子どものためのおはなし
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餅争い

5/14/2011

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猿と一口に言っても、世界には無数の種類がいます。日本にいるのはニホンザルですね。だいたいは群れで山の中を動きまわっています。山の中で出会うと怖ろしいものですよ。いえ、猿の一匹ぐらい、身体も小さいし、いくら引っ掻いたり噛み付いたりしてきても、最後は人間のほうが強いでしょう。けれど、怖いのは群れです。あれが何十匹もいて、そして見張りみたいなやつが真っ赤な顔で思いっきり吠え立てるんです。身がすくみますよ。
ただ、同じ猿でも、なかには群れに加わらず一匹で生きている猿もいます。離れ猿っていうんですけど、むかし話に登場する猿は、だいたいがこの離れ猿です。離れ猿になるのは雄に決まっています。群れからあぶれた雄が、行き場をなくして離れ猿になるのです。だから、生き方は浅ましくて、品のないものですよ。

さて、このおはなしに出てくる猿は、例によって離れ猿です。それも、仲間の猿からは相手にされず、自分よりもずっとちっぽけな蛙といつもいっしょにいる猿です。こういう人っていますよね。弱い人を見つけては、いかにも恩着せがましく子分扱いするんですよ。弱い人のほうでも、そういう中途半端に強い人につい頼ってしまいます。そうすることで偉くなったような気になれるんでしょう。
その蛙が、猿のところにやってきて言いました。
「庄屋さまのところで赤ん坊が生まれたんですけど、五十日なんで餅つきをするそうですよ。お祝いに行ったら少しぐらい食べさせてくれるかもしれません」
猿は、にんまりと笑いました。
「いや、もっといいことがある。とにかく行こう」
そして、ふたりは庄屋さまのところまでやって来ました。ところがふたりは玄関の方には行かず、そっと裏庭にまわりました。猿は蛙に耳打ちして、古井戸の底にもぐりこませました。それから勝手口に行くと、大声をはりあげました。
「たいへんだ。井戸に赤ん坊が落ちたぞ」
その声を聞いて、台所から女が井戸の方に急ぎます。井戸の中では、蛙がいっしょうけんめい赤ん坊のような声を出しています。女は金切り声で叫びました。
「だれか。だれでも。早く来ておくれ。赤ん坊が井戸に落ちた」
さあ、騒ぎが大きくなります。庭のほうで餅を搗いていた男どもも、わっとばかりに裏庭に集まりました。その隙に、猿はこっそりと搗きあがったばかりの餅を臼ごと盗み出しました。ぽっちりおすそ分けをいただくよりは、ごっそり全部せしめてしまおうと思ったのですね。
猿は、臼の重さにふうふう言いながら、蛙と待ち合わせを決めておいた丘の上までやって来ました。そして、これだけ苦労して運んできたのに、蛙に分け前をやるのはもったいないと思うようになりました。それなら蛙がくる前に急いで食べてしまおうかと考えが決まったところに、運悪くもう蛙がやって来ました。いくらなんでも、蛙がそこにいるのにひとり占めというわけにはいきませんよ。
「どうだ、ここでひとつ、競争をしないか」
猿は、何食わぬ顔で言いました。
「俺はここまで走って逃げてくるだけで疲れたよ」
蛙はそう言います。
「だからこそ、ここでもうひとがんばりするんだよ。いいかい、おまえが競争に勝ったら、この餅を全部やる。競争に勝ったほうが全部食べられるってことだ。この餅を全部食ったら、疲れも吹っ飛ぶよ」
猿は、得意げに説明します。そして、蛙が考えるひまも与えずに、臼を思いっきり突きました。臼は、谷底に向けてどんどん転がり始めました。
「さあ、先に餅をつかまえたほうが勝ちだ」
そう叫ぶと、猿は一目散に丘を駆け下りていきました。
さてさて、蛙というものは、前脚が短く、後ろ脚が長いものですよ。こういう生き物が坂道でどうなるか、わかりますか。上りはいいんです。下り道になると、うまく進めません。無理に急いだら、ひっくり返ってしまいます。もちろん猿は、それを知っているんですね。蛙が追いつけないのをいいことに、涼しい顔で丘を下っていきます。蛙の方は仕方ないので、ゆっくりゆっくりと、臼の転げた方へと歩いていきました。
どうやらそれがよかったんですよ。というのは、たしかに谷底に先に着いたのは猿の方でした。ところが、臼の中には餅はもう残っていなかったのです。途中で臼から飛び出してしまっていたんですよ。
そして、それを見つけたのは、あとからゆっくり降りてきた蛙でした。飛び出した餅は、木の枝に引っかかっていました。ほら、蛙の目は上向きについていますからね。あのぎょろりとした目で真っ白な餅がはっきり見えたんです。
蛙がどうしたかって。そりゃ、食べますよ。だって猿は「競争に勝ったら餅を全部やる」って言ったんですよね。そして、「先に餅をつかまえたほうが勝ちだ」って、言ったんですから。全部食ったら疲れも吹き飛ぶだろうと、蛙にもそんな気はしましたしね。
けれどまあ、臼いっぱいの餅を食ったらどうなります。腹がはちきれんばかりに膨れますよね。だから、蛙の腹はあんな真っ白に膨れているんです。皆さんも、いくらおいしいからといって腹いっぱい餅を食ったら、あんなおなかになってしまうかもしれませんよ。
いえ、蛙のおなかは、半分も食わないうちにぱんぱんに膨れていました。そんなところに猿がのこのこと谷底から上ってきました。そして、蛙が餅を食っているのを見つけると、情けない声で頼みました。
「なあ、おれにもちょっとよこせよ。なんてったって、その餅をここまで運んできたのは、おれなんだから」
蛙は、快く餅を分けてやりました。ほんとにそうだったんでしょうか。私は知りません。ただ、蛙が猿に放ってよこした餅がまだずいぶんと熱かったこと、そしてその餅がベチャッと猿の顔に当たってしまったことは本当です。あっという間もなく、猿はやけどをしてしまいました。
だから、猿の顔はいまでもあんなに赤いのだそうですよ。
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蛙の鳴き声

