子どものためのおはなし
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ねずみの婿選び

6/9/2011

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さてもあるとき、ねずみ殿のところで婿をとろうということになった。ところが、どうやって婿を迎えたらいいのかわからない。というのも、もともとねずみというのは子だくさんだ。娘も息子も、いくらでもいる。跡取りに困ることはない。ところがこのねずみの夫婦には、どういうわけかたったひとりの娘しかできなんだ。一人しかいない娘であるから、かしずくように大事に育て、箱に入れるように、珠のように、それはそれは細やかに育てた。そのかいあって娘は誰よりも美しく育ち、「この娘ならさぞかし立派な婿殿が迎えられるだろう」と、ねずみの夫婦は喜んだのであった。
ところが、どうやって婿を迎えたらいいのかわからない。いやいや、まずもって、誰を婿に迎えたらいいのかわからない。夫婦は一晩かけて、ちゅうちゅうと相談した。そして、同じことならば、この世でいちばん立派なお日様に婿に来ていただいたらどうだろうかと話が決まった。
そこで、ねずみの夫婦は、早起きをすると、東の空に登ったお日様に向かって手を合わせ、それから心をこめてお願いした。「この世でいちばん立派なお日様。どうか娘の婿になっていただけませんか」と。
昇りたてのお日様は、顔を赤らめた。やはり娘の美しさをご存じなのであろうかと、ねずみの夫婦は喜んだ。けれど、お日様はまぶしそうに目を細めて、こうおっしゃった。
「私なんかは、まだまだです。ほら、あの雲がもう直こちらに流れてくる。そしたら私は、たちまち隠れてしまうんだから」
なるほど、ねずみの夫婦が返事をするまもなく、厚い雲が流れてきて、お日様を隠してしまいました。ねずみの夫婦は、相談した。どうやら、この世でいちばんなのはお日様ではなく、あの雲様であるのかもしれないと。そこで、夫婦は雲様に向かって声を合わせた。
「あのお日様さえ隠してしまう、大きな雲様。雨をもたらしてくれる恵みの雲様。どうか娘の婿になっていただけませんか」と。
すると、雲は顔をしかめて笑った。そして、こうおっしゃった。
「私なんかは、弱いものですよ。ほら、風が吹いてきた。風さんにはかないません。とてもとても」
そして、あっという間にあの大きな雲は流れて、消えてしまった。
そこで、ねずみの夫婦は、また相談した。そして、風に向かって声を上げた。声は風に吹き飛ばされて、お互いほとんど聞こえないほどであったが、それでも風様には聞こえたのか、こんな返事が風にのって聞こえてきた。
「私は確かに強いかもしれないよ。でも、壁にはかなわない。どんなに吹いても、あの壁は越えられない。そんな弱い私が婿にふさわしいとは思わないね」
そこで夫婦は、風がどうしても越えられないといった土蔵の壁に向かってお願いした。
「壁様。お日様よりも、雲様よりも、風様よりも強いあなたに、私どもの婿になっていただきたいのです」
すると、壁は驚いたように、こう答えた。
「なんの、わたしが強いものか。あなたたちねずみにかじられたら、ひとたまりもない。私よりも強いのは、あなたたちですよ」
そこで、ねずみの夫婦は、もういちどとっくりとよく考えることにした。そして、隣の家族の忠吉を婿にもらうことにした。
こうして、ねずみの若夫婦は無事に祝言をあげ、やがてたくさんの子どもたちに恵まれたという。
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大工と鬼六

5/15/2011

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宇治の川というのは、いまではダムもできておとなしいものでありますが、その昔にはずいぶんと暴れ川であったそうであります。いまでも宇治の町から少し山の方に入りますと、深くえぐられた断崖の間を川が流れているところがあります。それだけの勢い、それだけの力で水が川岸を削っておったものでありましょう。
少し川を下ったところには 京から春日に通じる街道がございます。宇治川には橋を渡してあるわけですが、この橋が水が出るたびに流れたということでございます。
京の方に有名な橋大工がおりまして、あるとき、やはり大水で橋が流れたあと、こんどはぜひに流れない橋を渡して欲しいと、これはその頃の山城の国衙からの命でございました。もちろん、橋大工というのはひとりで橋をかけるわけではございません。数多くの職人を使う棟梁なのでございます。どれだけ職人がしっかりしておりましても、棟梁がきっちりと指図をしなければ橋はできないのであります。
国衙からの言いつけでありますので、棟梁は、とにかく川の様子を見ようと一人で宇治までやってまいりました。宿に荷をほどき、先日の大水まで橋があったところまで着いたのは、もう日暮れ前のことでした。川べりに立つと、そこには橋どころか、橋桁や橋脚があったあとさえ残っておりません。ただ、街道が川岸の崖まで続いていて、そこですっぱりと途切れているばかりであります。
棟梁は、そこまで行って立ち尽くしました。目の前には渦巻く川が流れております。確かに橋をかけることはできるでしょう。けれど、水かさが増せばどこにどう懸けても流されてしまいます。あすこにかければこう流れる、こちらにかければこうきたときに弱いと、考えれば考えるほどむずかしいことがわかります。いままで何度懸けてもそのたびに流されてきたのが、よくわかります。
棟梁はじっと川の流れを見つめました。渦の巻き方があたりまえではありません。渦のできる場所がどんどん移っていくのです。これでは、どこに橋脚を下ろせばいいのかさえ、見当がつきません。渦は、あちこちに生まれ、あちこちに消えていきます。
その渦のひとつが急に大きくなり棟梁のすぐ目の前までまっすぐに進んできました。棟梁は思わず、その渦の真ん中に目を奪われました。眼のようなものが見えた気がしたのです。
もういちど目を凝らしてよく見ると、こんどは大きな口が見えました。それから牛の角のようなものが見えました。次の瞬間に、それは鬼の顔になっていました。
鬼は、棟梁をしっかり見据えると、ニカァッと笑いました。そして言いました。
「この川に橋をかけるのはやめておけ。どんだけ強い橋を懸けても、この俺様がすぐに流してくれる」
棟梁は、驚きながらもなるほどと思いました。この鬼が棲む川だから、いままで流れない橋ができなかったのであろうと、合点がいきました。
「国衙の命であるからして、それでもここに橋を懸けねばならぬのであるが」
棟梁は、悔しげにつぶやきました。
「やめておけ、やめておけ」
鬼は高笑いしました。
「人間にはこの川に橋は懸けられぬ。人間は弱いものだからな。これだけの川に橋をかけようと思うなら、もっと強くならなければならない。鬼のように。この俺のように」
そして、鬼はさみしげに笑いました。
「俺ならさしずめ、この川に流れぬ橋を三日でかけてみせる。だがな、鬼には橋などいらんのだ。橋は弱い人間のものだから」
こんどは棟梁が笑いました。
「いかな鬼でも、三日でここに橋をかけるなど、できるわけがない。世迷言を言いなさんな」
鬼は再びさみしげに笑いました。
「なに、できるさ。なんならやってやってもいい」
それからまたも高らかに笑いました。
「そうさな。お前の目玉をよこすなら、三日で橋を懸けてやろう」
棟梁は胸を張りました。
「よかろう。たとえ鬼でもそんなことができるわけはない。三日で橋をかけたら、お望み通りこの目玉を差し上げよう。その代わり、もしも三日でできなければ、二度とこの川に現れるな。そして、二度と橋を流すような悪さをするな。そう約束するなら、すぐにでもかかってもらおうじゃないか」
その瞬間、ひときわ大きく川が渦巻いたと思ったら、もう鬼の姿は消えていました。あとには、あの高らかな笑い声だけが、棟梁の耳奥に響いておりました。
はて、いまのは夢であったか、幻であったかと、棟梁はあたりを見回しました。それから、川に背を向けて、その夜の宿までとぼとぼと足を進めました。なんだか急に、ひどくくたびれてしまったのです。頭もぼんやりと痛いようでした。

