March 12, 2009投稿の再掲
「赤い手袋」は、今回のおはなし会のためにつくったものですが、結局使いませんでした。つくるにはつくったけれど、山場のないおはなしなので、いまひとつ、子どもの注意を引きつける自信がなかったからです。たぶん、おはなしにのってきた後なら使えるのではないかと思います。タイミングを選ぶおはなしなので、今回はそれを見つけられなかったわけです。
せっかくの薪ストーブのおはなし会なので、できれば薪かストーブのどちらかに関係のあるおはなしを選ぼうと思っていました。そういうものがあまりないので、ではつくろうと思って自分の中のストーブの記憶をたどってみると、遠い昔、それこそ5歳か6歳の冬に、ローカルな小さなスキー場に連れていかれたことが蘇ってきました。ここ十数年はスキー場など近くにも寄っていないのでどんなふうになっているのかは知らないのですが、40年も前のスキー場には「ロッジ」と呼ばれる休憩用の小屋が各所にあって、そこでは大きなストーブがガンガンと燃えていたものです。当時のスキーウェアは防水がよくなかったので、そのストーブのまわりにはたくさんの濡れものが干してありました。わずかの休憩時間の間に少しでも乾かそうと、そこらじゅうに手袋やらヤッケやらが引っ掛けてあったものです。革のこげるような独特のにおいがしたのも覚えています。
小さな子どもにとって、スキー場は決して楽しいものではありませんでした。寒くて冷たくて、おまけに足元はつるつる滑って怖いし、大人たちはどんどん滑りに行ってしまうし、橇を与えられて「ここで遊んでなさい」と言われてもちっとも楽しくありませんでした。スキーが楽しいと思えるようになったのは小学校も高学年になってからのように思います。ロッジにしたところで、大きな大人で混み合っていて座るところもなく、床は融けた雪でじっとりと湿っていて、居心地のいいところではありませんでした。
このスキー場にはもう少し大きくなってからも行く機会があったのですが、ロッジが案外と小さいことに驚いたものです。そして、5歳ぐらいの子どもにとっては何もかもが巨大に見えるのだということを納得したものでした。だから、子ども心には溶鉱炉ぐらいあるように思えたストーブの大きさも、実際にはそんなに大きくはなかったのでしょう。確か薪か石炭を燃やしていたと思いますが、再訪したときにはもう石油ストーブだったのかもしれません。
このおはなしは、そんな子どもの心細さを描き出そうとしたものです。ただ、それだけでは話になりませんので、手袋を中心にして、主人公が大人に話しかける勇気をもつ過程をストーリーの中心にもってきました。
子どもが成長する過程でもっとも身につけてほしい技術は、コミュニケーションの方法です。他者とコミュニケーションをとることができる子どもは、日常でのストレスも少なく、よりのびやかに育っていけると思います。ですから、これは何よりも先駆けて身につけるべき生きる力の基本だと思うのです。
そのためには、過度に防衛的にならず、どんな相手に対してもある部分は対等の一人の人間として自分を位置付けることができなければなりません。つまり、小さな自信が必要なのです。根拠は不要です。根拠のない自信があることで他者とのコミュニケーションが正常に働き、そしてそれが本当の、根拠のある自信をつくっていき、やがてそれが成長の過程でアイデンティティをつくりあげていくのだと思います。
このおはなしでは、主人公のそんな小さな自信の発生源をストーブの暖かさに求めました。暖かさから生まれる安心感の中で、根拠もなく自信がわいてくるのです。何だか合理的ではない話ですが、でも、そういうことってありません?
「赤い手袋」は、今回のおはなし会のためにつくったものですが、結局使いませんでした。つくるにはつくったけれど、山場のないおはなしなので、いまひとつ、子どもの注意を引きつける自信がなかったからです。たぶん、おはなしにのってきた後なら使えるのではないかと思います。タイミングを選ぶおはなしなので、今回はそれを見つけられなかったわけです。
せっかくの薪ストーブのおはなし会なので、できれば薪かストーブのどちらかに関係のあるおはなしを選ぼうと思っていました。そういうものがあまりないので、ではつくろうと思って自分の中のストーブの記憶をたどってみると、遠い昔、それこそ5歳か6歳の冬に、ローカルな小さなスキー場に連れていかれたことが蘇ってきました。ここ十数年はスキー場など近くにも寄っていないのでどんなふうになっているのかは知らないのですが、40年も前のスキー場には「ロッジ」と呼ばれる休憩用の小屋が各所にあって、そこでは大きなストーブがガンガンと燃えていたものです。当時のスキーウェアは防水がよくなかったので、そのストーブのまわりにはたくさんの濡れものが干してありました。わずかの休憩時間の間に少しでも乾かそうと、そこらじゅうに手袋やらヤッケやらが引っ掛けてあったものです。革のこげるような独特のにおいがしたのも覚えています。
小さな子どもにとって、スキー場は決して楽しいものではありませんでした。寒くて冷たくて、おまけに足元はつるつる滑って怖いし、大人たちはどんどん滑りに行ってしまうし、橇を与えられて「ここで遊んでなさい」と言われてもちっとも楽しくありませんでした。スキーが楽しいと思えるようになったのは小学校も高学年になってからのように思います。ロッジにしたところで、大きな大人で混み合っていて座るところもなく、床は融けた雪でじっとりと湿っていて、居心地のいいところではありませんでした。
このスキー場にはもう少し大きくなってからも行く機会があったのですが、ロッジが案外と小さいことに驚いたものです。そして、5歳ぐらいの子どもにとっては何もかもが巨大に見えるのだということを納得したものでした。だから、子ども心には溶鉱炉ぐらいあるように思えたストーブの大きさも、実際にはそんなに大きくはなかったのでしょう。確か薪か石炭を燃やしていたと思いますが、再訪したときにはもう石油ストーブだったのかもしれません。
このおはなしは、そんな子どもの心細さを描き出そうとしたものです。ただ、それだけでは話になりませんので、手袋を中心にして、主人公が大人に話しかける勇気をもつ過程をストーリーの中心にもってきました。
子どもが成長する過程でもっとも身につけてほしい技術は、コミュニケーションの方法です。他者とコミュニケーションをとることができる子どもは、日常でのストレスも少なく、よりのびやかに育っていけると思います。ですから、これは何よりも先駆けて身につけるべき生きる力の基本だと思うのです。
そのためには、過度に防衛的にならず、どんな相手に対してもある部分は対等の一人の人間として自分を位置付けることができなければなりません。つまり、小さな自信が必要なのです。根拠は不要です。根拠のない自信があることで他者とのコミュニケーションが正常に働き、そしてそれが本当の、根拠のある自信をつくっていき、やがてそれが成長の過程でアイデンティティをつくりあげていくのだと思います。
このおはなしでは、主人公のそんな小さな自信の発生源をストーブの暖かさに求めました。暖かさから生まれる安心感の中で、根拠もなく自信がわいてくるのです。何だか合理的ではない話ですが、でも、そういうことってありません?