昔むかし、ちょっと太ったお爺さんがいました。小太りなので、小太り爺さんと呼ばれていました。というのはウソですよ。これは昔から有名なおはなしです。そうですよ、右のほっぺたに大きなコブがあるお爺さんが、あるところに住んでいたんですね。
近頃では、コブどころかデキモノひとつ見かけることも少なくなりました。それでも年をとると、シミができたりイボができたりしやすくなるんですよ。イボというのは痛くも痒くもないんですけど、皮がぷくっと膨らんでしまうんですね。コブも、痛くも痒くもありません。イボよりもずっと大きな膨らみです。タンコブとはちがいます。タンコブは次の日にはひっこみます。コブは、いつまでも引っ込みません。アテローマといって、お医者さんに切り取ってもらうこともできるそうです。けれどむかしは、そのまんま放っておいたんですね。コブで死ぬことはありませんから。
死ぬことはありませんけれど、うっとうしいものですよ。とくに顔なんかにできたらやっかいです。あんまりひどいと、差支えがでます。目のまわりにできたらものが見えにくくなりますし、口の近くにできたらものを食べにくくなります。だから、むかしの人でもできることならとってもらいたかったんでしょうね。
さて、山の中の小さなむらに、右のほっぺたに大きなコブのあるお爺さんが、お婆さんと一緒に仲良く暮らしていました。このお爺さん、ある日、山仕事に出たんですね。だいたいが、山のむらに住む人は、田畑の仕事だけでは生きていけません。山から薪を切ってきたり、山で炭を焼いたりして、暮らしの足しにするんですね。もちろんキノコや山菜みたいな山の恵みもありますし、中には猪や鹿をねらう山猟師や大きな木を材木に切り出す木こりみたいな人々もいましたけれど、そこまでいかなくても、山のむらに住む人は、なにかと山に用があったものですよ。そういうのをまとめて、山仕事というわけです。
山のむらに住む人は、だいたいが若い頃から山の中を歩き回っていますから、どこになにがあるのか、よく知っています。ただ、年をとってくると、若い頃に比べると身体が動かなくなってくるんですね。
この日、お爺さんは、お天気が怪しいなあと朝から思っていました。けれど、雨に濡れる前に引き上げようと思ったときにはもう遅かったんですね。このまま家まで急いでも間に合いません。その代わり、年をとるとちょっとのことではあわてなくなります。知恵もついてきます。近くに大きな木のウロがあったのをお爺さんは思い出しました。ウロというのは、木の真ん中のあたりがほら穴のようになったもので、炭焼きのために何度も何度も切られながら生きてきた古い木なんかにできることがあります。このウロで雨宿りをすればいいだろうと思ったんですね。
ウロは、かんたんに見つかりました。お爺さんが中に入ると、すぐにはげしい雨がふりはじめました。お爺さんはしばらく雨に濡れる落ち葉の様子を見ていましたが、やがて、その雨の音を聞きながらウトウトと眠りこんでしまいました。
目が覚めたのは、もう真っ暗になってからでした。はじめ、お爺さんは自分がどこにいるのかわかりませんでした。そのうち、木のウロの中で雨宿りをしていたことを思い出しました。夜の山は危ないところですけれど、そこは山のことをよく知っているお爺さんです。ゆっくり歩いて家まで戻ろうか、それともここは一晩野宿したほうがいいだろうか、とにかくいちどウロから出ようと、腰を伸ばしながら考えました。きっとお婆さんは心配していることだろうと、そんなことも思いました。
そのときです。何かざわめく音がします。なにやらゆらめく明かりも見えます。お爺さんは、あわててウロの中に引っ込みました。なにしろこんな山の中です。暗くなってから人がやってくるようなところではないのです。盗賊や山賊といった者どもであろうかと、お爺さんはこわごわのぞいてみました。いえ、それどころではありません。
