なぜ蛙は雨になると鳴くのか、知っているか。あれは、心配でたまらなくて鳴いているのだ。何が心配なのか。親の墓が流れるのが心配なのだ。親の墓が川のすぐそばにある。水かさが増したら流れてしまうようなところにある。だから心配になって鳴く。
なんでそんな心配なところに墓をつくったか。それは、蛙がむかし、あまのじゃくだったからだ。あまのじゃくというのは、何でも人の言うことの逆さまばかりをする者のことだ。そういうことをすると、親は困る。あまのじゃくな子どもの親は困り果ててしまう。
それも、自分のことだけならいい。これをあっちに持って行けと行ったらこっちに持ってくるぐらいのことには、すっかり慣れっこになってしまう。けれど、他の蛙のことになると、そうも言っていられない。あそこの年寄りに親切にしてやれと言ったら邪険にする。こっちの母親を手伝ってやれと言ったら、わざわざ邪魔になることをする。これではあまりにひどいので、蛙の親はあべこべを言うようになった。仲良くさせようと思ったら、「あの年寄りには近づくな」。手を貸すように言いつける代わりに、「ちょっといじわるをしておいで」と言いつける。あまのじゃくの親は、思ったこととちがうことばかり言うようになった。
そして、自分がいよいよ寿命だと思ったとき、息子を呼んでこう言った。「わしが死んだら川のすぐそばに墓をつくってくれ」と。もちろん、そんな危ない墓に入りたいわけはない。本当は、山の上にほうむってほしかったのだ。だからこそ、あべこべに川のそばだと、あまのじゃくの息子に頼んでおいた。
さて、親が死んだとき、あまのじゃくの息子は大いに悲しんだ。ようやくのことで、自分がひどい息子だったことをさとったわけだ。だから心を入れ替えて、これからは素直になろうと考えた。そして、なにより親父さまの言うとおり、親父さまの墓を川のすぐそばにつくろうと、このように考えた。
だから、蛙の親の墓は、川のすぐそばにある。だから、雨が降ると、墓が流れないか心配になる。あまのじゃくであることをやめ、素直になった蛙は、心配だから声を上げる。心配だからケロケロと鳴く。そうやって、いつもいつも、雨が降ると鳴いている。
なんでそんな心配なところに墓をつくったか。それは、蛙がむかし、あまのじゃくだったからだ。あまのじゃくというのは、何でも人の言うことの逆さまばかりをする者のことだ。そういうことをすると、親は困る。あまのじゃくな子どもの親は困り果ててしまう。
それも、自分のことだけならいい。これをあっちに持って行けと行ったらこっちに持ってくるぐらいのことには、すっかり慣れっこになってしまう。けれど、他の蛙のことになると、そうも言っていられない。あそこの年寄りに親切にしてやれと言ったら邪険にする。こっちの母親を手伝ってやれと言ったら、わざわざ邪魔になることをする。これではあまりにひどいので、蛙の親はあべこべを言うようになった。仲良くさせようと思ったら、「あの年寄りには近づくな」。手を貸すように言いつける代わりに、「ちょっといじわるをしておいで」と言いつける。あまのじゃくの親は、思ったこととちがうことばかり言うようになった。
そして、自分がいよいよ寿命だと思ったとき、息子を呼んでこう言った。「わしが死んだら川のすぐそばに墓をつくってくれ」と。もちろん、そんな危ない墓に入りたいわけはない。本当は、山の上にほうむってほしかったのだ。だからこそ、あべこべに川のそばだと、あまのじゃくの息子に頼んでおいた。
さて、親が死んだとき、あまのじゃくの息子は大いに悲しんだ。ようやくのことで、自分がひどい息子だったことをさとったわけだ。だから心を入れ替えて、これからは素直になろうと考えた。そして、なにより親父さまの言うとおり、親父さまの墓を川のすぐそばにつくろうと、このように考えた。
だから、蛙の親の墓は、川のすぐそばにある。だから、雨が降ると、墓が流れないか心配になる。あまのじゃくであることをやめ、素直になった蛙は、心配だから声を上げる。心配だからケロケロと鳴く。そうやって、いつもいつも、雨が降ると鳴いている。