さて、次の朝、棟梁はすっきりした気持ちで目が覚めました。昨日の夕方のことが嘘のように思われます。顔を洗い、口を漱ぐと、自分にできないことなどないような気持ちになってきました。なに、あれほどの激しい流れであったとしても、どこかにうまい工夫があるはずだという気がしてきます。そこで、棟梁は身支度を整えて、昨日の川べりまでやってきました。そして、目を疑いました。
なんと、そこには昨日はなかった橋脚が、川の中から突き出しているのです。
棟梁は、はじめは橋脚がそこにあるということだけで驚きました。けれど、その驚きが静まるとともに、新しい驚きがわき起こってきました。その橋脚は、実に巧みに、水の勢いを避けて並べられているのです。昨日、いくら考えても解けなかった謎が、目の前で解き明かされているのです。なるほど、こういうふうに立てれば、どんな水にも潰されない橋脚ができあがるのかと、棟梁は感心するばかりでした。そして、それを思いつけなかった自分のいたらなさを振り返って、まだまだ修行をせねばならないと省みるのでした。
そのときです。目の前の川の水が大きく渦を巻きました。はっとしてそこを見つめると、昨日と同じようにそこから眼が現れ、口が現れ、角が現れて、あの鬼が勝ち誇ったように笑いはじめました。
「どうだ。これで目玉をよこす気になったか」
棟梁は鬼の目をぐっと睨むと、むきになったように言いました。
「脚だけ下ろしても、橋ができたことにはなるまい」
そうなのです。確かに橋脚は巧みに流れの強いところを避けて並んでいます。けれど、それだけに、その上に桁を渡していくのが難しいのです。特に川の真ん中のところでは、橋脚から橋脚までが遠く、それだけの桁を渡したら、たわんでとてももたないでしょう。かといって支柱を通したら、大水のときに流されます。棟梁は、この橋脚の弱点を見抜いていたのでした。
鬼は、ふんっと笑いました。
「明日も来い。いいものを見せてやろう」
そして、気がついたときには、ただ滔々と流れる川の水がそこにあるだけでした。

次の朝、棟梁が川岸まで行ってみると、昨日の橋脚の上に橋桁がかかっています。川の真ん中のいちばん遠いところには、欄干まで出来ています。けれど、棟梁にははっきりとわかりました。あれは手すりのような欄干ではありません。三角形に頑丈な材で組み上げて、橋桁を上から支えるようにしてあるのです。驚きです。こんなふうに橋桁を組み上げる方法を、棟梁はいままで見たことも聞いたこともありませんでした。なるほど、これなら大水がきても、橋桁に水の力はかかりません。実に巧みな答えです。
棟梁がこの工夫を感心して眺めているところに、また渦が巻いて、あの鬼が現れました。
「どうだ、これは人間にはできんだろう」
棟梁は、感心しきって答えました。
「ああ、これは思いつかなかった。だれも思いつかないだろう。何十年も橋大工をやってきて、これは初めて見た」
鬼は嬉しそうにニカニカ笑いました。
「ああ、人間なんてのはな、大きなことを言っても、何も知らんのだ。どんなふうに橋をかけたらいいのか知らないだけじゃない。もっと簡単なことでさえ知らない」
棟梁は、うなづくしかありませんでした。
「自分が知らないことさえ知らない。おれの名前さえ知らないだろう」
鬼は、自分の冗談が気に入ったようで、ひとしきり笑い声を立てました。それから勝ち誇ったように言いました。
「どうだ、これで目玉を渡す気になったか」
棟梁は力なく頭を振りました。
「負けたよ」
「じゃあ、いますぐ目玉をよこすか」
棟梁は、残念そうに橋を見ました。
「いや、この橋ができあがった姿を一目見たい」
鬼は、棟梁のしんみりした声につられたように、声の調子を落としました。
「そうかいそうかい。じゃあ、明日まではとらないでやろう。約束は三日のうちだし、それにまだ仕上げが残っているものな。だが、もうできたも同然じゃないか」
「それでもなあ。橋というものは、人が渡れるようになってはじめてできたっていえるもんだ。人が喜んで渡って行くところを、やっぱり見たいもんだよ」
「そうかそうか」
鬼は親しげに言いました。
「お前の目玉は、楽しみにしてるやつがいるんでなあ。とるには忍びないが、明日にはやっぱりもらうことにするよ。それまでにはちゃんときれいに仕上げておく。それを見たら、よこすんだよ」
「ああ」
棟梁は、力なく言いました。
「わるいな」
鬼は、ちょっと寂しそうな声になりました。それから、こんなふうに付け加えました。
「そうだなあ。じゃあ、たとえばだ。もしもおれの名前を言い当てたら、おまえの目玉はなしにしてやろう。うん、そうしてやってもいい。だが、それも明日までのことさ」
そう言い残して、鬼はまた消えてしまいました。

しばらくの間、棟梁はぼんやりしていました。すばらしい技を見て気持ちが高ぶったせいでしょう、まるで考えがまとまりませんでした。あそこに橋の脚をおくことは、それはそれで気がつかなかった信じられない知恵でした。けれど、そのためには橋桁をどうするかという難題があります。それを、こんなふうに簡単に解いてしまった鬼の技には、感心しないわけにはいきません。できることなら、自分もあんな棟梁の下で働きたいものだ。いや、自分もあんな棟梁にいつかはなってみたいものだと、そんなことも思います。これだけの技を受け継ぐことができれば、もっともっと素晴らしい仕事ができるにちがいありません。
そんなふうにあてもない考えにふけっていた棟梁は、はっと気がつきました。明日になれば、自分は目玉を失うのです。目が見えなくなってしまっては、これから先の仕事もないのです。棟梁は、急に怖くなりました。川に背を向けて走り出しました。とにかく川のそばから逃げ出したくなりました。
あてもなく無我夢中で走って、気がつくと、棟梁は山の中にいました。自分がどこにいるのかもわかりません。ただ、道の続く方に走ってきたのです。道は曲がりくねって下りにかかりました。下っていく坂の向こうに、川が光っているのが見えました。山の中に入っていったと思った道は、実は川からそれほど離れずに、ただ上流に向かっていただけらしいのです。あわてて棟梁は、道を戻りかけました。そして、今度こそ川とは反対の方向にあると思う枝道に飛び込みました。そして、そこをどんどん走っていきました。
どのくらいの時間がたったのでしょう。棟梁は、いまが朝なのか昼なのか、それとももう日が暮れてしまったのかさえわかりませんでした。森の中は薄暗く、日も差してきません。道はいつの間にか細くなり、けもの道のようになって、消えてしまいました。いまはもう、こちらと思う方に木の枝を踏み分け、藪を払いながら進むばかりです。このまま迷い続けてどこにも出られなくなってしまったら、それはそれでかまわないとさえ棟梁は思いました。自分でどこにいるかわからなければ、鬼も自分を見つけられないような、そんな気がしました。目玉を取られてしまうような恐ろしい目にあうぐらいなら、このまま山の中にまぎれて失せてしまいたいとさえ思いました。
そのとき、なにか歌うような声が聞こえました。棟梁は驚いて立ち止まりました。そうっと木の影に隠れてうかがうと、森の奥のほうで影が動きます。目をこらしているうちに、またさっきの歌声が聞こえてきました。
「ねんねんこ、ねんねんこ
この子は よう泣く ねんねんこ
ばばにおぶさり ねんねんこ」
棟梁は、ほっとしました。どこか村里にでも出たのであろうと思いました。村はずれで年寄りが孫の子守でもしている様子です。驚かさないようにそっと木の影から出ようとして、棟梁はさっきよりももっと驚きました。というのは、かがみこんでわらびでもとっているらしいその婆様の額に、まぎれもない角が見えたからです。
婆様は、棟梁に気がつかず、歌い続けました。
「ねんねんこ、ねんねんこ
この子の父様、お仕事じゃ
川で流れぬ橋かける

