子どものためのおはなし
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どっこいしょ

3/9/2011

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いまはどこに行っても同じようなものが手に入りますし、同じような暮らしをしています。つまらないようでもありますが、まあ便利なんでしょうなあ。むかしはそうはいきませんでした。すぐ隣りのむらでも暮らしぶりはずいぶんとちがったものです。ぼくのおぼえているところだけでいっても、たとえばぼくの住んでいた小さなむらでは正月に集まって黒豆と生米を少しずつおごそかにいただくことになっていましたが、となりのむらでは酒を飲むにぎやかな新年会だったそうです。もっとむかしは、もっとちがっていたわけでしょう。山をひとつ越せばものの名前がちがうというようなことも、ふつうにあったようです。
さて、あるところに若い男がおりまして、この男が峠を越えた向こうのむらから嫁をもらったということです。むかしのお百姓はいそがしいですし、いまのように車や汽車もありませんから、いったん嫁に来たら盆と正月ぐらいしか実家には帰らないのがふつうだったようでございます。まして峠の向こうですから、嫁さまが実の親御さまに会うことなどめったにない。それに輪をかけて、婿どのが嫁さまの親御さまに会うことも、めったにないわけでございます。
けれど、あるとき、この男、用ができまして嫁さまの親御さまのむらまでやってまいりました。ふだん会えないぶんだけ、こういうときこそ顔を出したいものでございます。嫁さまのご実家を訪ねますと、こちらではたいそうお喜びになりましてな。といっても、そこは田舎のことですから、ごちそうなどというものはございません。ありあわせでなんぞないかということで、たくさんのだんごをこしらえさせましてですな、これを婿どのにふるまったわけでございます。婿どの、たいそうこれを気に入りまして、
「こんなうまいものは、初めて食いました。これはなんという食べ物でありましょうか」
と、たずねたわけでございます。
皿を運んできました母御さまは軽やかにお笑いになりましてな。
「なに、これはだんごでござります。うちの娘につくらせればよろしいでしょう。あの子はたいそうじょうずにだんごをこしらえます」
と、おっしゃったのでございます。
この男、だんごという言葉を初めて聞いたわけでございまして、まして、そのだんごを嫁がつくれるということは初めて知りました。
「そうですか。それでは、だんごをつくるようにと、このように言えばいいのですな」
と、嬉しそうに言いました。
さて、帰り道になりましたが、この男、さっきの「だんご」という言葉を忘れるのではないかと心配になってきました。そこで、忘れぬよう、「だんご、だんご、だんご」と唱えながら歩くことにしました。一歩あるくごとに「だんご」でございます。百歩あるけば百回も「だんご」を言うのでございます。千歩あるけば千回です。これでは忘れる心配はないでしょう。
ようやく峠も越えまして、むらが見えてきましたところで、小さな川の橋が昨日の雨で流れているところに行きあたりました。
「だんご、だんご、だんご」
と言いながら歩いていた男、
「どっこいしょ」
と声をかけて川をまたいだ拍子に、何を勘違いしたのか、
「どっこいしょ、どっこいしょ、どっこいしょ」
と、言葉が入れ替わってしまいました。
さて、家についたこの男、嫁さまに向かって、
「今日はおまえの家でうまいものをいただいてきた。ついてはこんど、ひとつつくってくれ。そのうまいものの名前は、どっこいしょというらしいが、できるな」
と、言ったのですな。
嫁さま、ぽかんとして、
「あなた、どっこいしょなんて食べ物があるものですか」
と、言ったのは、まああたりまえでございましょう。
しかし、ずっと、のどが渇くのもかまわずに同じ言葉を唱え続けてきた男の方はむっとしました。
「おまえは知らないと言うが、おまえの親御さまがそう言ったのだ。しかも、おまえはそれをじょうずにつくるというではないか。これ、ものぐさなことを言うではない」
と、腹立ち紛れの言葉とともに、嫁さまをぽかんとなぐりました。
「あらら、あなた。そんな無体なことをされては、だんごのようなこぶができます」
これを聞いて男、
「それそれ、そのだんごであった」
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蛙の鳴き声

