぼけた石炭ストーブはぴったりだろうと思ったわけです。
ただし、最初からギターを入れようと思っていましたので、古い時代のアメリカとギターということから、舞台をシカゴに移し、1930年代の落ちぶれたブルース歌手という設定にしました。貧しいギター弾きが、火の気のないストーブにギターを放り込んでしまいたいという幻想にかられるシーンが、真っ先に浮かびました。あとはその前後をくっつけただけです。
1930年代には後のロックの元祖とも言えるロバート・ジョンソンをはじめとするカントリー系のブルース歌手が輩出しました。1950年代のシカゴ・ブルースの歌手同様、彼らは南部の農場で生まれ、そして酒場やダンスパーティーでわずかな小銭を集めながら、都会に地歩を築いていきました。そしてそのほとんどが、晩年は落ちぶれて、消えていきました。ロバート・ジョンソンのように殺された人も少なくありません。運や不運に簡単に左右される人生だったのでしょう。
若いころ、繁華街から少し入った地下道で、ギターを弾いて歌う外国人2人組に出会ったことがあります。彼らの歌が気に入った酔っ払いの私は、しばらくそこに座り込んで聞き入っていました。通行人たちはお金を投げ入れていきますが、私にはそんなお金はありません。タダ聴きです。けれど、熱心な私が気に入ってくれたのか、彼らは私に話しかけてくれました。やがて私は、何曲か、彼らと一緒に歌をうたいました。ちょうどバブルの崩壊していく間際で、通行人は気前よくお金を投げ入れていきました。中には札もいくらか見えました。彼らは、お札が入ると、用心深くそれを隠しました。あまりお金が入りすぎていても、まったく入っていなくても、投げ銭を貰いにくいもののようです。しばらくして休憩になり、彼らは私にパンをくれました。私が遠慮すると、「これはあんたの正当な報酬だ」というようなことを言いました。私のコーラスがいくらかでも彼らの投げ銭を増やしたかどうかはわかりませんが、彼らはフェアだったわけです。
それからすぐに、彼らの姿は見えなくなりました。1年ほどたって同じ場所で別の歌うたいが演奏をしていましたが、しばらく眺めていても、だれもコインを入れていく人はいませんでした。皆急ぎ足で、立ち止まることさえしないのです。急速に悪化した景気が、誰のポケットも冷やしてしまっていたのでした。
1930年代のシカゴがどんな姿だったのか私は知りませんが、世相に敏感にその運命を左右されるということでは、その時代のギター弾きもバブルの時代のストリートミュージシャンも似たようなものではなかったのかと想像します。そんな思いで、前半の物語をつくりました。
ちなみに、この物語のオープニングには酒場でのダンスをイメージしたブギ、エンディングにはSonny Terry & Brownie McGheeのWalk Onという曲を使いました。いずれも英語ではわからないので、日本語の歌詞をつけました。また、途中には憂歌団の十八番である「Chicago Bound」を挿入しました。この歌を使ったことから、おはなしの後半で主人公がメンフィスへ帰ろうとするシーンが生まれました。どの曲も、長くなりすぎないようにごく一部だけでしたけれど。
子どもにはわかりにくい話かなとも思いましたが、ギターの音が珍しかったのか、そこそこにウケはよかったように思います。
「冬の日のギター弾き」は、「おはなし」としては一風変わったギター弾き語りで話すおはなしです。ミュージカル仕立てといえば格好はいいのですが、そこまで上等なものでもありません。まあ、ちょっとした「色物」というところでしょうか。やはり、今回のおはなし会向けにひねり出したものです。
このおはなしは、息子のまことの本の中にO・ヘンリーの「最後の一葉」があったのをヒントにしました。「最後の一葉」には、ソーホーのアパートの地下室に住む落ちぶれた老画家が登場します。この薄暗いアパートに、古ぼけた石炭ストーブはぴったりだろうと思ったわけです。
ただし、最初からギターを入れようと思っていましたので、古い時代のアメリカとギターということから、舞台をシカゴに移し、1930年代の落ちぶれたブルース歌手という設定にしました。貧しいギター弾きが、火の気のないストーブにギターを放り込んでしまいたいという幻想にかられるシーンが、真っ先に浮かびました。あとはその前後をくっつけただけです。
1930年代には後のロックの元祖とも言えるロバート・ジョンソンをはじめとするカントリー系のブルース歌手が輩出しました。1950年代のシカゴ・ブルースの歌手同様、彼らは南部の農場で生まれ、そして酒場やダンスパーティーでわずかな小銭を集めながら、都会に地歩を築いていきました。そしてそのほとんどが、晩年は落ちぶれて、消えていきました。ロバート・ジョンソンのように殺された人も少なくありません。運や不運に簡単に左右される人生だったのでしょう。
若いころ、繁華街から少し入った地下道で、ギターを弾いて歌う外国人2人組に出会ったことがあります。彼らの歌が気に入った酔っ払いの私は、しばらくそこに座り込んで聞き入っていました。通行人たちはお金を投げ入れていきますが、私にはそんなお金はありません。タダ聴きです。けれど、熱心な私が気に入ってくれたのか、彼らは私に話しかけてくれました。やがて私は、何曲か、彼らと一緒に歌をうたいました。ちょうどバブルの崩壊していく間際で、通行人は気前よくお金を投げ入れていきました。中には札もいくらか見えました。彼らは、お札が入ると、用心深くそれを隠しました。あまりお金が入りすぎていても、まったく入っていなくても、投げ銭を貰いにくいもののようです。しばらくして休憩になり、彼らは私にパンをくれました。私が遠慮すると、「これはあんたの正当な報酬だ」というようなことを言いました。私のコーラスがいくらかでも彼らの投げ銭を増やしたかどうかはわかりませんが、彼らはフェアだったわけです。
それからすぐに、彼らの姿は見えなくなりました。1年ほどたって同じ場所で別の歌うたいが演奏をしていましたが、しばらく眺めていても、だれもコインを入れていく人はいませんでした。皆急ぎ足で、立ち止まることさえしないのです。急速に悪化した景気が、誰のポケットも冷やしてしまっていたのでした。
1930年代のシカゴがどんな姿だったのか私は知りませんが、世相に敏感にその運命を左右されるということでは、その時代のギター弾きもバブルの時代のストリートミュージシャンも似たようなものではなかったのかと想像します。そんな思いで、前半の物語をつくりました。
ちなみに、この物語のオープニングには酒場でのダンスをイメージしたブギ、エンディングにはSonny Terry & Brownie McGheeのWalk Onという曲を使いました。いずれも英語ではわからないので、日本語の歌詞をつけました。また、途中には憂歌団の十八番である「Chicago Bound」を挿入しました。この歌を使ったことから、おはなしの後半で主人公がメンフィスへ帰ろうとするシーンが生まれました。どの曲も、長くなりすぎないようにごく一部だけでしたけれど。
子どもにはわかりにくい話かなとも思いましたが、ギターの音が珍しかったのか、そこそこにウケはよかったように思います。