ねんねんこ、ねんねんこ
この子の母様、どこいった
乳がないので さみしかろ

ねんねんこ、ねんねんこ
明日には父様、もってくる
目玉をしゃぶって ねんねんこ」
棟梁は、その歌を聞いて身体がガタガタ震えました。脂汗が流れました。目玉を取るというのは、冗談でも何でもなかったのです。あの鬼は、自分の息子のために、この目玉を与えようというのです。
「ねんねんこ、ねんねんこ
坊やは父様のあとつぎじゃ
あの鬼六の あとつぎじゃ

鬼六帰る あしたまで
坊やはばばと 留守番じゃ
ねんねんこ、ねんねんこ」
いつまでも続くその歌声を振り払うように、棟梁は無我夢中で走りました。体中からなにかが抜け落ちていくような、自分が虚ろになっていくような、そんなふうに感じながら走りました。石につまづき、木の根に足をとられながらも走りました。草で滑り、水たまりの泥をかぶりながら、あてもなく、走りました。走ってどうなるわけでもないとわかりながら、走らずにいられませんでした。走って、走って、もう動けないほどへとへとになって、棟梁は道の真ん中に倒れました。頭の中では、さっきの子守歌が響き続けていました。
どのくらい時が過ぎたでしょう。鍬を担いだお百姓が通りかかりました。どうやら、森を抜けて村はずれまできていたようです。お百姓は棟梁に水を一杯汲んでくれました。そして、日暮れの道を棟梁の宿まで案内してくれました。

さて、いよいよ橋のできあがる日です。棟梁は、気持ちをとり直して顔を洗いました。身だしなみを整えると、いつもの川べりまでやって来ました。美しい橋が見えます。がっしりとしていて、それでいてしなやかに美しい姿です。鬼は細かな細工まで手を抜きませんでした。真鍮の擬宝珠が朝日に光ります。旅人が、さっそく渡っていくのが見えます。村人が橋のたもとに集まって、口々に驚きを語り合っています。たった三日で橋がかかったことが信じられないのでしょう。
けれど、本当の驚きは村人にはわからないのだと、棟梁は思います。この橋にこめられたさまざまな工夫と技をわかるのは、自分しかいないと思うのです。この橋なら、どんな大水にも流されず、何百年も役目を果たすでしょう。棟梁は、素直に鬼を褒め讃えたい気持ちになりました。
そのときです。目の前の川の流れの渦が大きくなると、鬼が現れました。棟梁は、はっとしました。昨日のあの恐ろしさがよみがえってきたのです。あの子守唄が頭の中に響きはじめました。目玉をとられてしまうのです。赤ん坊のおもちゃにするために、この鬼六という化け物が、自分の目玉を奪ってしまうのです。
「どうだ」
鬼は得意げに言いました。
「すばらしい橋だ」
棟梁は、心をこめて答えました。それで十分でした。鬼は満足気に笑いました。
「それでは約束だ。目玉をもらっていこう」
棟梁は、なんともいえない気持ちになりました。確かにこの橋は、自分の目玉以上の値打ちがある。けれど、この先、目玉を失わずに仕事を続けることさえできれば、この橋から学んだことを、もっともっと素晴らしい仕事に活かしていけるはずです。なんとかならないものでしょうか。
棟梁の心に、一筋の光が差した気がしました。
「待て。待ってくれ。お前様は、お前様の名前を当てたら目玉は許してくれると、そう言うたではないか。どうか当てさせてもらいたい」
鬼は大笑いしました。
「よかろう。だがお遊びは三度までだ。おれもこのあと大事な用があるのでな。待たせておるのでゆっくりはしておれん。さあ、当ててみろ」
「さて、鬼といえば宇羅であろう」
「なんの、なんの」
「であれば、茨木童子であろう」
「なんの、なんの」
棟梁はここで腹の底に力を込めました。そして一言、言い放ちました。
「鬼六」
鬼は、あっと叫ぶと、悲しげな顔を見せました。それも瞬き一つするほどの間で、たちまち大きな渦が巻き起こり、鬼はその中に消えてしまいました。あとには、何事もなかったかのように、川がゆっくり流れていたそうです。
棟梁は、われにかえってあたりを見回しました。だれも、自分と鬼のやりとりに気がついていた者はいないようです。人々は、橋の上で新しい橋を喜び合っています。川べりに佇んでいる棟梁のことなど、だれも気に留めてはいないようです。
棟梁は小さく微笑むと、宇治の町を後にしました。さて、それから後、この棟梁はあちこちの難所でいくつも美しい橋をかけたということです。鬼のかけた橋は何百年も流れずに人々の暮らしを支えたということでありますが、激しい戦があった折に焼け落ちたそうでございます。いくら鬼でも、人の浅はかさまで防ぐ技はなかったのでありましょうな。
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餅争い

5/14/2011

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猿と一口に言っても、世界には無数の種類がいます。日本にいるのはニホンザルですね。だいたいは群れで山の中を動きまわっています。山の中で出会うと怖ろしいものですよ。いえ、猿の一匹ぐらい、身体も小さいし、いくら引っ掻いたり噛み付いたりしてきても、最後は人間のほうが強いでしょう。けれど、怖いのは群れです。あれが何十匹もいて、そして見張りみたいなやつが真っ赤な顔で思いっきり吠え立てるんです。身がすくみますよ。
ただ、同じ猿でも、なかには群れに加わらず一匹で生きている猿もいます。離れ猿っていうんですけど、むかし話に登場する猿は、だいたいがこの離れ猿です。離れ猿になるのは雄に決まっています。群れからあぶれた雄が、行き場をなくして離れ猿になるのです。だから、生き方は浅ましくて、品のないものですよ。

