むかし、丹後の国に浦島太郎という若者がおった。海の幸をとって父親と母親を養っていた。
ある日、「今日は魚を釣ろう」と思って、あちこちで糸を出してみた。けれど、一匹もつれん。貝を拾ってみたりみるめをとったりしたけれど、やっぱり魚が欲しい。
そこで、江島が磯というところで、もういちど釣り竿を出してみた。すると、亀が一匹、糸の先にかかった。
けれど、浦島太郎は、
「かめの命は長いもの。まだまだこの先も生きられるはず。いたわしいから助けよう」
と、亀を海に戻してやった。
次の日、浦島太郎が釣りをしようと岸辺に立っていると、遠くの海の上に小さな船が一艘見えた。きれいな女がたった一人で乗っている。「これはいったいどうしたことだろう」と思って見ていると、だんだんと船は近づいてくる。
「こんな荒海に一人でいらっしゃるなんて、あなたはいったいどういう方なんでしょうか」と、浦島太郎は尋ねた。
女は、こんなふうに、話した。
「あるお方のお供で船に乗っていたのですが、嵐がきて、たくさんの人が波にのみこまれてしまいました。これでは船が危ないからと心配した船乗りが、私をこの小さな船に乗せてくれたのです。けれど、心細くて、鬼の住む島にでもつくのではないかと、途方に暮れておりました。ここで、あなたにお目にかかれたのも、何かの縁でしょう。どうか助けてください」
浦島太郎は、泣いている女をかわいそうに思って、舫いづなをとって船を引き寄せた。
やがて、女は、落ち着くと、こんなふうに話した。
「私を哀れだと思っていただけるなら、国に送り返してください。このまま知らないこの岸辺にいては、私はどうしていいのかもわかりません。それでは、海の上で流されていたときと変わらないではありませんか」
そして、また、泣きはじめる。浦島太郎も、悲しくなった。そこで、女が乗ってきた船にいっしょに乗って、沖の方へと漕ぎ出した。
女がこっちだと指差す方へと十日もこいでいくと、女の古里についた。船から上がると、すばらしい御殿がたっている。壁は銀色、屋根は金色に光り、いかめしい門がたっている。まるで天の上の神さまの住まいのようだ。浦島太郎は、口もきけないほどびっくりした。
驚いている浦島太郎に、女は言った。
「一本の木の陰にいっしょに休んだだけでも縁だといいます。同じ川に流れる水を飲んだだけでも生まれ変わったときには縁を感じるものだと聞きました。まして、あなたのようにはるばるとこんな遠くまで送ってくれたことが、縁でないはずはありません。このように縁のあるあなたと、夫婦になって、いっしょにここで暮らしたいと思います」
細やかに話す女に、浦島太郎は、ことわることができなかった。そして、二人は夫婦になって、とても仲良く暮らしはじめた。
女が言う。「ここは、竜宮城というところです。このお城のまわりには、美しい庭があります。ぜひご覧ください」
そこで、東の戸を開けてみると、春の景色が広がっている。梅や桜が咲き乱れ、柳の若葉が春風に揺れている。鶯の声がすぐそこで聞こえている。
南の戸を開けてみると、垣根には卯の花が咲いている。池には蓮の花が咲き、水鳥がさざ波をたてて遊んでいる。緑の木は葉をしげらせ、夕立ちが上がったと思ったら、蝉の声が賑やかに聞こえる。
西の庭は、秋のようすで、紅葉の色も鮮やかに、菊の花に露がおりている。どこかで鹿の声もする。
北には冬が広がって、真っ白な雪をかぶった山が見える。枯れ木の林では炭を焼く煙があがっている。
こんなおもしろい景色を見ていると、いつまでたっても、飽きることがない。楽しく遊んで暮らして、あっという間に三年がたった。
そこで、浦島太郎は、こんなことを言った。
「三十日だけ、旅に出てもいいだろうか。なにしろ、父と母をそのままにして、出てきてしまった。三年もたってしまって、父と母のことが心配になってきたのです。いちど帰って、安心させてきたいのです」
