子どものためのおはなし
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貸し椀の淵

3/1/2011

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むらの決まりごとというのは、若い人にはわからないかもしれませんな。特に町に住んでいる人には、こういうのはわからんでしょう。この国には、何十万というむらがあります。むかしは区とか部落とかいう言い方をした地方もあるわけですが、呼び方はいろいろですよ。ま、いまはだいたい、自治会みたいな単位になっていたりします。あるいは、もっと小さな隣組みたいな単位とかですな。むらが何かなんて、そこに住んでみなきゃわかりませんよ。住んでればそれが何なのかわかります。
決まりごとはむらごとにちがいますから、こういうことがどこでも言えるのかどうか知りません。ぼくのむらでは、株内の講は毎年の持ち回りでした。株内というのは、親戚みたいなもんです。けど、親戚ともちょっとちがうんですよ。親戚かどうかってことでいったら、むら中が親戚みたいなもんです。どっかでだれかが結婚してますから、どっかで血がつながってるわけです。だから、親戚で集まるといったら、それはどの家が中心になるのかでちがってくる。株というのは、そうじゃないんですね。元は親戚、というか一族なんでしょう。けど、いまはそういう場合もあるし、そうとも言い切れない場合もある。生まれたときから「あの家とあの家は株だ」って教えられて、そして株内のつきあいをやってるわけです。だから、説明する必要もないんですな。住んでいればわかるというのは、むらと同じことです。
講というのは、つまり人が集まることなんでしょう。庚申講なんてのがあって、庚申さんの夜に集会所で年寄りが一晩集まります。寝ちゃいかんのだそうです。株内の講というのは、親睦会でしょう。株内の人が全員集まって、大人は酒を飲むし、子どもは一緒に遊ぶんですな。そういうのを年に一回、持ち回りでやります。
いまは、積み立てをやっておいて、料理屋の仕出しをとるんです。このあたり、なるべく公平に、どの家にも無理がいかないように気をつけているわけです。けれど、むかしはそうじゃありませんでした。だいたいがいまみたいに電話しとけば配達してくれるような仕出しなんてもんがなかったし、いや、あったとしてもとても手が出るもんじゃなかったんでしょう。それぞれの家で、それぞれができる限りのご馳走を用意したんだと思います。ま、お酒は持ち寄ったかもしれませんけどね。
自分たちで、できる範囲で、できるだけ楽しもうってことなんですけど、それでもやっぱり家によって事情ってもんがありますよ。ある貧しい家があったんですね。本道から山の方に上がったお稲荷さんの手前に空き地があります。あそこにはぼくが生まれたときには家が一軒あったんですよ。その家のことだと聞いとります。貧しかったんですな。いや、ぼくが知ってるときはそうでもなかったでしょう。遊びに行ってカルピスをごちそうになったおぼえがあります。もっとむかし、このはなしができたころには、貧しかったらしいんです。
そのころでも、株内の講はありました。持ち回りの番が回ってきたとき、この家には膳も椀も、ろくろくなかったんですな。
いまじゃ使いませんけど、むらの家にはたいていどこにも、膳や椀、皿や鉢が二十や三十、組になってあったものですよ。いまでも水屋をのぞけばあるんじゃないですか。座布団もそのぐらいの数は押入れやら長持ちやらにしまってありましたしね。何に使うかというと、株内の講のときと、葬式のときです。ふだん使いの食器や日用品のほかに、そういうときのためにちゃんと用意がしてあるのがふつうなんですよ。