さて、このおはなしに出てくる猿は、例によって離れ猿です。それも、仲間の猿からは相手にされず、自分よりもずっとちっぽけな蛙といつもいっしょにいる猿です。こういう人っていますよね。弱い人を見つけては、いかにも恩着せがましく子分扱いするんですよ。弱い人のほうでも、そういう中途半端に強い人につい頼ってしまいます。そうすることで偉くなったような気になれるんでしょう。
その蛙が、猿のところにやってきて言いました。
「庄屋さまのところで赤ん坊が生まれたんですけど、五十日なんで餅つきをするそうですよ。お祝いに行ったら少しぐらい食べさせてくれるかもしれません」
猿は、にんまりと笑いました。
「いや、もっといいことがある。とにかく行こう」
そして、ふたりは庄屋さまのところまでやって来ました。ところがふたりは玄関の方には行かず、そっと裏庭にまわりました。猿は蛙に耳打ちして、古井戸の底にもぐりこませました。それから勝手口に行くと、大声をはりあげました。
「たいへんだ。井戸に赤ん坊が落ちたぞ」
その声を聞いて、台所から女が井戸の方に急ぎます。井戸の中では、蛙がいっしょうけんめい赤ん坊のような声を出しています。女は金切り声で叫びました。
「だれか。だれでも。早く来ておくれ。赤ん坊が井戸に落ちた」
さあ、騒ぎが大きくなります。庭のほうで餅を搗いていた男どもも、わっとばかりに裏庭に集まりました。その隙に、猿はこっそりと搗きあがったばかりの餅を臼ごと盗み出しました。ぽっちりおすそ分けをいただくよりは、ごっそり全部せしめてしまおうと思ったのですね。
猿は、臼の重さにふうふう言いながら、蛙と待ち合わせを決めておいた丘の上までやって来ました。そして、これだけ苦労して運んできたのに、蛙に分け前をやるのはもったいないと思うようになりました。それなら蛙がくる前に急いで食べてしまおうかと考えが決まったところに、運悪くもう蛙がやって来ました。いくらなんでも、蛙がそこにいるのにひとり占めというわけにはいきませんよ。
「どうだ、ここでひとつ、競争をしないか」
猿は、何食わぬ顔で言いました。
「俺はここまで走って逃げてくるだけで疲れたよ」
蛙はそう言います。
「だからこそ、ここでもうひとがんばりするんだよ。いいかい、おまえが競争に勝ったら、この餅を全部やる。競争に勝ったほうが全部食べられるってことだ。この餅を全部食ったら、疲れも吹っ飛ぶよ」
猿は、得意げに説明します。そして、蛙が考えるひまも与えずに、臼を思いっきり突きました。臼は、谷底に向けてどんどん転がり始めました。
「さあ、先に餅をつかまえたほうが勝ちだ」
そう叫ぶと、猿は一目散に丘を駆け下りていきました。
さてさて、蛙というものは、前脚が短く、後ろ脚が長いものですよ。こういう生き物が坂道でどうなるか、わかりますか。上りはいいんです。下り道になると、うまく進めません。無理に急いだら、ひっくり返ってしまいます。もちろん猿は、それを知っているんですね。蛙が追いつけないのをいいことに、涼しい顔で丘を下っていきます。蛙の方は仕方ないので、ゆっくりゆっくりと、臼の転げた方へと歩いていきました。
どうやらそれがよかったんですよ。というのは、たしかに谷底に先に着いたのは猿の方でした。ところが、臼の中には餅はもう残っていなかったのです。途中で臼から飛び出してしまっていたんですよ。
そして、それを見つけたのは、あとからゆっくり降りてきた蛙でした。飛び出した餅は、木の枝に引っかかっていました。ほら、蛙の目は上向きについていますからね。あのぎょろりとした目で真っ白な餅がはっきり見えたんです。
蛙がどうしたかって。そりゃ、食べますよ。だって猿は「競争に勝ったら餅を全部やる」って言ったんですよね。そして、「先に餅をつかまえたほうが勝ちだ」って、言ったんですから。全部食ったら疲れも吹き飛ぶだろうと、蛙にもそんな気はしましたしね。
けれどまあ、臼いっぱいの餅を食ったらどうなります。腹がはちきれんばかりに膨れますよね。だから、蛙の腹はあんな真っ白に膨れているんです。皆さんも、いくらおいしいからといって腹いっぱい餅を食ったら、あんなおなかになってしまうかもしれませんよ。
いえ、蛙のおなかは、半分も食わないうちにぱんぱんに膨れていました。そんなところに猿がのこのこと谷底から上ってきました。そして、蛙が餅を食っているのを見つけると、情けない声で頼みました。
「なあ、おれにもちょっとよこせよ。なんてったって、その餅をここまで運んできたのは、おれなんだから」
蛙は、快く餅を分けてやりました。ほんとにそうだったんでしょうか。私は知りません。ただ、蛙が猿に放ってよこした餅がまだずいぶんと熱かったこと、そしてその餅がベチャッと猿の顔に当たってしまったことは本当です。あっという間もなく、猿はやけどをしてしまいました。
だから、猿の顔はいまでもあんなに赤いのだそうですよ。
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河童の手紙

5/12/2011

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いま、鉄道の駅があるところからちょっと山の方に入ったところに二股というむらがある。その名のとおり、川が大きく二つに分かれたところで、むかしは旅人がひと休みしていくところでもあった。その頃は、峠を越えて行商やら巡礼やらの旅人が、この谷にはひっきりなしにやってきたものである。そして、たいていは、のんびりした広い川原でひと休みしていく。
ある夏の暑い日のことであったが、やはり旅人が一人、この二股にやってきた。日陰のない川原があまりに暑く感じたので、向こうを見ると、下手の方にこんもりと茂みがある。行ってみると、そこは両岸にせり出した崖の上から大きな木が枝をさしかけていて、いい具合に木陰をつくっている。川は淵になっていてその上を爽やかな風が吹いてくる。旅人は、大きく息をついた。荷物を解き、顔でも洗おうと淵の水に近寄った。
そのときである。旅人は声を聞いた。
「もし、そこのお方」
顔を上げてあたりを見回したが、だれもいる様子がない。気のせいかと思ってもう一度かがみこむと、またも聞こえる。
「そこのお方に、お頼みがあります」
旅人は、またあたりを見回した。夏の日差しが遠くの川の面で光っているばかりである。やはり気のせいらしいと、かがみこんだとき、今度はまちがいなく聞こえた。
「こちらでございますよ」
旅人は、まっすぐに声のする方を見た。それは、川の中だった。足下の深い淵の水の中をのぞきこむと、そこになにか顔らしいものが見えた。
「水の中から失礼いたしましたが、私はあまり長いこと水から出ますと干上がってしまうものですからね。特にこんな暑い日の日中には」
そう言いながら、顔はゆらゆらと深いところから上がってきて、やがてぽっかりと水面に出てきた。青っぽいような緑がかったような、痩せた貧相な顔である。河童というものにちがいないと、旅人は心に決めた。
「そんな暑い日に、何用があるか」
「はいはい。その暑いので、お願いがあるのでございます。実は私はこの先、二里ばかり行きましたところの大淵に妹がおりましてなあ。常には行き来をするのでございますが、この暑さで途中の川瀬が干上がっておりまして、もうずいぶんと行かれないのでございます。そこで、達者でおることを妹に知らせたく、ここにこのとおり手紙を書きましたので、どうか届けてやっていただけないかと、このようにお願いする次第でございます」
旅人は気味悪く思ったが、行く道筋でもあることであるし、化物に怯えて断ったとあっては人聞きが悪い。邪険なことをして祟りがあっても嫌だと思ったから、涼しい顔で、「よかろう」と答えた。
「それでは、こちらをお願いいたします。大淵の傍まで行って、二股からの使いだと、このようにおっしゃっていただければ、妹が出てきて受け取るはずでございます」
河童はそう言って、一枚の紙を差し出した。真っ白で、何も書いていない紙である。
「これが、手紙か」
旅人は、小馬鹿にしたようにつぶやいた。
「はい、これが私たちの手紙でございます。これで私の無事がわかるのでございます」
「河童の考えていることはわからんな」
旅人はだれに言うともなくそう言って、手紙を受け取った。

