昔、あるところに貧しい百姓がおった。まめな夫婦であって、まだ暗いうちから起きてはたらく。田植えや稲刈りの頃などはわらじも脱がずに寝てしまうほど、はたらく。けれど、いくらはたらいても、貧しかった。椀にも膳にも事欠いて、ひとつお膳のひとつ茶碗から二人で飯を食うというありさま。それでも仲のよい夫婦であったので、それはそれなりにしあわせであったのであろう。
ある年越しのつごもりのことだ。貧しい二人にはこれといってすることもない。いつものように仕事をして、日も暮れかけたので今年も仕舞いにするべしと片付けはじめておったところに、みすぼらしいなりをしたやせた男が門口に立った。
「どなたですかいな」
と、この主が聞けば、
「申し訳ないけども、ここに居させてくれまいか」
と答える。嫁が出てきて
「どなたでございますか」
と尋ねると、やっぱり
「すまないのですが、ここに居させてもらえまいか」
と、こう答える。
夫婦は不審に思ったが、こんな時分から余所に行くのもかなわんじゃろうと合点して、
「それならば、なにもないところではあるが、入りなされ」
と、この男を招き入れた。
さて、夜になり、冷めた雑炊でもすするかと夫婦がなべをあけてみると、中は空っぽになっている。それならば芋でも蒸すかとおくどさんに火を入れようとすると、熾がない。それなら水でも飲むかと水瓶をのぞくと、いくらも残ってはいない。
客人の方を見ると、すまなそうにうなずいておられる。力なく笑うと、こう言った。
「わしは、貧乏神やでなあ」
さあ、夫婦は弱ってしまった。貧乏神にとりつかれてはかなわないと思った。ところがあいにくと、家の外は雪になった。いくら貧乏の神様でも、神様をこんな吹雪の中に追い出されるわけはない。しかたないので、その夜はひもじいのをがまんして、年を越した。
さて、次の朝になってみると、昨日の客人の姿はない。夫婦はやれやれとほっとして、わら仕事をはじめた。一区切りついて腰をのばすと、梁の上に見慣れない影があるのに気がついた。なんと、貧乏神様は、夜のうちに梁の上にすっかり落ち着いてしまわれたのだ。
「どうかそこから下りて、出ていってはくれまいか」
すると、貧乏神様は、気の毒そうな顔をして、
「わしらは年のうちは家移りはできないきまりでなあ」
と、おっしゃるのであった。
それは困るので、夫婦はなんとか貧乏神様におりていただこうとがんばった。ハタキではたいてみても、棒でつついてみても、そこは神様、なんともならない。
「これでは、くたびれもうけにしかならん。それより日のあるうちにせんなならんこともある」
夫婦はそう言い合って、その日はあきらめることにした。
それからしばらくは、毎日、頼んだり、拝んだり、脅したりしていたが、そのうち貧乏神様がそこにいるのにも慣れてしまった。どうせ年のうちには出ていかれないということであるのだから、あわてたところでどうしようもない。それよりも、春になれば籾の支度もせねばならない。田んぼも起こさねばならないし、せんざいものの苗も気になる。百姓は忙しくて、貧乏神様などにかかずらわってはおれないのであった。
それにしても貧乏神様の霊験はあらたかで、いくら忙しくはたらいてもちっとも暮らしは楽にはならない。とはいえ、もともとが貧しい暮らしであるからして、いつもより特別に苦しいわけでもない。
「やっぱり貧乏神様がおるとかなわんのう」
と、笑いながら、夫婦は毎日仕事に励むのであった。
そうこうするうちに夏の日照りも乗り越え、秋のとり入れも無事終わり、年の瀬がやってきた。このころになると、夫婦はすっかり貧乏神様のことなど忘れておった。いや、梁の上を見上げれば、確かにいつもそこに、遠慮がちに座っていらっしゃる。忘れるどころではない。けれどそれは、相変わらず米びつに米がないことと同じであって、ことさらにとりあげてどうこういうことではなくなっておったわけだ。
