子どものためのおはなし
  • Home
  • 出まかせ 日本むかしばなし
  • おはなし会のおはなし
  • ブログ
  • エッセイ

大工と鬼六

5/15/2011

0 Comments

 
宇治の川というのは、いまではダムもできておとなしいものでありますが、その昔にはずいぶんと暴れ川であったそうであります。いまでも宇治の町から少し山の方に入りますと、深くえぐられた断崖の間を川が流れているところがあります。それだけの勢い、それだけの力で水が川岸を削っておったものでありましょう。
少し川を下ったところには 京から春日に通じる街道がございます。宇治川には橋を渡してあるわけですが、この橋が水が出るたびに流れたということでございます。
京の方に有名な橋大工がおりまして、あるとき、やはり大水で橋が流れたあと、こんどはぜひに流れない橋を渡して欲しいと、これはその頃の山城の国衙からの命でございました。もちろん、橋大工というのはひとりで橋をかけるわけではございません。数多くの職人を使う棟梁なのでございます。どれだけ職人がしっかりしておりましても、棟梁がきっちりと指図をしなければ橋はできないのであります。
国衙からの言いつけでありますので、棟梁は、とにかく川の様子を見ようと一人で宇治までやってまいりました。宿に荷をほどき、先日の大水まで橋があったところまで着いたのは、もう日暮れ前のことでした。川べりに立つと、そこには橋どころか、橋桁や橋脚があったあとさえ残っておりません。ただ、街道が川岸の崖まで続いていて、そこですっぱりと途切れているばかりであります。
棟梁は、そこまで行って立ち尽くしました。目の前には渦巻く川が流れております。確かに橋をかけることはできるでしょう。けれど、水かさが増せばどこにどう懸けても流されてしまいます。あすこにかければこう流れる、こちらにかければこうきたときに弱いと、考えれば考えるほどむずかしいことがわかります。いままで何度懸けてもそのたびに流されてきたのが、よくわかります。
棟梁はじっと川の流れを見つめました。渦の巻き方があたりまえではありません。渦のできる場所がどんどん移っていくのです。これでは、どこに橋脚を下ろせばいいのかさえ、見当がつきません。渦は、あちこちに生まれ、あちこちに消えていきます。
その渦のひとつが急に大きくなり棟梁のすぐ目の前までまっすぐに進んできました。棟梁は思わず、その渦の真ん中に目を奪われました。眼のようなものが見えた気がしたのです。
もういちど目を凝らしてよく見ると、こんどは大きな口が見えました。それから牛の角のようなものが見えました。次の瞬間に、それは鬼の顔になっていました。
鬼は、棟梁をしっかり見据えると、ニカァッと笑いました。そして言いました。
「この川に橋をかけるのはやめておけ。どんだけ強い橋を懸けても、この俺様がすぐに流してくれる」
棟梁は、驚きながらもなるほどと思いました。この鬼が棲む川だから、いままで流れない橋ができなかったのであろうと、合点がいきました。
「国衙の命であるからして、それでもここに橋を懸けねばならぬのであるが」
棟梁は、悔しげにつぶやきました。
「やめておけ、やめておけ」
鬼は高笑いしました。
「人間にはこの川に橋は懸けられぬ。人間は弱いものだからな。これだけの川に橋をかけようと思うなら、もっと強くならなければならない。鬼のように。この俺のように」
そして、鬼はさみしげに笑いました。
「俺ならさしずめ、この川に流れぬ橋を三日でかけてみせる。だがな、鬼には橋などいらんのだ。橋は弱い人間のものだから」
こんどは棟梁が笑いました。
「いかな鬼でも、三日でここに橋をかけるなど、できるわけがない。世迷言を言いなさんな」
鬼は再びさみしげに笑いました。
「なに、できるさ。なんならやってやってもいい」
それからまたも高らかに笑いました。
「そうさな。お前の目玉をよこすなら、三日で橋を懸けてやろう」
棟梁は胸を張りました。
「よかろう。たとえ鬼でもそんなことができるわけはない。三日で橋をかけたら、お望み通りこの目玉を差し上げよう。その代わり、もしも三日でできなければ、二度とこの川に現れるな。そして、二度と橋を流すような悪さをするな。そう約束するなら、すぐにでもかかってもらおうじゃないか」
その瞬間、ひときわ大きく川が渦巻いたと思ったら、もう鬼の姿は消えていました。あとには、あの高らかな笑い声だけが、棟梁の耳奥に響いておりました。
はて、いまのは夢であったか、幻であったかと、棟梁はあたりを見回しました。それから、川に背を向けて、その夜の宿までとぼとぼと足を進めました。なんだか急に、ひどくくたびれてしまったのです。頭もぼんやりと痛いようでした。

