朝からぶらぶらと何もせんで寝ている男がおって、朝から寝てるんで、朝の寝太郎と呼ばれておった。寝太郎が寝ておれるのは、父様と母様が働き者であったからなのであるが、父様も母様も、もちろん、寝太郎が寝てばかりおるのをよいこととは思わなんだ。
「おまえさまは、人が働いておられるときに、だらだらと寝てばかりおる。それではお天道様に申し訳ないと思わんのか」と、父親が諭す。すると寝太郎は、「おれもそう思う」と、答えるのであった。
「それならば、起きて仕事に出よ」と、母様が言うと、「その前にやることがある」と、寝太郎は言うのであった。
さて、それならば「やること」とは何かと問うてみても、これがさっぱり要領を得ん。飯を食うことかと聞けば、飯はいらん、腹は減らんという。顔を洗うことかと聞けば、顔はおとつい洗ったという。厠に行くことかと聞けば、厠はさっき行ったところだという。仕事に行くのに他に何を先にすることがあるのかと不思議に思うのであるが、そんなことを聞いているうちにもお天道様は上ってくる。お天道様が高くなる前にひと稼ぎしなければ食うてはいけぬ。そこで父様も母様も、そそくさと働きに行く。寝太郎は床に戻って、またいびきをかく。
やがて子どもらがやってくる。子どもらでも、大きな子は親を手伝って働きに出る。寝太郎が寝太郎になる前には、寝太郎もそんなふうに親を手伝ったものであった。なにしろこのあたりといえば、近くに田んぼがない。水がこないから、田んぼがつくれない。だからみな、いっしょうけんめい働く。遠くの村まで小作に行くものもあれば、山の畑を耕すものもいる。そんな仕事では、いくら働いても楽にはならない。年がら年中、とにかく忙しくしていないと生きてはいかれない。生きていくために忙しくして、大きな子はそれを手伝うし、小さな子はもうほうっておかれる。母様の背中から下りて走り回れるようになったら、あとは留守居にほうっておかれる。
そんな子どもらが、寝太郎のところにやってくる。
「やーい、寝太郎、朝の寝太郎、昼の寝太郎」
子どもらは、はやしたてる。寝太郎は怒るでもなく、かといって笑うでもなく、寝床の中から子どもらを見ておる。
「穀潰しの寝太郎、タダ飯ぐらいの寝太郎」
子どもらは、言いたいだけのことを言う。
「あんたみたいになったらアカンって、父ちゃんが言うとった」
「あれはろくでなしの見本やでって、母ちゃんが言うとった」
子どもらは、遠慮もなしに言う。寝太郎は、そうか、そうかといって、また寝てしまう。
実は村にもう一軒、昼間から寝ていられる家があった。寝太郎の家の隣の長者どのである。働かずとものうのうと暮らしていけるだけのものがあるから、その気になれば昼間でも寝ていられる。もっとも、長者どのは、そんなことはしない。なにやら難しい本を読み、盆栽の手入れをし、庭の祠を掃き清め、そしてときには遠くからの客をもてなしたり、遠くの集まりにでかけたりと、それはそれはゆったりと日々を過ごしておられる。長者どのだけでない、長者どのの奥方も、娘ごも、みやびやかに暮らしておられる。娘ごは寝太郎と同じ年頃で、寝太郎がまだ小さい頃にはよく一緒に遊んだりもしたものであるが、この頃は顔も見合わせることがなかった。
さて、ある日、子どもらが、烏を見つけた。烏はめずらしいものでもないが、たまたま畑にはいって鳥避けの糸に足を絡ませたのである。動けず、バタバタともがいておった。子どもらは、どうしたものかと相談をした。けれど、大人はみな遠くまで働きに出て、誰もおらん。そのうち誰かが、長者どのならいらっしゃるはずと言った。すると、別の子どもが、長者どのに烏は殺せまいと言った。すると別の子どもが、ならば寝太郎を呼んでこいといった。寝太郎にも烏は殺せまいと、みな思ったが、長者どのよりはましじゃろうと、寝太郎が呼ばれることになった。
さて、寝太郎は起こされて、しぶしぶではあったが怒るでもなく、子どもたちに連れられてやってきた。そして、烏を見ると、しばらく腕組みをして考えた。それから家に戻って大きなかごを持ってくると、烏をすっぽりと入れてから、器用に足に絡まった糸を外した。それから子どもらの方を向くと、「烏はおれが預かった。あとは任せろ」と言って、かごを抱えてすたすたと家に帰っていった。
子どもらの驚いたことに、なんと寝太郎は家に帰っても床に戻らなかった。それどころか、こざっぱりとした着物に着替えると、どこへやら出かけていった。そして、夕方まで戻らなかった。