ところが、この家にはその備えがなかった。たぶん最初っからなかったんじゃなくて、いろいろ事情があって手放したんでしょうな。だから、この年の番が回ってきたときにはじめて、困ったことになった。
竹田川ですけど、いまは工事をしてだいぶ変わったんですが、むかしは瀬もあれば淵もありました。むらからちょっと上手にあるその淵のところに、さて、竹でも切りに行ってたんでしょうな、この家の主がおったときのことです。魚でも釣っとったのかもしれませんが、そんな悠長なことのできる世帯でもなかったと聞いとります。とにかく、この淵の脇で、「困った、困った」と言うとったそうです。
すると、どこからあらわれたのか、年寄りが出てきて、こんなことを言うたそうです。
「何を困ることがあろうか」
見知らぬ人に、ふつうだったらそんなことは話さんだろうと思うんですよ。けれど、この家の主はよっぽどひとりで悩んでおったんでしょうな。話を聞いてくれる人がほしかったんでしょう。それで、今度の株内の番に膳も椀もないことをぽつぽつとしゃべったというんです。
すると、年寄りは笑って言いました。
「それなら、要るだけの数を書いて、この淵に投げ込めばいいんじゃ。なに、それだけのことじゃ。使ったあとは洗って返すのを忘れるなよ」と。
そして、気がついたら年寄りはどこかに消えておったそうです。
夢でも見ていたのかと思いますよ。そりゃそうです。けど、ものは試しです。何も損をするわけじゃありませんからね。それで、この家の主は、人数分の数を紙に書きつけて、淵に投げ込んでおいたんですな。そして、次の日に、あまり期待もせんで淵に行ってみると、ちゃんと書いた数だけの膳や椀が淵のそばに揃えて置いてあったというんです。
この家の主の偉いところは、株内の講のときに、この話を悪びれもせずに皆の前で言ったことなんでしょうな。ふつう、やっぱり恥だと思うんですよ。貧乏は隠しておきたいもんです。けど、あまりにめずらしい話でもあるし、なにより実際に目の前にその食器が並んでいるわけですから。
すると、むらの中から、「自分も借りたい」「うちでも貸してもらえんじゃろうか」という話が次から次へと出てきたんだそうです。おかしなもんで、皆、それなりに見栄をはっていたけど、けっこう苦しいやりくりをしていたんですな。そんな人たちに、この家の主は気前よく、年寄りに聞いた通りを教えてやったそうです。
こうして、むらのひとたちは、何かにつけ、淵から膳や椀を借りるようになったそうです。いつの間にやらこの淵は貸し椀の淵と呼ばれるようになったそうですが、それがいまでは河川改修で淵でも何でもなくなって、ようやくあそこのすぐ下の橋に柏葉橋という名前で残ってますけど、あれはほんとは貸し椀だったそうです。
いえ、ずいぶん長いこと、椀を借りに行く習慣は残っていたらしいんですよ。けど、あるとき、誰かが椀をひとつだけ、返さなかったんですな。気に入ってしまったんでしょう。自分のものにしたかったんでしょう。
それからです。もういくら数を書いた紙を投げ込んでも、膳も椀も、出てこなくなったということです。その椀は、私が生まれた頃はまだ母屋にありました。ま、私のご先祖が返さなかった本人だとは思いたくはないんですけれど。
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ちゃっくりかき