さて、次の朝、棟梁はすっきりした気持ちで目が覚めました。昨日の夕方のことが嘘のように思われます。顔を洗い、口を漱ぐと、自分にできないことなどないような気持ちになってきました。なに、あれほどの激しい流れであったとしても、どこかにうまい工夫があるはずだという気がしてきます。そこで、棟梁は身支度を整えて、昨日の川べりまでやってきました。そして、目を疑いました。
なんと、そこには昨日はなかった橋脚が、川の中から突き出しているのです。
棟梁は、はじめは橋脚がそこにあるということだけで驚きました。けれど、その驚きが静まるとともに、新しい驚きがわき起こってきました。その橋脚は、実に巧みに、水の勢いを避けて並べられているのです。昨日、いくら考えても解けなかった謎が、目の前で解き明かされているのです。なるほど、こういうふうに立てれば、どんな水にも潰されない橋脚ができあがるのかと、棟梁は感心するばかりでした。そして、それを思いつけなかった自分のいたらなさを振り返って、まだまだ修行をせねばならないと省みるのでした。
そのときです。目の前の川の水が大きく渦を巻きました。はっとしてそこを見つめると、昨日と同じようにそこから眼が現れ、口が現れ、角が現れて、あの鬼が勝ち誇ったように笑いはじめました。
「どうだ。これで目玉をよこす気になったか」
棟梁は鬼の目をぐっと睨むと、むきになったように言いました。
「脚だけ下ろしても、橋ができたことにはなるまい」
そうなのです。確かに橋脚は巧みに流れの強いところを避けて並んでいます。けれど、それだけに、その上に桁を渡していくのが難しいのです。特に川の真ん中のところでは、橋脚から橋脚までが遠く、それだけの桁を渡したら、たわんでとてももたないでしょう。かといって支柱を通したら、大水のときに流されます。棟梁は、この橋脚の弱点を見抜いていたのでした。
鬼は、ふんっと笑いました。
「明日も来い。いいものを見せてやろう」
そして、気がついたときには、ただ滔々と流れる川の水がそこにあるだけでした。

次の朝、棟梁が川岸まで行ってみると、昨日の橋脚の上に橋桁がかかっています。川の真ん中のいちばん遠いところには、欄干まで出来ています。けれど、棟梁にははっきりとわかりました。あれは手すりのような欄干ではありません。三角形に頑丈な材で組み上げて、橋桁を上から支えるようにしてあるのです。驚きです。こんなふうに橋桁を組み上げる方法を、棟梁はいままで見たことも聞いたこともありませんでした。なるほど、これなら大水がきても、橋桁に水の力はかかりません。実に巧みな答えです。
棟梁がこの工夫を感心して眺めているところに、また渦が巻いて、あの鬼が現れました。
「どうだ、これは人間にはできんだろう」
棟梁は、感心しきって答えました。
「ああ、これは思いつかなかった。だれも思いつかないだろう。何十年も橋大工をやってきて、これは初めて見た」
鬼は嬉しそうにニカニカ笑いました。
「ああ、人間なんてのはな、大きなことを言っても、何も知らんのだ。どんなふうに橋をかけたらいいのか知らないだけじゃない。もっと簡単なことでさえ知らない」
棟梁は、うなづくしかありませんでした。
「自分が知らないことさえ知らない。おれの名前さえ知らないだろう」
鬼は、自分の冗談が気に入ったようで、ひとしきり笑い声を立てました。それから勝ち誇ったように言いました。
「どうだ、これで目玉を渡す気になったか」
棟梁は力なく頭を振りました。
「負けたよ」
「じゃあ、いますぐ目玉をよこすか」
棟梁は、残念そうに橋を見ました。
「いや、この橋ができあがった姿を一目見たい」
鬼は、棟梁のしんみりした声につられたように、声の調子を落としました。
「そうかいそうかい。じゃあ、明日まではとらないでやろう。約束は三日のうちだし、それにまだ仕上げが残っているものな。だが、もうできたも同然じゃないか」
「それでもなあ。橋というものは、人が渡れるようになってはじめてできたっていえるもんだ。人が喜んで渡って行くところを、やっぱり見たいもんだよ」
「そうかそうか」
鬼は親しげに言いました。
「お前の目玉は、楽しみにしてるやつがいるんでなあ。とるには忍びないが、明日にはやっぱりもらうことにするよ。それまでにはちゃんときれいに仕上げておく。それを見たら、よこすんだよ」
「ああ」
棟梁は、力なく言いました。
「わるいな」
鬼は、ちょっと寂しそうな声になりました。それから、こんなふうに付け加えました。
「そうだなあ。じゃあ、たとえばだ。もしもおれの名前を言い当てたら、おまえの目玉はなしにしてやろう。うん、そうしてやってもいい。だが、それも明日までのことさ」
そう言い残して、鬼はまた消えてしまいました。