さて、長者どのの家には楠の大木がある。あたりが暗くなった頃、寝太郎は何を思ったか、なにやら抱えてこの楠の木にそっと登っていった。そして、しばらく、じっとひそんでおった。
やがて、長者どのの女中が雨戸を立てに縁先に出てくる。そのとき、寝太郎は、提灯に小さな灯りをつけた。
さて、楠というのは実に葉のよくしげる木である。木の葉の間からちらちらと灯りは漏れるが、何がいるのかわからない。縁側の女中は、この灯りに気がついたが、気味悪く思って、急いで雨戸を立ててしまった。しばらくして家が静まったのを確かめてから、寝太郎はそっと灯りを消して、ゆっくりと木から下り、家に帰っていつものように寝てしまった。
さて、翌晩も、やはり同じ刻限に、寝太郎は、同じように楠の木に登った。そして、同じように、女中が雨戸を立てるときに、提灯に灯りをともした。女中はやっぱり気味悪がってさっさと雨戸を閉めた。けれど、恐ろしくなって主人の長者にこのことを話した。
さて、次の日には、何者かが長者どのの屋敷に現れるという噂でむらじゅうがもちきりになった。中には例の楠の木に登ってみる者もいたが、何も変わった様子はない。そうこうするうちに夜になった。いつもの、雨戸を閉める刻限である。やはりいつものように女中が雨戸を立てに現れたが、その後ろにはそっと長者どのも控えておられた。庭のあちこちには、むらの者たちもこっそり隠れている。怪しい光をこの目で確かめようというのである。
女中が雨戸に手をかけたそのときである。厳かな声が響いた。
「この家の主に伝えよ」
思わず長者どのは、縁側に膝を進めた。庭にいる者どもは、声がどこから聞こえるのかを確かめようと耳を傾けた。
「この家の主に、福を授けよう。その福は、娘に婿をとればやってくる。婿は、隣の家からとるがよい」
庭にいる者どもがあたりを見回しているそのとき、楠の木のあたりでガサガサと音がした。おや、と思ってそっちを見ると、どこからか光が空をとんだ。皆が見ている目の前で、光は空高く舞い上がると、西の空に向かって飛び、やがて見えなくなった。
「あれは西の山の天狗さまにちがいない」と、誰かが暗闇の中で言った。
「西の山の天狗さまのお告げが下ったぞ」と、誰かが叫んだ。
「長者どのに福がくる」
「おめでとうございます」
「おめでとうございます」
暗闇から、むらの者たちが縁先に集まってきた。長者どのはぼんやりと西の空を見上げていたが、やがて照れくさそうに笑うと、「今夜のことは誰にも言わぬように」と、小さな声で皆に言った。
けれど、人の口に戸は立てられぬもの、噂はたちまち広がった。布団にくるまっている寝太郎のところまでも聞こえてきた。
寝太郎はというと、いくら寝ても寝たりない。なぜなら三日も続けて夜ふかしをしたのだから。最初の二晩は提灯をもって隣の家の楠の木に登り、三日目の晩には塀のこちら側にひそんで、重々しい声で「福を授けよう」としゃべった。それから楠の木に向かって石を投げ込んでおいて、提灯を結わえ付けた烏を空に放してやったわけだ。烏はうまい具合に飛んでいってくれたし、火事にもならなかったようで一安心だ。あとはゆっくり眠りたいだけ寝ていたい。
けれど、そうはいかないもの。昼過ぎになって、長者どのから使いが来た。寝太郎は父親への言伝をあずかったが、もう中身は知れている。長者どのの隣の家といえばここしかない。池をはさんだ向こうには娘しかおらん。婿をとるにはここしかない。
そして話はどんどん進み、やがて寝太郎は長者どのの婿になった。長者どのの跡取りとなれば、朝からのうのうと寝ていられるか。ところがどうだ。婿入りの日から、寝太郎は一切朝寝をしなくなった。それどころではない。誰よりも早くから起き出すと、西から東へとむらのまわりを細かに調べはじめた。
そしてある朝、長者どのに向かって、こう申し上げた。「上のこの沢に堰をして、この尾根を回り込んで用水を引き、ここに池をしつらえて、この茅原を開くならば、むらのすぐそばに新田が開けるでありましょう」と。
長者どの、あまりに大きな話に度肝を抜かした。けれど、熱心な寝太郎の言葉に大きく頷いた。
やがて普請がはじまると、寝太郎はだれよりもよく働いた。働いて、働いて星が出るまでは家に戻らなんだ。
ようやく水が流れ、新田が開けたとき、寝太郎は父様、母様に向かって、「ようやく、やることが済んだ」と言った。そして、それからは、もう朝寝などせずに、仕事に精出すようになったということだ。
