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「鬼のはなし」について

5/18/2015

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July 15, 2009投稿の再掲

梅雨に入ったころ、正確に言うなら空梅雨だった六月からいよいよ本格的に雨が続きはじめたころから、気持ちがどうにものらなくなってきました。何をしても集中力が続きません。
梅雨に入って最初の雨が降ったころ、岩穴の奥から雨を眺めている鬼の情景が心に浮かびました。そこで、最初の導入シーンを書き止めたのですが、そこからさっぱり前に進まなくなりました。最終的に「鬼のはなし」としてアップできるまでに、1ヶ月近くもかかったのではないかと思います。この間、何度も書こうとして、結局書けないままに一日が過ぎるというのを繰り返しました。雨を恨めしそうに眺める鬼のイメージから、一歩も先に話が進まなかったのです。

最終的に形ができたのは、息子のまことのおかげです。夜寝る前の「おはなしをして」で、最近はうろ覚えの「モモ」をやっています。まことにつきあって図書館に行ったときに久しぶりに読み返しておもしろかったので、このミヒャエル・エンデの名作を少しずつ話して聞かせているわけです。けれど、数日前、さすがに飽きてきたのか、「別のお話しして」とのこと。ネタもないので、思い切ってこの「雨を眺める鬼」の導入シーンを話し出しました。あとは、流れに任せて進めていって、どうにか話の結末までたどりつけたのです。

まあ、苦しみながら書けなかった時期に、「男の子」を登場させようとは思っていました。男の子と鬼の友情の話にしようと、だいたい構想はできていたわけです。この男の子に、いまでいう学習障害の性格をもたせたのは、アドリブでした。ただ、そうすることで嵌め絵がピタリと嵌るように、全体の構図がうまくとれました。あとは、最近まことが見るようになったアニメの影響で、村が襲われるシーンを加えました。ちょっと安っぽかったかもしれません。

鬼は歴史における異端者であり、「障害者」は産業社会における異端者です。このおはなしの時代設定はたぶん戦国時代ですから、現代の産業社会とは大きく違います。けれど、「生産性」に対する要求は、この時代むしろ農村での方が強かったのかもしれません。そのプレッシャーが、「百姓はいそがしいものだ」という社会通念につながります(江戸時代初期の農書にそういった概念が述べられています)。そんななかで、親の手伝いもできない「男の子」は、やはり異端者です。

異端者同士は惹かれあいますが、決定的に違うのは、鬼がどこまでいっても異端者であり人間に対立する存在であるのに対し、男の子は人間社会の一部であり、「障害」を何らかの形で克服し、受け入れることで異端者でなくなっていく可能性をもっていることです。
村の危機に際して、男の子は鬼に訴えることで火急を救い、そして初めて意味のある言葉を話します。この「成長」によって、彼は遠からず社会に受け入れられていくでしょう。
一方の鬼は、どこまでいっても鬼です。人間から怖れられることが、鬼のアイデンティティなのです。ですから、異端者同士の友情は、一方が異端者でなくなることをもって終わりを告げねばなりません。これが物語の結末です。

雨のシーズンにつくっただけあって、ずいぶん暗いはなしだなあと、我ながら思います。これはちょっと、おはなし会向きではないかもしれませんね。
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