しばらくの間、棟梁はぼんやりしていました。すばらしい技を見て気持ちが高ぶったせいでしょう、まるで考えがまとまりませんでした。あそこに橋の脚をおくことは、それはそれで気がつかなかった信じられない知恵でした。けれど、そのためには橋桁をどうするかという難題があります。それを、こんなふうに簡単に解いてしまった鬼の技には、感心しないわけにはいきません。できることなら、自分もあんな棟梁の下で働きたいものだ。いや、自分もあんな棟梁にいつかはなってみたいものだと、そんなことも思います。これだけの技を受け継ぐことができれば、もっともっと素晴らしい仕事ができるにちがいありません。
そんなふうにあてもない考えにふけっていた棟梁は、はっと気がつきました。明日になれば、自分は目玉を失うのです。目が見えなくなってしまっては、これから先の仕事もないのです。棟梁は、急に怖くなりました。川に背を向けて走り出しました。とにかく川のそばから逃げ出したくなりました。
あてもなく無我夢中で走って、気がつくと、棟梁は山の中にいました。自分がどこにいるのかもわかりません。ただ、道の続く方に走ってきたのです。道は曲がりくねって下りにかかりました。下っていく坂の向こうに、川が光っているのが見えました。山の中に入っていったと思った道は、実は川からそれほど離れずに、ただ上流に向かっていただけらしいのです。あわてて棟梁は、道を戻りかけました。そして、今度こそ川とは反対の方向にあると思う枝道に飛び込みました。そして、そこをどんどん走っていきました。
どのくらいの時間がたったのでしょう。棟梁は、いまが朝なのか昼なのか、それとももう日が暮れてしまったのかさえわかりませんでした。森の中は薄暗く、日も差してきません。道はいつの間にか細くなり、けもの道のようになって、消えてしまいました。いまはもう、こちらと思う方に木の枝を踏み分け、藪を払いながら進むばかりです。このまま迷い続けてどこにも出られなくなってしまったら、それはそれでかまわないとさえ棟梁は思いました。自分でどこにいるかわからなければ、鬼も自分を見つけられないような、そんな気がしました。目玉を取られてしまうような恐ろしい目にあうぐらいなら、このまま山の中にまぎれて失せてしまいたいとさえ思いました。
そのとき、なにか歌うような声が聞こえました。棟梁は驚いて立ち止まりました。そうっと木の影に隠れてうかがうと、森の奥のほうで影が動きます。目をこらしているうちに、またさっきの歌声が聞こえてきました。
「ねんねんこ、ねんねんこ
この子は よう泣く ねんねんこ
ばばにおぶさり ねんねんこ」
棟梁は、ほっとしました。どこか村里にでも出たのであろうと思いました。村はずれで年寄りが孫の子守でもしている様子です。驚かさないようにそっと木の影から出ようとして、棟梁はさっきよりももっと驚きました。というのは、かがみこんでわらびでもとっているらしいその婆様の額に、まぎれもない角が見えたからです。
婆様は、棟梁に気がつかず、歌い続けました。
「ねんねんこ、ねんねんこ
この子の父様、お仕事じゃ
川で流れぬ橋かける