すると、女は、かなしそうに言った。
「この三年、あなたとはずっと仲良く暮らしてきました。ちょっと姿が見えないだけでも、どうしたんだろうと心が乱れたものでございます。それなのに、三十日も長いあいだお別れしなければならないなんて。もうこの世ではお会いできないような気がします」
さめざめと女が泣くのを、浦島太郎は、不思議に思った。けれど、やがて女は、涙を拭くと、こんなことを言った。
「本当のことを申し上げましょう。私は、江島が磯で、あなたに助けていただいた亀でございます。あのときのありがたさが忘れられず、夫婦になって、あなたをお助けしたいと思ったのです。夫婦の縁は、生まれ変わっても変わらないといいます。次の世に生まれ変わりましたら、必ず、私と夫婦になってくださいませ」
浦島太郎が驚いていると、女は小さな箱をとりだした。
「これは、私の形見でございます。決して、開けてはなりません」
そんなふうに言って、浦島太郎に渡したのだった。
縁というのは不思議なものだ。出会うのも縁なら、別れるのも縁だ。会えば必ず別れがくる。出会う縁は、別れる縁だ。
女と、浦島太郎は、歌をうたいあって別れを惜しんだ。
古里の父と母に会いたいと思ったのは、浦島太郎だった。けれど、いまは、女と別れるのがつらい。振り返りながら、船を急がせた。そして、古里に着いてみると、辺りは荒れ果てて、人の住む姿もない。どうしたことかと辺りを見回すと、粗末な小屋がある。
「ちょっとお尋ねします」
浦島太郎が声をかけると、中から八十歳ほどの年寄りが出てきた。
「このあたりに、浦島という人はいませんか」
と、尋ねると、
「また、どういうことで、浦島なんて聞くのかね。浦島とかいう人は、七百年もむかしに、このあたりに住んでいたそうだが」
と、答えた。浦島太郎は、驚いて、ありのままを話した。すると、年寄りは、不思議そうな顔をして、向こうを指さした。
「それが、浦島とかいう人のお墓だよ」
浦島太郎は、泣きながら、草むらをかき分けて、お墓参りをした。ほんのちょっとのあいだと思って留守にしたのに、こんなに変わってしまうなんてと、涙が止まらなかった。
ぼんやりと、海辺の松の木まで戻ってきた浦島太郎は、座りこんで、空を見上げた。これから竜宮城へ戻っても、もうむかしのように女と仲良く暮らすことなんかできっこない。なにもかもが嘘のように思えてしまう。
けれど、浦島太郎は、女のことが忘れられない。あんなに仲良く暮らした毎日が忘れられない。
もう二度と女には会えない。会いたいけれど、会えない。浦島太郎は、女が死んでしまったような気がした。そして、女が、形見だといって渡してくれた箱を思い出した。会えない人なら、死んだも同じだ。浦島太郎には、ようやく女の言葉がわかった。もう会えないと思ったから、形見をくれたのだ。
生きて会えると思うなら、形見の箱は、開けてはならない。けれど、もう会えない人だから、浦島太郎は、開けてはいけない箱を開けた。すると、中から紫色の雲が三本、流れ出してきた。その雲を見ていると、浦島太郎は、急に年をとった気持ちになった。人間だったことさえ忘れてしまうほど、年をとった気持ちになった。
そして、浦島太郎は、鶴になった。遠く、蓬莱の山まで飛んで行って、そこで、長く暮らした。亀は、竜宮で、いつまでも浦島太郎の帰りを待っていた。
いつか時代が過ぎて、鶴も亀も、死んでしまった。けれど、鶴は丹後の国に、浦島明神という神さまになって祭られることになった。亀も、同じところに神さまになって祭られた。だから、いまでは浦島の神社には、夫婦の神さまが祭られている。浦島太郎と竜宮の亀は、こうして約束どおり、生まれ変わって夫婦になった。めでたしめでたし。