木のウロからいくらも離れていない、少し広くなったところに、焚き火が燃えています。そのまわりに座っているのは、見たこともない恐ろしい姿の者どもでした。こっちに一つ目がいると思えば、あちらには三つ目がいます。腕が胸から出ている者がいるかと思えば、こちらの者には尻尾があります。角の生えた男が、太い薪を火の中に放り込みました。お爺さんは、あわてて首を引っ込めました。
逃げ出そうにも、このウロから出れば、たちまち見つかってしまうでしょう。あんな恐ろしい者どもにつかまったら、何をされるかわかりません。お爺さんは、動くこともできず、小さくなって震えていました。
化け物どもは、どうやら酒盛りをはじめたようです。賑やかな声が聞こえます。そのうち、誰かが歌を唄いはじめました。ほかの者も声を合わせます。拍子をとる音も聞こえます。
お爺さんは、そっとのぞいてみました。焚き火のまわりでは、こっけいなおどりがはじまっています。さっきまで恐ろしく見えた見慣れない身体つきや顔つきが、炎に浮かんで思わぬ笑いを誘います。お爺さんは、われを忘れて見とれてしまいました。
新しい歌が始まりました。お爺さんはたまらず、おどりはじめていました。三つ目の大男がこっちを見たのに気がつきましたけれど、もうかまわないという気になってきました。そのままおどりながら、焚き火の近くまで行きました。気がつくと、化け物たちといっしょになって、唄いながらおどっているのでした。
歌は、不思議な力をもっていますよ。これは本当です。言葉の通じない外国に行っても、いっしょに歌を唄ったりおどったりして仲良くなることができます。同じことですね。お爺さんは、唄っておどって、この怪しい者どもとすっかり仲良くなったのでした。
やがて、東の空が白んできました。朝がやってきます。化け物たちは、焚き火を消すと、森の中へ動きはじめました。尻尾の生えた小男が、角が二本ある赤ら顔と話しながら、お爺さんのところにやって来ました。お爺さんも二人の方へ歩きはじめました。このまま一緒に森の中へ行くのがあたりまえのような気がしました。
けれど、そのとき、お爺さんは、家で待っているお婆さんのことを思い出しました。そして、あわてて、自分は家に帰らなければいけないのだと、二人に向かって言いました。
二人は顔を見合わせました。それから、恐ろしい顔でお爺さんに近づいてくると、いきなりお爺さんの右のほっぺたのコブをつかみました。あっと思う間もなく、お爺さんのコブはとれてしまいました。二人の化け物は、お爺さんを睨むと、くるっと背を向けて森の中に消えました。
お爺さんは、コブのあったところをそっとなでてみました。つるんとして、きれいにコブは消えています。傷口もなければ、痛くもありません。けれど、いつまでも不思議がっていてもしかたないので、おじいさんは明るくなった山の道を急いでお婆さんの待つ家まで帰ったのでした。
さてさて、お爺さんの家の隣に、もうひとり、左のほっぺたにコブのあるお爺さんが住んでいました。この左のコブのお爺さん、右のほっぺたにコブのあったお爺さんのコブがきれいになくなっているのを見て、うらやましがりました。そして、どうやってとったのかと尋ねてきました。
「自分でもよくわからんのじゃ」
と、コブのなくなったお爺さんは言いました。
「あのまま化け物たちについていったほうがよかったのかもしれん」
左のコブのお爺さんは、コブのなくなったお爺さんがなぜそんなことを言うのかわかりませんでした。それでも、化け物にコブをとってもらったことはわかったので、その場所を詳しく聞きました。そしてある日、自分もコブをとってもらおうと、その木のウロに向かって、山を登っていきました。
さて、おはなしはこれだけです。左のほっぺたにコブのあるお爺さんは、いつまでたっても帰ってこなかったんですね。化け物に食べられてしまったのかもしれません。それとも、化け物たちと一緒に森の中に入って、森の中でいまでも楽しく暮らしているんでしょうか。それは、もう確かめることもできないことですよね。そして、コブのなくなったお爺さんは、それからもときどき、あの森のあの場所まで行ってみたそうです。けれど、もうあの化け物たちに会うことは二度となかったということです。