3/8/2011

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なぜ蛙は雨になると鳴くのか、知っているか。あれは、心配でたまらなくて鳴いているのだ。何が心配なのか。親の墓が流れるのが心配なのだ。親の墓が川のすぐそばにある。水かさが増したら流れてしまうようなところにある。だから心配になって鳴く。
なんでそんな心配なところに墓をつくったか。それは、蛙がむかし、あまのじゃくだったからだ。あまのじゃくというのは、何でも人の言うことの逆さまばかりをする者のことだ。そういうことをすると、親は困る。あまのじゃくな子どもの親は困り果ててしまう。
それも、自分のことだけならいい。これをあっちに持って行けと行ったらこっちに持ってくるぐらいのことには、すっかり慣れっこになってしまう。けれど、他の蛙のことになると、そうも言っていられない。あそこの年寄りに親切にしてやれと言ったら邪険にする。こっちの母親を手伝ってやれと言ったら、わざわざ邪魔になることをする。これではあまりにひどいので、蛙の親はあべこべを言うようになった。仲良くさせようと思ったら、「あの年寄りには近づくな」。手を貸すように言いつける代わりに、「ちょっといじわるをしておいで」と言いつける。あまのじゃくの親は、思ったこととちがうことばかり言うようになった。
そして、自分がいよいよ寿命だと思ったとき、息子を呼んでこう言った。「わしが死んだら川のすぐそばに墓をつくってくれ」と。もちろん、そんな危ない墓に入りたいわけはない。本当は、山の上にほうむってほしかったのだ。だからこそ、あべこべに川のそばだと、あまのじゃくの息子に頼んでおいた。
さて、親が死んだとき、あまのじゃくの息子は大いに悲しんだ。ようやくのことで、自分がひどい息子だったことをさとったわけだ。だから心を入れ替えて、これからは素直になろうと考えた。そして、なにより親父さまの言うとおり、親父さまの墓を川のすぐそばにつくろうと、このように考えた。
だから、蛙の親の墓は、川のすぐそばにある。だから、雨が降ると、墓が流れないか心配になる。あまのじゃくであることをやめ、素直になった蛙は、心配だから声を上げる。心配だからケロケロと鳴く。そうやって、いつもいつも、雨が降ると鳴いている。
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琵琶の淵