3/8/2011

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なぜ蛙は雨になると鳴くのか、知っているか。あれは、心配でたまらなくて鳴いているのだ。何が心配なのか。親の墓が流れるのが心配なのだ。親の墓が川のすぐそばにある。水かさが増したら流れてしまうようなところにある。だから心配になって鳴く。
なんでそんな心配なところに墓をつくったか。それは、蛙がむかし、あまのじゃくだったからだ。あまのじゃくというのは、何でも人の言うことの逆さまばかりをする者のことだ。そういうことをすると、親は困る。あまのじゃくな子どもの親は困り果ててしまう。
それも、自分のことだけならいい。これをあっちに持って行けと行ったらこっちに持ってくるぐらいのことには、すっかり慣れっこになってしまう。けれど、他の蛙のことになると、そうも言っていられない。あそこの年寄りに親切にしてやれと言ったら邪険にする。こっちの母親を手伝ってやれと言ったら、わざわざ邪魔になることをする。これではあまりにひどいので、蛙の親はあべこべを言うようになった。仲良くさせようと思ったら、「あの年寄りには近づくな」。手を貸すように言いつける代わりに、「ちょっといじわるをしておいで」と言いつける。あまのじゃくの親は、思ったこととちがうことばかり言うようになった。
そして、自分がいよいよ寿命だと思ったとき、息子を呼んでこう言った。「わしが死んだら川のすぐそばに墓をつくってくれ」と。もちろん、そんな危ない墓に入りたいわけはない。本当は、山の上にほうむってほしかったのだ。だからこそ、あべこべに川のそばだと、あまのじゃくの息子に頼んでおいた。
さて、親が死んだとき、あまのじゃくの息子は大いに悲しんだ。ようやくのことで、自分がひどい息子だったことをさとったわけだ。だから心を入れ替えて、これからは素直になろうと考えた。そして、なにより親父さまの言うとおり、親父さまの墓を川のすぐそばにつくろうと、このように考えた。
だから、蛙の親の墓は、川のすぐそばにある。だから、雨が降ると、墓が流れないか心配になる。あまのじゃくであることをやめ、素直になった蛙は、心配だから声を上げる。心配だからケロケロと鳴く。そうやって、いつもいつも、雨が降ると鳴いている。
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琵琶の淵

3/4/2011

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琵琶という楽器はいまではめずらしいものです。ギターのようなものですね。実際、ギターのもとになった楽器がはるばる砂漠を越えて中国から日本まで伝わって、琵琶が生まれたのだそうです。むかしは、この琵琶を弾きながら物語を聞かせる人々がいたそうです。琵琶法師と呼ばれています。有名な平家物語というおはなしは、琵琶法師が語って聞かせたものなんですね。
むかしむかし、人の気配のないさみしい淵のそばで、ひとりの琵琶法師が琵琶を弾いていました。音楽をする人は、ときどき、誰かに聞かせるためにではなく、ただ奏でたいから奏でることがあるんですね。きっと、目に見えないものに向かって奏でているんでしょう。そんなときには、心が澄んで、音が冴え渡るものです。
法師は、しばらくそんなふうに、一心に奏でていました。やがて、ふと我に返ると、はにかんだ笑みを浮かべ、琵琶を袋にしまいました。
そのときです。淵がざわざわと波立ちました。風もないのにどうしたのかと不思議に思って見ていると、淵の中から大きな蛇が顔を出しました。蛇というよりは、龍のような厳かな気配をただよわせています。この川の主にちがいないと、法師は思いました。
「さても、美しい音色であった」
主はそのように言いました。そして、
「実に惜しい。このような弾き手を失うのは、実に惜しい」
と、続けました。
「なんでございましょうか」
と、法師は尋ねました。
「これは、他のものに言ってはならぬ。言えば、お前を救うことはできぬ」
と、主は答えました。
法師が腑に落ちない顔をしていると、主はこう言いました。
「誰にも言わぬのなら、お前だけは救ってやろう。実は、今夜、皆が寝静まった頃、この川をあふれさせることになっておる。これはわしの決めたことではない。もっと上の方々の定めである。多くの者が溺れるであろう。わしにそれを救うことはできぬ」
驚いている法師に、さらに主は続けました。
「だが、お前の琵琶の音を失うのは実に惜しい。だから、お前だけにはこのことを教えておく。今夜は、川のそばから離れよ。むらは水に沈むから、近寄ってはならない。八幡の祠まで登れば、そこまで水がつくことはない。今夜はそこに逃げておれ」
それだけ言うと、川の主は淵の水の中に沈んで消えてしまいました。
法師は、驚きから覚めると、慌てました。なにをさておいても、急を皆に知らせなければなりません。けれど、川の主ははっきりと言いました。「言えばお前を救うことはできぬ」と。言えば、どんな災いが襲ってくるかしれません。
法師はふらふらとむらに戻りました。皆は、何も知らずにいつもとかわらない様子です。のんびりと夕飯の支度をする煙も上がっています。ここに大水がきたら、ひとたまりもないでしょう。
法師は、むらの辻に立って、琵琶を弾きはじめました。琵琶は、法師の心の乱れを映すように、荒々しく鳴り響きました。人々は手を休めて聞き入りました。子どもたちがまわりに集まりはじめました。
ひとしきり弾き終えたあとで、急に法師は声を高くして言いました。
「みなの衆、わけは聞かんでもらいたい。今夜、八幡様の前で琵琶を弾く。たいせつなことがあるので、どうかひとり残らず、年寄りも、子どもも、ひとり残らず、集まってもらいたい」
そして、再び琵琶を弾きはじめました。