大淵というのは、いまの鉄道の駅のあるあたりから下の方にしばらく行ったところにある、両岸の迫ったあたりのことだ。ここに行く道はいまとだいたい同じだからわかると思うが、途中に楞厳寺というお寺がある。この寺の前を旅人が通りかかった。そのときたまたま、寺の和尚が山門の前を掃いていたのが運がよかった。
旅人は、小さく目礼して和尚の前を通りすぎようとした。和尚も何気ない様子で道を掃いておったが、ふと顔をあげると、こう言った。
「待ちなさい。ちょっと気になる相が出ておる」
旅人は、怪訝な顔で振り向いた。
「なにか」
「いや、そういうことではござらん。お前様、なにか大病でもなさっておられるか」
「いえ、このとおり元気で」
旅人は落ち着かない笑いを浮かべた。
「なにかこれから危ない用でも果たされるか」
「いえ、商売の話をつけに行くだけです」
「それではなにか変わったこと、おかしなことでもなかったか」
「いえ、いつものように峠を越えてまいりましたが」
と、ここまで話して、旅人は思い当たった。
「そういえば、二股で奇怪な化物に会いましてなあ」
そして、河童から手紙を託された一部始終を説明した。
「ふむ。その手紙がどうも気になる。見せていただけまいか」
和尚がそう言うのに、旅人は高笑いをした。
「それがなんともはや、何も書いていない白紙でありましてなあ」
そう言いながら取り出した紙を和尚はしばらくじっと眺めていたが、やがてふむとうなずくと、つっと山門に入った。旅人も続いて入る。和尚は手水の柄杓をとると、なにか口の中で経文を唱え、その水を紙にさっとかけた。みるみるうちに、紙には文字が現れた。
「河童の手紙、読んでみなされ」
と和尚が言う。旅人はあまりの不思議に我を忘れていたが、促されるままにそれを読んだ。
手紙は、河童が言ったとおり、日照りでしばらく会えないがお互いに元気でいようというようなとりとめのない挨拶が書いてある。そこはいい。旅人が凍りついたのは、最後の文句だった。
「この手紙を届けた者、せっかくだから取って食え」
旅人は、そう読んで、和尚の顔を見た。和尚は、こくりとうなずいた。
「これは、このままではいかんな」
和尚はそう言うと、突然、いたずらっぽく笑った。
「それではひとつ、災い転じて福となす業といこう」
そして、和尚は袂から矢立と筆を取り出すと、さっきの行を黒く塗りつぶし、その脇に次のように書き足した。
「この手紙を届けた者、褒美として宝を与えるべし」
そしてなにやら経文を唱えると、またもさっきと同じように柄杓の水をかけた。すると、和尚の書いた文字はたちまち消えて、もとのように白い紙が残った。
旅人は、この手紙をもって大淵に向かった。河童に言われたとおりに声をかけると、やはり青い顔をした河童が現れた。河童は手紙を読み終えると、旅人にしばらく待つように言ってから、水底から石臼をひとつ持ってきた。この石臼が旅人にどのような福をもたらしたのか、その話はまた今度することにしよう。
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どっこいしょ

3/9/2011

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いまはどこに行っても同じようなものが手に入りますし、同じような暮らしをしています。つまらないようでもありますが、まあ便利なんでしょうなあ。むかしはそうはいきませんでした。すぐ隣りのむらでも暮らしぶりはずいぶんとちがったものです。ぼくのおぼえているところだけでいっても、たとえばぼくの住んでいた小さなむらでは正月に集まって黒豆と生米を少しずつおごそかにいただくことになっていましたが、となりのむらでは酒を飲むにぎやかな新年会だったそうです。もっとむかしは、もっとちがっていたわけでしょう。山をひとつ越せばものの名前がちがうというようなことも、ふつうにあったようです。
さて、あるところに若い男がおりまして、この男が峠を越えた向こうのむらから嫁をもらったということです。むかしのお百姓はいそがしいですし、いまのように車や汽車もありませんから、いったん嫁に来たら盆と正月ぐらいしか実家には帰らないのがふつうだったようでございます。まして峠の向こうですから、嫁さまが実の親御さまに会うことなどめったにない。それに輪をかけて、婿どのが嫁さまの親御さまに会うことも、めったにないわけでございます。
けれど、あるとき、この男、用ができまして嫁さまの親御さまのむらまでやってまいりました。ふだん会えないぶんだけ、こういうときこそ顔を出したいものでございます。嫁さまのご実家を訪ねますと、こちらではたいそうお喜びになりましてな。といっても、そこは田舎のことですから、ごちそうなどというものはございません。ありあわせでなんぞないかということで、たくさんのだんごをこしらえさせましてですな、これを婿どのにふるまったわけでございます。婿どの、たいそうこれを気に入りまして、
「こんなうまいものは、初めて食いました。これはなんという食べ物でありましょうか」
と、たずねたわけでございます。
皿を運んできました母御さまは軽やかにお笑いになりましてな。
「なに、これはだんごでござります。うちの娘につくらせればよろしいでしょう。あの子はたいそうじょうずにだんごをこしらえます」
と、おっしゃったのでございます。
この男、だんごという言葉を初めて聞いたわけでございまして、まして、そのだんごを嫁がつくれるということは初めて知りました。
「そうですか。それでは、だんごをつくるようにと、このように言えばいいのですな」
と、嬉しそうに言いました。
さて、帰り道になりましたが、この男、さっきの「だんご」という言葉を忘れるのではないかと心配になってきました。そこで、忘れぬよう、「だんご、だんご、だんご」と唱えながら歩くことにしました。一歩あるくごとに「だんご」でございます。百歩あるけば百回も「だんご」を言うのでございます。千歩あるけば千回です。これでは忘れる心配はないでしょう。
ようやく峠も越えまして、むらが見えてきましたところで、小さな川の橋が昨日の雨で流れているところに行きあたりました。
「だんご、だんご、だんご」
と言いながら歩いていた男、
「どっこいしょ」
と声をかけて川をまたいだ拍子に、何を勘違いしたのか、
「どっこいしょ、どっこいしょ、どっこいしょ」
と、言葉が入れ替わってしまいました。
さて、家についたこの男、嫁さまに向かって、
「今日はおまえの家でうまいものをいただいてきた。ついてはこんど、ひとつつくってくれ。そのうまいものの名前は、どっこいしょというらしいが、できるな」
と、言ったのですな。
嫁さま、ぽかんとして、
「あなた、どっこいしょなんて食べ物があるものですか」
と、言ったのは、まああたりまえでございましょう。
しかし、ずっと、のどが渇くのもかまわずに同じ言葉を唱え続けてきた男の方はむっとしました。
「おまえは知らないと言うが、おまえの親御さまがそう言ったのだ。しかも、おまえはそれをじょうずにつくるというではないか。これ、ものぐさなことを言うではない」
と、腹立ち紛れの言葉とともに、嫁さまをぽかんとなぐりました。
「あらら、あなた。そんな無体なことをされては、だんごのようなこぶができます」
これを聞いて男、
「それそれ、そのだんごであった」
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蛙の鳴き声

3/8/2011

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なぜ蛙は雨になると鳴くのか、知っているか。あれは、心配でたまらなくて鳴いているのだ。何が心配なのか。親の墓が流れるのが心配なのだ。親の墓が川のすぐそばにある。水かさが増したら流れてしまうようなところにある。だから心配になって鳴く。
なんでそんな心配なところに墓をつくったか。それは、蛙がむかし、あまのじゃくだったからだ。あまのじゃくというのは、何でも人の言うことの逆さまばかりをする者のことだ。そういうことをすると、親は困る。あまのじゃくな子どもの親は困り果ててしまう。
それも、自分のことだけならいい。これをあっちに持って行けと行ったらこっちに持ってくるぐらいのことには、すっかり慣れっこになってしまう。けれど、他の蛙のことになると、そうも言っていられない。あそこの年寄りに親切にしてやれと言ったら邪険にする。こっちの母親を手伝ってやれと言ったら、わざわざ邪魔になることをする。これではあまりにひどいので、蛙の親はあべこべを言うようになった。仲良くさせようと思ったら、「あの年寄りには近づくな」。手を貸すように言いつける代わりに、「ちょっといじわるをしておいで」と言いつける。あまのじゃくの親は、思ったこととちがうことばかり言うようになった。
そして、自分がいよいよ寿命だと思ったとき、息子を呼んでこう言った。「わしが死んだら川のすぐそばに墓をつくってくれ」と。もちろん、そんな危ない墓に入りたいわけはない。本当は、山の上にほうむってほしかったのだ。だからこそ、あべこべに川のそばだと、あまのじゃくの息子に頼んでおいた。
さて、親が死んだとき、あまのじゃくの息子は大いに悲しんだ。ようやくのことで、自分がひどい息子だったことをさとったわけだ。だから心を入れ替えて、これからは素直になろうと考えた。そして、なにより親父さまの言うとおり、親父さまの墓を川のすぐそばにつくろうと、このように考えた。
だから、蛙の親の墓は、川のすぐそばにある。だから、雨が降ると、墓が流れないか心配になる。あまのじゃくであることをやめ、素直になった蛙は、心配だから声を上げる。心配だからケロケロと鳴く。そうやって、いつもいつも、雨が降ると鳴いている。
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琵琶の淵