ねんねんこ、ねんねんこ
この子の母様、どこいった
乳がないので さみしかろ

ねんねんこ、ねんねんこ
明日には父様、もってくる
目玉をしゃぶって ねんねんこ」
棟梁は、その歌を聞いて身体がガタガタ震えました。脂汗が流れました。目玉を取るというのは、冗談でも何でもなかったのです。あの鬼は、自分の息子のために、この目玉を与えようというのです。
「ねんねんこ、ねんねんこ
坊やは父様のあとつぎじゃ
あの鬼六の あとつぎじゃ

鬼六帰る あしたまで
坊やはばばと 留守番じゃ
ねんねんこ、ねんねんこ」
いつまでも続くその歌声を振り払うように、棟梁は無我夢中で走りました。体中からなにかが抜け落ちていくような、自分が虚ろになっていくような、そんなふうに感じながら走りました。石につまづき、木の根に足をとられながらも走りました。草で滑り、水たまりの泥をかぶりながら、あてもなく、走りました。走ってどうなるわけでもないとわかりながら、走らずにいられませんでした。走って、走って、もう動けないほどへとへとになって、棟梁は道の真ん中に倒れました。頭の中では、さっきの子守歌が響き続けていました。
どのくらい時が過ぎたでしょう。鍬を担いだお百姓が通りかかりました。どうやら、森を抜けて村はずれまできていたようです。お百姓は棟梁に水を一杯汲んでくれました。そして、日暮れの道を棟梁の宿まで案内してくれました。

さて、いよいよ橋のできあがる日です。棟梁は、気持ちをとり直して顔を洗いました。身だしなみを整えると、いつもの川べりまでやって来ました。美しい橋が見えます。がっしりとしていて、それでいてしなやかに美しい姿です。鬼は細かな細工まで手を抜きませんでした。真鍮の擬宝珠が朝日に光ります。旅人が、さっそく渡っていくのが見えます。村人が橋のたもとに集まって、口々に驚きを語り合っています。たった三日で橋がかかったことが信じられないのでしょう。
けれど、本当の驚きは村人にはわからないのだと、棟梁は思います。この橋にこめられたさまざまな工夫と技をわかるのは、自分しかいないと思うのです。この橋なら、どんな大水にも流されず、何百年も役目を果たすでしょう。棟梁は、素直に鬼を褒め讃えたい気持ちになりました。
そのときです。目の前の川の流れの渦が大きくなると、鬼が現れました。棟梁は、はっとしました。昨日のあの恐ろしさがよみがえってきたのです。あの子守唄が頭の中に響きはじめました。目玉をとられてしまうのです。赤ん坊のおもちゃにするために、この鬼六という化け物が、自分の目玉を奪ってしまうのです。
「どうだ」
鬼は得意げに言いました。
「すばらしい橋だ」
棟梁は、心をこめて答えました。それで十分でした。鬼は満足気に笑いました。
「それでは約束だ。目玉をもらっていこう」
棟梁は、なんともいえない気持ちになりました。確かにこの橋は、自分の目玉以上の値打ちがある。けれど、この先、目玉を失わずに仕事を続けることさえできれば、この橋から学んだことを、もっともっと素晴らしい仕事に活かしていけるはずです。なんとかならないものでしょうか。
棟梁の心に、一筋の光が差した気がしました。
「待て。待ってくれ。お前様は、お前様の名前を当てたら目玉は許してくれると、そう言うたではないか。どうか当てさせてもらいたい」
鬼は大笑いしました。
「よかろう。だがお遊びは三度までだ。おれもこのあと大事な用があるのでな。待たせておるのでゆっくりはしておれん。さあ、当ててみろ」
「さて、鬼といえば宇羅であろう」
「なんの、なんの」
「であれば、茨木童子であろう」
「なんの、なんの」
棟梁はここで腹の底に力を込めました。そして一言、言い放ちました。
「鬼六」
鬼は、あっと叫ぶと、悲しげな顔を見せました。それも瞬き一つするほどの間で、たちまち大きな渦が巻き起こり、鬼はその中に消えてしまいました。あとには、何事もなかったかのように、川がゆっくり流れていたそうです。
棟梁は、われにかえってあたりを見回しました。だれも、自分と鬼のやりとりに気がついていた者はいないようです。人々は、橋の上で新しい橋を喜び合っています。川べりに佇んでいる棟梁のことなど、だれも気に留めてはいないようです。
棟梁は小さく微笑むと、宇治の町を後にしました。さて、それから後、この棟梁はあちこちの難所でいくつも美しい橋をかけたということです。鬼のかけた橋は何百年も流れずに人々の暮らしを支えたということでありますが、激しい戦があった折に焼け落ちたそうでございます。いくら鬼でも、人の浅はかさまで防ぐ技はなかったのでありましょうな。
0 Comments