夜になりました。八幡様の境内は、むらの人で足の踏み場のないほどに埋まりました。法師は、祠の前に座って、琵琶を弾いています。ここを先途と、命がけで弾いています。その心が伝わるのか、だれもが一心に耳を傾けています。
と、いきなり地の底を揺るがすような大きな音がしました。振り返ったむら人は、おそろしい光景を目にしました。ふだんはおとなしくむらの真ん中を流れている川が、嘘のようにふくれあがっています。鉄砲水が切れたのです。どうどうと、川は恐ろしい勢いで、すべてのものを押し流していきます。
誰もがその場を動けませんでした。ただひとり、法師だけがふらふらと立ち上がりました。そして、なにかに魅入られたように、ゆっくりと川の方に近づいていきました。
むら人が気がついて引き戻そうとしたときには、もう手遅れでした。琵琶を抱えた法師は、あっという間に波に飲まれ、見えなくなってしまったのです。
鉄砲水は、ほんの一時ですっかりおさまりました。あとには、まるで嘘のように荒れ果てたむらだけが残りました。

それから、法師の姿を見た人はいません。けれど、あの法師と川の主が出会った淵のたもとに立つと、いまでもかすかに琵琶の音が聞こえることがあるそうです。そのため、この淵は琵琶の淵と呼ばれるようになったということです。
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天道さんの金の綱