3/4/2011

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琵琶という楽器はいまではめずらしいものです。ギターのようなものですね。実際、ギターのもとになった楽器がはるばる砂漠を越えて中国から日本まで伝わって、琵琶が生まれたのだそうです。むかしは、この琵琶を弾きながら物語を聞かせる人々がいたそうです。琵琶法師と呼ばれています。有名な平家物語というおはなしは、琵琶法師が語って聞かせたものなんですね。
むかしむかし、人の気配のないさみしい淵のそばで、ひとりの琵琶法師が琵琶を弾いていました。音楽をする人は、ときどき、誰かに聞かせるためにではなく、ただ奏でたいから奏でることがあるんですね。きっと、目に見えないものに向かって奏でているんでしょう。そんなときには、心が澄んで、音が冴え渡るものです。
法師は、しばらくそんなふうに、一心に奏でていました。やがて、ふと我に返ると、はにかんだ笑みを浮かべ、琵琶を袋にしまいました。
そのときです。淵がざわざわと波立ちました。風もないのにどうしたのかと不思議に思って見ていると、淵の中から大きな蛇が顔を出しました。蛇というよりは、龍のような厳かな気配をただよわせています。この川の主にちがいないと、法師は思いました。
「さても、美しい音色であった」
主はそのように言いました。そして、
「実に惜しい。このような弾き手を失うのは、実に惜しい」
と、続けました。
「なんでございましょうか」
と、法師は尋ねました。
「これは、他のものに言ってはならぬ。言えば、お前を救うことはできぬ」
と、主は答えました。
法師が腑に落ちない顔をしていると、主はこう言いました。
「誰にも言わぬのなら、お前だけは救ってやろう。実は、今夜、皆が寝静まった頃、この川をあふれさせることになっておる。これはわしの決めたことではない。もっと上の方々の定めである。多くの者が溺れるであろう。わしにそれを救うことはできぬ」
驚いている法師に、さらに主は続けました。
「だが、お前の琵琶の音を失うのは実に惜しい。だから、お前だけにはこのことを教えておく。今夜は、川のそばから離れよ。むらは水に沈むから、近寄ってはならない。八幡の祠まで登れば、そこまで水がつくことはない。今夜はそこに逃げておれ」
それだけ言うと、川の主は淵の水の中に沈んで消えてしまいました。
法師は、驚きから覚めると、慌てました。なにをさておいても、急を皆に知らせなければなりません。けれど、川の主ははっきりと言いました。「言えばお前を救うことはできぬ」と。言えば、どんな災いが襲ってくるかしれません。
法師はふらふらとむらに戻りました。皆は、何も知らずにいつもとかわらない様子です。のんびりと夕飯の支度をする煙も上がっています。ここに大水がきたら、ひとたまりもないでしょう。
法師は、むらの辻に立って、琵琶を弾きはじめました。琵琶は、法師の心の乱れを映すように、荒々しく鳴り響きました。人々は手を休めて聞き入りました。子どもたちがまわりに集まりはじめました。
ひとしきり弾き終えたあとで、急に法師は声を高くして言いました。
「みなの衆、わけは聞かんでもらいたい。今夜、八幡様の前で琵琶を弾く。たいせつなことがあるので、どうかひとり残らず、年寄りも、子どもも、ひとり残らず、集まってもらいたい」
そして、再び琵琶を弾きはじめました。

夜になりました。八幡様の境内は、むらの人で足の踏み場のないほどに埋まりました。法師は、祠の前に座って、琵琶を弾いています。ここを先途と、命がけで弾いています。その心が伝わるのか、だれもが一心に耳を傾けています。
と、いきなり地の底を揺るがすような大きな音がしました。振り返ったむら人は、おそろしい光景を目にしました。ふだんはおとなしくむらの真ん中を流れている川が、嘘のようにふくれあがっています。鉄砲水が切れたのです。どうどうと、川は恐ろしい勢いで、すべてのものを押し流していきます。
誰もがその場を動けませんでした。ただひとり、法師だけがふらふらと立ち上がりました。そして、なにかに魅入られたように、ゆっくりと川の方に近づいていきました。
むら人が気がついて引き戻そうとしたときには、もう手遅れでした。琵琶を抱えた法師は、あっという間に波に飲まれ、見えなくなってしまったのです。
鉄砲水は、ほんの一時ですっかりおさまりました。あとには、まるで嘘のように荒れ果てたむらだけが残りました。

それから、法師の姿を見た人はいません。けれど、あの法師と川の主が出会った淵のたもとに立つと、いまでもかすかに琵琶の音が聞こえることがあるそうです。そのため、この淵は琵琶の淵と呼ばれるようになったということです。
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天道さんの金の綱