だからいまでも、おめでたいときには、鶴と亀をお祝いする。
ある日、「今日は魚を釣ろう」と思って、あちこちで糸を出してみた。けれど、一匹もつれん。貝を拾ってみたりみるめをとったりしたけれど、やっぱり魚が欲しい。
そこで、江島が磯というところで、もういちど釣り竿を出してみた。すると、亀が一匹、糸の先にかかった。
けれど、浦島太郎は、
「かめの命は長いもの。まだまだこの先も生きられるはず。いたわしいから助けよう」
と、亀を海に戻してやった。
次の日、浦島太郎が釣りをしようと岸辺に立っていると、遠くの海の上に小さな船が一艘見えた。きれいな女がたった一人で乗っている。「これはいったいどうしたことだろう」と思って見ていると、だんだんと船は近づいてくる。
「こんな荒海に一人でいらっしゃるなんて、あなたはいったいどういう方なんでしょうか」と、浦島太郎は尋ねた。
女は、こんなふうに、話した。
「あるお方のお供で船に乗っていたのですが、嵐がきて、たくさんの人が波にのみこまれてしまいました。これでは船が危ないからと心配した船乗りが、私をこの小さな船に乗せてくれたのです。けれど、心細くて、鬼の住む島にでもつくのではないかと、途方に暮れておりました。ここで、あなたにお目にかかれたのも、何かの縁でしょう。どうか助けてください」
浦島太郎は、泣いている女をかわいそうに思って、舫いづなをとって船を引き寄せた。
やがて、女は、落ち着くと、こんなふうに話した。
「私を哀れだと思っていただけるなら、国に送り返してください。このまま知らないこの岸辺にいては、私はどうしていいのかもわかりません。それでは、海の上で流されていたときと変わらないではありませんか」
そして、また、泣きはじめる。浦島太郎も、悲しくなった。そこで、女が乗ってきた船にいっしょに乗って、沖の方へと漕ぎ出した。
女がこっちだと指差す方へと十日もこいでいくと、女の古里についた。船から上がると、すばらしい御殿がたっている。壁は銀色、屋根は金色に光り、いかめしい門がたっている。まるで天の上の神さまの住まいのようだ。浦島太郎は、口もきけないほどびっくりした。
驚いている浦島太郎に、女は言った。
「一本の木の陰にいっしょに休んだだけでも縁だといいます。同じ川に流れる水を飲んだだけでも生まれ変わったときには縁を感じるものだと聞きました。まして、あなたのようにはるばるとこんな遠くまで送ってくれたことが、縁でないはずはありません。このように縁のあるあなたと、夫婦になって、いっしょにここで暮らしたいと思います」
細やかに話す女に、浦島太郎は、ことわることができなかった。そして、二人は夫婦になって、とても仲良く暮らしはじめた。
女が言う。「ここは、竜宮城というところです。このお城のまわりには、美しい庭があります。ぜひご覧ください」
そこで、東の戸を開けてみると、春の景色が広がっている。梅や桜が咲き乱れ、柳の若葉が春風に揺れている。鶯の声がすぐそこで聞こえている。
南の戸を開けてみると、垣根には卯の花が咲いている。池には蓮の花が咲き、水鳥がさざ波をたてて遊んでいる。緑の木は葉をしげらせ、夕立ちが上がったと思ったら、蝉の声が賑やかに聞こえる。
西の庭は、秋のようすで、紅葉の色も鮮やかに、菊の花に露がおりている。どこかで鹿の声もする。
北には冬が広がって、真っ白な雪をかぶった山が見える。枯れ木の林では炭を焼く煙があがっている。
こんなおもしろい景色を見ていると、いつまでたっても、飽きることがない。楽しく遊んで暮らして、あっという間に三年がたった。
そこで、浦島太郎は、こんなことを言った。
「三十日だけ、旅に出てもいいだろうか。なにしろ、父と母をそのままにして、出てきてしまった。三年もたってしまって、父と母のことが心配になってきたのです。いちど帰って、安心させてきたいのです」