3/3/2011

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その頃は、まだ天と地がいまほどは分かれておらず、ときには地に住むひとの願いを天が聞き届けてくれたということです。日照りが続くときに「雨をください」と頼めば雨が降り、風を頼めば風が吹くという具合であったということです。
山の奥に、三人の子を養う母親がおりました。父親は、とうのむかしにどこかへ行ってしもうたのですが、朝に晩に母親がお天道様を拝んでは「この子らが、どうかひもじい思いをしませぬように、どうか病になりませぬように」とお願いをしていたおかげか、子どもらはすくすくと育っておったということです。
兄の一郎は、どこか抜けたところがあったが、正直でありました。弟の次郎は、弱虫であったが、気転がききました。末の妹は、(その名前は聞いておらんのですが)、ようやくものが言えるようになったばかりの幼子でありました。
さて、ある日、母親が、峠の向こうの里に用があって出かけねばならないことになりました。母のおらぬのはさびしいけれど、帰りにはきっとうまい餅をみやげにもってきてくれるということで、子どもらはがまんして母を送り出しました。母は出がけに、子どもらにこう言いました。
「囲炉裏の傍に杉の葉を置いておくから、これをひとにぎりずつ、切らさないようにくべなさい。飯をかしいでいるように見える。そうすれば山の婆様が用心してやってこないから」
「山の婆様ってだれ」と、妹が聞きました。
「おそろしい姿で、子どもをとって食うんだそうだ」と、次郎が分別くさく言いました。
「だからあんたらは、かかが留守だと思われんようにするんだよ」と、母親は念を押して、朝早くに家を出たのでした。
子どもらは、ふだんは囲炉裏にものをくべてはいけません。火が大きくなると危ないからです。けれど、杉の葉は少しくべるだけで、白い煙がもくもくと出ます。危なくはありません。一郎も次郎もはじめはおもしろくて、煙を絶やさないようにしておりました。けれど、そのうちに、一郎が「虫を取りに行こう」と言って、次郎と二人で飛び出してしまいました。そして二人とも、煙のことはすっかり忘れてしまいました。もちろん、小さな妹は、火に近づいてはいけないのです。
そして、山の婆様は、これを見逃しませんでした。囲炉裏に火が立たないのを見て、誰もいないと思ったのでしょう。森の奥から風のようにやってくると、家の中にずかずかと上がりこんでまいりました。
妹は、婆様に食われてはたいへんと、大きな手箕の下に隠れて、小さくふるえておりました。
山の婆様は、まっすぐに土間に行くと、母親が子どもたちのためにつくっておいた握り飯を見つけて、がつがつと食いはじめました。婆様は、腹をすかせておったのです。次に漬物の桶を見つけると、そこから手づかみでまるままの蕪の漬物を食べました。次に、ざるいっぱいに干してある豆を見つけると、生のままで口に流し込みました。さて、その隣には手箕があります。手箕の下になにか食べ物があるかと、婆様は手を伸ばそうとしました。
そのとき、表から二人の子どもが飛び込んできたのです。婆様はあわてて土間に小さくうずくまりました。
「火が消えている」と、次郎が言いました。
「消えておるな」と、太郎が言いました。
「婆様が来る」と、次郎が言いました。
「来ておられるか」と、太郎が言いました。
「土間にあるのはなんだ」と、次郎が言いました。
「なんであろうか」と、黒っぽいかたまりを見て、太郎が言いました。
「炭俵でも、母様が置いて行かれたか」と、次郎が言いました。
「炭俵であろうか」と、太郎が言いました。
「炭俵であれば、炭の粉がこぼれているだろう」と、次郎が言いました。
「炭俵ではないようだ」と、太郎が言いました。
「蓑が落ちているのであろうか」と、次郎が言いました。
「蓑であろう」と、太郎が言いました。
「蓑なら雨に濡れておろう」と、次郎が言いました。
「蓑ではないようだ」と、太郎が言いました。
「ならば、大きな蓑虫か」と、次郎が言いました。
「蓑虫にも見える」と、太郎が言いました。
「蓑虫ならば動くであろう」と、次郎が言いました。
「動くか、動くか」と、太郎は言って、その黒っぽいかたまりを薪雑ぽうでつつきました。
するとその黒っぽいかたまりは、わあっと婆様のすがたになって、立ち上がりました。兄弟は大あわてでとびのきました。婆様は、かまわず二人を追いかけます。次郎が、囲炉裏の横を走りながら、なべをひっくり返しました。なべの中身がこぼれて、ものすごい勢いで灰がたちのぼりました。このすきに、二人は家を飛び出しました。そして、池の脇にはえている琵琶の木ににのぼりました。
灰が目にはいった婆様は、しばらく目をこすっていましたけれど、いくらもたたないうちに家から出てきました。そして、二人が逃げていった方に走ってきました。そして、池の周りの藪を片っ端からつつきはじめました。
小さな妹は、そうっと手箕の下から出てきました。裏口から出て、納屋の陰にまわって、そして、木の上の兄たちを見つけました。それを探して走り回っている婆様も見ました。婆様は、木のすぐ下の水辺までやってきています。
妹は、このままでは兄たちは見つかってしまうと思いました。そこで、天に向かっていっしょうけんめいにお願いをしました。婆様が上を見ないようにしてくださいと、何度も何度も祈りました。
すると、傾きかけたお日様が、雲の間から顔を出しました。そして、池の水を光らせて、婆様の顔を照らしました。
婆様は、まぶしくて、目を伏せました。けれど、それがいけなかったのです。足もとの水に、木上の兄弟の影がうつっていたのです。
婆様は、兄弟が水の中に隠れているのだと思いました。つかまえようとして水の中にはまって、びしょぬれになりました。
そのようすがおかしかったので、おもわず太郎は笑ってしまいました。婆様は、あたりを見回しました。
次郎は、枝から琵琶の実をひとつもぎ取ると、池に投げました。水音がしたので、婆様はそっちを見ました。
それがおかしくて、太郎はまた笑ってしまいました。今度こそ、婆様は木の上を見上げました
「婆様、琵琶でも食うてくろ」と、太郎が言いました。
「琵琶よりうまいものがある」と、婆様が言いました。
「それなら池に鯉がいる」と、次郎が言いました。
「鯉よりうまいものがある」と、婆様は言いました。そして、木に登りはじめました。
「兄様、お天道様にお願いを」と、次郎は言いました。
「何を願うたらいい」と、太郎が聞きました。
「くさりの綱を、お願いしましょう」と、次郎が言いました。
「それでは、くさり綱をお願いしましょう」と、太郎も言いました。そして、二人で天道様に、「くさり綱をください」と、いっしょうけんめいにお願いしました。
すると、天から二本の綱が、下りてきました。太郎はすぐにそれにつかまろうとしました。けれど、次郎はきちんとそれを調べました。それから、自分の方に向かっておりてきたくさり綱に、太郎をつかまらせました。太郎の後から、次郎もつかまりました。
「それでは、高く引き上げてください」と、太郎と次郎は、声を合わせて天道様にお願いしました。くさり綱は、ゆっくりと空高く上っていきました。
ようやく木に登った婆様は、空を見上げました。子どもたちが、どんどん上がっていきます。
「まてえ」と叫んだ婆様は、目の前に太郎が残していったくさり綱がぶら下がっているのに気がつきました。この綱にぶら下がると、どんどん登りはじめました。
ところが、この綱が、ぷっつりと切れたのです。そして、婆様は地面に落ちて、したたかに腰を打ちました。あまりの痛さにしばらく動けない様子でしたが、やがて這いずるように、ゆっくりと森に戻って行きました。