3/3/2011

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その頃は、まだ天と地がいまほどは分かれておらず、ときには地に住むひとの願いを天が聞き届けてくれたということです。日照りが続くときに「雨をください」と頼めば雨が降り、風を頼めば風が吹くという具合であったということです。
山の奥に、三人の子を養う母親がおりました。父親は、とうのむかしにどこかへ行ってしもうたのですが、朝に晩に母親がお天道様を拝んでは「この子らが、どうかひもじい思いをしませぬように、どうか病になりませぬように」とお願いをしていたおかげか、子どもらはすくすくと育っておったということです。
兄の一郎は、どこか抜けたところがあったが、正直でありました。弟の次郎は、弱虫であったが、気転がききました。末の妹は、(その名前は聞いておらんのですが)、ようやくものが言えるようになったばかりの幼子でありました。
さて、ある日、母親が、峠の向こうの里に用があって出かけねばならないことになりました。母のおらぬのはさびしいけれど、帰りにはきっとうまい餅をみやげにもってきてくれるということで、子どもらはがまんして母を送り出しました。母は出がけに、子どもらにこう言いました。
「囲炉裏の傍に杉の葉を置いておくから、これをひとにぎりずつ、切らさないようにくべなさい。飯をかしいでいるように見える。そうすれば山の婆様が用心してやってこないから」
「山の婆様ってだれ」と、妹が聞きました。
「おそろしい姿で、子どもをとって食うんだそうだ」と、次郎が分別くさく言いました。
「だからあんたらは、かかが留守だと思われんようにするんだよ」と、母親は念を押して、朝早くに家を出たのでした。
子どもらは、ふだんは囲炉裏にものをくべてはいけません。火が大きくなると危ないからです。けれど、杉の葉は少しくべるだけで、白い煙がもくもくと出ます。危なくはありません。一郎も次郎もはじめはおもしろくて、煙を絶やさないようにしておりました。けれど、そのうちに、一郎が「虫を取りに行こう」と言って、次郎と二人で飛び出してしまいました。そして二人とも、煙のことはすっかり忘れてしまいました。もちろん、小さな妹は、火に近づいてはいけないのです。
そして、山の婆様は、これを見逃しませんでした。囲炉裏に火が立たないのを見て、誰もいないと思ったのでしょう。森の奥から風のようにやってくると、家の中にずかずかと上がりこんでまいりました。
妹は、婆様に食われてはたいへんと、大きな手箕の下に隠れて、小さくふるえておりました。
山の婆様は、まっすぐに土間に行くと、母親が子どもたちのためにつくっておいた握り飯を見つけて、がつがつと食いはじめました。婆様は、腹をすかせておったのです。次に漬物の桶を見つけると、そこから手づかみでまるままの蕪の漬物を食べました。次に、ざるいっぱいに干してある豆を見つけると、生のままで口に流し込みました。さて、その隣には手箕があります。手箕の下になにか食べ物があるかと、婆様は手を伸ばそうとしました。
そのとき、表から二人の子どもが飛び込んできたのです。婆様はあわてて土間に小さくうずくまりました。
「火が消えている」と、次郎が言いました。
「消えておるな」と、太郎が言いました。
「婆様が来る」と、次郎が言いました。
「来ておられるか」と、太郎が言いました。
「土間にあるのはなんだ」と、次郎が言いました。
「なんであろうか」と、黒っぽいかたまりを見て、太郎が言いました。
「炭俵でも、母様が置いて行かれたか」と、次郎が言いました。
「炭俵であろうか」と、太郎が言いました。
「炭俵であれば、炭の粉がこぼれているだろう」と、次郎が言いました。
「炭俵ではないようだ」と、太郎が言いました。
「蓑が落ちているのであろうか」と、次郎が言いました。
「蓑であろう」と、太郎が言いました。
「蓑なら雨に濡れておろう」と、次郎が言いました。
「蓑ではないようだ」と、太郎が言いました。
「ならば、大きな蓑虫か」と、次郎が言いました。
「蓑虫にも見える」と、太郎が言いました。
「蓑虫ならば動くであろう」と、次郎が言いました。
「動くか、動くか」と、太郎は言って、その黒っぽいかたまりを薪雑ぽうでつつきました。
するとその黒っぽいかたまりは、わあっと婆様のすがたになって、立ち上がりました。兄弟は大あわてでとびのきました。婆様は、かまわず二人を追いかけます。次郎が、囲炉裏の横を走りながら、なべをひっくり返しました。なべの中身がこぼれて、ものすごい勢いで灰がたちのぼりました。このすきに、二人は家を飛び出しました。そして、池の脇にはえている琵琶の木ににのぼりました。
灰が目にはいった婆様は、しばらく目をこすっていましたけれど、いくらもたたないうちに家から出てきました。そして、二人が逃げていった方に走ってきました。そして、池の周りの藪を片っ端からつつきはじめました。
小さな妹は、そうっと手箕の下から出てきました。裏口から出て、納屋の陰にまわって、そして、木の上の兄たちを見つけました。それを探して走り回っている婆様も見ました。婆様は、木のすぐ下の水辺までやってきています。
妹は、このままでは兄たちは見つかってしまうと思いました。そこで、天に向かっていっしょうけんめいにお願いをしました。婆様が上を見ないようにしてくださいと、何度も何度も祈りました。
すると、傾きかけたお日様が、雲の間から顔を出しました。そして、池の水を光らせて、婆様の顔を照らしました。
婆様は、まぶしくて、目を伏せました。けれど、それがいけなかったのです。足もとの水に、木上の兄弟の影がうつっていたのです。
婆様は、兄弟が水の中に隠れているのだと思いました。つかまえようとして水の中にはまって、びしょぬれになりました。
そのようすがおかしかったので、おもわず太郎は笑ってしまいました。婆様は、あたりを見回しました。
次郎は、枝から琵琶の実をひとつもぎ取ると、池に投げました。水音がしたので、婆様はそっちを見ました。
それがおかしくて、太郎はまた笑ってしまいました。今度こそ、婆様は木の上を見上げました
「婆様、琵琶でも食うてくろ」と、太郎が言いました。
「琵琶よりうまいものがある」と、婆様が言いました。
「それなら池に鯉がいる」と、次郎が言いました。
「鯉よりうまいものがある」と、婆様は言いました。そして、木に登りはじめました。
「兄様、お天道様にお願いを」と、次郎は言いました。
「何を願うたらいい」と、太郎が聞きました。
「くさりの綱を、お願いしましょう」と、次郎が言いました。
「それでは、くさり綱をお願いしましょう」と、太郎も言いました。そして、二人で天道様に、「くさり綱をください」と、いっしょうけんめいにお願いしました。
すると、天から二本の綱が、下りてきました。太郎はすぐにそれにつかまろうとしました。けれど、次郎はきちんとそれを調べました。それから、自分の方に向かっておりてきたくさり綱に、太郎をつかまらせました。太郎の後から、次郎もつかまりました。
「それでは、高く引き上げてください」と、太郎と次郎は、声を合わせて天道様にお願いしました。くさり綱は、ゆっくりと空高く上っていきました。
ようやく木に登った婆様は、空を見上げました。子どもたちが、どんどん上がっていきます。
「まてえ」と叫んだ婆様は、目の前に太郎が残していったくさり綱がぶら下がっているのに気がつきました。この綱にぶら下がると、どんどん登りはじめました。
ところが、この綱が、ぷっつりと切れたのです。そして、婆様は地面に落ちて、したたかに腰を打ちました。あまりの痛さにしばらく動けない様子でしたが、やがて這いずるように、ゆっくりと森に戻って行きました。

日が暮れるころ、母様が帰ってきました。三人の子どもたちは、今日あったことをいっしょうけんめいに話しました。
「どうして婆様の綱は切れたのかねえ」と言った母様に、次郎が言いました。
「太郎の綱は、くさり綱は、はくさり綱でも、くさりでできた綱じゃなくて、くさった綱だんだよ」と。そして、みんなは、おみやげのおいしい餅を食べましたとさ。
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浦島太郎

3/2/2011

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むかし、丹後の国に浦島太郎という若者がおった。海の幸をとって父親と母親を養っていた。
ある日、「今日は魚を釣ろう」と思って、あちこちで糸を出してみた。けれど、一匹もつれん。貝を拾ってみたりみるめをとったりしたけれど、やっぱり魚が欲しい。
そこで、江島が磯というところで、もういちど釣り竿を出してみた。すると、亀が一匹、糸の先にかかった。
けれど、浦島太郎は、
「かめの命は長いもの。まだまだこの先も生きられるはず。いたわしいから助けよう」
と、亀を海に戻してやった。

次の日、浦島太郎が釣りをしようと岸辺に立っていると、遠くの海の上に小さな船が一艘見えた。きれいな女がたった一人で乗っている。「これはいったいどうしたことだろう」と思って見ていると、だんだんと船は近づいてくる。
「こんな荒海に一人でいらっしゃるなんて、あなたはいったいどういう方なんでしょうか」と、浦島太郎は尋ねた。
女は、こんなふうに、話した。

「あるお方のお供で船に乗っていたのですが、嵐がきて、たくさんの人が波にのみこまれてしまいました。これでは船が危ないからと心配した船乗りが、私をこの小さな船に乗せてくれたのです。けれど、心細くて、鬼の住む島にでもつくのではないかと、途方に暮れておりました。ここで、あなたにお目にかかれたのも、何かの縁でしょう。どうか助けてください」

浦島太郎は、泣いている女をかわいそうに思って、舫いづなをとって船を引き寄せた。
やがて、女は、落ち着くと、こんなふうに話した。
「私を哀れだと思っていただけるなら、国に送り返してください。このまま知らないこの岸辺にいては、私はどうしていいのかもわかりません。それでは、海の上で流されていたときと変わらないではありませんか」
そして、また、泣きはじめる。浦島太郎も、悲しくなった。そこで、女が乗ってきた船にいっしょに乗って、沖の方へと漕ぎ出した。

女がこっちだと指差す方へと十日もこいでいくと、女の古里についた。船から上がると、すばらしい御殿がたっている。壁は銀色、屋根は金色に光り、いかめしい門がたっている。まるで天の上の神さまの住まいのようだ。浦島太郎は、口もきけないほどびっくりした。