2/28/2011

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丹波というところは、うまいもんがたくさんとれる。マツタケやタケノコはすぐ隣りの京料理には欠かせんもんやし、小豆や黒豆もほかにはないよいものがとれる。丹波グリは大粒で喜ばれるし、丹波のお茶は宇治に運ばれて宇治茶に化けて売られている。猪の肉も有名なボタン鍋やな。
さてさて、この丹波のむらでクリがようさんにとれたんで、むらの若いもんに「クリ売ってこう」と、たのむことになった。この男、峠を越えればそこやというのに、まだ京の都を知らなんだ。そこで、「こうこう道を行けばよい」と教えられて、朝の早うにクリをかついで老の坂を越えた。
日が暮れて、とぼとぼと帰ってきたこの男に、「どないやった」と聞いたら「あかん、だれも買うてくれへん」と、こう言う。「どこへ行て売ったんや」とか、「どないして売れんことがあろうか」と、いろいろ問いただしてみると、なんや、この男、なあんも言わんとただだまあって、町の中を歩いておっただけらしい。
「それでは売れんで。たとえおまはんが担いでいるのがクリやとわかっても、それが売りもんかどうかまではわからへん。どこか決まった先があって持っていくだけかなあと思われるのが関の山じゃ。大きな声で呼ばわんかい」
「呼ばうというても、どないしたらええんやろ」
「おまはんも、町では物売りを見たやろう。同じようにやったらええんや。クリを売るんやから、クリ、クリ、クリはいらんかと、このように呼ばわればええんやないか」
ということで、次の日、この若いもんはもういっぺんクリを売りに行くことになった。なにせ、クリというのは拾うたらさっさと水に漬けるなり茹でるなりせんと、虫がわく。いつまでも置いておけるもんやないんやな。
若いもんが家を出ようとしているところに、昨日、クリの売り方を教えた男がなにやら包みを抱えてやってきた。
「おまはん、昨日はくたびれ儲けやったな。今日こそはもうちぃとマシな儲けをしてもらわなならん。ここに茶があるよって、これを持っていき。茶みたいなもんは軽いもんやさかい、なんぼの荷にもならん。ええか、茶かって、呼ばわらんと売れへんで。茶はいらんかと、こう呼ばわるんやで」
若いもんは、へえへえと茶を荷の中に入れた。さて、家を出たところで、この家の婆さんに会うた。婆さんはいかきに見事なカキの実をいっぱい持っている。
「あんた、これから京へ行くんか。ちょっと荷物にはなるけどな、今年初物のカキがとれたよって、これはええ値に売れるじゃろう。どうにか持っていかんか」
と、こう言うた。若いもんは、へえへえとカキを荷の中に入れた。
さて、老の坂を越えて京に入る。西の京を抜けてだんだんと町中に入ってくると、大勢の人じゃ。京というところは年がら年中お祭りをやっておるようなもんじゃと、男は思うた。
そろそろこのあたりと見定めた男は、大きな声で呼ばわりはじめた。
「ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか。ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか」
通る人は、不思議そうに男を見た。男は、ここでくじけてはまたくたびれもうけと、もっと大きな声をはりあげた。
「ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか。ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか」
けれど、茶を買いたいとか、クリをくれとか、カキが欲しいという人は現れない。それでも男はがんばった。
「ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか。ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか」
そのうち、小さな子どもがおもしろがってあとをついてきた。そして、手を叩きながら、
「ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか。ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか」
と、男に声を合わせた。子どもらは次々にやってきた。そして、男のあとにぞろぞろと続きながら、
「ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか。ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか」
と、はやしたてた。
そのすがたがあまりにこっけいで、町の人たちが立ち止まって眺めるようになった。そのうちに子どもに混じって、大人も一緒におどり始めた。
「ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか。ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか」
だれかが太鼓を持ち出した。賑やかな囃子の中、誰もが陽気におどって歩いた。
「ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか。ちゃっくりかき、ちゃっくりかき、ちゃっくりかきは、いーらんか」
若いもんは、だんだん楽しくなってきた。そう、これが京の町だ。おどりながら、唄いながら、男は心の底が抜けたような気持ちになった。毎日の仕事とは、まったく別な世の中に迷い込んだ気持ちになった。
やがて日が暮れて、へとへとになって男は家に戻った。
「少しはクリは売れたんかい」
クリもカキも茶も、ひとつも売れなかった。それでも若いもんは、にっこり笑った。
くたびれもうけも、たまにはいいものかもしれない。
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天の福と地の福