日が暮れるころ、母様が帰ってきました。三人の子どもたちは、今日あったことをいっしょうけんめいに話しました。
「どうして婆様の綱は切れたのかねえ」と言った母様に、次郎が言いました。
「太郎の綱は、くさり綱は、はくさり綱でも、くさりでできた綱じゃなくて、くさった綱だんだよ」と。そして、みんなは、おみやげのおいしい餅を食べましたとさ。
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浦島太郎

3/2/2011

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むかし、丹後の国に浦島太郎という若者がおった。海の幸をとって父親と母親を養っていた。
ある日、「今日は魚を釣ろう」と思って、あちこちで糸を出してみた。けれど、一匹もつれん。貝を拾ってみたりみるめをとったりしたけれど、やっぱり魚が欲しい。
そこで、江島が磯というところで、もういちど釣り竿を出してみた。すると、亀が一匹、糸の先にかかった。
けれど、浦島太郎は、
「かめの命は長いもの。まだまだこの先も生きられるはず。いたわしいから助けよう」
と、亀を海に戻してやった。

次の日、浦島太郎が釣りをしようと岸辺に立っていると、遠くの海の上に小さな船が一艘見えた。きれいな女がたった一人で乗っている。「これはいったいどうしたことだろう」と思って見ていると、だんだんと船は近づいてくる。
「こんな荒海に一人でいらっしゃるなんて、あなたはいったいどういう方なんでしょうか」と、浦島太郎は尋ねた。
女は、こんなふうに、話した。

「あるお方のお供で船に乗っていたのですが、嵐がきて、たくさんの人が波にのみこまれてしまいました。これでは船が危ないからと心配した船乗りが、私をこの小さな船に乗せてくれたのです。けれど、心細くて、鬼の住む島にでもつくのではないかと、途方に暮れておりました。ここで、あなたにお目にかかれたのも、何かの縁でしょう。どうか助けてください」

浦島太郎は、泣いている女をかわいそうに思って、舫いづなをとって船を引き寄せた。
やがて、女は、落ち着くと、こんなふうに話した。
「私を哀れだと思っていただけるなら、国に送り返してください。このまま知らないこの岸辺にいては、私はどうしていいのかもわかりません。それでは、海の上で流されていたときと変わらないではありませんか」
そして、また、泣きはじめる。浦島太郎も、悲しくなった。そこで、女が乗ってきた船にいっしょに乗って、沖の方へと漕ぎ出した。

女がこっちだと指差す方へと十日もこいでいくと、女の古里についた。船から上がると、すばらしい御殿がたっている。壁は銀色、屋根は金色に光り、いかめしい門がたっている。まるで天の上の神さまの住まいのようだ。浦島太郎は、口もきけないほどびっくりした。

驚いている浦島太郎に、女は言った。
「一本の木の陰にいっしょに休んだだけでも縁だといいます。同じ川に流れる水を飲んだだけでも生まれ変わったときには縁を感じるものだと聞きました。まして、あなたのようにはるばるとこんな遠くまで送ってくれたことが、縁でないはずはありません。このように縁のあるあなたと、夫婦になって、いっしょにここで暮らしたいと思います」

細やかに話す女に、浦島太郎は、ことわることができなかった。そして、二人は夫婦になって、とても仲良く暮らしはじめた。
女が言う。「ここは、竜宮城というところです。このお城のまわりには、美しい庭があります。ぜひご覧ください」

そこで、東の戸を開けてみると、春の景色が広がっている。梅や桜が咲き乱れ、柳の若葉が春風に揺れている。鶯の声がすぐそこで聞こえている。

南の戸を開けてみると、垣根には卯の花が咲いている。池には蓮の花が咲き、水鳥がさざ波をたてて遊んでいる。緑の木は葉をしげらせ、夕立ちが上がったと思ったら、蝉の声が賑やかに聞こえる。