3/4/2011

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琵琶という楽器はいまではめずらしいものです。ギターのようなものですね。実際、ギターのもとになった楽器がはるばる砂漠を越えて中国から日本まで伝わって、琵琶が生まれたのだそうです。むかしは、この琵琶を弾きながら物語を聞かせる人々がいたそうです。琵琶法師と呼ばれています。有名な平家物語というおはなしは、琵琶法師が語って聞かせたものなんですね。
むかしむかし、人の気配のないさみしい淵のそばで、ひとりの琵琶法師が琵琶を弾いていました。音楽をする人は、ときどき、誰かに聞かせるためにではなく、ただ奏でたいから奏でることがあるんですね。きっと、目に見えないものに向かって奏でているんでしょう。そんなときには、心が澄んで、音が冴え渡るものです。
法師は、しばらくそんなふうに、一心に奏でていました。やがて、ふと我に返ると、はにかんだ笑みを浮かべ、琵琶を袋にしまいました。
そのときです。淵がざわざわと波立ちました。風もないのにどうしたのかと不思議に思って見ていると、淵の中から大きな蛇が顔を出しました。蛇というよりは、龍のような厳かな気配をただよわせています。この川の主にちがいないと、法師は思いました。
「さても、美しい音色であった」
主はそのように言いました。そして、
「実に惜しい。このような弾き手を失うのは、実に惜しい」
と、続けました。
「なんでございましょうか」
と、法師は尋ねました。
「これは、他のものに言ってはならぬ。言えば、お前を救うことはできぬ」
と、主は答えました。
法師が腑に落ちない顔をしていると、主はこう言いました。
「誰にも言わぬのなら、お前だけは救ってやろう。実は、今夜、皆が寝静まった頃、この川をあふれさせることになっておる。これはわしの決めたことではない。もっと上の方々の定めである。多くの者が溺れるであろう。わしにそれを救うことはできぬ」
驚いている法師に、さらに主は続けました。
「だが、お前の琵琶の音を失うのは実に惜しい。だから、お前だけにはこのことを教えておく。今夜は、川のそばから離れよ。むらは水に沈むから、近寄ってはならない。八幡の祠まで登れば、そこまで水がつくことはない。今夜はそこに逃げておれ」
それだけ言うと、川の主は淵の水の中に沈んで消えてしまいました。
法師は、驚きから覚めると、慌てました。なにをさておいても、急を皆に知らせなければなりません。けれど、川の主ははっきりと言いました。「言えばお前を救うことはできぬ」と。言えば、どんな災いが襲ってくるかしれません。
法師はふらふらとむらに戻りました。皆は、何も知らずにいつもとかわらない様子です。のんびりと夕飯の支度をする煙も上がっています。ここに大水がきたら、ひとたまりもないでしょう。
法師は、むらの辻に立って、琵琶を弾きはじめました。琵琶は、法師の心の乱れを映すように、荒々しく鳴り響きました。人々は手を休めて聞き入りました。子どもたちがまわりに集まりはじめました。
ひとしきり弾き終えたあとで、急に法師は声を高くして言いました。
「みなの衆、わけは聞かんでもらいたい。今夜、八幡様の前で琵琶を弾く。たいせつなことがあるので、どうかひとり残らず、年寄りも、子どもも、ひとり残らず、集まってもらいたい」
そして、再び琵琶を弾きはじめました。

夜になりました。八幡様の境内は、むらの人で足の踏み場のないほどに埋まりました。法師は、祠の前に座って、琵琶を弾いています。ここを先途と、命がけで弾いています。その心が伝わるのか、だれもが一心に耳を傾けています。
と、いきなり地の底を揺るがすような大きな音がしました。振り返ったむら人は、おそろしい光景を目にしました。ふだんはおとなしくむらの真ん中を流れている川が、嘘のようにふくれあがっています。鉄砲水が切れたのです。どうどうと、川は恐ろしい勢いで、すべてのものを押し流していきます。
誰もがその場を動けませんでした。ただひとり、法師だけがふらふらと立ち上がりました。そして、なにかに魅入られたように、ゆっくりと川の方に近づいていきました。
むら人が気がついて引き戻そうとしたときには、もう手遅れでした。琵琶を抱えた法師は、あっという間に波に飲まれ、見えなくなってしまったのです。
鉄砲水は、ほんの一時ですっかりおさまりました。あとには、まるで嘘のように荒れ果てたむらだけが残りました。