近頃では、コブどころかデキモノひとつ見かけることも少なくなりました。それでも年をとると、シミができたりイボができたりしやすくなるんですよ。イボというのは痛くも痒くもないんですけど、皮がぷくっと膨らんでしまうんですね。コブも、痛くも痒くもありません。イボよりもずっと大きな膨らみです。タンコブとはちがいます。タンコブは次の日にはひっこみます。コブは、いつまでも引っ込みません。アテローマといって、お医者さんに切り取ってもらうこともできるそうです。けれどむかしは、そのまんま放っておいたんですね。コブで死ぬことはありませんから。
死ぬことはありませんけれど、うっとうしいものですよ。とくに顔なんかにできたらやっかいです。あんまりひどいと、差支えがでます。目のまわりにできたらものが見えにくくなりますし、口の近くにできたらものを食べにくくなります。だから、むかしの人でもできることならとってもらいたかったんでしょうね。
さて、山の中の小さなむらに、右のほっぺたに大きなコブのあるお爺さんが、お婆さんと一緒に仲良く暮らしていました。このお爺さん、ある日、山仕事に出たんですね。だいたいが、山のむらに住む人は、田畑の仕事だけでは生きていけません。山から薪を切ってきたり、山で炭を焼いたりして、暮らしの足しにするんですね。もちろんキノコや山菜みたいな山の恵みもありますし、中には猪や鹿をねらう山猟師や大きな木を材木に切り出す木こりみたいな人々もいましたけれど、そこまでいかなくても、山のむらに住む人は、なにかと山に用があったものですよ。そういうのをまとめて、山仕事というわけです。
山のむらに住む人は、だいたいが若い頃から山の中を歩き回っていますから、どこになにがあるのか、よく知っています。ただ、年をとってくると、若い頃に比べると身体が動かなくなってくるんですね。
この日、お爺さんは、お天気が怪しいなあと朝から思っていました。けれど、雨に濡れる前に引き上げようと思ったときにはもう遅かったんですね。このまま家まで急いでも間に合いません。その代わり、年をとるとちょっとのことではあわてなくなります。知恵もついてきます。近くに大きな木のウロがあったのをお爺さんは思い出しました。ウロというのは、木の真ん中のあたりがほら穴のようになったもので、炭焼きのために何度も何度も切られながら生きてきた古い木なんかにできることがあります。このウロで雨宿りをすればいいだろうと思ったんですね。
ウロは、かんたんに見つかりました。お爺さんが中に入ると、すぐにはげしい雨がふりはじめました。お爺さんはしばらく雨に濡れる落ち葉の様子を見ていましたが、やがて、その雨の音を聞きながらウトウトと眠りこんでしまいました。
目が覚めたのは、もう真っ暗になってからでした。はじめ、お爺さんは自分がどこにいるのかわかりませんでした。そのうち、木のウロの中で雨宿りをしていたことを思い出しました。夜の山は危ないところですけれど、そこは山のことをよく知っているお爺さんです。ゆっくり歩いて家まで戻ろうか、それともここは一晩野宿したほうがいいだろうか、とにかくいちどウロから出ようと、腰を伸ばしながら考えました。きっとお婆さんは心配していることだろうと、そんなことも思いました。
そのときです。何かざわめく音がします。なにやらゆらめく明かりも見えます。お爺さんは、あわててウロの中に引っ込みました。なにしろこんな山の中です。暗くなってから人がやってくるようなところではないのです。盗賊や山賊といった者どもであろうかと、お爺さんはこわごわのぞいてみました。いえ、それどころではありません。
木のウロからいくらも離れていない、少し広くなったところに、焚き火が燃えています。そのまわりに座っているのは、見たこともない恐ろしい姿の者どもでした。こっちに一つ目がいると思えば、あちらには三つ目がいます。腕が胸から出ている者がいるかと思えば、こちらの者には尻尾があります。角の生えた男が、太い薪を火の中に放り込みました。お爺さんは、あわてて首を引っ込めました。