2/21/2011

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あるところに、正直であるが、貧しい男がおった。正直というと聞こえがいいが、どちらかというと融通のきかん、堅焼きの焼き冷ましのような男でなあ。あるとき、隣の者がちょっと鍬を貸してくれというので貸したら、泥だらけのままで返ってきた。ちいとは洗って返すもんじゃと言ったら、「いや、はじめについていた泥をもらいっぱなしではわるいと思うて、わざわざ泥をつけて返した」という。そんなことはせんでええんやと言うたのだが、今度、鎌を貸したら、ピカピカに研いで返してきた。感心なことと思ったら、なにやら桶いっぱいの汚い水も持ってくる。どういうことかと聞いたら、「研いで減った分をもらいっぱなしではわるい。研ぎ汁を返そう」という。なんとも堅い、堅すぎる男であった。
こんなことをしているから、この男、ひどく貧しかった。しかし、それを気にもせんと、毎日仕事に精を出しておった。
そういう真面目な様子を神様が見たんじゃろうな。ある夜、男は夢を見た。夢のなかで神様が、「ひとつお前に福を授けてやろう。近いうちに天の福がお前のところにやってくる。これはお前のものだから、はばからず受け取るがいい」と言われた。目が覚めて男は不思議な気持ちになった。そこで、庄屋様に、どういうものでしょうと尋ねてみた。すると、庄屋様は、神様がそういうのであれば受け取らなければいけないのだろう、と仰った。お寺の坊様に聞いても、「福は授かりものだから、受けておくがよい」と言われる。隣の者に聞いても、同じことを言う。そうであればそうなのだろうと、堅い男も得心をした。
そして何日かたったとき、畑を耕しておると、鍬が固いものに当たる。何だろうと掘り起こしてみると、小さな壺が出てきた。壺の蓋はきっちりと閉めてあったが、よく洗って周りのものをとりのけると、苦もなく開いた。中に入っていたのはたくさんの金の粒だ。男はしばらく頭をひねっておったが、やがてこの壺に元のようにきっちりと蓋をすると、ていねいに元のように埋め戻した。
これを隣の者が見ておった。この者は、悪気はない男ではあるが、お調子者でな。調子に乗ってすぐに遊んでしまうので、やっぱり金のない貧乏者であった。さて、このお調子者は、堅い男に向っていった。
「なにやらお宝が出たようだが、それはこのあいだ主が夢に見た天の福ではないのか。ならばなぜ埋め戻す。ありがたく受け取ればよいではないか。そして良い酒でも買って祝えばよいではないか」と。もちろん祝いがあれば隣のお調子者も招かれるはずである。お調子者は、涎が出そうであった。
けれど、堅い男はこう言った。「おれが授かるのは、天の福だ。この壺は地面から出てきたから地の福にちがいない。地の福を頂けるなんて話は聞いておらんから、これはもらうわけにはいかんよ」と。
お調子者がいろいろ言っても、堅い男の気持ちは変わらなかった。
日が傾いて堅い男が家に帰ると、お調子者は肩をすくめた。それから、堅い男の畑に入ると、さっきの壺を掘り返し始めた。「せっかくの授かりものの福をいただかないとは罰当たりめ!」とつぶやきながら。
やがて鍬は、壺に当たった。当たり所が悪かったのか鍬の刃は欠け、柄が折れた。それでもかまわず掘り続けると、さっきの壺が出てきた。お調子者はいそいそとそれを抱えて家に帰った。
さて、これで思いっきりうまいものが食えると、お調子者は喜んだ。そして、蓋を開けて、中の金の粒を数えようとした。ところがどうだ、金の粒と見えたものは、兎の糞の粒ではないか。お調子者はがっかりした。がっかりして、だんだん腹が立ってきた。そこで表に出ると、隣の堅い男の家めがけて、壺を投げつけた。
壺は、軒の隙間から、堅い男の家の中に飛び込んだ。梁に当たって砕け散った。砕け散って、中に入っていた粒も、壺のかけらひとつひとつも、みんな輝く金になって家の中にバラバラと落ち広がった。
飯を食っていた堅い男は、天井を見上げ、そしてあたりを見回した。
「今度は天の福が授かったわい」
そう言うと、黄金の粒を集め、それを大切に神棚にあげた。
お調子者の方は、折れた鍬だけが残った。祝いのことなど言う出す気にもなれず、そのまま寝込んでしまったそうな。
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    えっと、作者です。お楽しみください。はい。

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