それから、法師の姿を見た人はいません。けれど、あの法師と川の主が出会った淵のたもとに立つと、いまでもかすかに琵琶の音が聞こえることがあるそうです。そのため、この淵は琵琶の淵と呼ばれるようになったということです。
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浦島太郎

3/2/2011

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むかし、丹後の国に浦島太郎という若者がおった。海の幸をとって父親と母親を養っていた。
ある日、「今日は魚を釣ろう」と思って、あちこちで糸を出してみた。けれど、一匹もつれん。貝を拾ってみたりみるめをとったりしたけれど、やっぱり魚が欲しい。
そこで、江島が磯というところで、もういちど釣り竿を出してみた。すると、亀が一匹、糸の先にかかった。
けれど、浦島太郎は、
「かめの命は長いもの。まだまだこの先も生きられるはず。いたわしいから助けよう」
と、亀を海に戻してやった。

次の日、浦島太郎が釣りをしようと岸辺に立っていると、遠くの海の上に小さな船が一艘見えた。きれいな女がたった一人で乗っている。「これはいったいどうしたことだろう」と思って見ていると、だんだんと船は近づいてくる。
「こんな荒海に一人でいらっしゃるなんて、あなたはいったいどういう方なんでしょうか」と、浦島太郎は尋ねた。
女は、こんなふうに、話した。

「あるお方のお供で船に乗っていたのですが、嵐がきて、たくさんの人が波にのみこまれてしまいました。これでは船が危ないからと心配した船乗りが、私をこの小さな船に乗せてくれたのです。けれど、心細くて、鬼の住む島にでもつくのではないかと、途方に暮れておりました。ここで、あなたにお目にかかれたのも、何かの縁でしょう。どうか助けてください」

浦島太郎は、泣いている女をかわいそうに思って、舫いづなをとって船を引き寄せた。
やがて、女は、落ち着くと、こんなふうに話した。
「私を哀れだと思っていただけるなら、国に送り返してください。このまま知らないこの岸辺にいては、私はどうしていいのかもわかりません。それでは、海の上で流されていたときと変わらないではありませんか」
そして、また、泣きはじめる。浦島太郎も、悲しくなった。そこで、女が乗ってきた船にいっしょに乗って、沖の方へと漕ぎ出した。

女がこっちだと指差す方へと十日もこいでいくと、女の古里についた。船から上がると、すばらしい御殿がたっている。壁は銀色、屋根は金色に光り、いかめしい門がたっている。まるで天の上の神さまの住まいのようだ。浦島太郎は、口もきけないほどびっくりした。

驚いている浦島太郎に、女は言った。
「一本の木の陰にいっしょに休んだだけでも縁だといいます。同じ川に流れる水を飲んだだけでも生まれ変わったときには縁を感じるものだと聞きました。まして、あなたのようにはるばるとこんな遠くまで送ってくれたことが、縁でないはずはありません。このように縁のあるあなたと、夫婦になって、いっしょにここで暮らしたいと思います」

細やかに話す女に、浦島太郎は、ことわることができなかった。そして、二人は夫婦になって、とても仲良く暮らしはじめた。
女が言う。「ここは、竜宮城というところです。このお城のまわりには、美しい庭があります。ぜひご覧ください」

そこで、東の戸を開けてみると、春の景色が広がっている。梅や桜が咲き乱れ、柳の若葉が春風に揺れている。鶯の声がすぐそこで聞こえている。

南の戸を開けてみると、垣根には卯の花が咲いている。池には蓮の花が咲き、水鳥がさざ波をたてて遊んでいる。緑の木は葉をしげらせ、夕立ちが上がったと思ったら、蝉の声が賑やかに聞こえる。

西の庭は、秋のようすで、紅葉の色も鮮やかに、菊の花に露がおりている。どこかで鹿の声もする。

北には冬が広がって、真っ白な雪をかぶった山が見える。枯れ木の林では炭を焼く煙があがっている。

こんなおもしろい景色を見ていると、いつまでたっても、飽きることがない。楽しく遊んで暮らして、あっという間に三年がたった。

そこで、浦島太郎は、こんなことを言った。
「三十日だけ、旅に出てもいいだろうか。なにしろ、父と母をそのままにして、出てきてしまった。三年もたってしまって、父と母のことが心配になってきたのです。いちど帰って、安心させてきたいのです」

