その頃は、まだ天と地がいまほどは分かれておらず、ときには地に住むひとの願いを天が聞き届けてくれたということです。日照りが続くときに「雨をください」と頼めば雨が降り、風を頼めば風が吹くという具合であったということです。
山の奥に、三人の子を養う母親がおりました。父親は、とうのむかしにどこかへ行ってしもうたのですが、朝に晩に母親がお天道様を拝んでは「この子らが、どうかひもじい思いをしませぬように、どうか病になりませぬように」とお願いをしていたおかげか、子どもらはすくすくと育っておったということです。
兄の一郎は、どこか抜けたところがあったが、正直でありました。弟の次郎は、弱虫であったが、気転がききました。末の妹は、(その名前は聞いておらんのですが)、ようやくものが言えるようになったばかりの幼子でありました。
さて、ある日、母親が、峠の向こうの里に用があって出かけねばならないことになりました。母のおらぬのはさびしいけれど、帰りにはきっとうまい餅をみやげにもってきてくれるということで、子どもらはがまんして母を送り出しました。母は出がけに、子どもらにこう言いました。
「囲炉裏の傍に杉の葉を置いておくから、これをひとにぎりずつ、切らさないようにくべなさい。飯をかしいでいるように見える。そうすれば山の婆様が用心してやってこないから」
「山の婆様ってだれ」と、妹が聞きました。
「おそろしい姿で、子どもをとって食うんだそうだ」と、次郎が分別くさく言いました。
「だからあんたらは、かかが留守だと思われんようにするんだよ」と、母親は念を押して、朝早くに家を出たのでした。
子どもらは、ふだんは囲炉裏にものをくべてはいけません。火が大きくなると危ないからです。けれど、杉の葉は少しくべるだけで、白い煙がもくもくと出ます。危なくはありません。一郎も次郎もはじめはおもしろくて、煙を絶やさないようにしておりました。けれど、そのうちに、一郎が「虫を取りに行こう」と言って、次郎と二人で飛び出してしまいました。そして二人とも、煙のことはすっかり忘れてしまいました。もちろん、小さな妹は、火に近づいてはいけないのです。
そして、山の婆様は、これを見逃しませんでした。囲炉裏に火が立たないのを見て、誰もいないと思ったのでしょう。森の奥から風のようにやってくると、家の中にずかずかと上がりこんでまいりました。
妹は、婆様に食われてはたいへんと、大きな手箕の下に隠れて、小さくふるえておりました。
山の婆様は、まっすぐに土間に行くと、母親が子どもたちのためにつくっておいた握り飯を見つけて、がつがつと食いはじめました。婆様は、腹をすかせておったのです。次に漬物の桶を見つけると、そこから手づかみでまるままの蕪の漬物を食べました。次に、ざるいっぱいに干してある豆を見つけると、生のままで口に流し込みました。さて、その隣には手箕があります。手箕の下になにか食べ物があるかと、婆様は手を伸ばそうとしました。
そのとき、表から二人の子どもが飛び込んできたのです。婆様はあわてて土間に小さくうずくまりました。
「火が消えている」と、次郎が言いました。
「消えておるな」と、太郎が言いました。
「婆様が来る」と、次郎が言いました。
「来ておられるか」と、太郎が言いました。
「土間にあるのはなんだ」と、次郎が言いました。
「なんであろうか」と、黒っぽいかたまりを見て、太郎が言いました。
「炭俵でも、母様が置いて行かれたか」と、次郎が言いました。
「炭俵であろうか」と、太郎が言いました。
「炭俵であれば、炭の粉がこぼれているだろう」と、次郎が言いました。
「炭俵ではないようだ」と、太郎が言いました。
「蓑が落ちているのであろうか」と、次郎が言いました。
「蓑であろう」と、太郎が言いました。
「蓑なら雨に濡れておろう」と、次郎が言いました。
「蓑ではないようだ」と、太郎が言いました。
「ならば、大きな蓑虫か」と、次郎が言いました。