西の庭は、秋のようすで、紅葉の色も鮮やかに、菊の花に露がおりている。どこかで鹿の声もする。

北には冬が広がって、真っ白な雪をかぶった山が見える。枯れ木の林では炭を焼く煙があがっている。

こんなおもしろい景色を見ていると、いつまでたっても、飽きることがない。楽しく遊んで暮らして、あっという間に三年がたった。

そこで、浦島太郎は、こんなことを言った。
「三十日だけ、旅に出てもいいだろうか。なにしろ、父と母をそのままにして、出てきてしまった。三年もたってしまって、父と母のことが心配になってきたのです。いちど帰って、安心させてきたいのです」

すると、女は、かなしそうに言った。
「この三年、あなたとはずっと仲良く暮らしてきました。ちょっと姿が見えないだけでも、どうしたんだろうと心が乱れたものでございます。それなのに、三十日も長いあいだお別れしなければならないなんて。もうこの世ではお会いできないような気がします」

さめざめと女が泣くのを、浦島太郎は、不思議に思った。けれど、やがて女は、涙を拭くと、こんなことを言った。
「本当のことを申し上げましょう。私は、江島が磯で、あなたに助けていただいた亀でございます。あのときのありがたさが忘れられず、夫婦になって、あなたをお助けしたいと思ったのです。夫婦の縁は、生まれ変わっても変わらないといいます。次の世に生まれ変わりましたら、必ず、私と夫婦になってくださいませ」

浦島太郎が驚いていると、女は小さな箱をとりだした。
「これは、私の形見でございます。決して、開けてはなりません」
そんなふうに言って、浦島太郎に渡したのだった。

縁というのは不思議なものだ。出会うのも縁なら、別れるのも縁だ。会えば必ず別れがくる。出会う縁は、別れる縁だ。
女と、浦島太郎は、歌をうたいあって別れを惜しんだ。

古里の父と母に会いたいと思ったのは、浦島太郎だった。けれど、いまは、女と別れるのがつらい。振り返りながら、船を急がせた。そして、古里に着いてみると、辺りは荒れ果てて、人の住む姿もない。どうしたことかと辺りを見回すと、粗末な小屋がある。
「ちょっとお尋ねします」
浦島太郎が声をかけると、中から八十歳ほどの年寄りが出てきた。
「このあたりに、浦島という人はいませんか」
と、尋ねると、
「また、どういうことで、浦島なんて聞くのかね。浦島とかいう人は、七百年もむかしに、このあたりに住んでいたそうだが」
と、答えた。浦島太郎は、驚いて、ありのままを話した。すると、年寄りは、不思議そうな顔をして、向こうを指さした。
「それが、浦島とかいう人のお墓だよ」
浦島太郎は、泣きながら、草むらをかき分けて、お墓参りをした。ほんのちょっとのあいだと思って留守にしたのに、こんなに変わってしまうなんてと、涙が止まらなかった。
ぼんやりと、海辺の松の木まで戻ってきた浦島太郎は、座りこんで、空を見上げた。これから竜宮城へ戻っても、もうむかしのように女と仲良く暮らすことなんかできっこない。なにもかもが嘘のように思えてしまう。
けれど、浦島太郎は、女のことが忘れられない。あんなに仲良く暮らした毎日が忘れられない。
もう二度と女には会えない。会いたいけれど、会えない。浦島太郎は、女が死んでしまったような気がした。そして、女が、形見だといって渡してくれた箱を思い出した。会えない人なら、死んだも同じだ。浦島太郎には、ようやく女の言葉がわかった。もう会えないと思ったから、形見をくれたのだ。
生きて会えると思うなら、形見の箱は、開けてはならない。けれど、もう会えない人だから、浦島太郎は、開けてはいけない箱を開けた。すると、中から紫色の雲が三本、流れ出してきた。その雲を見ていると、浦島太郎は、急に年をとった気持ちになった。人間だったことさえ忘れてしまうほど、年をとった気持ちになった。

そして、浦島太郎は、鶴になった。遠く、蓬莱の山まで飛んで行って、そこで、長く暮らした。亀は、竜宮で、いつまでも浦島太郎の帰りを待っていた。

いつか時代が過ぎて、鶴も亀も、死んでしまった。けれど、鶴は丹後の国に、浦島明神という神さまになって祭られることになった。亀も、同じところに神さまになって祭られた。だから、いまでは浦島の神社には、夫婦の神さまが祭られている。浦島太郎と竜宮の亀は、こうして約束どおり、生まれ変わって夫婦になった。めでたしめでたし。