そして相変わらず貧しい夫婦は、年越しのつごもりのその日も、いつものようにはたらいておった。なにもない家であるから、かえって、世間のあわただしさなど、どこ吹く風である。日も暮れかけた、雪もちらついてきたというので今年も仕舞いにするべしと片付けはじめておったところに、丸々と太って機嫌のよい男が門口に立った。背中になにやら大きな袋を担いでいる。
「どなたですかいな」
と、この主が聞けば、
「今夜からわしはこの家に居させてもらう」
と、さもあたりまえのように言う。嫁が出てきて
「どなたでございますか」
と尋ねると、やっぱり
「今夜から、わしがこの家にいることになった」
と、こう答える。そして、背中の大きな袋をどん、っと足もとに置いた。
夫婦は不審に思った。そのとき、家の中から貧乏神様がしょんぼりとあらわれた。
「これはこれは、貧乏神様。お出ましとはめずらしい」
と、主が言うと、
「わしはこれから宿替えじゃ」
と、おっしゃる。
「どういうことでありますか」
と嫁が尋ねると、
「福の神様がいらっしゃったら、わしはここにはおられん」
と、太った男の方を恨めしそうに見る。
なるほど、これが福の神様であるかと、主は合点した。
「それで、この雪の中、どちらに行きなさる」
と尋ねると、
「もっと貧しい家を探すんじゃ」
と、哀れな声を出す。
夫婦は、気の毒になった。
「せめて雪がやむまでおらっしゃれ」
と言うてみたところ、福の神様が顔をしかめた。
「年が明けては家移りができん。さあ。さっさと移りなされ」
夫婦は顔を見合わせたが、やがて神妙に申し上げた。
「お言葉ではございますが、あなた様は後から参られたお方。こちらのお方様は先からおられます。ここは、先のお方様を追い出してあなた様をお迎えするというわけにはいかんのではありませぬでしょうか」
福の神様は、きょとんとした顔で主を見た。主は続けて言った。
「こちらは貧しいあばら屋でございます。どうして福の神様をお迎えすることなどできましょうか。身にあまることでございますので、どうかお許しを」
福の神様は、なかなか話が飲み込めない様子であったが、やがて腑に落ちない顔で、
「それでは、余所に行ってよいのだな」
と、念を押した。そして、首をかしげながら、雪の中を去っていった。
「さ、中に入りましょう」
と、貧乏神様に嫁が声をかけた。貧乏神様はきょとんとしていたが、やがてようすが飲み込めると、おいおい泣きだした。
「どうされましたか」
と、嫁が心配そうに聞くと、
「こんなに嬉しいことはありません」
と、頭をすりつけんばかりに喜んだ。
主のほうは福の神様を見送っておったが、ふと、足もとに大きな袋を福の神様が忘れていかれたのに気がついた。
「これは、忘れ物。さて、呼び戻したものか」
と、主が言うのに、貧乏神様が答えた。
「それは、この家への贈り物であります。ほかの家には持って行かれないものと決まっているので、福の神様も持っていけなかったのでしょう」
そこで主が袋を開けてみると、中には年越しのご馳走がぎっしりつまり、さらにその下に宝がごっそり入っている。そこで夫婦は、にわかに年越しの膳をいただくことになったが、
「どうか貧乏神様もお食べなされ」
と、貧乏神様に膳椀をすすめるのであった。
その夜、三人は腹一杯のご馳走を食べ、しあわせな夢を見て温かく休んだ。
さて、夜が明け、年が明けた。早起きをした夫婦は、貧乏神様の顔のつやがよくなり、一晩で少しは肉もついたのに気がついた。そこで、貧乏神様に勧めて行水を使ってもらい、髭を整え、福袋の中から取り出した新しい衣を着せかけた。貧乏神様にはなにやら威厳も備わって、去年までのおどおどしたところもなくなった。
夫婦はこの貧乏神様を神棚に祭って、その年も一生懸命はたらいた。はたらきがよかったおかげか、お天道様の具合がよかったのか、それとも福袋の宝のおかげであろうか、秋にはこれまでにないほどの豊作に恵まれた。その頃には貧乏神様も丸々と太り、機嫌もすっかりよくなった。もう貧乏神様などと申し上げては失礼に感じられた夫婦は、それからはこの神様を福の神様と呼ぶようになった。