「蓑虫にも見える」と、太郎が言いました。
「蓑虫ならば動くであろう」と、次郎が言いました。
「動くか、動くか」と、太郎は言って、その黒っぽいかたまりを薪雑ぽうでつつきました。
するとその黒っぽいかたまりは、わあっと婆様のすがたになって、立ち上がりました。兄弟は大あわてでとびのきました。婆様は、かまわず二人を追いかけます。次郎が、囲炉裏の横を走りながら、なべをひっくり返しました。なべの中身がこぼれて、ものすごい勢いで灰がたちのぼりました。このすきに、二人は家を飛び出しました。そして、池の脇にはえている琵琶の木ににのぼりました。
灰が目にはいった婆様は、しばらく目をこすっていましたけれど、いくらもたたないうちに家から出てきました。そして、二人が逃げていった方に走ってきました。そして、池の周りの藪を片っ端からつつきはじめました。
小さな妹は、そうっと手箕の下から出てきました。裏口から出て、納屋の陰にまわって、そして、木の上の兄たちを見つけました。それを探して走り回っている婆様も見ました。婆様は、木のすぐ下の水辺までやってきています。
妹は、このままでは兄たちは見つかってしまうと思いました。そこで、天に向かっていっしょうけんめいにお願いをしました。婆様が上を見ないようにしてくださいと、何度も何度も祈りました。
すると、傾きかけたお日様が、雲の間から顔を出しました。そして、池の水を光らせて、婆様の顔を照らしました。
婆様は、まぶしくて、目を伏せました。けれど、それがいけなかったのです。足もとの水に、木上の兄弟の影がうつっていたのです。
婆様は、兄弟が水の中に隠れているのだと思いました。つかまえようとして水の中にはまって、びしょぬれになりました。
そのようすがおかしかったので、おもわず太郎は笑ってしまいました。婆様は、あたりを見回しました。
次郎は、枝から琵琶の実をひとつもぎ取ると、池に投げました。水音がしたので、婆様はそっちを見ました。
それがおかしくて、太郎はまた笑ってしまいました。今度こそ、婆様は木の上を見上げました
「婆様、琵琶でも食うてくろ」と、太郎が言いました。
「琵琶よりうまいものがある」と、婆様が言いました。
「それなら池に鯉がいる」と、次郎が言いました。
「鯉よりうまいものがある」と、婆様は言いました。そして、木に登りはじめました。
「兄様、お天道様にお願いを」と、次郎は言いました。
「何を願うたらいい」と、太郎が聞きました。
「くさりの綱を、お願いしましょう」と、次郎が言いました。
「それでは、くさり綱をお願いしましょう」と、太郎も言いました。そして、二人で天道様に、「くさり綱をください」と、いっしょうけんめいにお願いしました。
すると、天から二本の綱が、下りてきました。太郎はすぐにそれにつかまろうとしました。けれど、次郎はきちんとそれを調べました。それから、自分の方に向かっておりてきたくさり綱に、太郎をつかまらせました。太郎の後から、次郎もつかまりました。
「それでは、高く引き上げてください」と、太郎と次郎は、声を合わせて天道様にお願いしました。くさり綱は、ゆっくりと空高く上っていきました。
ようやく木に登った婆様は、空を見上げました。子どもたちが、どんどん上がっていきます。
「まてえ」と叫んだ婆様は、目の前に太郎が残していったくさり綱がぶら下がっているのに気がつきました。この綱にぶら下がると、どんどん登りはじめました。
ところが、この綱が、ぷっつりと切れたのです。そして、婆様は地面に落ちて、したたかに腰を打ちました。あまりの痛さにしばらく動けない様子でしたが、やがて這いずるように、ゆっくりと森に戻って行きました。
日が暮れるころ、母様が帰ってきました。三人の子どもたちは、今日あったことをいっしょうけんめいに話しました。
「どうして婆様の綱は切れたのかねえ」と言った母様に、次郎が言いました。