だからいまでも、おめでたいときには、鶴と亀をお祝いする。
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鈍と貧

3/1/2011

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上方では、ぐずぐずしていると、「どんくっさいな」と叱られます。「どん」というのは「鈍い」ということですね。動きが鈍くてきちんとできないことを、「どんくっさい」と言うんです。あんまりきれいな言葉じゃありません。
どんくさいことばかりしていると、貧乏になってしまいます。お金が儲かりませんからね。貧乏という言葉は、「貧」という字と「乏」という字からできています。「ひん」は、貧しいということです。「ぼう」のほうは乏しいということです。貧しくて乏しいのは、やっぱりいやですよね。
さて、あるところに、いつも「どんくっさい」と叱られてばかりいる若いもんがおりました。主人はむかし商いをやっていた年寄りですが、もう仕事はやめてしまって隠居しています。若いときに貯めたお金で暮らしているんですね。仕事をしていませんから、貯めたお金は減る一方です。だから、このご隠居さん、いつもそのことを気にしていました。「このままやと、どんどん貧乏になってしまうわ」と。
若いもんの方は、いたってのんきにやっております。年寄りの小言はうるさいけれど、そこは隠居の世話ですから、大店で使われるよりはずっと気楽な仕事です。そんなふうにのんびりやっていると、「どんくっさい」と叱られます。
「おまはん、汁の鰹をちゃんとすくってないやろ」
「残ってましたかいな」
「残っとるも何も、出汁ガラばっかりやないか」
「すんません」
「貧すれば鈍すというんや。気をつけへんとこんなことでも人様から笑われるようになる」
こんな小言が飛び出します。
さて、ある日、この若いもんがご隠居さんの前でうっかりと、土瓶を割ってしまいました。
「こらこら、そんな鈍なことをしてもらっては困るな。貧すれば鈍すじゃ」
「いえ、旦那様」
若いもんは、にっこり笑って答えました。
「この通り、どんびん(土瓶、鈍貧)が割れました」
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貸し椀の淵