長者どのも、こんな働き者の婿どのをもらって、福が来たと思わなかったわけはなかろうな。
「おまえさまは、人が働いておられるときに、だらだらと寝てばかりおる。それではお天道様に申し訳ないと思わんのか」と、父親が諭す。すると寝太郎は、「おれもそう思う」と、答えるのであった。
「それならば、起きて仕事に出よ」と、母様が言うと、「その前にやることがある」と、寝太郎は言うのであった。
さて、それならば「やること」とは何かと問うてみても、これがさっぱり要領を得ん。飯を食うことかと聞けば、飯はいらん、腹は減らんという。顔を洗うことかと聞けば、顔はおとつい洗ったという。厠に行くことかと聞けば、厠はさっき行ったところだという。仕事に行くのに他に何を先にすることがあるのかと不思議に思うのであるが、そんなことを聞いているうちにもお天道様は上ってくる。お天道様が高くなる前にひと稼ぎしなければ食うてはいけぬ。そこで父様も母様も、そそくさと働きに行く。寝太郎は床に戻って、またいびきをかく。
やがて子どもらがやってくる。子どもらでも、大きな子は親を手伝って働きに出る。寝太郎が寝太郎になる前には、寝太郎もそんなふうに親を手伝ったものであった。なにしろこのあたりといえば、近くに田んぼがない。水がこないから、田んぼがつくれない。だからみな、いっしょうけんめい働く。遠くの村まで小作に行くものもあれば、山の畑を耕すものもいる。そんな仕事では、いくら働いても楽にはならない。年がら年中、とにかく忙しくしていないと生きてはいかれない。生きていくために忙しくして、大きな子はそれを手伝うし、小さな子はもうほうっておかれる。母様の背中から下りて走り回れるようになったら、あとは留守居にほうっておかれる。
そんな子どもらが、寝太郎のところにやってくる。
「やーい、寝太郎、朝の寝太郎、昼の寝太郎」
子どもらは、はやしたてる。寝太郎は怒るでもなく、かといって笑うでもなく、寝床の中から子どもらを見ておる。
「穀潰しの寝太郎、タダ飯ぐらいの寝太郎」
子どもらは、言いたいだけのことを言う。
「あんたみたいになったらアカンって、父ちゃんが言うとった」
「あれはろくでなしの見本やでって、母ちゃんが言うとった」
子どもらは、遠慮もなしに言う。寝太郎は、そうか、そうかといって、また寝てしまう。
実は村にもう一軒、昼間から寝ていられる家があった。寝太郎の家の隣の長者どのである。働かずとものうのうと暮らしていけるだけのものがあるから、その気になれば昼間でも寝ていられる。もっとも、長者どのは、そんなことはしない。なにやら難しい本を読み、盆栽の手入れをし、庭の祠を掃き清め、そしてときには遠くからの客をもてなしたり、遠くの集まりにでかけたりと、それはそれはゆったりと日々を過ごしておられる。長者どのだけでない、長者どのの奥方も、娘ごも、みやびやかに暮らしておられる。娘ごは寝太郎と同じ年頃で、寝太郎がまだ小さい頃にはよく一緒に遊んだりもしたものであるが、この頃は顔も見合わせることがなかった。
さて、ある日、子どもらが、烏を見つけた。烏はめずらしいものでもないが、たまたま畑にはいって鳥避けの糸に足を絡ませたのである。動けず、バタバタともがいておった。子どもらは、どうしたものかと相談をした。けれど、大人はみな遠くまで働きに出て、誰もおらん。そのうち誰かが、長者どのならいらっしゃるはずと言った。すると、別の子どもが、長者どのに烏は殺せまいと言った。すると別の子どもが、ならば寝太郎を呼んでこいといった。寝太郎にも烏は殺せまいと、みな思ったが、長者どのよりはましじゃろうと、寝太郎が呼ばれることになった。
さて、寝太郎は起こされて、しぶしぶではあったが怒るでもなく、子どもたちに連れられてやってきた。そして、烏を見ると、しばらく腕組みをして考えた。それから家に戻って大きなかごを持ってくると、烏をすっぽりと入れてから、器用に足に絡まった糸を外した。それから子どもらの方を向くと、「烏はおれが預かった。あとは任せろ」と言って、かごを抱えてすたすたと家に帰っていった。
子どもらの驚いたことに、なんと寝太郎は家に帰っても床に戻らなかった。それどころか、こざっぱりとした着物に着替えると、どこへやら出かけていった。そして、夕方まで戻らなかった。
さて、長者どのの家には楠の大木がある。あたりが暗くなった頃、寝太郎は何を思ったか、なにやら抱えてこの楠の木にそっと登っていった。そして、しばらく、じっとひそんでおった。