「太郎の綱は、くさり綱は、はくさり綱でも、くさりでできた綱じゃなくて、くさった綱だんだよ」と。そして、みんなは、おみやげのおいしい餅を食べましたとさ。
山の奥に、三人の子を養う母親がおりました。父親は、とうのむかしにどこかへ行ってしもうたのですが、朝に晩に母親がお天道様を拝んでは「この子らが、どうかひもじい思いをしませぬように、どうか病になりませぬように」とお願いをしていたおかげか、子どもらはすくすくと育っておったということです。
兄の一郎は、どこか抜けたところがあったが、正直でありました。弟の次郎は、弱虫であったが、気転がききました。末の妹は、(その名前は聞いておらんのですが)、ようやくものが言えるようになったばかりの幼子でありました。
さて、ある日、母親が、峠の向こうの里に用があって出かけねばならないことになりました。母のおらぬのはさびしいけれど、帰りにはきっとうまい餅をみやげにもってきてくれるということで、子どもらはがまんして母を送り出しました。母は出がけに、子どもらにこう言いました。
「囲炉裏の傍に杉の葉を置いておくから、これをひとにぎりずつ、切らさないようにくべなさい。飯をかしいでいるように見える。そうすれば山の婆様が用心してやってこないから」
「山の婆様ってだれ」と、妹が聞きました。
「おそろしい姿で、子どもをとって食うんだそうだ」と、次郎が分別くさく言いました。
「だからあんたらは、かかが留守だと思われんようにするんだよ」と、母親は念を押して、朝早くに家を出たのでした。
子どもらは、ふだんは囲炉裏にものをくべてはいけません。火が大きくなると危ないからです。けれど、杉の葉は少しくべるだけで、白い煙がもくもくと出ます。危なくはありません。一郎も次郎もはじめはおもしろくて、煙を絶やさないようにしておりました。けれど、そのうちに、一郎が「虫を取りに行こう」と言って、次郎と二人で飛び出してしまいました。そして二人とも、煙のことはすっかり忘れてしまいました。もちろん、小さな妹は、火に近づいてはいけないのです。
そして、山の婆様は、これを見逃しませんでした。囲炉裏に火が立たないのを見て、誰もいないと思ったのでしょう。森の奥から風のようにやってくると、家の中にずかずかと上がりこんでまいりました。
妹は、婆様に食われてはたいへんと、大きな手箕の下に隠れて、小さくふるえておりました。
山の婆様は、まっすぐに土間に行くと、母親が子どもたちのためにつくっておいた握り飯を見つけて、がつがつと食いはじめました。婆様は、腹をすかせておったのです。次に漬物の桶を見つけると、そこから手づかみでまるままの蕪の漬物を食べました。次に、ざるいっぱいに干してある豆を見つけると、生のままで口に流し込みました。さて、その隣には手箕があります。手箕の下になにか食べ物があるかと、婆様は手を伸ばそうとしました。
そのとき、表から二人の子どもが飛び込んできたのです。婆様はあわてて土間に小さくうずくまりました。
「火が消えている」と、次郎が言いました。
「消えておるな」と、太郎が言いました。
「婆様が来る」と、次郎が言いました。
「来ておられるか」と、太郎が言いました。
「土間にあるのはなんだ」と、次郎が言いました。
「なんであろうか」と、黒っぽいかたまりを見て、太郎が言いました。
「炭俵でも、母様が置いて行かれたか」と、次郎が言いました。
「炭俵であろうか」と、太郎が言いました。
「炭俵であれば、炭の粉がこぼれているだろう」と、次郎が言いました。
「炭俵ではないようだ」と、太郎が言いました。
「蓑が落ちているのであろうか」と、次郎が言いました。
「蓑であろう」と、太郎が言いました。
「蓑なら雨に濡れておろう」と、次郎が言いました。
「蓑ではないようだ」と、太郎が言いました。
「ならば、大きな蓑虫か」と、次郎が言いました。
「蓑虫にも見える」と、太郎が言いました。
「蓑虫ならば動くであろう」と、次郎が言いました。