そして、それからは、この福の神のいる家には、次々としあわせが舞い込み、子孫代々、末永く豊かに暮らしたということである。
ある年越しのつごもりのことだ。貧しい二人にはこれといってすることもない。いつものように仕事をして、日も暮れかけたので今年も仕舞いにするべしと片付けはじめておったところに、みすぼらしいなりをしたやせた男が門口に立った。
「どなたですかいな」
と、この主が聞けば、
「申し訳ないけども、ここに居させてくれまいか」
と答える。嫁が出てきて
「どなたでございますか」
と尋ねると、やっぱり
「すまないのですが、ここに居させてもらえまいか」
と、こう答える。
夫婦は不審に思ったが、こんな時分から余所に行くのもかなわんじゃろうと合点して、
「それならば、なにもないところではあるが、入りなされ」
と、この男を招き入れた。
さて、夜になり、冷めた雑炊でもすするかと夫婦がなべをあけてみると、中は空っぽになっている。それならば芋でも蒸すかとおくどさんに火を入れようとすると、熾がない。それなら水でも飲むかと水瓶をのぞくと、いくらも残ってはいない。
客人の方を見ると、すまなそうにうなずいておられる。力なく笑うと、こう言った。
「わしは、貧乏神やでなあ」
さあ、夫婦は弱ってしまった。貧乏神にとりつかれてはかなわないと思った。ところがあいにくと、家の外は雪になった。いくら貧乏の神様でも、神様をこんな吹雪の中に追い出されるわけはない。しかたないので、その夜はひもじいのをがまんして、年を越した。
さて、次の朝になってみると、昨日の客人の姿はない。夫婦はやれやれとほっとして、わら仕事をはじめた。一区切りついて腰をのばすと、梁の上に見慣れない影があるのに気がついた。なんと、貧乏神様は、夜のうちに梁の上にすっかり落ち着いてしまわれたのだ。
「どうかそこから下りて、出ていってはくれまいか」
すると、貧乏神様は、気の毒そうな顔をして、
「わしらは年のうちは家移りはできないきまりでなあ」
と、おっしゃるのであった。
それは困るので、夫婦はなんとか貧乏神様におりていただこうとがんばった。ハタキではたいてみても、棒でつついてみても、そこは神様、なんともならない。
「これでは、くたびれもうけにしかならん。それより日のあるうちにせんなならんこともある」
夫婦はそう言い合って、その日はあきらめることにした。
それからしばらくは、毎日、頼んだり、拝んだり、脅したりしていたが、そのうち貧乏神様がそこにいるのにも慣れてしまった。どうせ年のうちには出ていかれないということであるのだから、あわてたところでどうしようもない。それよりも、春になれば籾の支度もせねばならない。田んぼも起こさねばならないし、せんざいものの苗も気になる。百姓は忙しくて、貧乏神様などにかかずらわってはおれないのであった。
それにしても貧乏神様の霊験はあらたかで、いくら忙しくはたらいてもちっとも暮らしは楽にはならない。とはいえ、もともとが貧しい暮らしであるからして、いつもより特別に苦しいわけでもない。
「やっぱり貧乏神様がおるとかなわんのう」
と、笑いながら、夫婦は毎日仕事に励むのであった。
そうこうするうちに夏の日照りも乗り越え、秋のとり入れも無事終わり、年の瀬がやってきた。このころになると、夫婦はすっかり貧乏神様のことなど忘れておった。いや、梁の上を見上げれば、確かにいつもそこに、遠慮がちに座っていらっしゃる。忘れるどころではない。けれどそれは、相変わらず米びつに米がないことと同じであって、ことさらにとりあげてどうこういうことではなくなっておったわけだ。
そして相変わらず貧しい夫婦は、年越しのつごもりのその日も、いつものようにはたらいておった。なにもない家であるから、かえって、世間のあわただしさなど、どこ吹く風である。日も暮れかけた、雪もちらついてきたというので今年も仕舞いにするべしと片付けはじめておったところに、丸々と太って機嫌のよい男が門口に立った。背中になにやら大きな袋を担いでいる。