すると、女は、かなしそうに言った。
「この三年、あなたとはずっと仲良く暮らしてきました。ちょっと姿が見えないだけでも、どうしたんだろうと心が乱れたものでございます。それなのに、三十日も長いあいだお別れしなければならないなんて。もうこの世ではお会いできないような気がします」

さめざめと女が泣くのを、浦島太郎は、不思議に思った。けれど、やがて女は、涙を拭くと、こんなことを言った。
「本当のことを申し上げましょう。私は、江島が磯で、あなたに助けていただいた亀でございます。あのときのありがたさが忘れられず、夫婦になって、あなたをお助けしたいと思ったのです。夫婦の縁は、生まれ変わっても変わらないといいます。次の世に生まれ変わりましたら、必ず、私と夫婦になってくださいませ」

浦島太郎が驚いていると、女は小さな箱をとりだした。
「これは、私の形見でございます。決して、開けてはなりません」
そんなふうに言って、浦島太郎に渡したのだった。

縁というのは不思議なものだ。出会うのも縁なら、別れるのも縁だ。会えば必ず別れがくる。出会う縁は、別れる縁だ。
女と、浦島太郎は、歌をうたいあって別れを惜しんだ。

古里の父と母に会いたいと思ったのは、浦島太郎だった。けれど、いまは、女と別れるのがつらい。振り返りながら、船を急がせた。そして、古里に着いてみると、辺りは荒れ果てて、人の住む姿もない。どうしたことかと辺りを見回すと、粗末な小屋がある。
「ちょっとお尋ねします」
浦島太郎が声をかけると、中から八十歳ほどの年寄りが出てきた。
「このあたりに、浦島という人はいませんか」
と、尋ねると、
「また、どういうことで、浦島なんて聞くのかね。浦島とかいう人は、七百年もむかしに、このあたりに住んでいたそうだが」
と、答えた。浦島太郎は、驚いて、ありのままを話した。すると、年寄りは、不思議そうな顔をして、向こうを指さした。
「それが、浦島とかいう人のお墓だよ」
浦島太郎は、泣きながら、草むらをかき分けて、お墓参りをした。ほんのちょっとのあいだと思って留守にしたのに、こんなに変わってしまうなんてと、涙が止まらなかった。
ぼんやりと、海辺の松の木まで戻ってきた浦島太郎は、座りこんで、空を見上げた。これから竜宮城へ戻っても、もうむかしのように女と仲良く暮らすことなんかできっこない。なにもかもが嘘のように思えてしまう。
けれど、浦島太郎は、女のことが忘れられない。あんなに仲良く暮らした毎日が忘れられない。
もう二度と女には会えない。会いたいけれど、会えない。浦島太郎は、女が死んでしまったような気がした。そして、女が、形見だといって渡してくれた箱を思い出した。会えない人なら、死んだも同じだ。浦島太郎には、ようやく女の言葉がわかった。もう会えないと思ったから、形見をくれたのだ。
生きて会えると思うなら、形見の箱は、開けてはならない。けれど、もう会えない人だから、浦島太郎は、開けてはいけない箱を開けた。すると、中から紫色の雲が三本、流れ出してきた。その雲を見ていると、浦島太郎は、急に年をとった気持ちになった。人間だったことさえ忘れてしまうほど、年をとった気持ちになった。

そして、浦島太郎は、鶴になった。遠く、蓬莱の山まで飛んで行って、そこで、長く暮らした。亀は、竜宮で、いつまでも浦島太郎の帰りを待っていた。

いつか時代が過ぎて、鶴も亀も、死んでしまった。けれど、鶴は丹後の国に、浦島明神という神さまになって祭られることになった。亀も、同じところに神さまになって祭られた。だから、いまでは浦島の神社には、夫婦の神さまが祭られている。浦島太郎と竜宮の亀は、こうして約束どおり、生まれ変わって夫婦になった。めでたしめでたし。

だからいまでも、おめでたいときには、鶴と亀をお祝いする。
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    えっと、作者です。お楽しみください。はい。

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