3/1/2011

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むらの決まりごとというのは、若い人にはわからないかもしれませんな。特に町に住んでいる人には、こういうのはわからんでしょう。この国には、何十万というむらがあります。むかしは区とか部落とかいう言い方をした地方もあるわけですが、呼び方はいろいろですよ。ま、いまはだいたい、自治会みたいな単位になっていたりします。あるいは、もっと小さな隣組みたいな単位とかですな。むらが何かなんて、そこに住んでみなきゃわかりませんよ。住んでればそれが何なのかわかります。
決まりごとはむらごとにちがいますから、こういうことがどこでも言えるのかどうか知りません。ぼくのむらでは、株内の講は毎年の持ち回りでした。株内というのは、親戚みたいなもんです。けど、親戚ともちょっとちがうんですよ。親戚かどうかってことでいったら、むら中が親戚みたいなもんです。どっかでだれかが結婚してますから、どっかで血がつながってるわけです。だから、親戚で集まるといったら、それはどの家が中心になるのかでちがってくる。株というのは、そうじゃないんですね。元は親戚、というか一族なんでしょう。けど、いまはそういう場合もあるし、そうとも言い切れない場合もある。生まれたときから「あの家とあの家は株だ」って教えられて、そして株内のつきあいをやってるわけです。だから、説明する必要もないんですな。住んでいればわかるというのは、むらと同じことです。
講というのは、つまり人が集まることなんでしょう。庚申講なんてのがあって、庚申さんの夜に集会所で年寄りが一晩集まります。寝ちゃいかんのだそうです。株内の講というのは、親睦会でしょう。株内の人が全員集まって、大人は酒を飲むし、子どもは一緒に遊ぶんですな。そういうのを年に一回、持ち回りでやります。
いまは、積み立てをやっておいて、料理屋の仕出しをとるんです。このあたり、なるべく公平に、どの家にも無理がいかないように気をつけているわけです。けれど、むかしはそうじゃありませんでした。だいたいがいまみたいに電話しとけば配達してくれるような仕出しなんてもんがなかったし、いや、あったとしてもとても手が出るもんじゃなかったんでしょう。それぞれの家で、それぞれができる限りのご馳走を用意したんだと思います。ま、お酒は持ち寄ったかもしれませんけどね。
自分たちで、できる範囲で、できるだけ楽しもうってことなんですけど、それでもやっぱり家によって事情ってもんがありますよ。ある貧しい家があったんですね。本道から山の方に上がったお稲荷さんの手前に空き地があります。あそこにはぼくが生まれたときには家が一軒あったんですよ。その家のことだと聞いとります。貧しかったんですな。いや、ぼくが知ってるときはそうでもなかったでしょう。遊びに行ってカルピスをごちそうになったおぼえがあります。もっとむかし、このはなしができたころには、貧しかったらしいんです。
そのころでも、株内の講はありました。持ち回りの番が回ってきたとき、この家には膳も椀も、ろくろくなかったんですな。
いまじゃ使いませんけど、むらの家にはたいていどこにも、膳や椀、皿や鉢が二十や三十、組になってあったものですよ。いまでも水屋をのぞけばあるんじゃないですか。座布団もそのぐらいの数は押入れやら長持ちやらにしまってありましたしね。何に使うかというと、株内の講のときと、葬式のときです。ふだん使いの食器や日用品のほかに、そういうときのためにちゃんと用意がしてあるのがふつうなんですよ。
ところが、この家にはその備えがなかった。たぶん最初っからなかったんじゃなくて、いろいろ事情があって手放したんでしょうな。だから、この年の番が回ってきたときにはじめて、困ったことになった。
竹田川ですけど、いまは工事をしてだいぶ変わったんですが、むかしは瀬もあれば淵もありました。むらからちょっと上手にあるその淵のところに、さて、竹でも切りに行ってたんでしょうな、この家の主がおったときのことです。魚でも釣っとったのかもしれませんが、そんな悠長なことのできる世帯でもなかったと聞いとります。とにかく、この淵の脇で、「困った、困った」と言うとったそうです。
すると、どこからあらわれたのか、年寄りが出てきて、こんなことを言うたそうです。
「何を困ることがあろうか」
見知らぬ人に、ふつうだったらそんなことは話さんだろうと思うんですよ。けれど、この家の主はよっぽどひとりで悩んでおったんでしょうな。話を聞いてくれる人がほしかったんでしょう。それで、今度の株内の番に膳も椀もないことをぽつぽつとしゃべったというんです。
すると、年寄りは笑って言いました。
「それなら、要るだけの数を書いて、この淵に投げ込めばいいんじゃ。なに、それだけのことじゃ。使ったあとは洗って返すのを忘れるなよ」と。
そして、気がついたら年寄りはどこかに消えておったそうです。
夢でも見ていたのかと思いますよ。そりゃそうです。けど、ものは試しです。何も損をするわけじゃありませんからね。それで、この家の主は、人数分の数を紙に書きつけて、淵に投げ込んでおいたんですな。そして、次の日に、あまり期待もせんで淵に行ってみると、ちゃんと書いた数だけの膳や椀が淵のそばに揃えて置いてあったというんです。
この家の主の偉いところは、株内の講のときに、この話を悪びれもせずに皆の前で言ったことなんでしょうな。ふつう、やっぱり恥だと思うんですよ。貧乏は隠しておきたいもんです。けど、あまりにめずらしい話でもあるし、なにより実際に目の前にその食器が並んでいるわけですから。
すると、むらの中から、「自分も借りたい」「うちでも貸してもらえんじゃろうか」という話が次から次へと出てきたんだそうです。おかしなもんで、皆、それなりに見栄をはっていたけど、けっこう苦しいやりくりをしていたんですな。そんな人たちに、この家の主は気前よく、年寄りに聞いた通りを教えてやったそうです。
こうして、むらのひとたちは、何かにつけ、淵から膳や椀を借りるようになったそうです。いつの間にやらこの淵は貸し椀の淵と呼ばれるようになったそうですが、それがいまでは河川改修で淵でも何でもなくなって、ようやくあそこのすぐ下の橋に柏葉橋という名前で残ってますけど、あれはほんとは貸し椀だったそうです。
いえ、ずいぶん長いこと、椀を借りに行く習慣は残っていたらしいんですよ。けど、あるとき、誰かが椀をひとつだけ、返さなかったんですな。気に入ってしまったんでしょう。自分のものにしたかったんでしょう。
それからです。もういくら数を書いた紙を投げ込んでも、膳も椀も、出てこなくなったということです。その椀は、私が生まれた頃はまだ母屋にありました。ま、私のご先祖が返さなかった本人だとは思いたくはないんですけれど。
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    えっと、作者です。お楽しみください。はい。

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