やがて、長者どのの女中が雨戸を立てに縁先に出てくる。そのとき、寝太郎は、提灯に小さな灯りをつけた。
さて、楠というのは実に葉のよくしげる木である。木の葉の間からちらちらと灯りは漏れるが、何がいるのかわからない。縁側の女中は、この灯りに気がついたが、気味悪く思って、急いで雨戸を立ててしまった。しばらくして家が静まったのを確かめてから、寝太郎はそっと灯りを消して、ゆっくりと木から下り、家に帰っていつものように寝てしまった。
さて、翌晩も、やはり同じ刻限に、寝太郎は、同じように楠の木に登った。そして、同じように、女中が雨戸を立てるときに、提灯に灯りをともした。女中はやっぱり気味悪がってさっさと雨戸を閉めた。けれど、恐ろしくなって主人の長者にこのことを話した。
さて、次の日には、何者かが長者どのの屋敷に現れるという噂でむらじゅうがもちきりになった。中には例の楠の木に登ってみる者もいたが、何も変わった様子はない。そうこうするうちに夜になった。いつもの、雨戸を閉める刻限である。やはりいつものように女中が雨戸を立てに現れたが、その後ろにはそっと長者どのも控えておられた。庭のあちこちには、むらの者たちもこっそり隠れている。怪しい光をこの目で確かめようというのである。
女中が雨戸に手をかけたそのときである。厳かな声が響いた。
「この家の主に伝えよ」
思わず長者どのは、縁側に膝を進めた。庭にいる者どもは、声がどこから聞こえるのかを確かめようと耳を傾けた。
「この家の主に、福を授けよう。その福は、娘に婿をとればやってくる。婿は、隣の家からとるがよい」
庭にいる者どもがあたりを見回しているそのとき、楠の木のあたりでガサガサと音がした。おや、と思ってそっちを見ると、どこからか光が空をとんだ。皆が見ている目の前で、光は空高く舞い上がると、西の空に向かって飛び、やがて見えなくなった。
「あれは西の山の天狗さまにちがいない」と、誰かが暗闇の中で言った。
「西の山の天狗さまのお告げが下ったぞ」と、誰かが叫んだ。
「長者どのに福がくる」
「おめでとうございます」
「おめでとうございます」
暗闇から、むらの者たちが縁先に集まってきた。長者どのはぼんやりと西の空を見上げていたが、やがて照れくさそうに笑うと、「今夜のことは誰にも言わぬように」と、小さな声で皆に言った。
けれど、人の口に戸は立てられぬもの、噂はたちまち広がった。布団にくるまっている寝太郎のところまでも聞こえてきた。
寝太郎はというと、いくら寝ても寝たりない。なぜなら三日も続けて夜ふかしをしたのだから。最初の二晩は提灯をもって隣の家の楠の木に登り、三日目の晩には塀のこちら側にひそんで、重々しい声で「福を授けよう」としゃべった。それから楠の木に向かって石を投げ込んでおいて、提灯を結わえ付けた烏を空に放してやったわけだ。烏はうまい具合に飛んでいってくれたし、火事にもならなかったようで一安心だ。あとはゆっくり眠りたいだけ寝ていたい。
けれど、そうはいかないもの。昼過ぎになって、長者どのから使いが来た。寝太郎は父親への言伝をあずかったが、もう中身は知れている。長者どのの隣の家といえばここしかない。池をはさんだ向こうには娘しかおらん。婿をとるにはここしかない。
そして話はどんどん進み、やがて寝太郎は長者どのの婿になった。長者どのの跡取りとなれば、朝からのうのうと寝ていられるか。ところがどうだ。婿入りの日から、寝太郎は一切朝寝をしなくなった。それどころではない。誰よりも早くから起き出すと、西から東へとむらのまわりを細かに調べはじめた。
そしてある朝、長者どのに向かって、こう申し上げた。「上のこの沢に堰をして、この尾根を回り込んで用水を引き、ここに池をしつらえて、この茅原を開くならば、むらのすぐそばに新田が開けるでありましょう」と。
長者どの、あまりに大きな話に度肝を抜かした。けれど、熱心な寝太郎の言葉に大きく頷いた。
やがて普請がはじまると、寝太郎はだれよりもよく働いた。働いて、働いて星が出るまでは家に戻らなんだ。
ようやく水が流れ、新田が開けたとき、寝太郎は父様、母様に向かって、「ようやく、やることが済んだ」と言った。そして、それからは、もう朝寝などせずに、仕事に精出すようになったということだ。
長者どのも、こんな働き者の婿どのをもらって、福が来たと思わなかったわけはなかろうな。