餅争い

5/14/2011

0 Comments

 
猿と一口に言っても、世界には無数の種類がいます。日本にいるのはニホンザルですね。だいたいは群れで山の中を動きまわっています。山の中で出会うと怖ろしいものですよ。いえ、猿の一匹ぐらい、身体も小さいし、いくら引っ掻いたり噛み付いたりしてきても、最後は人間のほうが強いでしょう。けれど、怖いのは群れです。あれが何十匹もいて、そして見張りみたいなやつが真っ赤な顔で思いっきり吠え立てるんです。身がすくみますよ。
ただ、同じ猿でも、なかには群れに加わらず一匹で生きている猿もいます。離れ猿っていうんですけど、むかし話に登場する猿は、だいたいがこの離れ猿です。離れ猿になるのは雄に決まっています。群れからあぶれた雄が、行き場をなくして離れ猿になるのです。だから、生き方は浅ましくて、品のないものですよ。

さて、このおはなしに出てくる猿は、例によって離れ猿です。それも、仲間の猿からは相手にされず、自分よりもずっとちっぽけな蛙といつもいっしょにいる猿です。こういう人っていますよね。弱い人を見つけては、いかにも恩着せがましく子分扱いするんですよ。弱い人のほうでも、そういう中途半端に強い人につい頼ってしまいます。そうすることで偉くなったような気になれるんでしょう。
その蛙が、猿のところにやってきて言いました。
「庄屋さまのところで赤ん坊が生まれたんですけど、五十日なんで餅つきをするそうですよ。お祝いに行ったら少しぐらい食べさせてくれるかもしれません」
猿は、にんまりと笑いました。
「いや、もっといいことがある。とにかく行こう」
そして、ふたりは庄屋さまのところまでやって来ました。ところがふたりは玄関の方には行かず、そっと裏庭にまわりました。猿は蛙に耳打ちして、古井戸の底にもぐりこませました。それから勝手口に行くと、大声をはりあげました。
「たいへんだ。井戸に赤ん坊が落ちたぞ」
その声を聞いて、台所から女が井戸の方に急ぎます。井戸の中では、蛙がいっしょうけんめい赤ん坊のような声を出しています。女は金切り声で叫びました。
「だれか。だれでも。早く来ておくれ。赤ん坊が井戸に落ちた」
さあ、騒ぎが大きくなります。庭のほうで餅を搗いていた男どもも、わっとばかりに裏庭に集まりました。その隙に、猿はこっそりと搗きあがったばかりの餅を臼ごと盗み出しました。ぽっちりおすそ分けをいただくよりは、ごっそり全部せしめてしまおうと思ったのですね。
猿は、臼の重さにふうふう言いながら、蛙と待ち合わせを決めておいた丘の上までやって来ました。そして、これだけ苦労して運んできたのに、蛙に分け前をやるのはもったいないと思うようになりました。それなら蛙がくる前に急いで食べてしまおうかと考えが決まったところに、運悪くもう蛙がやって来ました。いくらなんでも、蛙がそこにいるのにひとり占めというわけにはいきませんよ。
「どうだ、ここでひとつ、競争をしないか」
猿は、何食わぬ顔で言いました。
「俺はここまで走って逃げてくるだけで疲れたよ」
蛙はそう言います。
「だからこそ、ここでもうひとがんばりするんだよ。いいかい、おまえが競争に勝ったら、この餅を全部やる。競争に勝ったほうが全部食べられるってことだ。この餅を全部食ったら、疲れも吹っ飛ぶよ」
猿は、得意げに説明します。そして、蛙が考えるひまも与えずに、臼を思いっきり突きました。臼は、谷底に向けてどんどん転がり始めました。
「さあ、先に餅をつかまえたほうが勝ちだ」
そう叫ぶと、猿は一目散に丘を駆け下りていきました。
さてさて、蛙というものは、前脚が短く、後ろ脚が長いものですよ。こういう生き物が坂道でどうなるか、わかりますか。上りはいいんです。下り道になると、うまく進めません。無理に急いだら、ひっくり返ってしまいます。もちろん猿は、それを知っているんですね。蛙が追いつけないのをいいことに、涼しい顔で丘を下っていきます。蛙の方は仕方ないので、ゆっくりゆっくりと、臼の転げた方へと歩いていきました。
どうやらそれがよかったんですよ。というのは、たしかに谷底に先に着いたのは猿の方でした。ところが、臼の中には餅はもう残っていなかったのです。途中で臼から飛び出してしまっていたんですよ。
そして、それを見つけたのは、あとからゆっくり降りてきた蛙でした。飛び出した餅は、木の枝に引っかかっていました。ほら、蛙の目は上向きについていますからね。あのぎょろりとした目で真っ白な餅がはっきり見えたんです。
蛙がどうしたかって。そりゃ、食べますよ。だって猿は「競争に勝ったら餅を全部やる」って言ったんですよね。そして、「先に餅をつかまえたほうが勝ちだ」って、言ったんですから。全部食ったら疲れも吹き飛ぶだろうと、蛙にもそんな気はしましたしね。
けれどまあ、臼いっぱいの餅を食ったらどうなります。腹がはちきれんばかりに膨れますよね。だから、蛙の腹はあんな真っ白に膨れているんです。皆さんも、いくらおいしいからといって腹いっぱい餅を食ったら、あんなおなかになってしまうかもしれませんよ。
いえ、蛙のおなかは、半分も食わないうちにぱんぱんに膨れていました。そんなところに猿がのこのこと谷底から上ってきました。そして、蛙が餅を食っているのを見つけると、情けない声で頼みました。
「なあ、おれにもちょっとよこせよ。なんてったって、その餅をここまで運んできたのは、おれなんだから」
蛙は、快く餅を分けてやりました。ほんとにそうだったんでしょうか。私は知りません。ただ、蛙が猿に放ってよこした餅がまだずいぶんと熱かったこと、そしてその餅がベチャッと猿の顔に当たってしまったことは本当です。あっという間もなく、猿はやけどをしてしまいました。
だから、猿の顔はいまでもあんなに赤いのだそうですよ。
0 Comments