すると、女は、かなしそうに言った。
「この三年、あなたとはずっと仲良く暮らしてきました。ちょっと姿が見えないだけでも、どうしたんだろうと心が乱れたものでございます。それなのに、三十日も長いあいだお別れしなければならないなんて。もうこの世ではお会いできないような気がします」
さめざめと女が泣くのを、浦島太郎は、不思議に思った。けれど、やがて女は、涙を拭くと、こんなことを言った。
「本当のことを申し上げましょう。私は、江島が磯で、あなたに助けていただいた亀でございます。あのときのありがたさが忘れられず、夫婦になって、あなたをお助けしたいと思ったのです。夫婦の縁は、生まれ変わっても変わらないといいます。次の世に生まれ変わりましたら、必ず、私と夫婦になってくださいませ」
浦島太郎が驚いていると、女は小さな箱をとりだした。
「これは、私の形見でございます。決して、開けてはなりません」
そんなふうに言って、浦島太郎に渡したのだった。
縁というのは不思議なものだ。出会うのも縁なら、別れるのも縁だ。会えば必ず別れがくる。出会う縁は、別れる縁だ。
女と、浦島太郎は、歌をうたいあって別れを惜しんだ。
古里の父と母に会いたいと思ったのは、浦島太郎だった。けれど、いまは、女と別れるのがつらい。振り返りながら、船を急がせた。そして、古里に着いてみると、辺りは荒れ果てて、人の住む姿もない。どうしたことかと辺りを見回すと、粗末な小屋がある。
「ちょっとお尋ねします」
浦島太郎が声をかけると、中から八十歳ほどの年寄りが出てきた。
「このあたりに、浦島という人はいませんか」
と、尋ねると、
「また、どういうことで、浦島なんて聞くのかね。浦島とかいう人は、七百年もむかしに、このあたりに住んでいたそうだが」
と、答えた。浦島太郎は、驚いて、ありのままを話した。すると、年寄りは、不思議そうな顔をして、向こうを指さした。
「それが、浦島とかいう人のお墓だよ」
浦島太郎は、泣きながら、草むらをかき分けて、お墓参りをした。ほんのちょっとのあいだと思って留守にしたのに、こんなに変わってしまうなんてと、涙が止まらなかった。
ぼんやりと、海辺の松の木まで戻ってきた浦島太郎は、座りこんで、空を見上げた。これから竜宮城へ戻っても、もうむかしのように女と仲良く暮らすことなんかできっこない。なにもかもが嘘のように思えてしまう。
けれど、浦島太郎は、女のことが忘れられない。あんなに仲良く暮らした毎日が忘れられない。
もう二度と女には会えない。会いたいけれど、会えない。浦島太郎は、女が死んでしまったような気がした。そして、女が、形見だといって渡してくれた箱を思い出した。会えない人なら、死んだも同じだ。浦島太郎には、ようやく女の言葉がわかった。もう会えないと思ったから、形見をくれたのだ。
生きて会えると思うなら、形見の箱は、開けてはならない。けれど、もう会えない人だから、浦島太郎は、開けてはいけない箱を開けた。すると、中から紫色の雲が三本、流れ出してきた。その雲を見ていると、浦島太郎は、急に年をとった気持ちになった。人間だったことさえ忘れてしまうほど、年をとった気持ちになった。
そして、浦島太郎は、鶴になった。遠く、蓬莱の山まで飛んで行って、そこで、長く暮らした。亀は、竜宮で、いつまでも浦島太郎の帰りを待っていた。
いつか時代が過ぎて、鶴も亀も、死んでしまった。けれど、鶴は丹後の国に、浦島明神という神さまになって祭られることになった。亀も、同じところに神さまになって祭られた。だから、いまでは浦島の神社には、夫婦の神さまが祭られている。浦島太郎と竜宮の亀は、こうして約束どおり、生まれ変わって夫婦になった。めでたしめでたし。
だからいまでも、おめでたいときには、鶴と亀をお祝いする。