「動くか、動くか」と、太郎は言って、その黒っぽいかたまりを薪雑ぽうでつつきました。
するとその黒っぽいかたまりは、わあっと婆様のすがたになって、立ち上がりました。兄弟は大あわてでとびのきました。婆様は、かまわず二人を追いかけます。次郎が、囲炉裏の横を走りながら、なべをひっくり返しました。なべの中身がこぼれて、ものすごい勢いで灰がたちのぼりました。このすきに、二人は家を飛び出しました。そして、池の脇にはえている琵琶の木ににのぼりました。
灰が目にはいった婆様は、しばらく目をこすっていましたけれど、いくらもたたないうちに家から出てきました。そして、二人が逃げていった方に走ってきました。そして、池の周りの藪を片っ端からつつきはじめました。
小さな妹は、そうっと手箕の下から出てきました。裏口から出て、納屋の陰にまわって、そして、木の上の兄たちを見つけました。それを探して走り回っている婆様も見ました。婆様は、木のすぐ下の水辺までやってきています。
妹は、このままでは兄たちは見つかってしまうと思いました。そこで、天に向かっていっしょうけんめいにお願いをしました。婆様が上を見ないようにしてくださいと、何度も何度も祈りました。
すると、傾きかけたお日様が、雲の間から顔を出しました。そして、池の水を光らせて、婆様の顔を照らしました。
婆様は、まぶしくて、目を伏せました。けれど、それがいけなかったのです。足もとの水に、木上の兄弟の影がうつっていたのです。
婆様は、兄弟が水の中に隠れているのだと思いました。つかまえようとして水の中にはまって、びしょぬれになりました。
そのようすがおかしかったので、おもわず太郎は笑ってしまいました。婆様は、あたりを見回しました。
次郎は、枝から琵琶の実をひとつもぎ取ると、池に投げました。水音がしたので、婆様はそっちを見ました。
それがおかしくて、太郎はまた笑ってしまいました。今度こそ、婆様は木の上を見上げました
「婆様、琵琶でも食うてくろ」と、太郎が言いました。
「琵琶よりうまいものがある」と、婆様が言いました。
「それなら池に鯉がいる」と、次郎が言いました。
「鯉よりうまいものがある」と、婆様は言いました。そして、木に登りはじめました。
「兄様、お天道様にお願いを」と、次郎は言いました。
「何を願うたらいい」と、太郎が聞きました。
「くさりの綱を、お願いしましょう」と、次郎が言いました。
「それでは、くさり綱をお願いしましょう」と、太郎も言いました。そして、二人で天道様に、「くさり綱をください」と、いっしょうけんめいにお願いしました。
すると、天から二本の綱が、下りてきました。太郎はすぐにそれにつかまろうとしました。けれど、次郎はきちんとそれを調べました。それから、自分の方に向かっておりてきたくさり綱に、太郎をつかまらせました。太郎の後から、次郎もつかまりました。
「それでは、高く引き上げてください」と、太郎と次郎は、声を合わせて天道様にお願いしました。くさり綱は、ゆっくりと空高く上っていきました。
ようやく木に登った婆様は、空を見上げました。子どもたちが、どんどん上がっていきます。
「まてえ」と叫んだ婆様は、目の前に太郎が残していったくさり綱がぶら下がっているのに気がつきました。この綱にぶら下がると、どんどん登りはじめました。
ところが、この綱が、ぷっつりと切れたのです。そして、婆様は地面に落ちて、したたかに腰を打ちました。あまりの痛さにしばらく動けない様子でしたが、やがて這いずるように、ゆっくりと森に戻って行きました。
日が暮れるころ、母様が帰ってきました。三人の子どもたちは、今日あったことをいっしょうけんめいに話しました。
「どうして婆様の綱は切れたのかねえ」と言った母様に、次郎が言いました。
「太郎の綱は、くさり綱は、はくさり綱でも、くさりでできた綱じゃなくて、くさった綱だんだよ」と。そして、みんなは、おみやげのおいしい餅を食べましたとさ。