March 19, 2009投稿の再掲
「宝を守った話」は、今回の薪ストーブのおはなし会に向けてつくったものです。使用しなかった理由は、適当なタイミングがなかったこともありますが、何よりも長くなりすぎたことです。実際、これを息子のまことに話したら、45分もかかってしまいました。そのせいで寝るのが遅くなり、翌朝起きられないのではないかとヒヤヒヤしました。
薪かストーブのどちらかにちなんだお話ということで「消えないストーブ」、「おばあさんの薪ストーブ」、「赤い手袋」などのおはなしをつくったのですが、これらはグリム風であったり、現代のエッセイであったりします。ところがまことがいちばん好きなのは、日本昔話系の物語なのです。そこで、真っ先に考えたのはそういった醤油味のおはなしができないかなということでした。
もちろんそんな昔の日本には薪ストーブはありません。だから、薪の話になるわけですが、薪といえば最初に思い出すのが「太閤記」の若き藤吉郎が薪奉行を任されるというエピソードです。藤吉郎は実地に村々を回って、年貢として差し出す薪が人々の負担になっていることを確かめます。その上で、城の近くの村には薪を、遠くの村には炭をというように税配分を調節し、収税効率を高めたということです。もっともこれは、中国の古典に元ネタがあるらしく、太閤記作者が創作として付け加えたものだそうです。けれど、子ども心にこのエピソードは心に残っています(子ども向けの古典シリーズで読みました)。
だから、舞台は山村で、薪や炭を年貢に差し出す話と骨格が決まりました。できるだけ話を単純にしようと思ったので、ここは主人公の危機を動物に三度助けられるというよくあるパターンを使おうと思いました。動物に助けられるには、浦島太郎のように善行がなければなりません。そういった必要性から「村の宝」というアイデアが生まれ、話がほぼまとまりました。
そこですぐに「おはなし」デビューさせればよかったのですが、ちょっと自信がなかったもので、まずテキストを書こうと思いました。ところが、書き始めると、いろいろと細かなところが気になってきます。時代設定をどうするのかとか、突然あらわれる武士団をどう規定しようかとか、いろいろと考えてしまいます。考えた割には考証が非常にいい加減なものになってしまいました(「とのさま」は戦国武将らしいので、時代は室町末期でしょう。けれど「雑徭」は律令制の税制のはずです。「木地師」は確かに山の中に暮らしていましたが通常は小集団での移動生活で、百人を越える屈強の男が揃うことなどなかったはずです。薪の一束は現在の流通単位で、室町の日本でどういう単位で薪が扱われていたのかは調べもしませんでした。火事場の消し炭がきちんとした炭に焼けることはまずありえないでしょう)が、細かなことに辻褄を合わせていこうと思ったらどんどん話が長くなってしまったわけです。
この山村のイメージは京都北部のある山間地の集落から借りてきました。とはいえ、実際にはこういったある種の革命を成功させた地域は、おそらく日本史には存在しないでしょう。とのさまである支配者を追い出しても、それは新たな別の支配者に属するということにしかならなかったようです。ただ、不当な支配に対しては蜂起しても構わないという暗黙のルールのようなものが、中世の日本には存在したようです。最終的にそういった「一揆」の指導者は処刑されねばならないというのもルールの一部でしたが、それを踏まえた上でなら、反逆にも道理が認められていたのです。長い物に巻かれてよしとする現代の日本よりは、よっぽど気骨のあった時代が、確かにこのくにには存在したのだと思います。
こんなに長くなってしまったので「おはなし会」にはもう無理ですが、どこかで機会があれば使ってみたいなとは思います。聞きながらまことが「先が楽しみでワクワクする」と言ってくれたおはなしなので。
「宝を守った話」は、今回の薪ストーブのおはなし会に向けてつくったものです。使用しなかった理由は、適当なタイミングがなかったこともありますが、何よりも長くなりすぎたことです。実際、これを息子のまことに話したら、45分もかかってしまいました。そのせいで寝るのが遅くなり、翌朝起きられないのではないかとヒヤヒヤしました。
薪かストーブのどちらかにちなんだお話ということで「消えないストーブ」、「おばあさんの薪ストーブ」、「赤い手袋」などのおはなしをつくったのですが、これらはグリム風であったり、現代のエッセイであったりします。ところがまことがいちばん好きなのは、日本昔話系の物語なのです。そこで、真っ先に考えたのはそういった醤油味のおはなしができないかなということでした。
もちろんそんな昔の日本には薪ストーブはありません。だから、薪の話になるわけですが、薪といえば最初に思い出すのが「太閤記」の若き藤吉郎が薪奉行を任されるというエピソードです。藤吉郎は実地に村々を回って、年貢として差し出す薪が人々の負担になっていることを確かめます。その上で、城の近くの村には薪を、遠くの村には炭をというように税配分を調節し、収税効率を高めたということです。もっともこれは、中国の古典に元ネタがあるらしく、太閤記作者が創作として付け加えたものだそうです。けれど、子ども心にこのエピソードは心に残っています(子ども向けの古典シリーズで読みました)。
だから、舞台は山村で、薪や炭を年貢に差し出す話と骨格が決まりました。できるだけ話を単純にしようと思ったので、ここは主人公の危機を動物に三度助けられるというよくあるパターンを使おうと思いました。動物に助けられるには、浦島太郎のように善行がなければなりません。そういった必要性から「村の宝」というアイデアが生まれ、話がほぼまとまりました。
そこですぐに「おはなし」デビューさせればよかったのですが、ちょっと自信がなかったもので、まずテキストを書こうと思いました。ところが、書き始めると、いろいろと細かなところが気になってきます。時代設定をどうするのかとか、突然あらわれる武士団をどう規定しようかとか、いろいろと考えてしまいます。考えた割には考証が非常にいい加減なものになってしまいました(「とのさま」は戦国武将らしいので、時代は室町末期でしょう。けれど「雑徭」は律令制の税制のはずです。「木地師」は確かに山の中に暮らしていましたが通常は小集団での移動生活で、百人を越える屈強の男が揃うことなどなかったはずです。薪の一束は現在の流通単位で、室町の日本でどういう単位で薪が扱われていたのかは調べもしませんでした。火事場の消し炭がきちんとした炭に焼けることはまずありえないでしょう)が、細かなことに辻褄を合わせていこうと思ったらどんどん話が長くなってしまったわけです。
この山村のイメージは京都北部のある山間地の集落から借りてきました。とはいえ、実際にはこういったある種の革命を成功させた地域は、おそらく日本史には存在しないでしょう。とのさまである支配者を追い出しても、それは新たな別の支配者に属するということにしかならなかったようです。ただ、不当な支配に対しては蜂起しても構わないという暗黙のルールのようなものが、中世の日本には存在したようです。最終的にそういった「一揆」の指導者は処刑されねばならないというのもルールの一部でしたが、それを踏まえた上でなら、反逆にも道理が認められていたのです。長い物に巻かれてよしとする現代の日本よりは、よっぽど気骨のあった時代が、確かにこのくにには存在したのだと思います。
こんなに長くなってしまったので「おはなし会」にはもう無理ですが、どこかで機会があれば使ってみたいなとは思います。聞きながらまことが「先が楽しみでワクワクする」と言ってくれたおはなしなので。