逃げ出そうにも、このウロから出れば、たちまち見つかってしまうでしょう。あんな恐ろしい者どもにつかまったら、何をされるかわかりません。お爺さんは、動くこともできず、小さくなって震えていました。
化け物どもは、どうやら酒盛りをはじめたようです。賑やかな声が聞こえます。そのうち、誰かが歌を唄いはじめました。ほかの者も声を合わせます。拍子をとる音も聞こえます。
お爺さんは、そっとのぞいてみました。焚き火のまわりでは、こっけいなおどりがはじまっています。さっきまで恐ろしく見えた見慣れない身体つきや顔つきが、炎に浮かんで思わぬ笑いを誘います。お爺さんは、われを忘れて見とれてしまいました。
新しい歌が始まりました。お爺さんはたまらず、おどりはじめていました。三つ目の大男がこっちを見たのに気がつきましたけれど、もうかまわないという気になってきました。そのままおどりながら、焚き火の近くまで行きました。気がつくと、化け物たちといっしょになって、唄いながらおどっているのでした。
歌は、不思議な力をもっていますよ。これは本当です。言葉の通じない外国に行っても、いっしょに歌を唄ったりおどったりして仲良くなることができます。同じことですね。お爺さんは、唄っておどって、この怪しい者どもとすっかり仲良くなったのでした。
やがて、東の空が白んできました。朝がやってきます。化け物たちは、焚き火を消すと、森の中へ動きはじめました。尻尾の生えた小男が、角が二本ある赤ら顔と話しながら、お爺さんのところにやって来ました。お爺さんも二人の方へ歩きはじめました。このまま一緒に森の中へ行くのがあたりまえのような気がしました。
けれど、そのとき、お爺さんは、家で待っているお婆さんのことを思い出しました。そして、あわてて、自分は家に帰らなければいけないのだと、二人に向かって言いました。
二人は顔を見合わせました。それから、恐ろしい顔でお爺さんに近づいてくると、いきなりお爺さんの右のほっぺたのコブをつかみました。あっと思う間もなく、お爺さんのコブはとれてしまいました。二人の化け物は、お爺さんを睨むと、くるっと背を向けて森の中に消えました。
お爺さんは、コブのあったところをそっとなでてみました。つるんとして、きれいにコブは消えています。傷口もなければ、痛くもありません。けれど、いつまでも不思議がっていてもしかたないので、おじいさんは明るくなった山の道を急いでお婆さんの待つ家まで帰ったのでした。
さてさて、お爺さんの家の隣に、もうひとり、左のほっぺたにコブのあるお爺さんが住んでいました。この左のコブのお爺さん、右のほっぺたにコブのあったお爺さんのコブがきれいになくなっているのを見て、うらやましがりました。そして、どうやってとったのかと尋ねてきました。
「自分でもよくわからんのじゃ」
と、コブのなくなったお爺さんは言いました。
「あのまま化け物たちについていったほうがよかったのかもしれん」
左のコブのお爺さんは、コブのなくなったお爺さんがなぜそんなことを言うのかわかりませんでした。それでも、化け物にコブをとってもらったことはわかったので、その場所を詳しく聞きました。そしてある日、自分もコブをとってもらおうと、その木のウロに向かって、山を登っていきました。
さて、おはなしはこれだけです。左のほっぺたにコブのあるお爺さんは、いつまでたっても帰ってこなかったんですね。化け物に食べられてしまったのかもしれません。それとも、化け物たちと一緒に森の中に入って、森の中でいまでも楽しく暮らしているんでしょうか。それは、もう確かめることもできないことですよね。そして、コブのなくなったお爺さんは、それからもときどき、あの森のあの場所まで行ってみたそうです。けれど、もうあの化け物たちに会うことは二度となかったということです。