「どなたですかいな」
と、この主が聞けば、
「今夜からわしはこの家に居させてもらう」
と、さもあたりまえのように言う。嫁が出てきて
「どなたでございますか」
と尋ねると、やっぱり
「今夜から、わしがこの家にいることになった」
と、こう答える。そして、背中の大きな袋をどん、っと足もとに置いた。
夫婦は不審に思った。そのとき、家の中から貧乏神様がしょんぼりとあらわれた。
「これはこれは、貧乏神様。お出ましとはめずらしい」
と、主が言うと、
「わしはこれから宿替えじゃ」
と、おっしゃる。
「どういうことでありますか」
と嫁が尋ねると、
「福の神様がいらっしゃったら、わしはここにはおられん」
と、太った男の方を恨めしそうに見る。
なるほど、これが福の神様であるかと、主は合点した。
「それで、この雪の中、どちらに行きなさる」
と尋ねると、
「もっと貧しい家を探すんじゃ」
と、哀れな声を出す。
夫婦は、気の毒になった。
「せめて雪がやむまでおらっしゃれ」
と言うてみたところ、福の神様が顔をしかめた。
「年が明けては家移りができん。さあ。さっさと移りなされ」
夫婦は顔を見合わせたが、やがて神妙に申し上げた。
「お言葉ではございますが、あなた様は後から参られたお方。こちらのお方様は先からおられます。ここは、先のお方様を追い出してあなた様をお迎えするというわけにはいかんのではありませぬでしょうか」
福の神様は、きょとんとした顔で主を見た。主は続けて言った。
「こちらは貧しいあばら屋でございます。どうして福の神様をお迎えすることなどできましょうか。身にあまることでございますので、どうかお許しを」
福の神様は、なかなか話が飲み込めない様子であったが、やがて腑に落ちない顔で、
「それでは、余所に行ってよいのだな」
と、念を押した。そして、首をかしげながら、雪の中を去っていった。
「さ、中に入りましょう」
と、貧乏神様に嫁が声をかけた。貧乏神様はきょとんとしていたが、やがてようすが飲み込めると、おいおい泣きだした。
「どうされましたか」
と、嫁が心配そうに聞くと、
「こんなに嬉しいことはありません」
と、頭をすりつけんばかりに喜んだ。
主のほうは福の神様を見送っておったが、ふと、足もとに大きな袋を福の神様が忘れていかれたのに気がついた。
「これは、忘れ物。さて、呼び戻したものか」
と、主が言うのに、貧乏神様が答えた。
「それは、この家への贈り物であります。ほかの家には持って行かれないものと決まっているので、福の神様も持っていけなかったのでしょう」
そこで主が袋を開けてみると、中には年越しのご馳走がぎっしりつまり、さらにその下に宝がごっそり入っている。そこで夫婦は、にわかに年越しの膳をいただくことになったが、
「どうか貧乏神様もお食べなされ」
と、貧乏神様に膳椀をすすめるのであった。
その夜、三人は腹一杯のご馳走を食べ、しあわせな夢を見て温かく休んだ。
さて、夜が明け、年が明けた。早起きをした夫婦は、貧乏神様の顔のつやがよくなり、一晩で少しは肉もついたのに気がついた。そこで、貧乏神様に勧めて行水を使ってもらい、髭を整え、福袋の中から取り出した新しい衣を着せかけた。貧乏神様にはなにやら威厳も備わって、去年までのおどおどしたところもなくなった。
夫婦はこの貧乏神様を神棚に祭って、その年も一生懸命はたらいた。はたらきがよかったおかげか、お天道様の具合がよかったのか、それとも福袋の宝のおかげであろうか、秋にはこれまでにないほどの豊作に恵まれた。その頃には貧乏神様も丸々と太り、機嫌もすっかりよくなった。もう貧乏神様などと申し上げては失礼に感じられた夫婦は、それからはこの神様を福の神様と呼ぶようになった。
そして、それからは、この福の神のいる家には、次々としあわせが舞い込み、子孫代々、末永く豊かに暮らしたということである。