May 16, 2009投稿の再掲
「豆になれなかった豆腐」は、私のオリジナルではありません。ある晩、小学校1年生になった息子のまことが話してくれたものです。
食卓に出た豆腐、豆からできることは、もうまことは知っています。小学生らしい疑問は、「豆腐を豆に戻せる?」それは無理でしょう。不可逆変化のことを説明してもよかったのですが、そこまでいわなくても、豆腐をつくるときにオカラが出ることことだけで十分だと思いました。つまり、豆からオカラと豆腐ができるのだから、豆腐だけでは豆にならないという理屈です。オカラがないと豆には戻れません。
この説明を聞いたまことが、即興で話してくれたのがこのお話です。色白の大根と風呂に入らないゴボウ、顔の赤いニンジンの話は、どこにでも転がっている昔話ですから、まことのオリジナルとは言えません。けれど、それを巧みに組み合わせてお話に紡いでいく話術には、我が息子ながら感心しました(はい、親バカです)。あんまりよくできているので、夜寝るときにリクエストしたら、またおもしろおかしく話してくれました。ただ、私が途中で寝てしまったので、結末は覚えていません。
ということで、今回書いたものは、まことの話してくれたものとだいぶとちがいます。一応、オチとして「力なく」を「オカラがない」とダジャレにしたつもりではあるのですが、文字面ではわけがわからなくなりました。まことはこんなダジャレに頼らず、話術だけでおもしろくしてくれたので、彼の方が一枚上手です。
お話というのは、ネタだけでなく語り方にも大きく依存するのだと、改めて気づかせてくれた顛末でした。
「豆になれなかった豆腐」は、私のオリジナルではありません。ある晩、小学校1年生になった息子のまことが話してくれたものです。
食卓に出た豆腐、豆からできることは、もうまことは知っています。小学生らしい疑問は、「豆腐を豆に戻せる?」それは無理でしょう。不可逆変化のことを説明してもよかったのですが、そこまでいわなくても、豆腐をつくるときにオカラが出ることことだけで十分だと思いました。つまり、豆からオカラと豆腐ができるのだから、豆腐だけでは豆にならないという理屈です。オカラがないと豆には戻れません。
この説明を聞いたまことが、即興で話してくれたのがこのお話です。色白の大根と風呂に入らないゴボウ、顔の赤いニンジンの話は、どこにでも転がっている昔話ですから、まことのオリジナルとは言えません。けれど、それを巧みに組み合わせてお話に紡いでいく話術には、我が息子ながら感心しました(はい、親バカです)。あんまりよくできているので、夜寝るときにリクエストしたら、またおもしろおかしく話してくれました。ただ、私が途中で寝てしまったので、結末は覚えていません。
ということで、今回書いたものは、まことの話してくれたものとだいぶとちがいます。一応、オチとして「力なく」を「オカラがない」とダジャレにしたつもりではあるのですが、文字面ではわけがわからなくなりました。まことはこんなダジャレに頼らず、話術だけでおもしろくしてくれたので、彼の方が一枚上手です。
お話というのは、ネタだけでなく語り方にも大きく依存するのだと、改めて気づかせてくれた顛末でした。