河童の手紙

5/12/2011

0 Comments

 
いま、鉄道の駅があるところからちょっと山の方に入ったところに二股というむらがある。その名のとおり、川が大きく二つに分かれたところで、むかしは旅人がひと休みしていくところでもあった。その頃は、峠を越えて行商やら巡礼やらの旅人が、この谷にはひっきりなしにやってきたものである。そして、たいていは、のんびりした広い川原でひと休みしていく。
ある夏の暑い日のことであったが、やはり旅人が一人、この二股にやってきた。日陰のない川原があまりに暑く感じたので、向こうを見ると、下手の方にこんもりと茂みがある。行ってみると、そこは両岸にせり出した崖の上から大きな木が枝をさしかけていて、いい具合に木陰をつくっている。川は淵になっていてその上を爽やかな風が吹いてくる。旅人は、大きく息をついた。荷物を解き、顔でも洗おうと淵の水に近寄った。
そのときである。旅人は声を聞いた。
「もし、そこのお方」
顔を上げてあたりを見回したが、だれもいる様子がない。気のせいかと思ってもう一度かがみこむと、またも聞こえる。
「そこのお方に、お頼みがあります」
旅人は、またあたりを見回した。夏の日差しが遠くの川の面で光っているばかりである。やはり気のせいらしいと、かがみこんだとき、今度はまちがいなく聞こえた。
「こちらでございますよ」
旅人は、まっすぐに声のする方を見た。それは、川の中だった。足下の深い淵の水の中をのぞきこむと、そこになにか顔らしいものが見えた。
「水の中から失礼いたしましたが、私はあまり長いこと水から出ますと干上がってしまうものですからね。特にこんな暑い日の日中には」
そう言いながら、顔はゆらゆらと深いところから上がってきて、やがてぽっかりと水面に出てきた。青っぽいような緑がかったような、痩せた貧相な顔である。河童というものにちがいないと、旅人は心に決めた。
「そんな暑い日に、何用があるか」
「はいはい。その暑いので、お願いがあるのでございます。実は私はこの先、二里ばかり行きましたところの大淵に妹がおりましてなあ。常には行き来をするのでございますが、この暑さで途中の川瀬が干上がっておりまして、もうずいぶんと行かれないのでございます。そこで、達者でおることを妹に知らせたく、ここにこのとおり手紙を書きましたので、どうか届けてやっていただけないかと、このようにお願いする次第でございます」
旅人は気味悪く思ったが、行く道筋でもあることであるし、化物に怯えて断ったとあっては人聞きが悪い。邪険なことをして祟りがあっても嫌だと思ったから、涼しい顔で、「よかろう」と答えた。
「それでは、こちらをお願いいたします。大淵の傍まで行って、二股からの使いだと、このようにおっしゃっていただければ、妹が出てきて受け取るはずでございます」
河童はそう言って、一枚の紙を差し出した。真っ白で、何も書いていない紙である。
「これが、手紙か」
旅人は、小馬鹿にしたようにつぶやいた。
「はい、これが私たちの手紙でございます。これで私の無事がわかるのでございます」
「河童の考えていることはわからんな」
旅人はだれに言うともなくそう言って、手紙を受け取った。