驚いている浦島太郎に、女は言った。
「一本の木の陰にいっしょに休んだだけでも縁だといいます。同じ川に流れる水を飲んだだけでも生まれ変わったときには縁を感じるものだと聞きました。まして、あなたのようにはるばるとこんな遠くまで送ってくれたことが、縁でないはずはありません。このように縁のあるあなたと、夫婦になって、いっしょにここで暮らしたいと思います」

細やかに話す女に、浦島太郎は、ことわることができなかった。そして、二人は夫婦になって、とても仲良く暮らしはじめた。
女が言う。「ここは、竜宮城というところです。このお城のまわりには、美しい庭があります。ぜひご覧ください」

そこで、東の戸を開けてみると、春の景色が広がっている。梅や桜が咲き乱れ、柳の若葉が春風に揺れている。鶯の声がすぐそこで聞こえている。

南の戸を開けてみると、垣根には卯の花が咲いている。池には蓮の花が咲き、水鳥がさざ波をたてて遊んでいる。緑の木は葉をしげらせ、夕立ちが上がったと思ったら、蝉の声が賑やかに聞こえる。

西の庭は、秋のようすで、紅葉の色も鮮やかに、菊の花に露がおりている。どこかで鹿の声もする。

北には冬が広がって、真っ白な雪をかぶった山が見える。枯れ木の林では炭を焼く煙があがっている。

こんなおもしろい景色を見ていると、いつまでたっても、飽きることがない。楽しく遊んで暮らして、あっという間に三年がたった。

そこで、浦島太郎は、こんなことを言った。
「三十日だけ、旅に出てもいいだろうか。なにしろ、父と母をそのままにして、出てきてしまった。三年もたってしまって、父と母のことが心配になってきたのです。いちど帰って、安心させてきたいのです」

すると、女は、かなしそうに言った。
「この三年、あなたとはずっと仲良く暮らしてきました。ちょっと姿が見えないだけでも、どうしたんだろうと心が乱れたものでございます。それなのに、三十日も長いあいだお別れしなければならないなんて。もうこの世ではお会いできないような気がします」

さめざめと女が泣くのを、浦島太郎は、不思議に思った。けれど、やがて女は、涙を拭くと、こんなことを言った。
「本当のことを申し上げましょう。私は、江島が磯で、あなたに助けていただいた亀でございます。あのときのありがたさが忘れられず、夫婦になって、あなたをお助けしたいと思ったのです。夫婦の縁は、生まれ変わっても変わらないといいます。次の世に生まれ変わりましたら、必ず、私と夫婦になってくださいませ」

浦島太郎が驚いていると、女は小さな箱をとりだした。
「これは、私の形見でございます。決して、開けてはなりません」
そんなふうに言って、浦島太郎に渡したのだった。

縁というのは不思議なものだ。出会うのも縁なら、別れるのも縁だ。会えば必ず別れがくる。出会う縁は、別れる縁だ。
女と、浦島太郎は、歌をうたいあって別れを惜しんだ。

古里の父と母に会いたいと思ったのは、浦島太郎だった。けれど、いまは、女と別れるのがつらい。振り返りながら、船を急がせた。そして、古里に着いてみると、辺りは荒れ果てて、人の住む姿もない。どうしたことかと辺りを見回すと、粗末な小屋がある。
「ちょっとお尋ねします」
浦島太郎が声をかけると、中から八十歳ほどの年寄りが出てきた。
「このあたりに、浦島という人はいませんか」
と、尋ねると、
「また、どういうことで、浦島なんて聞くのかね。浦島とかいう人は、七百年もむかしに、このあたりに住んでいたそうだが」
と、答えた。浦島太郎は、驚いて、ありのままを話した。すると、年寄りは、不思議そうな顔をして、向こうを指さした。
「それが、浦島とかいう人のお墓だよ」
浦島太郎は、泣きながら、草むらをかき分けて、お墓参りをした。ほんのちょっとのあいだと思って留守にしたのに、こんなに変わってしまうなんてと、涙が止まらなかった。
ぼんやりと、海辺の松の木まで戻ってきた浦島太郎は、座りこんで、空を見上げた。これから竜宮城へ戻っても、もうむかしのように女と仲良く暮らすことなんかできっこない。なにもかもが嘘のように思えてしまう。
けれど、浦島太郎は、女のことが忘れられない。あんなに仲良く暮らした毎日が忘れられない。
もう二度と女には会えない。会いたいけれど、会えない。浦島太郎は、女が死んでしまったような気がした。そして、女が、形見だといって渡してくれた箱を思い出した。会えない人なら、死んだも同じだ。浦島太郎には、ようやく女の言葉がわかった。もう会えないと思ったから、形見をくれたのだ。
生きて会えると思うなら、形見の箱は、開けてはならない。けれど、もう会えない人だから、浦島太郎は、開けてはいけない箱を開けた。すると、中から紫色の雲が三本、流れ出してきた。その雲を見ていると、浦島太郎は、急に年をとった気持ちになった。人間だったことさえ忘れてしまうほど、年をとった気持ちになった。

そして、浦島太郎は、鶴になった。遠く、蓬莱の山まで飛んで行って、そこで、長く暮らした。亀は、竜宮で、いつまでも浦島太郎の帰りを待っていた。

いつか時代が過ぎて、鶴も亀も、死んでしまった。けれど、鶴は丹後の国に、浦島明神という神さまになって祭られることになった。亀も、同じところに神さまになって祭られた。だから、いまでは浦島の神社には、夫婦の神さまが祭られている。浦島太郎と竜宮の亀は、こうして約束どおり、生まれ変わって夫婦になった。めでたしめでたし。

だからいまでも、おめでたいときには、鶴と亀をお祝いする。
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鈍と貧

3/1/2011

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上方では、ぐずぐずしていると、「どんくっさいな」と叱られます。「どん」というのは「鈍い」ということですね。動きが鈍くてきちんとできないことを、「どんくっさい」と言うんです。あんまりきれいな言葉じゃありません。
どんくさいことばかりしていると、貧乏になってしまいます。お金が儲かりませんからね。貧乏という言葉は、「貧」という字と「乏」という字からできています。「ひん」は、貧しいということです。「ぼう」のほうは乏しいということです。貧しくて乏しいのは、やっぱりいやですよね。
さて、あるところに、いつも「どんくっさい」と叱られてばかりいる若いもんがおりました。主人はむかし商いをやっていた年寄りですが、もう仕事はやめてしまって隠居しています。若いときに貯めたお金で暮らしているんですね。仕事をしていませんから、貯めたお金は減る一方です。だから、このご隠居さん、いつもそのことを気にしていました。「このままやと、どんどん貧乏になってしまうわ」と。
若いもんの方は、いたってのんきにやっております。年寄りの小言はうるさいけれど、そこは隠居の世話ですから、大店で使われるよりはずっと気楽な仕事です。そんなふうにのんびりやっていると、「どんくっさい」と叱られます。
「おまはん、汁の鰹をちゃんとすくってないやろ」
「残ってましたかいな」
「残っとるも何も、出汁ガラばっかりやないか」
「すんません」
「貧すれば鈍すというんや。気をつけへんとこんなことでも人様から笑われるようになる」
こんな小言が飛び出します。
さて、ある日、この若いもんがご隠居さんの前でうっかりと、土瓶を割ってしまいました。
「こらこら、そんな鈍なことをしてもらっては困るな。貧すれば鈍すじゃ」
「いえ、旦那様」
若いもんは、にっこり笑って答えました。
「この通り、どんびん(土瓶、鈍貧)が割れました」
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