大淵というのは、いまの鉄道の駅のあるあたりから下の方にしばらく行ったところにある、両岸の迫ったあたりのことだ。ここに行く道はいまとだいたい同じだからわかると思うが、途中に楞厳寺というお寺がある。この寺の前を旅人が通りかかった。そのときたまたま、寺の和尚が山門の前を掃いていたのが運がよかった。
旅人は、小さく目礼して和尚の前を通りすぎようとした。和尚も何気ない様子で道を掃いておったが、ふと顔をあげると、こう言った。
「待ちなさい。ちょっと気になる相が出ておる」
旅人は、怪訝な顔で振り向いた。
「なにか」
「いや、そういうことではござらん。お前様、なにか大病でもなさっておられるか」
「いえ、このとおり元気で」
旅人は落ち着かない笑いを浮かべた。
「なにかこれから危ない用でも果たされるか」
「いえ、商売の話をつけに行くだけです」
「それではなにか変わったこと、おかしなことでもなかったか」
「いえ、いつものように峠を越えてまいりましたが」
と、ここまで話して、旅人は思い当たった。
「そういえば、二股で奇怪な化物に会いましてなあ」
そして、河童から手紙を託された一部始終を説明した。
「ふむ。その手紙がどうも気になる。見せていただけまいか」
和尚がそう言うのに、旅人は高笑いをした。
「それがなんともはや、何も書いていない白紙でありましてなあ」
そう言いながら取り出した紙を和尚はしばらくじっと眺めていたが、やがてふむとうなずくと、つっと山門に入った。旅人も続いて入る。和尚は手水の柄杓をとると、なにか口の中で経文を唱え、その水を紙にさっとかけた。みるみるうちに、紙には文字が現れた。
「河童の手紙、読んでみなされ」
と和尚が言う。旅人はあまりの不思議に我を忘れていたが、促されるままにそれを読んだ。
手紙は、河童が言ったとおり、日照りでしばらく会えないがお互いに元気でいようというようなとりとめのない挨拶が書いてある。そこはいい。旅人が凍りついたのは、最後の文句だった。
「この手紙を届けた者、せっかくだから取って食え」
旅人は、そう読んで、和尚の顔を見た。和尚は、こくりとうなずいた。
「これは、このままではいかんな」
和尚はそう言うと、突然、いたずらっぽく笑った。
「それではひとつ、災い転じて福となす業といこう」
そして、和尚は袂から矢立と筆を取り出すと、さっきの行を黒く塗りつぶし、その脇に次のように書き足した。
「この手紙を届けた者、褒美として宝を与えるべし」
そしてなにやら経文を唱えると、またもさっきと同じように柄杓の水をかけた。すると、和尚の書いた文字はたちまち消えて、もとのように白い紙が残った。
旅人は、この手紙をもって大淵に向かった。河童に言われたとおりに声をかけると、やはり青い顔をした河童が現れた。河童は手紙を読み終えると、旅人にしばらく待つように言ってから、水底から石臼をひとつ持ってきた。この石臼が旅人にどのような福をもたらしたのか、その話はまた今度することにしよう。
0 Comments

    作者について

    えっと、作者です。お楽しみください。はい。

    過去エントリ

    June 2011
    May 2011
    March 2011
    February 2011

    カテゴリ

    All
    動物
    家族
    怪異
    生活
    町方
    神仏
    笑い話
    縁起
    農村

    RSS Feed

Powered by Create your own unique website with customizable templates.